あらすじ
戦乱の世から泰平の世へ。16世紀後半から17世紀前半にかけて、日本社会は激変した。徳川家康が開いた江戸幕府による藩の創出こそが、戦国時代以来の戦乱で荒廃した地域社会を復興させたためである。地方の王者たる戦国大名が、いかにして「国家の官僚」たる藩主へと変貌したのか。本書は家康の参謀・藤堂高虎が辣腕を振るった幕藩国家の誕生過程をたどり、江戸時代の平和の基盤となった藩の歴史的意義を明らかにする。
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Posted by ブクログ
今の歴史研究が垣間見える。藤堂高虎からの藩体制の考察、コンパクトシティとしての藩と城下町、その他もろもろ。とてもとても面白かった。この人のまた読みたい。
Posted by ブクログ
藩とは何か
著者:藤田達生(三重大学教授)
発行:2019年7月25日
中公新書
「藩」というものが長年、理解できていなかった(たぶん今もできていない)。藩は都道府県みたいな、自治体的な単位だと思っていた。だから、○○藩というのは江戸幕府が定めた固有名詞だと思っていた。ところが、小説は別として、歴史の本を読んでいると藩という言葉があまり出てこない。○○氏、のような言い方が多い。教科書にも、長州藩や薩摩藩、会津藩は出てくるが、加賀藩とかは記憶にない。なんでだろうと思い、調べてはみたがよく分からなかった。
島津藩、薩摩藩、鹿児島藩
これはどれが正しいのか?あるいは、同じものなのか?という疑問もずっと持っていた。他の「藩」についても同じ。
どうやらこれは、どれも正解だし、どれも不正解みたいだ。
東京都や鹿児島県みたいに地名と都道府県をひとくくりにした固有名詞で使われたのではなく、「藩」は便宜的に使われた感じと思われる。この本にも、江戸時代に「藩」と記載されたことはまれらしく、幕末から明治にかけて使われたと書かれている。
以前から抱いていた謎が少し解けてきた気がする。
藩はいくつあったか?
江戸時代を通じ、大小あわせて200数十の藩(1664年の時点では約240家)が存在した。
最初の藩は?
彦根藩と藤堂藩が始まり。しかし、井伊は譜代大名なので、純粋(?)な藩の始まりとしては、外様大名の藤堂高虎を祖とする藤堂藩だと言える。
とそんな藩のことがいろいろ解説してある本かと思いきや、そうではなかった。途中から、藤堂藩のことばかりが書かれている本だった。それもそのはず、著者は三重大学教授だった。
興味が持てる雑学的なことは出てきたが、少しあてが外れた。
以下、メモ
大名にとって参勤交代は負担ばかりではなかった。途中で、直接、他藩の状況を観察するという重要な意味もあった。とくに京都と大坂での情報収集には意味があった。
徳川秀忠は、外孫にあたる皇子、高仁親王を天皇にして公武合体政権を成立させ、それとセットで江戸城から大阪城へと自ら移り住み、事実上の「大坂幕府」を発足させる構想があった。
しかし、秀忠と江の間に生まれた和子の入内が、家康の死などで遅れ、やっと入内したものの和子が生んだ高仁親王が夭折して実現しなかった。
寛永11年7月に上洛した家光は大坂を訪れ、租税免除による城下町繁栄策を打ち出して以降、商工業の本格的な大坂集住が促進された。
徳川が統一的な主従制を構築したのは、四代将軍家綱の時代だった。これにより、制度的に藩の成立が達成された。
秀吉は天下統一戦を行いながら、つまり戦争を通じて主従制を全国に拡大したが、徳川はそれが出来なかったので時間がかかった。
そんな中にあって、藤堂高虎だけは例外で最初から家康に破格の高禄をもらっていた。