【感想・ネタバレ】ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書)のレビュー

あらすじ

児童精神科医である筆者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。

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匿名

ネタバレ 購入済み

大切なのは気づくこと

認知機能についてなど知らなかったことが多く、勉強になりました。褒める、話を聞くだけでは子どもは変わらない。根本的な解決が必要だと気づきました。

#タメになる

0
2025年12月14日

A

ネタバレ 購入済み

事実として

自分にはあたりまえのことでも、
人によっては当たり前ではないということ。
ケーキを人数に切り分けるだけのことなんて
特別な訓練をしなくても当たり前にできるようになることだと、
大抵の人は思ってしまうが
現実として、それができないどころか
等分にわけるということも思いつかない人々がいて
そこには、善悪以前の課題があるということを
思い知らされた。

3
2020年01月22日

ネタバレ 購入済み

新しい考え方に出会えた書籍

犯罪自体は良くない事で、判断能力に欠けておりなどニュースで聞くと、そうは言ってももし被害者家族だとしたら、許せるわけが無いと言う考えでした。
基本的には変わりませんが、
この書籍を読んで、自分たちのあたりまえの感覚を
もてない、知能だったり、そうなっている環境、
また、脳との関係、これを知っているかどうかで
自分の価値観が少し変わると思いました。

#深い #タメになる

0
2023年03月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 児童精神科医で、病院や医療少年院といった施設での勤務経験を持ち、非行少年と接する著者が、生育環境によって治療も受けられない、発達障害や知的障害を持つ少年たちが非行を起こしてしまう実態やそのメカニズム、構造上の問題、認知トレーニングによる改善の手立てについて述べた本。
 本の帯には「2020年のベストセラー」となっていて、確かにひと昔前に、ケーキがいびつに「三等分」された図とともに話題になっていたような記憶がある。確かに今の学校でも「スペクトルの中に位置付けられた発達障害や学習障害」を抱える生徒たちに接することは結構あるし、なんだったらその保護者とか、なんだったらおれも、ある意味では発達障害的傾向があるよな、という世の中だから、別にケーキが多少いびつな三等分になっても仕方ないよね、不器用で下手くそだね、というレベルだけど、ここの本に登場する少年たちはもはやそのレベルではない認知の偏りがあって、でもそれは普通に話していると気づきにくく、さらに貧困とか親にきちんと育てられない環境とか、あるいは誤った指導によってますます悪化し、その結果非行、犯罪という形で発露する、という実態について述べられており、援助のためには親や教員や社会の理解が不可欠、ということは分かった。
 ただ、正直に言ってしまえば、学校の教員をやっているおれにとってはとても不愉快な内容で、怒りすら持ってしまった。と感じるのは今のおれには余裕がない証拠で、これは学校批判、教員批判というよりはそれこそ社会や政治の構造上の問題の指摘なのだと思うようにはしたけど、やっぱり結局は教員の理解や努力が足りない、という主張のように思えてしまい、そこで著者が開発した極めて短時間で出来る(と謳う)「コグトレ」と言うものをホームルームで定期的にやれば解決の一助に、みたいな締めくくりだったが、基本的に今の学校現場をなめているのかと思う。その短時間のためであっても、クラスや学年全体に対して、普段の業務に加えて一体誰がその準備や実施や評価や整理や報告やフォローをするのか。だいたい著者の経験談では、自分の指導が通じない少年たち相手に「私はだんだんと指導するのが嫌になり、投げやりになりました。(略)『では替わりにやってくれ』と彼らを前に出させ、私は少年側の席に移りました。彼らに私の苦労を体験させようと思ったのです。」(p.155)という、それくらいの指導しかできない著者になんでそんな努力について提案されるのか、じゃああなたが40人の担任やって成績処理と保護者対応と、加えて担任業務以外の意外と時間と頭を使わされる業務を日々こなす教員をやってみて下さい、と「苦労を体験させようと」思いたくなる。もちろん著者にしてみれば私は教員じゃないので教科や生徒の指導は専門ではありません、と言うのだろうが、だったら「褒めることよりも、忘れ物をしないような注意・集中力をつけさせないと問題は根本的に解決しないのです。こうした問題が発生している場合の『褒める教育』は、問題の先送りにしかなりません。」(p.29)とか、「根本的な解決策は、勉強への直接的な支援によって、勉強ができるようにすること以外では有り得ません。」(pp.123-4)とか、「つまりこの少年の場合、中学校で先生が障害に気づいてくれて、熱心に勉強への指導をしてくれていたら非行化しなかったでしょうし、被害者も生まれなかった」(p.26)とか、「これら社会面は、集団生活を通して自然に身につけられる子どもも多いですが、発達障害や知的障害をもった子どもが自然に身につけるのはなかなか難しく、やはり学校で系統的に学ぶしか方法がない」(p.128)といった厳しい注文や提言やコメントをする前に、学校の教員や多様な生徒の実態とか指導の方法とか、そういうことを十分に知って下さい、という感じだった。「医療現場で超多忙の医師にできるのは、診断と見立て(治療方針)、投薬くらいに限られてしまいます。診察につぐ診察で時間がなく、具体的なトレーニングを実践する機会がなかなかないのです。」(p.131)ということで、医者はそのくらいの理由で時間や労力のかかるトレーニングや指導はできないことが正当化されている。そして学校には色々注文をつけて提言する、という著者の態度が受け入れられない。
