あらすじ
ナチスが権力を掌握するにあたっては、ヒトラーの演説力が大きな役割を果たした。ヒトラーの演説といえば、声を張り上げ、大きな身振りで聴衆を煽り立てるイメージが強いが、実際はどうだったのか。聴衆は演説にいつも熱狂したのか。本書では、ヒトラーの政界登場からドイツ敗戦までの二五年間、一五〇万語に及ぶ演説データを分析。レトリックや表現などの面から煽動政治家の実像を明らかにする。
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ヒトラーの演説にスポットを当てているが簡単な年表を示してくれたり、ヒトラーの心情が演説に与えた影響にも触れてくれたりと、非常に読みやすかったです。
特にオペラ歌手の手ほどきで発生からジェスチャーまで研究していたというところは面白かった。
結局、ヒトラーには演説しか力を発揮できるところはなく、政治や軍事に関してはほとんどセンスがなかったのだなぁと思いました。演説というヒトラーの持つ唯一の力を発揮できなくなる状況において、みるみるうちに没落していく様には哀れさを感じました。
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・歴史的背景や世界情勢と共に、ヒットラーの残した演説から150万語分(速記されてたり、映像、音声で残っているもののみ)を、ナチスが与党になる前と与党になった後で分けて分析している
・どのような演説がされて、ヨーロッパを戦禍に巻き込んだのかが描かれていた
・ナチスが独裁していた頃も選挙結果だけ見れば、国民に望まれてたように見える。しかしナチスの資料には、党員ではない国民には「距離を置かれていた」又は「嫌われてた」ことが書かれていた
・ナチスの蛮行は全く支持できず、悪魔だと思う
・ヒットラーも独裁者として人間性は最悪だった
・しかし、演説家としてみると、群集心理学を学び、弁論術を学び、オペラ俳優から発声法・ジェスチャーの効果的な使い方等を学び、実践し問題点を改善し続け、最新技術を使いこなす、ある意味『勤勉』な姿が見える
・テロール教授の怪しい授業という漫画で、テロリストやカルト信者等凄く偏った考えを持つ人々が狂ってるが、一方で、合理的で最新技術に貪欲な勤勉さがあると説明されてたことを思いだした
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ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書) 新書 – 2014/6/24
2015年8月24日記述
高田博行氏による著作。
アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の演説データを集め分析を加えた上で
ナチ運動期、ナチス政権の勃興から終わりまでの変化を読み解いていく。
自分の知らないヒトラーの側面を知った思いがする。
私たちの抱くヒトラーのイメージは当時のナチスの狙い通りのイメージのままだ。
(ある意味ナチスのプロパガンダは優秀だったということだろう)
飛行機をチャーターし全国を遊説しまわった選挙活動というのは凄い。
今の時代でもある程度参考になりそうだ。
(当時は野党でありラジオ放送を使えなかった為)
併合や進軍の度の国民投票、住民投票。
国民投票、住民投票したからと言って必ずしも合理的、正しい解答を導くわけではない。
それにしてもナチスは選挙、住民投票しまくりだなと。
似たような独裁者のスターリン、毛沢東、ポルポトは
虐殺数こそ上かもしれない。
ただ選挙を経て世の中に登場してきた訳ではない。
時々日本の政治で相手を非難する際にヒトラーとなじることがある。
いつも独裁者と言えばヒトラーにしか例えることが出来ないのかと違和感を覚えていた。
スターリンや毛沢東、ポルポトもいるだろうと。
しかし他の独裁者とは決定的に違うのだ。登場してきた背景が。
(もちろん第二次大戦中でも総理大臣が絶えず交代した日本に今後も独裁者が君臨するとは思えないが・・)
ヒトラーは演説することができたというのは間違いのない事実で才能があったのだろう。
世間で言われるラジオがあったから熱狂が生まれたというのはある意味誤解なのだという点が意外であった。
ラジオ放送に向かって音声を吹き込んだヒトラー演説は聴衆へ語りかけた演説とは別物だった。
ゲッベルスも認めていたように生の演説、聴衆との一体感は大事なのだ。
ただ敗戦近くでは失敗したラジオに向かって吹き込む演説しか放送できなくなっていた。
それにしてもこれだけのヒトラー演説データを分析した事が凄い。
わが闘争、ゲッベルスの日記と本書の演説データからの分析によってより当時の実態がリアルに立体的に浮かび上がってきたように思う。
Posted by ブクログ
ヒトラーの演説を、6つの期に分けて分析。
私たちが最もよく知るヒトラーの映像は、彼が最も勢いを持っていた時代のもの。
その後、政権を掌握し、政情が悪化するころには、聴衆の熱気は失われ、ヒトラー自身も演説の意欲を失っていたという。
