あらすじ
太平洋戦争末期に実施された"特別攻撃隊"により、多くの若者が亡くなっていった。だが、「必ず死んでこい」という上官の命令に背き、9回の出撃から生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏に鴻上尚史氏がインタビュー。飛行機がただ好きだった男が、なぜ、絶対命令から免れ、命の尊厳を守りぬけたのか。命を消費する日本型組織から抜け出すには。
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Posted by ブクログ
特攻隊として9度出撃し、帰還した元兵士へのインタビューを元に、あまり一般には語られることのない作戦の本質・真実について述べられている。
直接本人の口から語られる言葉には、伝聞にはないリアリティと重みがあり、とかく美化されがちな特攻という作戦を、客観的に事実を積み重ねて解説していく。
精神論を振りかざす上官、若者や現場に最も負担を強いるやり方、志願という名の強制など、程度の差こそあれ現代社会においても、いまだに当然のようにこのような不合理が残っていると感じる。
歴史を変えることはできない。後の世代である我々にできることは事実を正確に把握し、学ぶことだ。
歴史を学べば学ぶほど、人間の愚かさや浅はかさも見えてしまうが、そういった負の側面から逃げずに思考していくことが大事だと感じた。
今を生きる我々も、いずれ過去の歴史の一部となるのだから。
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特別攻撃隊、多くの勇敢な若者が戦った
特攻飛行なのか処刑飛行なのか
悔しい気持ち
「命令する側」「命令される側」どちらの立場もわからない僕は、日本のために戦った全ての人に感謝します
感謝という言葉でいいのかもわからない
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「9回出撃して、体当たりしろという上官の命令に抗い、爆弾を落として、9回生きて帰ってきた人」佐々木友次さん。
鴻上さんの凄さは、特攻の真実を明らかにするために、消え入りそうな声に耳を傾けて丹念に取材したところ。
佐々木さんは、生きて帰ったことは寿命だと語る。軍神になったことになっている佐々木さんは、「今度こそ死んでこい」と処刑飛行?を命じられるが九死に一生をえたりして生き延びる。仲間が台湾に渡った時は、死んだことになってるからとフィリピンに残されて飢えと闘って生き抜く。戦争が続いていたら日本兵に殺されていたかもしれない。
佐々木さんは、反骨の人ではない。飛ぶことを愛し、飛ぶことに誇りをもって、生きたいという本心と本能に忠実であった人だ。
鴻上さんは、「命令した側」と「命令された側」の違いを明確にして、「命令する側」の責任を追及する。「当事者」にしかわからない真実を掘り続ける。
「哀調の切々たる望郷の念と
片道切符を携え散っていった
特攻という名の戦友たち
帰還兵である私は今日まで
命の尊さを噛みしめ
亡き精霊と共に悲惨なまでの
戦争を語りつぐ
平和よ永遠なれ」佐々木友次
上からの命令や理不尽な慣例に従順な構図は確かにある。少なくとも私の仕事にはそれは存在していた。
ひとりひとりが、あれ?を飲み込まず声をあげていくことが何かを変えていくことにつながるのではないか。
佐々木さんの存在は戦争の理不尽さを改めて教えてくれる。それに屈することなく生き抜いた佐々木さん。ネガティブをポジティブに変えていくエネルギーをいただいた気がする。
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秀作。力作。
作者の反体制感を感じる。武骨の人。
一貫して命令した人の責任を訴えている。全くその通りだ。現在でもまだ残っている。当事者の自己責任で逃れようとする組織の責任者たち。嫌なことはいやだと言えないといけない。
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特攻隊がなぜ美談として取り上げられるのか、なかなか語られてこなかった戦争の真実に迫っている。また、日本人の「世間」に流されやすいメンタリティについて語ってくれている。
東條英機が、敵機を「精神で撃ち落とすんだ」と言ったエピソード(p259)には驚いた。が、今もこのような考え方がちょこちょこ見られる日本の社会の現実。精神論に逆らえず命を落とすようなことのない社会であってほしい。
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「人間は、容易なことで死ぬもんじゃないぞ」日露戦争を生き延びた父親の言葉が生きる道を選んだ。時代背景や軍隊という特殊な世界と現代とでは比べ物にならないが、周りに流されることなく、意思を貫き通した人がいたことが信じられなかった。偏った戦争観が染みついていたことを実感した。後半のなぜ特攻がなされたのか、「命令する側」と「命令される側」にわけた考察は核心を突いているように感じた。
