あらすじ
新1万円札の肖像に決定した渋沢栄一とは一体、何者だったのか?
日本銀行、第一国立銀行(みずほ銀行)、日本郵船、東京電燈(東京電力)、東京瓦斯(東京ガス)、大日本麦酒(サッポロビール、アサヒビール)、商法講習所(一橋大学)、東京ホテル(帝国ホテル)など、日本を代表する約650の企業や団体をつくった「日本資本主義の育ての親」。それにも関わらず、三井、三菱、住友のような財閥となることを拒み、静かに没落していった──。人物ノンフィクションの第一人者が、栄一・篤二・敬三と続いた渋沢一族三代の真実の姿を描く。
わが国に資本主義を産み落とし根づかせた栄一、それを継承し育んだ嫡孫・敬三。その狭間にあって、廃嫡の憂き目にあった篤二。勤勉と遊蕩の血が織りなす渋沢家の人間模様をたどることは、拝金思想に冒されるはるか以前の「忘れられた日本人」の生き生きとした息吹を伝えることにも重なる。この一族は、なにゆえに「財なき財閥」と呼ばれたのか? なぜ実業家を輩出しなかったのか? いま新たな資料を得て、大宅賞受賞作家が渋沢家三代の謎を解き明かす。
「私はこの本で“偉人伝”を書いたつもりはない。それより意図したのは、栄一という人物の偉大さに押しつぶされた渋沢家の人々の悲劇を、明治、大正、昭和の時代相に重ねて描くことだった。これはまったく類書がない着眼点だといまも自負している」
(本書より)
電子書籍化にあたり、新稿「渋沢家の真相」を収録した。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
攘夷から幕臣に転じ、明治維新以降の偉業を成し遂げた渋沢栄一についてはそれなりに知るところではあったが、その子である篤二と孫の敬三についてそれぞれ激動の人生であった事については初めて知っただけにその驚きは大きかった。
あまりにも壮大な一族の繁栄から没落までの流れはただただ感嘆するばかりで、一言では語れない。
渋沢家三代が日本経済に残してくれたものは大きいし偉大だ、と言う事が実感として強く残る。
最後に著者が語っている事を心に残った言葉としてここにそのまま残しておきたい。
『事業にしろ遊芸にしろ学問にしろ、自分の信ずるせかいにこれほど真摯に没入していさぎよく没落していった一族が、ほかにいただろうか。渋沢家三代のおおいぶりな健全さとなにもかも心得たふところの深さは、日本人の精神からことごとく消えてしまった。』
Posted by ブクログ
渋沢栄一だけでなく、息子の篤二、孫の敬三までの三代を記したドキュメンタリーで読み応えあり。
渋沢栄一とは激動の時代を生き抜いた偉大な人だったと改めて感じるとともに、偉大な父や祖父を持つ息子や孫の苦悩や、家を繁栄し続けることの難しさもひしひしと感じ入った。
親や家のことなどあっても、とにかく一人ひとりが精いっぱい生き抜くことが、納得のいく人生につながるのか。
佐野さんが執筆された敬三さんに関する著書も読んでみたい。
Posted by ブクログ
次回大河ドラマの主役渋沢栄一、その息子で廃嫡される篤二、民族学で名を残す敬三。渋沢家の三代を通じて見つめる日本近代史。
渋沢栄一だけでなく、その子、孫。さらに一族本家まで俯瞰した新書としては守備範囲の広い意欲作だろう。
何代かに渡って一族を眺めると、勤勉と遊蕩の血が交互に出てくるのが面白い。渋沢一族としてみるとむしろ著名な栄一が異例でありどちらかというと学術、芸術家肌が多い。渋沢敬三しかり本家筋の澁澤龍彦など。
渋沢栄一の志士から一点一橋慶喜に仕えパリへ。官僚から実業界という波乱の人生。そのサクセスストーリーの陰で犠牲となったとも言える篤二、そして日銀総裁などを務めつつも柳田国男との出会いを機に趣味の民俗学を極めた敬三。
豊富な資料から冷酷なまでの鋭い視点は筆者の独壇場。敬三を主題とした「旅する巨人」のアナザーストーリーとして楽しめます。
Posted by ブクログ
先日論語と算盤という本を読んだ際に、気になった本です。
非常に面白かったです。
栄一という近代日本資本主義の父の実の子たちに降りかかる重圧。
それを女性であったり、学問に救いを求めたり、とにかく厳格に、
渋沢の家の人間という事を誇りに思い、重視したりと
何かバランスを崩してでないと生きていけないような姿を
様々な文献を読み解き、抜粋し伝えてくれる一冊。
昔の住所を調べてみたり、名前は歴史の時間に聞いたことがある、
レベルの人について調べてみたりしながら、
夢中になって読みました。
江戸時代末期から昭和にかけての人物像がくっきりと浮き上がる中、