歴史の舞台裏を見て驚愕する、一冊。
これを、歴史書ではなく、自分の仕事(スピーチやセミナーで人を動かす仕事)にしようと思ったので、「ビジネス実務」としました。
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[妖惑の所以]熱狂的な身振りと扇情的な叫声、そして過激なレトリックに満ちているものと思われがちなヒトラーによる演説。国民を鼓舞し、「狂気」へと駆り立てていったとされる演説の実態はいかなるものであったかを、計量的なデータや音声や映像の記録をもとに検証した作品です。著者は、大阪外国語大学の教授などを歴任され、近現代のドイツ語史を専門とする高田博行。
ナチスやヒトラーに関する作品は数あれど、弁論術や言語データを利用しながらここまでその本質に迫った研究は珍しいのではないでしょうか。ヒトラーの歩みに合わせたドイツの歴史を縦軸に、言語論的な情報を横軸に据えながら、ヒトラーの演説が解き明かされていく様子は圧巻の一言です。
〜国民を鼓舞できないヒトラー演説、国民が異議を挟むヒトラー演説、そしてヒトラー自身がやる気をなくしたヒトラー演説。このようなヒトラー演説の真実が、われわれの持っているヒトラー演説のイメージと矛盾するとすれば、それはヒトラーをカリスマとして描くナチスドイツのプロパガンダに、八〇年以上も経った今なおわれわれが惑わされている証であろう。現在そして今後とも、われわれが政治家の演説を目にし耳にするときには、膨らまされた「パンの夢」に踊らされ熱狂している自分がいないかどうか、歴史に学んで冷静に判断できるわれわれでありたいと思う。〜
着眼点の勝利☆5つ
Posted by ブクログ
ヒトラーの演説を、古典期のギリシャに始まった弁論術(①発見、②配列、③修辞、④記憶、⑤実演)の観点から、表現技法、音調、使用する単語や動詞、主語や目的語の使い方に至るまでを細かく分析し、さらに演説の時刻による差異、大衆心理の利用、アメリカ流の広告術を用いたプロパガンダの手法、ジェスチャーによる聴衆への効果等、論理より感情で訴える演説の裏には緻密なからくりがあり、それをいとも美しくこなすことのできるヒトラーは真の天才的な演説家であったことを物語っている本。
また、ヒトラーはオペラ歌手によって発声法の指導を受け、それによって演説中の基本周波数(ヘルツ)を変化させていたなど、非常に興味深い裏話もあった。
まったく関係ないが、ヒトラーとクビツェクの関係はジョブズとウォズニアックのそれと似ているなぁという印象を受けた。
Posted by ブクログ
歴史上最も有名であろう独裁者、アドルフ・ヒトラーの演説について、言語学、弁論術、ジェスチャーなどあらゆる方面から分析を試みた力作です。
ヒトラーの演説が、なぜ当時のドイツ国民を鼓舞できたかについては、そのジェスチャーの巧みさにあるということが一般的に言われてきました。
しかし、筆者は演説文そのものに着目することで、それが緻密に計算された、弁論術として非常に高度な演説内容であったことを明らかにしてゆきます。
またジェスチャーの技法についても、ある舞台俳優の指導を受けることによってより洗練されたものとなり、演説の完成度をさらに高まらせたことを指摘しています。
しかしながら、国民は次第に彼の演説に飽きるようになります。ナチス政権発足から1年半後にはすでにその傾向がみられるという指摘には驚きを隠せません。
また、人々に演説を聞かせるために、ナチスはラジオを積極的に活用し、聴取を義務化しましたが、それは却って国民に「聴く意欲」を失わせ、ヒトラーと国民の距離を遠ざけてしまう結果となったようです。
この現象を、筆者は、ヒトラーと国民の関係が、演説の「語り手」と「聴き手」の関係から、単に「管理する者」と「管理される者」に変えてしまった…と表現しています。
第二次世界大戦勃発後にはその傾向はさらに顕著になりました。ヒトラー自身が敗北のストレスから演説を避けるようになったこともあり、国民の心はますます離れてゆきました。国民から信頼を得られない演説は、どれほど弁論術に長けていようと、かつてのような効果はもたらさなかったのです。
そして1945年4月30日、ソ連軍が迫る中でヒトラーは自殺し、翌5月初めにドイツも無条件降伏を受け入れ、第三帝国は消滅することとなりました。
従来のヒトラーのイメージを覆す、興味深い研究です。
Posted by ブクログ
「強い印象を残す事象」というものは「事実」または「事実の一部」かもしれないが、実は「真実でもない」のかもしれない。或いは、「事実」に真摯に向き合おうとする中でこそ、「真実」に近付くことが出来るのかもしれない。「強い印象を残す事象」の“印象”に引き摺られた「判っている」と言い張ってみる「知ったかぶり」や、何やら“建前論”を振り回して「事実」に向き合うことを避けてしまうようなことからは、「真実」には辿り着くことが出来ない…
そんなことを思わせるドイツ語学者による労作である。お奨め!!