Posted by ブクログ
特攻隊とは、戦時中の上からの命令が絶対という軍隊の異常な状況の中で、若者達がお国の為にと自らの命を捧げて自爆攻撃をしたものというような漠然としたイメージを持っていたが、9回出撃して9回生還した人がいたという事実に、そんなことが可能だったのかとすごく驚いた。
この本によると、特攻による自爆攻撃で相手の艦隊を撃破するということは実際には難しく、特に作戦の末期には攻撃に相応しい飛行機もなくなっており、飛行訓練の足りていない若者が、効果がなく絶対に生きて帰れない攻撃を、訳の分からない精神論のもと実行し、犬死にさせられていたような状況だったようだ。
それでも、当時の新聞は戦争や特攻隊のことをエモーショナルに何度も記事にして、それを読んだ人々は感動して、こんなに若い人が命をかけてお国の為にと頑張っているんだからと戦争を続ける意志を強くした。戦争反対の新聞は部数がどんどん落ちるのに対し、賛成派の新聞はどんどん伸びたそう。メディアにとっては戦争は儲かるものだったのだ。
この戦争時の状況がコロナ禍の日本とそっくりに感じてゾッとした。毎日のように感染者数を報じ、新しいウイルスの株が出たと騒ぎ立て、本当に検証がされているか不明なのに"基本的な'感染症対策としてマスクやアクリル板や予防接種を人々に半ば強要。散々騒いだわりに、今となっては当時の対応が正しかったのかどうか誰も検証していない。
戦争中から何も変わっていないじゃないかと絶望的な気持ちになってしまうが、特攻隊として出撃し、9回も生還した佐々木さんという存在がかつて日本にいたんだと知ることは、希望になると思った。
Posted by ブクログ
特攻とは何だったのか
9回出撃して9回帰還した特攻兵の実話を通じてこの問題に取り組んでいる。
冷静・客観的な筆致においても、強い怒りが伝わってくる。
特攻に関する漠然とした認識を改めて考えなおさせられる本
Posted by ブクログ
9回特攻に出撃して生き残った特攻兵のインタビューとその物語。戦争をする以前に戦わない選択をすることによって落とさなくてもいい命がある。先の大戦の時、闘うことを選んだ日本が結果的にどうなったか、戦争を経験した人たちは少なくても戦争は絶対してはならないと思ったはず。いつの時代でも犠牲になるのは末端の庶民で、命令する人間は(国民のためと言いながら)自分のことだけを考える。
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酒と紅白餅で必勝祈願
し死地へ送り出される。
死のツノと積載量超過
の八百㌔爆弾を抱える
離陸直後の緊張の時間。
高度五千メートルの空。
雲が割れて目標の湾が
見える。
そして爆弾の安全装置
を解除して・・・
当事者にしか語れない
鮮やかな光景が眼前に
広がりました。
体当たりの命令に背き
けれども逃げずに戦い、
何度でも何度でも生還
を果たした八十年前の
一人の若者に、
大概のことは乗り越え
られるはずだよと、
生きる勇気を与えられ
ました。
一方で、精神論の末路
というべき特攻という
愚かな作戦を、
エモーショナルに語る
べきでないと学びとり
ました。
故郷の北海道当別町に
眠る佐々木友次さんに
哀悼の意を捧げます。
Posted by ブクログ
戦後72年たってようやく特攻のことを書けるということ、渦中の命令した側が亡くなったからこそ…というのが、戦争を美化する人々や傍観者側の罪が深いと思った。。
Posted by ブクログ
テレビから流れる都合よく編集された戦争しか知らなかったことを改めて思い知らされた。この先、真実はもっと消されて行くのかもしれない。どうかたくさんの人に知ってもらいたい。
「命令する側」「命令を受ける側」、「世間」と「社会」。
Posted by ブクログ
鴻上さんの別の本で紹介されていて、興味がわいたので読みました。
今まで知らなかったことがたくさん書かれていて、本当に興味深い本でした。戦争の辛い内容だけど、読んで良かったです。日本人として、知っておくべきことがたくさん書かれていると感じました。
丁寧に取材して伝えてくださってありがとう、という気持ちでいっぱいです。
Posted by ブクログ
戦争があったということはもちろん知っている。ただ、そこでなにがあったかまでは知らない。40代の私がこの状態なら、さらに若い人たちはもっと知らない。知ろうとしなければ得られない。「死ぬことが使命」だなんて世の中、絶対に嫌だ。今は戦争は日本では起こっていないけど、周りの雰囲気に対する違和感に声をあげられない、そのことが凶器を孕んでどうなっていくのか、ある意味今も戦時中なのではないか、なんてことも考えた。
生きる、生き残ると決めきった佐々木さんの想い。こんな想いを自分のこどもたちにはさせたくない、もらった命をどう使うか、死ぬことが使命だなんて、絶対にさせない。
Posted by ブクログ
衝撃だった。
まさかただでさえ致死率が高い特攻で、9回出撃し、生きて帰ってこられた方がいらしたとは!
