あらすじ
いまや「日本一着物が似合う男」としてNHKの大相撲解説で人気の北の富士勝昭。第52代横綱であり、親方として千代の富士、北勝海の二人の横綱を育て上げた名伯楽であります。そんな北の富士の男としての魅力を余すところなく綴ったのが本書であります。老若男女全ての大相撲ファン、いや全日本国民、必読の一冊!
【目次より】
第1章 北の富士前夜、北海道のけしき
第2章 私と相撲の遠距離交際
第3章 猛稽古と遊びの方程式
第4章 出世みち三歩進んで二歩下がる
第5章 破門から初優勝への大逆転
第6章 ライバル玉の海との出世競争と熱き友情
第7章 「夜の帝王」と「ネオン無情」の極彩色
第8章 横綱時代の万華鏡
第9章 二横綱を育てた名伯楽の奥行き
第10章 北の富士流の試練
第11章 テレビ解説席の粋、華、情
※この電子書籍は2016年7月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
現役時代の記憶がないので、「相撲解説の面白いおっちゃん」としての印象しかない。
そうか、すごい力士だったのだな。
良くも悪くも著者の思い入れが強すぎ、だな。
村松友視さんの名前は、シーナ氏の昔のプロレス紀行エッセイに名前が出てたな、という記憶がある。
んで、もっと若い人だと思ってたらけっこうな御年輩。
そうか、あのエッセイからン十年もたっているのだ。
まだ「最近の本」の感覚だったけど。
年を取るわけだよ、オレ。
Posted by ブクログ
2ヶ月毎の本場所を心待ちにしだしたのは、小学2年の時。昭和46年(1971年)当時の大相撲界は、昭和の大横綱 大鵬が力士として落日を迎えようとしており、そのバトンを受取るように台頭してきたのが前年横綱に同時昇進した北の富士と玉の海。三役には貴ノ花と輪島の若きプリンスが大関を目指し、しのぎを削っていた。
贔屓は玉の海と貴ノ花。ふたりの星取りが気になる小2。それだけに、玉の海が虫垂炎をこじらせ現役の横綱のままで急死した時は大ショックも大ショック。その前年、三島由紀夫が自決して激しいショックを受けた母親の気持ちが痛いほどわかった。
さて、本書。
作家 村松友視が描く第52代横綱 北の富士勝昭の評伝。著者と北の富士の交友はあとがきで明かされる。これが中々粋な交流。知り合ってから会食したのが実に30年後。その間の交流は、ふたりの馴染みである銀座クラブ姫にて、時折交わすコースターに書いたメモのみ。ちなみに最初のメモは、「北天佑は横綱になれますでしょうか?」。この「コースター文通」は10通に及び、後年北の富士がそれをきちんと保管していたことを知り、著者は北の富士にますます魅了され、やがて筆を執るに至る。
その北の富士の現役時代の成績。幕内優勝10回。取り口は典型的な攻撃相撲。突っ張って相手の体勢をくずし、右上手・左下手の左四つからの上手投げ、そこに外掛けという速攻相撲。このパターンが崩された時は脇の甘さを突かれた時で無謀な首投げをしたり、守勢にまわるとあたふたとして呆気なく負けた。横綱昇進後も4場所連続で11勝4敗が続き、「イレブン横綱」とも呼ばれ、出入りの激しい安定性に欠いた横綱であった。
そもそも本書を手に取ったのは、大好きだった玉の海のことが書かれていたから。ただページをめくるにつれ、すっかり北の富士に魅了されてしまった。とにかく、おおらかで何事にも恬淡とし泰然とし、華がある。それを饒舌に物語るのがニックネームでありエピソード。夜の帝王、プレイボーイ横綱、現代っ子横綱、現役力士でレコードデビュー、夜のヒットスタジオで熱唱、休場中にハワイでサーフィン、断髪式後のお色直しではタキシードで登場、国技館近くに豪勢な部屋ビルの建築、銀座のママと結婚。そこに親方として千代の富士・北勝海のふたり横綱を育て上げた名伯楽という冠がつく。現在はNHK大相撲の人気解説者。時に毒を含んだユーモア、時に辛辣、時に賛辞…と縦横に持ち前の口跡の良さで語る。
それと何と言ってもお洒落である。和服にスーツ、ジーンズ、レザージャケット…、見事に着こなす北の富士を見たくてNHKの大相撲中継を観る方も多いと聞く。表紙カバーに、北の富士の着物姿の写真をもってきたのも頷ける。洒脱でダンディ。豪放磊落さと繊細さと気風の良さを合わせ持った、「現代っ子横綱」の来し方を昭和の大相撲史もなぞりながら堪能できる好著。
Posted by ブクログ
北の富士流
著者 村松友視
新広社
2016年7月10日 発行
九州場所が始まった記念に、こんな本を読んでみました。
なかなか、面白かった。
現在の解説者でも断トツ人気の北の富士。
私が小中学生のころ、現役時代も人気ありました。
貴ノ花(若貴の父親)との「かばい手」の一番、よく覚えています。みんな貴ノ花の味方でしたが、北の富士も人気でしたね。
北の富士も若い頃、あまり強くなかったようです。しかし、三段目でもたついていた昭和35年夏、名古屋場所後の北海道巡業。両親のいる旭川の前、釧路の親戚に呼ばれてご馳走になってすっかり酔っぱらって朝帰り。それがうるさい兄弟子に見つかり、土俵に引っ張りだされてリンチされた。いわゆる“かわいがり”。
顔は腫れ上がり、足腰は寝返りがうてないほどの痛み。急性盲腸炎にもなり、蹴られたところが悪く腹膜炎を併発して危うく命を落とすところに。
しかし、仕返しをするのではなく、「土俵の上で見返してやるんだ」と決意して、それから出世街道を歩んだとのこと。
また、北の富士といえば夜の帝王。どうやら、親友の龍虎と一緒に遊び歩いたらしい。2人の浴衣姿は群を抜いてカッコよかったそうだが、オンナについては龍虎の方が上だったとのこと。
いやあ、あんな風に見えて、やっぱり凡人とは違うなあ。