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Posted by ブクログ
戦国大名の奔りである北条早雲のおはなし。応仁の乱がわかってないと、面白さ半減だ。武士の世とはなんだったのか、その終わりの時代の物語。
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p88 礼儀作法
小笠原貞宗が『大鑑清規』を参考にして殿中作法を再編した。この応仁の乱の時代に日本の礼儀作法の基礎を確立した。
p178 通婚の文化
この時代の男女関係は男が女のもとへ通う通婚が常であった。しかし、関東の武士の文化が広まることで一夫一妻制が関西にも広がった。
p196 当時の恩
室町時代に農業技術が飛躍的に向上した。それ故に食うに困ることがぐっと減ったのがこの時代である。
「恩の主より、情けの主」ということわざがあるが、平素食べさせてもらっている主人よりも、格別の情けをかけてもらった人物に心動かされるようになるのは、この時代以降である。
それまでは、食うを保証してくれる人物に全身全霊をゆだねることこそ美徳だったのだ。
p201 ようかん
羊羹は対明貿易で伝わってきたものである。この頃では、将軍家や豪商など、明との貿易に関わっている者しか食べられるものではなかった。それを今川義元は、伊勢新九郎の妹;千萱と寝た時に食べられて、驚いた。
p237 田中
田中はかつて田舎という意味の言葉でしかなかった。
日本の苗字で田中さんが多いのは、明治維新の帯名で田中と名乗った人が多かったからである。それほど日本は田んぼの国だったのだろう。
p270 一遍
一遍和尚が道端で小便をすると、人々はその御小水を争いくみ上げて、病気の物はそれを飲み、負傷者はそれを体に塗ったという。そして病や傷を治したという。
なんだ。イエスと全く一緒じゃあないか。
p307 家の場所
応仁の乱の東軍と西軍は、細川邸と山名邸が花の御所の東西に分かれていたからそう名称された。
p326 将軍の経済
足利将軍家は民からの直接税で生きてはいなかった。対民貿易の利益で生活していたのである。だから、民のことを考えなくたっていいっちゃいいのである。彼らから巻き上げた税金で暮らしてるんじゃないのだから。
徴税権は将軍ではなく、各地の守護が持っている。将軍とは事実上の守護のトップでしかなく、不思議な存在であった。
p338 守護
伊勢新九郎はどんなに将軍が動こうとも、守護が動こうとも世の中は変わらないと見た。土地の地侍や農民が動かなければ、何も変わらない世の中になったのである。
農本主義の子の時代、実質的な力を持っていたのは働き手であった。その頭として君臨した守護や将軍もその権威を失い始めていた。もっと、実質的な力にコミットした権力が物言う時代になってきた。それが戦国大名なのである。
p376 徒然草
吉田兼好の恋愛観が今と合わな過ぎておもろい。
兼好曰く、「一夫一妻制はアカン」とのこと。「一人の女に熱を上げる男は大した玉ではない。それに女の方も、寵愛を独占するなんて心休まらないでしょう。」とさ。何一つ間違っていない。
さらに「絶世の美女に心失うのも分かる。しかしそれだけではないか。それが自身の地位をあげるでもなく、金になるでもなく、まして世を良くするわけもなく。色香に囚われるだけのあさましい行為である。まして、子でもできてそれを可愛がる男の姿など情けないだけである。」
これは京の文化におおいに影響されているが、そういう時代だったことを知りたい。しかし、現代にも通じそうだから怖い。男<女な時代なんだなぁ。
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上巻はまだ形を潜めている感じ。これからもっと面白くなっていくと期待する。
小田原城はけっこうな観光地である。その小田原城の始祖である北条早雲をもっと知るべきと思って読み始めた。
これをもっと早く知っていれば、小田原城の歴史観をもっともっと楽しめていたんだろうなぁ。もったいないことをした。