まず「「特攻」が全くの犬死であることは、当事者は全員わかっていた。
1)日本の戦闘機がまったくアメリカの操縦機に叶わなくなっていた。最高速度が違う。
2)第一目的目標である空母にたどり着く前に、アメリカのレーダー網により察知され、VT信管により撃墜される。(アメリカ軍はすぐに対策をとった。)
3)日本の飛行機、特に零戦は、安全性能を犠牲にして性能を上げたので、特攻するにしても、護衛機の援助なしにたどり着くことはまず不可能。すぐに引火する。
4)動く船に、重い爆弾で当てるのは、機銃照射がある中、ほぼ不可能。仮に当たっても効果が薄い。アメリカ軍が発見したように、急降下爆撃による一撃離脱が効果的。
5)最初の特攻こそ、その時点での腕利きが選ばれたが、以降は若年者が選ばれた。
6)とても難しい操縦が要求されるにも関わらず、特攻に選ばれる兵士は、圧倒的に飛行訓練時間が足りない者が選ばれた。
7)末期になるほど、明らかに劣る戦闘機。かつ、護衛機も付けず、行け!となった。
従って、この命令は、全く戦理を逸脱している。目的は、あくまで銃後にある。こうまでして敵と戦うという、やがて本土にいる我々も同じように後に続くという決意を表した。
Posted by ブクログ
あらすじを見てみると、あの狂信的だったであろう太平洋戦争の戦時下、上司の命令や周囲の圧力に屈さず特攻を9回も生き延びた方のお話らしい。
ざっくりと3部構成で、
・9回の特攻について
・ご本人へのインタビュー内容
・特攻の始まりと描かれ方の批判と考察
となっていた。
(読んだ本人が勝手に分けてるので違う読み取り方の方もいらっしゃるかも)
読んでみると、9回のうち実際に飛び立たれたのは2,3回のようだった。とはいえ、特攻という死ありきの出陣を前にしても冷静でいらっしゃったようで、敬服した。そしてやはり、ちょっとやそっとでは揺るがない信念をお持ちのようだった。悪く言うと、頑固。当時はさんざん虐められたようですけど、時が変われば本になってるのを見ると、世間の評価なんてテキトーだし頑固も一計よね、と思ったりした。
Posted by ブクログ
特攻に関する本(近代日本の戦争も含めて)を初めて読みました。若い兵士が天皇陛下万歳と突っ込んで行ったと聞いていたが、実際はこんなに理不尽なことが行われていたのかと。鴻上尚史氏の丁寧な取材、考察もとてもわかりやすく良かった。
現代も当時と構造が全然変わってないのではないかと思う。
Posted by ブクログ
ほとんどの戦争の資料を読んだ中で、まさか佐々木さんのような方がいらっしゃったなんて…本当に嬉しかった。生きて還ってくれた…。
あの時代それが許されなかったのに何回も帰還する強さ。日露から帰還した父の言葉の支えは本当に大きかったんだな。
それから彼の表現性に心を突かれました。
二度の戦死報告後、母に生きてることを伝える。
ーーーーーー
マニラに行って春が来た。
Posted by ブクログ
鴻上尚史氏の執念で奇跡的に実現できたインタビューが貴重。劇団や人気番組クールジャパンのホストを経験した視点か、特攻兵ということの成り立ちや本質をわかりやすく説明した内容。
指示する立場とされる立場の責任分担が曖昧な対応は日本だけで考えると、日本人にはなんとなく受け入れられている面もあるのかもしれないが、ノットクールジャパンな部分かもしれない。
書籍の最後を締めくくる、報道ステーションにある内容(ネタバレになるので詳細は伏せます)には、はっとさせられた。
私達は何か戦前に起きたことに対して学べているのだろうか?佐々木氏の行動が広く知られ希望となりますように。
想像以上に興味深い
タイトルと内容はあっていないかもしれません。ただ、鴻上氏が「この人の話を書きたかったんだ」という気持ちが根底にあります。戦争の話なんて、特攻の話なんて、と思わずに、読んでみる価値は大いにあります。迷うなら、読んでみて。
Posted by ブクログ
「特攻」というものの愚かさを論理的に説明してくれて、当事者では無いのに感謝したくなる。
2章が大事だったんだけど、3章以降の方が楽しめた
鴻上さん心、鴻上さんの書く文が好き
Posted by ブクログ
「永遠のゼロ」に胸のどこかで抗う気持ちに気づく。
命令した側への追求がまるでなっていないのだ。
カミカゼや特攻が声高に語られるときは、それが誰によって語られるのか用心が必要だ。
Posted by ブクログ
今現在もこの地球上で、人が人を殺める行為を必然とした戦争が起きています。