自分の今までの不勉強を恥じ、このような人が生き生きとしている本と
出会って、歴史を自分の中で認識していくしかないな、と思います。
Posted by ブクログ
渋沢栄一、敬三はよく見るが、篤二についてこれだけ書かれている読み物はなかなかないのでは。面白くて飽きずに読んでしまった。3代を追うことで幕末から戦後までの社会を外観できてしまうのもよかった。
星1つないのは単に歴史の本を読み慣れた自分の好みで、セリフがあるとその出典や史料を確かめたくなってしまうということだけなので。もちろんこういう本なら無くてもいいと思ってますが、あくまで個人的に。
Posted by ブクログ
資本主義の父と民俗学のパトロンの生涯をまとめて読めるのはお手軽と思ったが、あとがきにも書かれている通り、敬三の民俗学へのパトロネージュについてはほとんど触れられておらず、『旅する巨人』を読めとのこと。そりゃそうだ、とは思ったが、渋沢家の生い立ちから没落への歴史を学ぶことができたのはよかった。
栄一は1940年に血洗島の中ノ家に生まれた。現深谷市のこの地は中山道と利根川にも近い交通の要衝で、家はそのメリットを生かした藍玉生産で富をなした。藍の栽培に必要な干鰯は、九十九里から利根川で運ばれた。栄一も14歳になると、単身で藍葉の仕入れに出ている。21歳で江戸に遊学に出て、学問や剣術の修行をする一方で、高崎城乗っ取りのクーデター計画を進めたが、激論の末、中止となる。その後京都に出て、温情を受けた一ツ橋家に仕官することになり、慶応2年に慶喜が将軍職に就くと、陸軍奉行支配調役となった。その1か月後、パリで開かれる万国博に派遣されることになった水戸の徳川昭武の庶務と会計役として随行し、遊学して資本主義を学ぶことになる。帰国後、静岡で謹慎中の慶喜を訪ね、そこで商法会所を開いて、明治政府が全国の諸藩に強制的に貸し付けていた新紙幣を基に、合本法を用いて殖産興業を図った。その1か月後には、新政府の大蔵省租税正に任命されて東京に赴くが、内閣と対立して明治6年に退任すると、在任中に自ら作成した国立銀行条例に基づいた第一国立銀行を創設した。
栄一は、古希を迎えた明治42年にほとんどの関係事業から身を引き、喜寿を迎えた大正5年には第一銀行の頭取をやめて、すべての企業との関係を断った。その後は社会事業に情熱を注ぐ一方、民間経済外交にも献身し、日露戦争後に変調をきたした日米関係を修復させようとしたが、満州事変が勃発した2か月後の昭和6年に91歳で生涯を閉じた。
敬三は明治29年に生まれた。中学時代から生物学に心を寄せ、大正10年に銀行員となったが、柳田国男らの影響を受けて民俗学に興味を持ち、屋敷車庫の屋根裏部屋にアチック・ミュージアムをつくっている。栄一の死に付き添った過労によって糖尿病を患い、療養のために過ごした伊豆の三津浜で、古老の家に伝わる400年の歴史と生活が記された古文書を見せられた。それを筆写して、3000ページに及ぶ「豆州内浦漁民資料」をまとめ、この頃から多くの民俗学者へのパトロネージュを始め、自らも土日曜を利用して52年間に480回もの旅を続けた。昭和12年には、アチック・ミュージアムに収蔵されていた民具を保谷に誕生した民族学博物館に移し、その40年後に開設された大阪の国立民族学博物館の母体となった。
敬三は昭和17年に日本銀行副総裁に任命され、昭和19年には日銀総裁に就任し、終戦後は幣原内閣の下で大蔵大臣に任ぜらた。自ら導入した財産税を納めるために三田の豪邸を物納し、GHQの財閥解体も後に「相当せず」との通告を受けたものの、それを放置して同族会社を解散した。渋沢家に代々仕えた杉本行雄は、敬三が「ニコニコしながら没落していけばいい」と口ぐせのように言っていたと伝えている。物納された渋沢邸は、40年余り6省庁の共同会議所として使用された後、道路拡張工事によって取り壊される際、杉本が払い下げてもらって三沢に移築している。
Posted by ブクログ
近代日本の経済・産業界を創造した渋沢家の評伝。初代栄一が興した企業や組織は、第一国立銀行、朝日生命保険、東京海上保険、東京ガス、東洋紡績、清水建設、王子製紙、秩父セメント、新日本製鉄、キリンビール、アサヒビール、サッポロビール、帝国ホテル、東京証券取引所、東京商工会議所、東京都養育院、結核予防会、盲人福祉協会、聖路加国際病院、一橋大学、日本女子大学、東京女学館、etc。
また、黎明期の大蔵省時代には、富岡製糸場の設立に従事。
ってか、これだけの人物なんだから、ちゃんと歴史の授業で取り上げろよ…。
こりゃ2代目3代目はキツい訳です。