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言語学者の方が書いただけあって、ヒトラーの演説について言語学的な視点から論理的に歴史を踏まえて解説されており、良書。
ヒトラーの演説のイメージといえば、大袈裟なジェスチャーを交えて大きい声で早口に畳み掛けるイメージだったが、それをこの本は変えてくれた。実際は緻密で様々なレトリックを用いて、オペラ歌手に教わった発声方やジェスチャを用いて緩急をつけて話していた。演説に関してはかなりのテクニシャンだったことがわかった。
彼がどのように演説の技術を磨いたかはわからないが、ヒトラーは小学生の頃から友人に雄弁に政治を語っており彼には天賦の才能があったと思われる。それに加えて読書で培った彼の膨大な知識が彼の演説を支えたのだろう。
ヒトラーといえばその圧倒的な演説技術で大衆を虜にして熱狂的な支持を生む様子が目に浮かぶが、実際はそうでもなく、特に第二次世界大戦の戦局が次第にドイツ不利になるに連れて民心は彼を離れ演説は見向きもされなくなったというのが意外だった。
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言語学者 高田博行氏がヒトラーの演説について解説した著作。政界進出からドイツ敗戦までの25年間に行った演説をベースにした「ヒトラー演説150万語データ」をもとに考察しています。早い段階で演説の型が出来上がっており天才だったことが分かる。ただ政治家としては行動が伴わず、最新技術を駆使することで最大の魅力だった演説の力も弱まってしまい失速。国民が熱狂的に支持したイメージが強いですが、実際は批判的な人が多かったというのは意外。当時、彼らが考えたプロパガンダ戦略の影響だと考えると、ある意味凄いし、怖い。
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言葉の力と政治行動との関係を計量的に取り扱った良書。タイトルから手を出しにくいが、イデオロギー抜きで隆盛がよくわかる。元データにあたると、違う角度からさらなる分析が可能であると思われる。政治家の民衆の扇動はいつの時代も変わらない。思慮深くあるべし。
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ヒトラーの演説の名手であることがわかる
持っていた才能と 努力の過程
ラジオや映画など 放送メディア分野で 残した作品も 多いのだろう
この研究成果は 日本人がしていることに驚く
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その弁舌の才で新たな道を見いだした復員兵は、その弁舌の才に磨きをかけることで自らが率いる弱小政党を比較第一党にまで導くことが出来た。そして、政治的策謀と強引な力の行使で総統となることが出来たのだが、強制的にラジオで聴かされる演説にはもはやその魅力は失われ、また、いつまでも『パン』を与えられずに『パンの夢』を語るだけでは国家指導者としては国民に支持されることはもはや難しく、自らも聴衆の前に出て演説することが出来なくなっていった。
せっかくオペラ歌手に発声法やジェスチャーの効果的な使い方を学んでも、マイクの前で原稿を読むだけでは国民の心はもはや動かせなかったのである(もちろん、現実と演説の海里がどんどん大きくなっていったことも大きいのであろうが)
そして、ヒトラー演説の効力が著しく落ち込んでいったにもかかわらず、ゲッベルス宣伝相の『献身』『忠誠』がひるまなかったことも驚きであるし、目の前で演説する総統に対して、マンシュタイン元帥が野次っていたことも驚きである。
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張り上げた声、大袈裟なジェスチャー。演説するヒトラーに熱狂する
会場の人々。何故、人々はこれほどまでにヒトラーに熱狂し、支持を
したのか。
ヒトラーが行った節目節目の演説をつぶさに分析しているのかと思って
購入したのだが、さにあらん。
1919年10月のミュンヘンのビアホールで行われた初の公開演説から
