【感想・ネタバレ】ひねくれ一茶のレビュー

あらすじ

江戸の荒奉公で苦労の末、好きな俳諧にうち込み、貧窮の行脚俳人として放浪した修業時代。辛酸の後に柏原に帰り、故郷の大地で独自の句境を確立した晩年。ひねくれと童心の屈折の中から生まれた、わかりやすく自由な、美しい俳句。小林一茶の人間像を、愛着をこめて描き出した傑作長編小説。田辺文学の金字塔。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

一茶の人生を描ききった大作。藤沢周平の『一茶』も傑作だが、田辺聖子の一茶は、より自由で、より生々しい。また生き物、子供に優しい。何より無数の俳句から選ばれた一茶の作品が散りばめられている。弟と二番目の奥さんは災難といえば災難でしたが(特に弟視点からのものも読んでみたいなと思った)、とにかく必死に生き、必死に詠んだことがしっかり、じっくり描かれていたと思います。

0
2025年09月02日

Posted by ブクログ

雀や蛙のような小さな生き物を詠んだ親しみやすい俳句で知られる一方、親の遺産をめぐって争ったことや、「七つ下がりの雨は止まない」を地で行くようなヒヒ爺いぶりについてのエピソードで有名な小林一茶を主人公にした物語です。

一茶の人間くささが田辺聖子の筆によって生き生きと描き出されていて、おもしろく読めます。それでいて、「亡き母や海見るたびに見るたびに」や「小言いふ相手のほしや秋の暮」のような句が不意討ちにように出てきて、涙を誘われます。「ねんぴかんのん、ねんぴかんのん、とうじんだんだんね」のリフレインがこだまします。

0
2014年11月27日

Posted by ブクログ

小林一茶の壮年期から晩年を描いた田辺聖子の力作。
壮年期との一茶と言えば、江戸俳壇で頭角を表し、上総・ 下総で
支援者を集めたころだが、次の飛躍のためにも経済的な基盤を
必要とした。彼には当てがあった。
亡父の遺産の半分は彼のものという遺書もある。
所が事は簡単には運ばない。
やっと一茶が遺産を相続したとき、彼の江戸俳壇での場はなかった。
信濃、我が故郷、信濃こそと根を下ろす決意し50婿として妻を迎える。
<我が菊や なりにもふりにもかまわずに>
伸びやかで飾り気のない妻・菊を得て、子宝にも恵まれた。
やっと得た穏やかな幸せの時、それも長くは続かなかった。

0
2012年11月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

おもしろうて、やがてかなしき‥‥   -2005.07.20記

これまでそれほど興味を示さなかったことに、ひょんなことからどうしても知りたくなったり、強い関心が惹き起こされる場合がときにあるものだ。
ひとつきほど前か、「これがまあ終の栖か雪五尺」と詠んだごとく、五十路になってから、義母や義弟とさんざ遺産相続で争った挙句、江戸から故郷信濃の生家に移り住んだ一茶の晩年が、近在から若い妻女を娶り「おらが春」をめでたくもたのしく謳歌したものとばかり思っていたら、老いらくの身にせっかく授かった四人の子どもを次から次へとはかなくも早世させ、おまけに妻女にも先立たれ、さらに二度、三度と後添いとの暮しに執しつづけ、六十五歳をかぞえてなお三度目の妻女にはからずも宿った子どもの誕生を待たずにコロリと往生した、というなんともいいがたい宿業にまみれにまみれたその生涯に、どうしても触れてみたくなったのである。
そこで、何を読むべきか少しばかり探索してみて、田辺聖子の「ひねくれ一茶」を選んだのだが、これはこれで正解だったようだとは読後の第一感。文庫本で640頁の長編だが、よく書けた手練れの一茶物だといえるだろう。
竹西寛子が書評にて「絶妙に配置されている一茶の句は、配置そのものが著者の鑑賞眼を示していて、それはすでに創作の次元にまで高まっていた鑑賞だということがよく分る。」というように、全22章の至るところに一茶の句が散りばめられて、その壮年から晩年へと、俳諧宗匠として立つべく江戸での千辛万苦の奮闘ぶりから、義母や義弟との相続争いを経て、不幸つづきとはいえ故郷信濃にやっと落ち着きを得た一茶晩年の暮らしぶりに、風狂に徹した反骨精神の凄まじいまでの生きざまが、決して重苦しくなることなく描き出されていて、一気呵成に読み継がせてくれる。
生涯に2万余句を残した一茶とは、まさに、吐く息、吸う息のごとくに句が生まれ出た、というにふさわしかろう。
漢籍の教養をもたぬ田舎者、無学の一茶が、当時の江戸において俳諧宗匠として立机するのはやはりどうしても無理があったのだろう。いやそれよりは己に正直すぎた由縁か、月並みの点取り俳句にその身をおもねることもできる筈もなかったろうに。

