あらすじ
お願いだから、私を壊して。ごまかすこともそらすこともできない、鮮烈な痛みに満ちた20歳の恋。もうこの恋から逃れることはできない。早熟の天才作家、若き日の絶唱というべき恋愛文学の最高作。
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Posted by ブクログ
葉山先生は自分勝手
僕が君に与えられるのは
これしか無かったのかって
最後に交わるの
壊して壊して、傷つけて
あなたの事を忘れたいと思える用に
もう会いたくないって思えるように
柚子ちゃんが死んじゃうのは辛かったな
殺さないで欲しいから、よがった振りをして
相手をたてて、自分の尊厳を手放した
その事が原因で辛かったのも印象的
黒川とあの子は結局留学戻ってきても別れなかったのかな。
葉山先生への独白のシーンが好き。
セリフが続いて、地の文が浮き上がってくるの。
声が聞こえてきた。
Posted by ブクログ
「お願いだから、私を壊して-壊れるまでに張りつめた気持ち。ごまかすことも、そらすことできない‐二十歳の恋」
島本理央さんが著者の「ナラタージュ」を紹介いたします。
この本を読もうと思ったきっかけは、冒頭の帯の文章に惹かれたからです。
気持ちが高ぶっていそうなのに、どこか繊細さを感じるこの文を読んでどんな風に言葉を選んで書かれているのか気になりました。登場人物は主に3人で、主人公の泉・泉の高校の先生、葉山・泉と大学時代付き合っていた彼氏の小野くん。
三者三様にどこか危うい部分があり、恋愛の闇における部分を痛いくらいに表現されています。
私は3人の中で、特に主人公の泉に共感しました。泉は高校の時の部活の顧問、葉山先生を忘れられないでいます。
泉が葉山先生を忘れられない理由はいくつかあると思いますが、私は「弱っていたときに心の支えになってくれた」のが大きいと思います。
クラスに馴染めなかったとき、手を差し伸べてくれた葉山先生は泉にとって心のよりどころになっていて、そういう存在である葉山先生のことはいつまでたっても忘れられないでいる。そんな気持ちにとても共感しました。
あとはやっぱり帯の文章で感じた通り、島本理央さんの書く文章は繊細で表現力がすごい!
天候だけでなく、月でも表現するところが私は好きです。
透明な月、細い月に柔らかい光、月のない夜空、理科の教科書のような月・・・。
主人公の心の穏やか具合を細い月の柔らかい光で、心が死んで何も感じなくなったことを理科の教科書の月のような無機質なものに例えてしまう文才に惚れ惚れしました。
この本を読み終えて、私が一番救われたなと思ったことは「恋愛における最後がハッピーエンドじゃなくてもいいんだ」ってこと。
ハッピーじゃないとどうしても終われないと思っていたけど、恋愛に正解も不正解もなくてただ自分が好きだった事実をちゃんと思い出せればいいことを教えてくれる本です。
Posted by ブクログ
工藤は高校生のとき、葉山先生に助けられた。工藤のその気持ちが「愛すること」であったと後に気づかされることで、愛することは大人だけのものではなく、気づけるかどうかだけであったという話。
この人からは何もいらない。与えることで幸せになれるとと思ってしまう工藤。
それに対し、〇〇したらもっと好きになってくれる?と、不安から相手をコントロールしようとしてしまう恋人の気持ちとの違いがはっきりとしてしまう。
物語にボリュームがあるが、飽きることもなく、堪能することができた。また、「服についた埃をはらった」など、情景や行動の描写で人の感情の変化が丁寧に描かれている。
Posted by ブクログ
誰かのことをこんなに強く思えるのが純粋に羨ましいと思った
お互いに思いあったまま離れていく、こんな愛もあるんだなーと
個人的に小野くんとあんな風に別れることになったのが意外だったけどこういうのも現実は良くあることなんだろうな
最後が切なくて少し泣きそうになった
Posted by ブクログ
恋愛体質な姉からもらった本
やはりドロドロに恋愛小説だった。泉と葉山先生が心でつながっているということが小野くんと付き合っていることでより一層明らかになった感じがして恋愛ってそういうものだよなと自己完結した。男性はお互いに嫉妬しあってて泉も気持ちをはっきりすることができないっていう状況が人間臭くてとても面白かった。
Posted by ブクログ
映画化もされた、島本理生さんの長編です。
女子大生が主人公の恋愛小説。
正統派な書き方なのだけれど、
内容はメジャーではないタイプの話。
ずっと、落ちついたトーンが貫かれています。
それも、いかにも品のある感じではなくて、
日常のなかでのちょっとした落ちつきのあるときのトーン、
といえばいいでしょうか。
鼓動は落ちつき、
たまにごく自然に高鳴り、
また落ちつく。
そんなトーンかなあ。
丁寧ともいえます。
残りの100ページくらいから、
ぐぐっと暗黙のうちに結実していくものがある。
ストーリーの展開やラストへの収束、
それらによるそれまでの曖昧さをはっきりさせる
結論付け的部分もあるのだけれど、
書かれていないところで、
なにかがふわりとした形になっていくかのような感じを受けます。
それまでの曖昧さを具象化するっていう、
小説執筆の方法論はありますね。
ただ、そうやって具象化していきながら、
意図してでもしないでもまあ関係なく、
読者がそこに生まれる言葉で言い表せないなにかの形を感じとること、
そのなにかを生みだした筆者の技あるいは偶然は、
やっぱり文学のゲージツ部分だなあと思ったりしました。
薄いレースのようなやさしさというかおだやかさというか、
そういった雰囲気に包まれた作品だと思いながらクライマックスへ。
俗っぽさがないのが好印象のラブシーンでした。
感情や人物、風景などの描写って
「へえ、そんなところに気づくものなのね!」っていう勝負だったりする。
それで、いろいろ気づけるようになってくると
「それをそう表現するのね!」「そこにそれを挿入するのね!」
っていう技術や編集力の勝負になるんだと、
中途半端な立位置にいるぼくは、
とくにこの小説を読んで思うのでした。
文章を書くことと一言で言っても、
感性や、さまざまな種類の知力を駆使することになるのだから、
自分のさまざまな能力の総合力で書くものなんだ、
と言っていいと思うのです。
閑話休題。
オトコが読むと、
「そうだよねえ、オンナってのは、
そういうこっちでは理解しがたいようなまどろっこしいところがあるよ」
なんて思えてしまう生々しさもありましたよ。
派手さはありませんが、
趣味がいいと言いたくなる作品でした。