地下壕で最期を迎えるまで。ヒトラーが行った演説で使われた言葉や
表現方法の変遷を年代順に追っている。
思っていた内容とは違ったけれど、これはこれで興味深かった。ヒトラー
と言えばやはりユダヤ人への弾圧を思い浮かべるのだけれど、一時期
の演説では「平和」という言葉が多用されていたなんて知らなかった。
元々、演説家としての天賦の才はあったのだろうな。それに磨きをかけ
たのがオペラ歌手による指導。声の出し方、抑揚のつけ方に加えて
効果的な身振り・手振りを教わって、聴覚ばかりか視覚までを惹きつけ
る演説に仕上がって行った。
しかし、熱烈なナチ支持者以外のドイツ国民は結構早い時期にヒトラーの
演説に飽きていたっていうのも知らなかったわ。
政権を手にしてラジオ放送を独占できるようになり、「全ドイツ国民は総統
の演説を聞かねばならぬ」となったのが原因か。会場で響き渡る声を耳に
し、言葉を印象付けるジェスチャーを目にしながら聞くのは状況が違う
ものな。
末期のヒトラーは既に得意だった演説をする気もなく、したとしても以前の
ように人々を惹きつけることもなくなった。それどころか、将校たちを前に
しての演説でも将校から皮肉を返される始末。
演説は天がヒトラーに与えた才能だったのだろうな。でも、それさえも用を
果たさなくなるのが独裁者の末路なのかも。
膨大な言葉のデータを集め、分析した著者の根気が凄いわ。巻末にいくつ
かの演説のドイツ語文で掲載されている。私がドイツ語を理解できれば
もっと面白く読めたんだろうな。
語学の才能も「ゼロ」の自分が恨めしい。
Posted by ブクログ
本来は言語学者として、ヒトラーの演説がなぜかくも聴衆を魅きつけえたかを、レトリックや構成の面から考察するのが本職だが、当然、歴史と、ときどきの時代情勢を下敷きにしないと分析にならないので、双方がバランスをとって書かれていて、とても読みやすい。かつ、抜群に面白い。
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第二次大戦期のドイツ独裁者として有名なヒトラーの生涯を、その演説に焦点を当てて描かれています。ナチス党が勢力を伸ばしていったその背景に、彼の演説がいかに重要な役目を果たしたか。政権掌握のために、それをいかに努力して磨いていったのか。そして戦争突入のあたりから演説は効果を失いはじめ、敗色濃厚の中、力強ささえも失っていく。
一般的にヒトラーの演説は、その力強さと熱狂的なイメージが強いのですが、その時期は限定的だったということが分かります。読んでみると、そりゃそうだよなと、少し目が覚めたような感じがしました。
Posted by ブクログ
ドイツ人は,ヒトラーの巧みな演説にどのように熱狂し,そして醒めていったのか。ドイツ語史の研究者である著者が,150万語の演説データから得た特徴的な単語の出現頻度などをもとに分析。政治的・歴史的文脈もきっちり踏まえた上で堅実なヒトラー演説論を展開している。
レトリックやジェスチャー・発声法の面で早いうちに完成され,ラウドスピーカーや映画,高速移動手段といった技術にも大いに助けられたヒトラーの演説。それは政権獲得までのナチ運動期に絶大な威力を発揮し,党勢拡大に重要な役割を果たした。多少の紆余曲折はあれここまではほぼイメージ通り。
しかし,それが政権獲得後のナチ政権期を迎え,一年半もすると求心力を失っていたという。「蒙昧な」国民のために繰り返される同じ内容はさすがに飽きられ,政権とともにヒトラーが手に入れていたラジオも思うように威力を発揮しない。課せられたラジオ聴取義務を負担に感じる国民。そして開戦後,北アフリカや東西国境で反攻を受けるようなると,ヒトラーには語るべき内容さえなくなっていく。
問題は,ヒトラー演説でその一翼が演出された「一時的な熱狂」が,あまりにも多くの権力を彼に付与してしまったことなのだろう。熱狂から醒めた国民は,一本調子のヒトラー演説を苦々しく思いながらも,その権力にずるずると引きずられてしまった。ワイマール体制下でのドイツの困窮と,ヒトラーの演説の才能,それを拡散する諸技術。そのどれが欠けてもその後の世界の歴史は変わっていたに違いない。