 という、何ら建設的でない文句をひたすら言うのは良くないと思うのだけど、それこそ医療と学校の溝を深めかねない著者の態度はどうしても受け入れられない。急いで付け加えれば、もちろん少年の実態や、まずい指導の方法についての著者の話はよく分かる。特に印象的だったところは、「現在の矯正教育では本人の理解力などあまり考慮しません。ひたすら矯正局から指定された難しい教材を黙々とやらせていることが多いのです。少年たちも『分からない』と答えると叱られるので、分かったふりをしている、という状態なのです。同じことは学校教育にも当てはまります。悪いことをした子がいたとして、反省させる前に、その子にそもそも何が悪かったのかを理解できる力があるのか、これからどうしたらいいのかを考える力があるのか、を確かめなければなりません。もしその力がないなら、反省させるよりも本人の認知力を向上させることの方が先なのです。」(p.57)という部分で、その話はよく分かる。最近も生活指導の案件になった生徒と話をしたり、ノートを読んでいて、たぶん何が悪いのか結局よく分かっていないんだろうなとか、たぶん起こった事象についての認知がちゃんと出来ていないんだろうな、ということが推測されるようなことがあり、これは反省とか向き合うとかそういう話ではないよな、と思った。そして最悪なのは「悪循環を繰り返していると今度は精神科医が呼ばれ、少年の気持ちを抑え教官の指示を聞けるようにするため、精神科薬が投与されます。効果が出なければ次第に薬の投与量も増え、少年院を出る頃には精神科薬なしではやっていけない患者になってしまうこともあるのです。そもそも弱い存在である、障害のある少年に厳しい処遇をするとどうなるか。多くはうつ病のような状態になったり、精神科疾患を発症したりして、精神科薬で対処することになってしまうのです。本来なら必要でない薬を飲ませ、出院後ももともと必要のなかった精神科病院への通院を余儀なくされるなど、われわれ大人が彼らの人生を台無しにしてしまっている」(p.119)という部分で、これは悲劇。ただ思うに、親でも「自分の子供は発達障害」と言って、やたら薬を飲ませて、親の思う通りに子どもが動かなければ薬の種類や量を変えて云々、という人はいる。多少の発達障害はあるのは認めるけど、それはどっちかと言うと思春期上の問題ですよと思うけど、そう言っても「先生は分かってない、こんなに特殊な子どもはいない」の一点張りで一切通じず、本人は薬漬けになっている、みたいなことも昔あった(一方で、明らかに鬱傾向があるのに薬に頼りたくないと言って無理をさせてどんどん悪化させるケースもあるから難しい)。
 あとこれは教員のおれでも活かせるというか参考にできると思った内容は、「人が自分の不適切なところを何とか直したいと考えるときは、『適切な自己評価』がスタートとなります。(略)そして、理想と現実の間で揺れ動きながらも、自分の中に『正しい規範』を作り、それを参照しながら"今度から頑張ろう"と努力し、理想の自分に近づいていくのです。そのためにはやはり、自己を適切に評価できる力、つまり"自分はどんな人間なのか"を理解できることが大前提」(p.150)という話で、そうすると「自覚状態理論」(同)という、要するに理想の自分でない自分が気持ち悪いので直したいと思うようになる、という話らしい。「この理論が正しいなら、学校で先生が子どもに対し、"あなたを見ていますよ"といったサインを送るだけでも効果があります。」(pp.151-2)という、その結論部分は教員の基本だと思うが、とりあえず「適切な自己評価を促す」というのは方法の一つになりうるのだろうと思った。
 ということで、どうしてもおれは教員としてこの本を読むから、もちろんこの本の中で書かれているような、著者の研修に参加する教員は尊敬するし、ここに書かれている実践をやればできる教員はたくさんいるのも事実だと思う。でも例えば研修だったら、教員が参加すべき、あるいは参加したいと思う研修というのはそれこそたくさん職員室には掲示されているわけだし、そういう教員は例えば教科教育や「探究活動」に力を入れたり、保護者対応や学校マネジメントに力を入れたり、という、それぞれ取り組むべき部分に労力を使っているということもある。なのである一つの視点や自分の経験しか参照しないで、現場を知らない(最近の担任経験のない)「専門家」が教育を語り、しかもそれがベストセラー、ということにどうしても寛容になれず、非行少年の実態について分かりやすく知れて考えられる点では良い本だと思うが、結構苦々しい思いを持ちながら読んだ本だった。(26/02)

0
2026年03月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

犯罪を犯す少年たちが社会から「忘れられた」少年たちであるという点が印象に残りました。一見普通の子の様に見えていても、実際には歪んで物事が見えてしまっていることによって苦しんでいる…。でも社会からはその苦しみを見つけてもらえず、先のことを考える力がないため、その瞬間の欲望を満たすためだけの気持ちで簡単に犯罪に手を染めてしまう…という負のループに陥ってしまっていることに気づかされました。物事が歪んで見えてしまっている彼らを救うためにはどうすれば良いのかと考えさせられました。

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2025年12月21日

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