 名月や江戸のやつらが何知って
江戸の奴らが何知って、とはよくぞ言い切った。信濃の山猿なればこその吟懐がある、風流があるの心意気。

 葛飾や雪隠の中も春の蝶
余人の真似手のない見事な赤裸の心は嘗てありえなかった俳諧の美を際立たせる。

 擂粉木(すりこぎ)で蝿を追ひけりとろろ汁
当意即妙の吟にも材の付合いに一茶の真骨頂があるとみえる。

 江戸の水飲みおほせてや かへる雁
江戸の水、江戸のなんたるか、40年にわたる江戸生活のすべてを飲みおおせて、故郷へいざ還りなむとす。

以下、寸鉄の如く心に響いた句をいくつか挙げておく。
 古郷や近よる人を切る芒
 天に雲雀 人間海にあそぶ日ぞ
 死にこじれ死にこじれつつ寒さかな
 五十婿 天窓(あたま)をかくす扇かな
 這へ笑へ二ツになるぞ今朝からは
 死に下手とそしらばそしれ夕炬燵
 花の世に無官の狐鳴きにけり

0
2012年06月26日

Posted by ブクログ

1995年初版なのに、今風に入ってくるので、読みやすかったです。
「お話句集」みたいな感じで、読み進められて、気がついたら、私も日々を五七五にして俳人気分でした。
群馬もでてきたし、小林一茶が身近になりました。
面白かったです。
学生時代、もっとよく勉強したり、修学旅行も身をいれとけばよかったなぁ〜

0
2012年06月14日

Posted by ブクログ

一茶は52歳で初めて妻(28歳)を娶り、つぎつぎと4人の子を成す。
「一晩に3回」などとメモに残しているらしい。

まさに「ぜつりん一茶」である。
だが、生まれた子はどれも早世し、そのうえ妻にも先立たれてしまう。
そういった背景を知ると、ただほのぼのとしているだけのように思っていた一茶の句が、実は哀切に満ちていることがわかる。

<雪とけて村一ぱいの子ども哉>

<親と子の三人連や帰る雁>

“いかな雑俳狂俳でも自分の心の声を五七五にまとめるにゃ、七転八倒の苦しみをする、だからこそ、雑俳狂俳でも人の心を打ち、人の頤(おとがい)を解くってもんだ、まして俳諧というのは人の心を清め、高めるもんだ、五七五で森羅万象を詠んで、しかも浄化して和らげるもの、だからこそ、俳句の一句にみなみな、のたうちまわって苦しむんだ”

彼の俳句を花や葉に喩えれば、一茶自身が幹や枝である。そして、その樹の根元には、農村の生活や文化と分かちがたく一体となった他力本願の教えがあると思う。

文化文政の頃の風俗がいきいきと活写されているのも楽しい。これもたいへん興味深く、自分自身が江戸時代に住んでいるかのような心持ちで読んだ。

大部の小説であるが、時間をかけても読み切るだけの価値はある。

0
2020年03月14日

Posted by ブクログ

一茶の生涯は大体知っていましたが 俳句と共生々しい一茶の様子が描かれていて 田辺さんの想像力の凄さに感動しました。

読み始めたら なんて一茶さんたら ひねくれていて嫌な奴 しかも飲兵衛で無精者。
嫌なキャラでしたが 後半にはお仲間がどんどん先に逝き 寂しい一茶さんになり 嫁をもらったものの 子供との縁が無く お嫁さんも先に逝ってしまったり。
可哀想でした。
最後は良いお嫁さんに看取られて終われたのは救われますね。

それにしても 筆マメだったからこそ これだけの作品ができたのですよね。
一茶さん 凄いですね。

0
2024年01月12日

Posted by ブクログ

優しく語られる俳人、小林一茶の生涯。作中にも沢山俳句が出てくるけど、ひとりで20,000首も作ってるらしく圧巻。

0
2015年06月25日

「歴史・時代」ランキング