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演説であれだけ聴衆を熱狂させるのには、相当の技術が行ったんだろうな…。しかし演説成功のために、練習し、ジェスチャーを工夫し…、うーん、ある意味すごい努力家ですね。
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ちょっと不謹慎な感想だが、ヒトラーの演説って一世を風靡した一発屋芸人のネタみたいなものだったんじゃないかって思えた。彼の演説パフォーマンスは大衆に大受けしたものの、政権獲得後、演説会場の熱狂的な雰囲気をラジオを通じて全国に広めようとした時期には既にドイツ国民はその演説に飽き始めていた。。ナチズムに賛同できるはずもないが、演説パフォーマンスに代わって国民を魅了するネタを作れなかったのもナチスの限界だったのではないか。それは経済発展や国際的地位の回復といったことなのかもしれないが、プロパガンダに頼りすぎると、リアルな成果を上げることは二の次になってしまうのだろう。
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著者はドイツ語史が専門の言語学者で、ヒトラーの演説に使用された語彙や文の形式や話し方(声の高さなど)といった言語的特徴を、政権を取るまでのナチ運動期の前半と後半、さらに政権を取ってから、でどのような特徴がみられるのか、その有意な差はどのような事情を反映しているのかを分析しているもの。ジェスチャーの分析もある。演説に焦点を当てながら、ヒトラーに対する国民感情の変化の歴史を探る。
コーパスを使ったりして分析をする部分は、もしかすると言語学のレポートや論文を書く時に、誰かのスピーチを題材にして真似できるかもしれない、と思った。ただこの本の面白さは正直、言葉の話の部分ではなく(実際のスピーチを映像で見たり聞いたりしながらこの本を読めばいいのだろうけど)、ヒトラーにそのようなスピーチをさせた背景を辿る部分で、これまでナチスやユダヤ人の本は何冊か読んできたけれども、思いもしなかった事実が色々あった。その大きなものは、政権を掌握してからは演説をあまりせず、国民も徐々にヒトラーの演説に飽きていったという第六章「聴衆を失った演説1939-45」の部分。つまり、自分たちが見るヒトラーの巧みな演説の映像、それに熱狂する聴衆というのは政権掌握前に終わってしまったという事実だった。「ヒトラー演説の絶頂期は、政権獲得に向けた国会選挙戦において全国五三か所で行った演説(一九三二年七月)であった」(p.26)ということらしい。むしろ戦時中の演説は「戦争終結がいつであるのか行間から読み取るという限りにおいて、国民の関心事であった」(同)ということで、政権掌握後はヒトラー演説は徐々に国民から疎まれる対象となっていったというのは意外だった。ちなみに「国民を鼓舞できた演説は、これが最後となった」(p.231)という演説は1941年1月31日らしく、「ヒトラーはこの日、珍しく気分が高揚していた」(p.230)ことによって可能になったらしい。というかこの本に描かれたヒトラーを見てみると、抑うつ傾向のある激情型という感じがするのだけれど、そういうことなのだろうか。
あとは気になった部分のメモ。ドイツの方言の話で、「北部と中部では、単語や音節のはじめで母音を発音する際、喉を緊張させて声門を閉じてから一気に息を解放することで発音され、その結果歯切れよく聞こえる。しかし、南ドイツでは、声門が閉じられずに発音されるため、穏やかな発音の仕方に聞こえるのである。」(p.55)というのは、全然聞いたことなかった。大学でドイツ語を第二外国語でやったけど、これは結構頻度が高いことだろうから重要な特徴だと思うのだけれど。そして本題のヒトラーの演説の特徴でいくつか納得できたのは、聴衆を納得させる演説の手法の部分。例えば「『仮定表現』の多さ」(p.23)という部分で、「事柄を都合よく仮定した上で、それを出発点に議論を進める」(同)という、最初の方で仮定された、という事実を忘れさせるこの議論の展開の仕方は、確かに聞かせたい話をするには効果的かもしれない。そして、「ヒトラーの選ぶ喩えは、聴衆の理解力に合わせた無骨なもので、文は息の長い構造をしていて、その終結部はわざとらしく強調されるか、または繰り返されるかのいずれかである。