Posted by ブクログ
2019年06月25日
2ヶ月毎の本場所を心待ちにしだしたのは、小学2年の時。昭和46年(1971年)当時の大相撲界は、昭和の大横綱 大鵬が力士として落日を迎えようとしており、そのバトンを受取るように台頭してきたのが前年横綱に同時昇進した北の富士と玉の海。三役には貴ノ花と輪島の若きプリンスが大関を目指し、しのぎを削っていた...続きを読む。
贔屓は玉の海と貴ノ花。ふたりの星取りが気になる小2。それだけに、玉の海が虫垂炎をこじらせ現役の横綱のままで急死した時は大ショックも大ショック。その前年、三島由紀夫が自決して激しいショックを受けた母親の気持ちが痛いほどわかった。
さて、本書。
作家 村松友視が描く第52代横綱 北の富士勝昭の評伝。著者と北の富士の交友はあとがきで明かされる。これが中々粋な交流。知り合ってから会食したのが実に30年後。その間の交流は、ふたりの馴染みである銀座クラブ姫にて、時折交わすコースターに書いたメモのみ。ちなみに最初のメモは、「北天佑は横綱になれますでしょうか?」。この「コースター文通」は10通に及び、後年北の富士がそれをきちんと保管していたことを知り、著者は北の富士にますます魅了され、やがて筆を執るに至る。
その北の富士の現役時代の成績。幕内優勝10回。取り口は典型的な攻撃相撲。突っ張って相手の体勢をくずし、右上手・左下手の左四つからの上手投げ、そこに外掛けという速攻相撲。このパターンが崩された時は脇の甘さを突かれた時で無謀な首投げをしたり、守勢にまわるとあたふたとして呆気なく負けた。横綱昇進後も4場所連続で11勝4敗が続き、「イレブン横綱」とも呼ばれ、出入りの激しい安定性に欠いた横綱であった。
そもそも本書を手に取ったのは、大好きだった玉の海のことが書かれていたから。ただページをめくるにつれ、すっかり北の富士に魅了されてしまった。とにかく、おおらかで何事にも恬淡とし泰然とし、華がある。それを饒舌に物語るのがニックネームでありエピソード。夜の帝王、プレイボーイ横綱、現代っ子横綱、現役力士でレコードデビュー、夜のヒットスタジオで熱唱、休場中にハワイでサーフィン、断髪式後のお色直しではタキシードで登場、国技館近くに豪勢な部屋ビルの建築、銀座のママと結婚。そこに親方として千代の富士・北勝海のふたり横綱を育て上げた名伯楽という冠がつく。現在はNHK大相撲の人気解説者。時に毒を含んだユーモア、時に辛辣、時に賛辞…と縦横に持ち前の口跡の良さで語る。
それと何と言ってもお洒落である。和服にスーツ、ジーンズ、レザージャケット…、見事に着こなす北の富士を見たくてNHKの大相撲中継を観る方も多いと聞く。表紙カバーに、北の富士の着物姿の写真をもってきたのも頷ける。洒脱でダンディ。豪放磊落さと繊細さと気風の良さを合わせ持った、「現代っ子横綱」の来し方を昭和の大相撲史もなぞりながら堪能できる好著。