あらすじ
同居生活を始め、順調に関係を育む綾乃と朱里だが、この先の未来を共に生きていくために、二人で乗り越えなければならないことがある。綾乃は、心に残ったわだかまりを打ち明けるため、元・夫の渉と久しぶりに再会する。そして、不倫の恋を終わらせ自立を決心した恵利や、心を病む渉の母・依子、綾乃を慕う元教え子たちもそれぞれに前に歩き出す――。恋をしてもしなくても、妻になっても母になっても、いくつになっても、人生はままならぬもの。胸騒ぎの大人百合、ついに完結!!
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Posted by ブクログ
4巻から読み返してこの最終巻まで一気に読み終わった!
つかれた・・・・・・
よくぞあそこまで錯綜した人間関係のドラマを、この最終巻でなんとか力業で纏め上げたものだ。
ただ、そのために、元教え子の中1(子ども)たちの口から再構成させたり、自主制作映画だったり、応募して新生賞を獲ったシナリオだったりと、メタフィクション要素を怒涛のように詰め込んでいた。正直、『放浪息子』の終盤を思い出して、また(まだ)こういうのに頼ってるのか〜〜と落胆した気持ちが無かったといえば嘘になる。(余談だが、綾乃の超ショートの髪型も、『放浪息子』の にとりんだ……となった。)
これまで「こじれガールズ」たちの三角関係を、メインの大人たちの不倫コメディと並行して描いてきたわけで、それは大人と子どもの対比/相似関係を浮かび上がらせるとともに、小学校教師である主人公・綾乃の人物像を立体的に描く効果もあった。そうして、「おとな」をタイトルに関した物語において見事に「子ども」を扱ってきたわけだが、この最終巻の率直な印象は、悪い意味で「子ども」に頼っていて狡いな、というもの。上述のメタ要素もそうだし、最終話の「将来の作文」とか、“子ども” というイノセントな表象を持ち出せば安易に感動的なオープンエンドで締め括れるよね……と若干冷めてしまった。確かに子どもはオープンエンドだし、この作品の主張としては、「おとなになっても」オープンエンドで “赦され” ていいハズだよね、というものなのかもしれないが…… うーむ…… しょーじき、一度読んだだけでは全然咀嚼しきれてないです。
でも、志村貴子がここまで必死に、広げまくった人間関係の風呂敷を畳もうとしていること自体が意外で、じぶんは作者のことをまだまだ舐めていたのだと反省はした。その結果としての、大団円ハッピーエンド寄りのオープンエンドというのをどう受け止めたらいいのかは分からないが……。
もうひとつ。綾乃の元夫・渉の母親に最後にここまで寄り添うとは思っていなかった。これは良い方の予想外。こういう、あからさまにイヤな「姑」「母」「おばさん」を単なる悪者にし続けるのではなく、かといって安易に同情するのでもなく、そのパートナーであるところの影の薄い夫(渉の父)の責任をしっかり追及するところが大変素晴らしいと思った。大抵のフィクションでは、こうした場合、影の薄い「男」の責任が取り沙汰されることは稀であり、とにかくこの「女」がヤバい、最悪だ、という話になりがちなので。これと似た要素として、不倫男・森田の妻みづきのDV設定も良い。DVは男(夫)がしがちなところ、女(妻)がする場合をあえて描いておく意義。
この最終巻を読むまで、本作が志村貴子の最高傑作になるんじゃないかと喧伝してきたが、いざ読んでみるとどうだろう…… 最高傑作というより、もっとも多方面に挑戦している、最意欲作ではないか、という気もする。ちょっと『敷居の住人』から『放浪息子』も含めて読み返して出直してきます。とてもじゃないが、私なんぞのキャパに収まるような作品ではない。これから一生かけて付き合っていく類の作品であることはおそらく確かだ。