この日本でもそう遠くない過去には戦争がありました。しかし、既に戦争を体験した方が少なくなった現在、私も含め戦争を知らない人々も、学校の授業や終戦記念日など何かのきっかけで、その実態を知り、考えることも大切なのではないかと思います。
私は年に一度くらいは戦争について真剣に考えようと思っています。本を読んだり映画を観たり、その方法は様々ですが、本作はそんな思いで手に取った一冊です。
<作品紹介>
太平洋戦争末期に実施された“特別攻撃隊”により、多くの若者が亡くなっていった。だが、「必ず死んでこい」という上官の命令に背き、9回の出撃から生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏に鴻上尚史氏がインタビュー。
飛行機がただ好きだった男が、なぜ、絶対命令から免れ、命の尊厳を守りぬけたのか。
「第一章:帰ってきた特攻兵」「第二章:戦争のリアル」「第三章:2015年のインタビュー」「第四章:特攻の実像」の4部構成になっているのですが、私は第二章を読み終えるまでに4ヶ月かかりました。辛くてなかなか読み進められなかったのです。
攻撃をして帰還した部下に対して、「次は死んでこい」という上司って何?目的が「死ぬこと」になってしまっている。
現代の自分が生きていく上でも、会社であったり人との関係であったりのなかで、目的達成のための方法はいくつもありますが、私はそれを取り違えてはいけない。といつも思っています。当時の日本軍の上層部においては、まさにその方法を間違えてしまったのだと思うのです。
劣勢になったときに、勝つためには国民を鼓舞しなければならない。そのためには、優秀な操縦士が先陣を切って特攻することに意味がある。と・・・。
冷静に考えれば、優秀な操縦士は貴重であり、先陣を切って後のものを率いて攻撃し、生還させることが重要だと思うのですが。生きていればまた出撃できますし、後に続くものを育成することもできます。
そもそも、生きて帰ることを前提としない攻撃なんてありえない。そんなことを考えた人もそれに同意した人も許可した人も、どうかしているとしか思えない。
ですが、時として人間は過ちを犯すのです。それは多かれ少なかれ自分も含めすべての人に言えることです。
当時の状況から、特攻兵でありながら、9回の出撃から生還するということがどれほど特異であることかは想像に難しくありません。
とにかく怒りを抱きながら、胃が痛くなるような辛さを抱えながら第二章までを読み終えました。
第三章では、それを成し遂げた佐々木友次(ともじ)さんへの、鴻上さんによるインタビューです。佐々木さんがお亡くなりになる数ヶ月前だったようです。体調もよくないなか淡々と鴻上さんの質問に答えられている様子でした。会話から、お人柄の良さが伝わってくる内容でした。
そして、佐々木さんは、ただただ純粋に飛行機を操縦することが大好きで、その操縦にも自信を持っていた。だからこその抵抗だったのかもしれないと思いました。
第四章では、特攻隊の実像について鴻上さんの見解が綴られていました。
また、後書きには佐々木さんのお墓に刻まれた文章が記されています。
21歳の時に9回の出撃にも関わらず生還し、92歳まで生き抜いた彼の言葉は、とても重く心に響きました。
佐々木友次さんのことや特攻隊の話については沢山の書物がありますが、それぞれ見解が違います。命令をする側と受ける側では見えている現実が違うのです。
また、誰かの思惑によって事実が湾曲されていることもあります。
それは遠い過去のことばかりではありません。現在でもそれを感じることが沢山あります。それに踊らされ振り回されてはいけないと心にとめたいと思います。
過去のことを変えることは出来ませんが、未来は変えられるはず。何かを判断する際は一度立ち止まってよく考えることが大切だなと思います。
Posted by ブクログ
特攻命令を9回受けるも、生還した佐々木友次氏に関する本です。
佐々木氏は、死んでこいと発狂して命令してくる参謀長へも毅然と、死んできます、と答えるも生還。
次々と軍人が特攻で死んでいく中、そんなことがどういう精神状態で可能だったのか、本人へのインタビューも含め解説しています。
寿命がまだ来ていなかった、という言葉が印象的でした。
また、終盤は鴻上氏が当時の社会情勢なども鋭く分析しており、日本人特有の空気感で大本営発表を信じ国全体が狂ってしまったと言っています。
しかし、この時から何も日本人は成長していません。戦時下のようなことがここ数年前にありました。
コロナ禍による自粛警察、マスク警察、ワクチン警察です。
結局、アホみたいに一生懸命だったパーテーションは意味があったのか?