Posted by ブクログ
本書のテーマを見て、最初は「何故渋沢家三代なのか?」と感じたが、本書を読んでよくわかった。著者は、ノンフィクションライターとして「人間が主人公の物語をつむぐことが実にうまい」と思った。
「渋沢栄一」は有名な人物であるが、本書の「公式伝記」などとは違う側面を赤裸々に描いた内容には実に驚いた。
財閥を形成した岩崎弥太郎とは違い、「渋沢栄一」は「論語と算盤」をモットーとし「日本資本主義のプロモーター」に徹したその生き方は、あたかも「資本主義の道徳教師」のようなイメージを後世に残したように思えていたが、本書のその三代に渡る血族関の歴史は、いやはや現在の観念からは、とても考えられない内容とスケールの大きさに驚くとしか言い様がない。
「妻妾同居」とその多くの子どもたち。「一説には栄一が生涯になした子は20人近くにのぼるといわれる」。いやはや「お盛んなことで」と思わず思ったが、その影響としての後継者「篤二」の廃嫡と孫の「敬三」の生き方にまでかかわる「影響力」。歴史上の有名人の子孫は決して楽なものではないと、この「物語」を読んで思った。
そういえば、勝海舟も徳川慶喜も「妻妾同居」であったようだし、慶喜も多くの子をのこしていたことを思えば、幕末・明治期の上層階級においては、あまり希な事例ではないのかもしれないが、現在の価値観からは、なんとも違和感が残る。
本書は「栄一、篤二、敬三の渋沢家三代の歴史には・・・幕末から高度成長期までの約一世紀におよぶ歴史が凝縮されている」とまとめているが、まさにその通りと共感できる、実に面白い本であると思う。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
わが国に資本主義を産み落とし根づかせた栄一、それを継承し育んだ嫡孫・敬三。
その狭間にあって廃嫡の憂き目にあった篤二。
勤勉と遊蕩の血が織りなす渋沢家の人間模様をたどることは、拝金思想に冒されるはるか以前の「忘れられた日本人」の生き生きとした息吹を伝えることにも重なる。
この一族は、なにゆえに「財なき財閥」と呼ばれたのか。
なぜ実業家を輩出しなかったのか。
いま新たな資料を得て、大宅賞受賞作家が渋沢家三代の謎を解き明かす。
[ 目次 ]
プロローグ 「財なき財閥」の誇り
第1章 藍玉の家
第2章 パリの栄一
第3章 家法制定
第4章 畏怖と放蕩
第5章 壮年閑居
第6章 巨星墜つ
第7章 にこやかなる没落
エピローグ 深谷のブッデンブローク家
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
第一国立銀行を創設した渋沢栄一。そのような印象しかなかったが、深く渋沢家の歴史、栄一の子や孫、篤二、敬三、そして義理の息子(穂積、阪谷)。
渋沢栄一の、資本主義至上として実業家ではなく、資本の文明化を目指す姿を知り、とても感銘を受けた。本当の意味での国家の発展を見通して対応しようとした姿はすばらしい。そのため「財なき財閥」といわれた。実際、敬三の代では、公職追放や財閥解体で、すべての財を捨て、四畳半の元執事の部屋に住んでいた時期があるらしい。渋沢栄一を題材とした、城山三郎「雄気堂々」を今度読んでみよう。
あと面白かったのは、陸奥宗光の話。2010年の大河ドラマ「龍馬伝」にでていて、海援隊で活躍したと描かれていた。この本では、なんと三井家のスパイであったと書かれていた。これは意外で、初めて知った。三井家は幕府との取り引きで成長していた。幕末の動乱の時期に、佐幕か新政府どちらについたほうが生き残れるかを判断するために情報収集としてスパイを送り込んでいたようだ。その新政府側が、陸奥宗光だったらしい。元々陸奥は三井家の書生であった時期があり、その縁でスパイをしていたらしい。すごいのは、新しい情報は半時間もしないうちに届いたということだ。電話も無線もない時代に、すごい情報網。。。
栄一の言葉が書かれていたので残しておこう。
1) 「土地を持つより利益は細かいかもしれぬけれども、真正なる利益厚生即ち直接の利益ある殖産工業の経営そして自ら土地の価値を高むるようにして、而して今の鼠を待つ猫に偶然なる利益を得さするとも私は少しも口惜しくもない。こういうのが私の主義である。」
2) 「義利両全」、道徳と経済の合一。
Posted by ブクログ
日本に資本主義を根付かせようと尽力するも、財閥形成をかかげず、三菱などとは一線を画した渋沢栄一。彼を初代として、長男篤二、その嫡男敬三までの歴史を描く。三代の人間性が伝わってくる感じが良かった。