あたかも変更不可能な事実であるかのように、彼の見解が独裁者の確信として聴衆に投げつけられる。聴衆は、内容としては新しくないこの福音を拍手で受け入れる」(p.60)という、当時の報告書の一歩引いた分析も、納得した。あとは、要するに演説を含めた「プロパガンダ」がこの本で分析されるテーマなのだけれど、この「プロパガンダ」というのは「情報の送り手が用意周到に情報を組織的に統制して、特定のイデオロギーが受け入れられるように、受け手に対して働きかけること」(p.66)で、「プロパガンダの最終目的は、送り手が流す情報をあたかも自発的であるかのように受け手に受け入れさせることである」(同)というのは分かりやすい。そしてこれを巧みに行うことで、「無からパンを取り出す」(p.74)という、つまり「天国を地獄と思わせることができるし、逆に、極めてみじめな生活を天国と思わせることもできる」(p.75)ということだ。そう考えると、ネガティブな文脈で語られることの多い「ネットによる価値観の多様化」とか、独裁者が生まれにくいツールとしていいのかもしれない(ただそのネットを掌握すれば簡単に独裁者が生まれそうな気もする)。あとはヒトラーに演説の仕方を教えた人物というのがいるらしく、これは『わが教え子、ヒトラー』(p.127)という映画になっているらしい。これも見てみたい。
まとめとしては「ヒトラーの演説に力があったのは、聴衆からの信頼、聴衆との一体感があったから」(p.241)で、「演説内容と現実とが極限にまで大きく乖離し、弁論術は現実をせいぜい一瞬しか包み隠すことができない」(同)という部分が分かりやすい。そして、その一体感を奪っていったものは、もちろん現実の戦局が大きいのだけれども、メディアを駆使した故に、大衆が飽きてしまった(pp.260-1)という分析は、何とも皮肉なことだと思った。やっぱり「ここでこの時間しか聞けない」、「〇〇限定」みたいなことをやる方が、貴重さが増すというか、何冊か前に読んだ『バイアス事典』にあったように、逃すことに敏感な人間の性質に訴えることが効果的である一方、広く聞かせるために管理しなければならない、ただし管理すると反発観を覚えていくというバランスのとり方が難しいと思った。ヒトラーの演説についてと同時に、プロパガンダやネット時代のメディアについて考える本だった。(21/08/11)
Posted by ブクログ
新書のボリュームでヒトラーの演説に焦点を当ててヒトラーを語った書籍。
ヒトラーについて何冊か読み込んでいる読者は物足りない部分もあるかもしれないが、ヒトラーの演説と言う非常にキャッチーなテーマを取り扱ったのは初学者にとって読みやすいと思った。
Posted by ブクログ
ヒトラー演説をデータ分析し頻出するワードを追う。ヒトラーは演説力が有名だが実は政権中期から飽きられてたことも分かる。ヒトラーは20世紀の神秘とも言える面があるのでデータ分析だけでは追いつけない。
Posted by ブクログ
アドルフ・ヒトラーの政治活動全期間(ナチス入党直後から大戦末期)にわたる演説とその受容の実態を、主にコーパス分析による統計と同時代の観察者の史料を用いて明らかにしている。政権獲得までは大衆の共感を掴んだ演説が、メディアを自在に駆使できるようになった政権獲得後には早々に飽きられたという指摘は、ナチス政権確立の上で、プロパガンダよりも暴力・テロが決定的な役割を果たしたとみる歴史学の通説とも矛盾しない。極端な仮定によって二者択一に誘導する誇張した対比表現や、生理的嫌悪感・憎悪を喚起する隠喩表現などヒトラーが好んだ修辞法は、現在のポピュリスト(たとえば橋下徹)と共通しており、ヒトラーの演説は現在の政治的ポピュリズムを相対化する上で、依然有効な材料であることが確認できた。
Posted by ブクログ
しっかりとした研究に基づいた確かな記述。
使用語彙だけでなく、ジェスチャーや抑揚など様々な角度から、いつ、どのような演説の変化があり、その特徴が何かを淡々と述べるその内容は、学問の分厚さを感じさせる。
単に「ヒトラーは演説の天才」とざっくりした理解がいかに雑であったかを思い知らされる良書。