とっくの昔に検査などを辞め、社会を正常化させた外国はコロナで全滅したのか?
何故もう誰もワクチンを打たないで良いのか?
などなど、ほぼ誰も振り返っていません。
今振り返っている人は、やれ陰謀論者だなんだとレッテル貼りをされていますね。
恐らくは数十年したら学者などが、あの時の狂気を振り返って批判を行うでしょうが、その時は一緒になって自粛警察に協力していたマスコミも、日本人の国民性を手のひらを返し叩くでしょう。
そう、何も変わっていません。そして変わっていないことすら把握できていないので、未来永劫日本は変わることはないでしょう。
Posted by ブクログ
天皇の描写は間違っている。
天皇は戦争の最高責任者だけど、戦争を始めようやめようなど決定権はない。
ただ、自分が大臣から上がってくる話を聞いているだけ。
天皇が皇統を何よりも大切にしたというのはウソ。
開戦をせずに済まないのか、何度も大臣に問いただしたのは天皇陛下だった。
Posted by ブクログ
特攻隊の真実、本質をしっかりと書いています。
命令する側とされる側…どちらの視点で特攻を語るかで全く見方が変わります。また、命令する側の人の証言は自己弁護から真実を語っていない、あるいは誤魔化している可能性が高いです。そのことをしっかり頭に入れて文献は読まないといけませんね。
Posted by ブクログ
ある特攻隊員へのインタビューをベースとして、戦争及び特攻隊員のリアルを描いている。これを書いているのが「空気と世間」を書いている著者・鴻上尚史さんと同じとのこと。この方は演出家の一面も持っているということで、その多彩な活躍ぶりに驚かされる。
さて、話は「9回特攻に出撃して、9回生きて帰ってきた」という佐々木友次さんのインタビューから始まる。これまでの「お国のために華々しく突撃してまいります!」的な美談?話が多い中で、このような方の話は貴重とも言える。
その中でも、特攻の効果についてわかりやすく伝えている言葉が印象に残っている。
「卵をコンクリートにたたきつけるようなもの。卵は壊れるが、コンクリートは汚れるだけ」
非常にわかりやすく、かつ特攻というのものがどれだけ効果の期待できない作戦だったかがうかがえる。
太平洋戦争末期、戦況の悪化により、最終的には「勝つ」ことではなく「死ぬ」ことが目的になってしまっていた。またそういった思想に対して誰も意見が言えない状況になるまでの、教育という名の洗脳、マスコミでの報道内容等のリアルについても書かれていたが、本当に恐ろしいなと改めて感じた。
現在も世界を見渡せば戦争は行われているわけだが、日本で二度と戦争が起きないことを切に願うばかりである。
Posted by ブクログ
前から気になっていた本だが、ドキドキするほど心を打たれながら、一気に読み進めた。
■理不尽な権力に反抗するということ。
○岩本がツノを3本から1本にし、また、爆弾を投下できるよう改造した点(p.68)。これを機に、着陸への希望、生への希望が少し現実味を帯びた。
○佐々木の反論「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」(p.109)。
○末尾には、美濃部少佐の反抗も出てきたが、これもまた凄い(P.264)。
■夫婦というもの、命というもの
○岩本の、妻・和子との別れや、その後の和子の悲しみや日記は、読んでいて辛いものがある(p.37,49)。妻を大切にし、そして妻のためにも自分の命を大切にしないと。
○「人間は容易なことで死ぬもんじゃないぞ」という父の言葉(p.81)。
■理不尽な体制
出丸中尉の処刑飛行(p.142)、「年齢も学歴も低い者ほど積極的であった」(p.227)、軍部の批判回避の『神風特別攻撃隊』@1951年、、、。
※逆に、今後読みたいと思ったのは、
『陸軍特別攻撃隊』、『青空に飛ぶ』、『特攻隊振武寮』・・・
