あらすじ
太平洋戦争末期に実施された"特別攻撃隊"により、多くの若者が亡くなっていった。だが、「必ず死んでこい」という上官の命令に背き、9回の出撃から生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏に鴻上尚史氏がインタビュー。飛行機がただ好きだった男が、なぜ、絶対命令から免れ、命の尊厳を守りぬけたのか。命を消費する日本型組織から抜け出すには。
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Posted by ブクログ
秀作。力作。
作者の反体制感を感じる。武骨の人。
一貫して命令した人の責任を訴えている。全くその通りだ。現在でもまだ残っている。当事者の自己責任で逃れようとする組織の責任者たち。嫌なことはいやだと言えないといけない。
Posted by ブクログ
9回特攻に出撃して生き残った特攻兵のインタビューとその物語。戦争をする以前に戦わない選択をすることによって落とさなくてもいい命がある。先の大戦の時、闘うことを選んだ日本が結果的にどうなったか、戦争を経験した人たちは少なくても戦争は絶対してはならないと思ったはず。いつの時代でも犠牲になるのは末端の庶民で、命令する人間は(国民のためと言いながら)自分のことだけを考える。
Posted by ブクログ
衝撃だった。
まさかただでさえ致死率が高い特攻で、9回出撃し、生きて帰ってこられた方がいらしたとは!
まず「「特攻」が全くの犬死であることは、当事者は全員わかっていた。
1)日本の戦闘機がまったくアメリカの操縦機に叶わなくなっていた。最高速度が違う。
2)第一目的目標である空母にたどり着く前に、アメリカのレーダー網により察知され、VT信管により撃墜される。(アメリカ軍はすぐに対策をとった。)
3)日本の飛行機、特に零戦は、安全性能を犠牲にして性能を上げたので、特攻するにしても、護衛機の援助なしにたどり着くことはまず不可能。すぐに引火する。
4)動く船に、重い爆弾で当てるのは、機銃照射がある中、ほぼ不可能。仮に当たっても効果が薄い。アメリカ軍が発見したように、急降下爆撃による一撃離脱が効果的。
5)最初の特攻こそ、その時点での腕利きが選ばれたが、以降は若年者が選ばれた。
6)とても難しい操縦が要求されるにも関わらず、特攻に選ばれる兵士は、圧倒的に飛行訓練時間が足りない者が選ばれた。
7)末期になるほど、明らかに劣る戦闘機。かつ、護衛機も付けず、行け!となった。
従って、この命令は、全く戦理を逸脱している。目的は、あくまで銃後にある。こうまでして敵と戦うという、やがて本土にいる我々も同じように後に続くという決意を表した。
Posted by ブクログ
ほとんどの戦争の資料を読んだ中で、まさか佐々木さんのような方がいらっしゃったなんて…本当に嬉しかった。生きて還ってくれた…。
あの時代それが許されなかったのに何回も帰還する強さ。日露から帰還した父の言葉の支えは本当に大きかったんだな。
それから彼の表現性に心を突かれました。
二度の戦死報告後、母に生きてることを伝える。
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マニラに行って春が来た。
Posted by ブクログ
実在の特攻兵、佐々木友次氏が9回の出撃から生還した生涯を、本人へのインタビューをもとに描いたノンフィクション。絶対命令に逆らい、なぜ命を守り抜けたのか、命を消費する日本型組織の問題に迫る。
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本作、公正は概ね3パートに分かれます。
先ずは、特攻兵佐々木友次氏の生い立ちと9回の出撃および生還の過程。次に筆者鴻上氏と佐々木氏の対談内容、そして最後に所謂日本論のようなもの。
類書を幾つか読んできたため、戦争の悲惨なところ、とりわけ若くて優秀な兵隊が価値のない死に追いやられるシーンは多く読んできました。それは本作でも散見されます。
しかし、今回本作を読んで非常に印象にあるのは佐々木氏の寡黙さです。
これは無口というわけではありません。むしろ敢えて語らず、否、むしろ語りたくないという種類の寡黙であります。
ではなぜ語りたくないかといえば、畢竟それは理解されないからでしょう。というよりも体験者にしか分からない雰囲気というものがあるのだと思います。
当時、日本は、そして軍部はかなりおかしかったとは思います。
爾後、その異常さ声高に叫ぶでもなく、淡々と、たまたま生き残ったと語る佐々木氏の姿勢に、当時の異常さ・彼我の違いの大きさを感じずにはいられません。
それは被災・被害の体験者と周囲との圧倒的な違いに似ているのかもしれません。
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他方、この古傷に塩を塗るかのようにインタビューを行う鴻上氏は、ある意味ちょっと悪者にも見えなくもありません。
でも、氏の考えもやはり分かる気もします。
異常な雰囲気のなか、上官に立てつき、筋を通すことがどうして可能なのか。
日本という国で、雰囲気・気合、精神論が跋扈する。この手のものは、今でもやはり亡霊のごとくあまねく世間に通底していると昭和生まれの私は感じます。その雰囲気・精神論がより明示的だった昭和初期、しかも国家総動員と全体主義が盛り上がるなか、その中でも筋を通す・理を通すということが可能である個人を発見した。その心の持ちようは、日本において、新たな可能性なのでは、と筆者は考えているのかな、と感じました。
因みに最後のパートは鴻上氏による日本文化論の雰囲気が大いにありました。『失敗の本質』や『一下級将校の見た帝国陸軍』もそうでしたが、原因追及を行うと、このあたりの話になりますよね。
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ということで鴻上氏の戦争関連本でした。
これまで幾つか戦争本を読んできました。上官を拒否し、かつ無事に日本に生還したという方は初めて見ました。あるいは戦争末期だったから可能な姿勢だったのかもしれませんが、戦争関連本としてはちょっと新しいテイストであったと思います。