(本書自体は特攻の様子を伝える大部分が他の著作からの引用なのだよな、、という点も一応書き留めておく)
いま、知っておくべきこと
あるテレビ番組で紹介されていて、興味をもちました。
時期的なこともあるかもしれません。
特攻隊員がみんな笑顔で出撃していったなんて信じていませんでしたが、こんな帰還兵がそしてロジカルに特攻に反論した人達がいたという事実には、驚きました。
私にとっては、リーダー論としても読めました。
精神論だけで指示を出すという、無策。
従わざるを得ない地獄。
似たようなケースを今も見聞きする現実。
それを国民性と呼ぶなら、今すぐに見直したい。
命じられた死で、人を英雄化するような世の中に二度としたくないと強く思いました。
自分の気持ちに正直になれた人
人間、自意識の高い人ほど、体制やその中での立場他人の目などに制約され、自分自身の本当の気持ち、生き方に反する行動を取らざるを得ない。
佐久間氏は父親の生き方から得られた生きる事への自信、子供の頃からの空を飛ぶ事への憧れ、人間としての正邪の判断を心底に置いて、余計なことを考えず自分の気持ちに忠実に生を全うしようと言う強い意志があったために結果的にあの戦争を生き残れた。
体制、時代の風潮に流されず人としての生き方を貫く強さがいかに大切か、考えさせられました。
Posted by ブクログ
実在の特攻兵、佐々木友次氏が9回の出撃から生還した生涯を、本人へのインタビューをもとに描いたノンフィクション。絶対命令に逆らい、なぜ命を守り抜けたのか、命を消費する日本型組織の問題に迫る。
・・・
本作、公正は概ね3パートに分かれます。
先ずは、特攻兵佐々木友次氏の生い立ちと9回の出撃および生還の過程。次に筆者鴻上氏と佐々木氏の対談内容、そして最後に所謂日本論のようなもの。
類書を幾つか読んできたため、戦争の悲惨なところ、とりわけ若くて優秀な兵隊が価値のない死に追いやられるシーンは多く読んできました。それは本作でも散見されます。
しかし、今回本作を読んで非常に印象にあるのは佐々木氏の寡黙さです。
これは無口というわけではありません。むしろ敢えて語らず、否、むしろ語りたくないという種類の寡黙であります。
ではなぜ語りたくないかといえば、畢竟それは理解されないからでしょう。というよりも体験者にしか分からない雰囲気というものがあるのだと思います。
当時、日本は、そして軍部はかなりおかしかったとは思います。
爾後、その異常さ声高に叫ぶでもなく、淡々と、たまたま生き残ったと語る佐々木氏の姿勢に、当時の異常さ・彼我の違いの大きさを感じずにはいられません。
それは被災・被害の体験者と周囲との圧倒的な違いに似ているのかもしれません。
・・・
他方、この古傷に塩を塗るかのようにインタビューを行う鴻上氏は、ある意味ちょっと悪者にも見えなくもありません。
でも、氏の考えもやはり分かる気もします。
異常な雰囲気のなか、上官に立てつき、筋を通すことがどうして可能なのか。
日本という国で、雰囲気・気合、精神論が跋扈する。この手のものは、今でもやはり亡霊のごとくあまねく世間に通底していると昭和生まれの私は感じます。その雰囲気・精神論がより明示的だった昭和初期、しかも国家総動員と全体主義が盛り上がるなか、その中でも筋を通す・理を通すということが可能である個人を発見した。その心の持ちようは、日本において、新たな可能性なのでは、と筆者は考えているのかな、と感じました。
因みに最後のパートは鴻上氏による日本文化論の雰囲気が大いにありました。『失敗の本質』や『一下級将校の見た帝国陸軍』もそうでしたが、原因追及を行うと、このあたりの話になりますよね。
・・・
ということで鴻上氏の戦争関連本でした。
これまで幾つか戦争本を読んできました。上官を拒否し、かつ無事に日本に生還したという方は初めて見ました。あるいは戦争末期だったから可能な姿勢だったのかもしれませんが、戦争関連本としてはちょっと新しいテイストであったと思います。