【感想・ネタバレ】誰も戦争を教えられないのレビュー

あらすじ

広島、パールハーバー、南京、アウシュビッツ、香港、瀋陽、沖縄、シンガポール、朝鮮半島38度線、ローマ、関ヶ原、東京……。世界に大量に存在する戦争博物館と平和博物館。僕たちは本当に戦争のことを知らないのか? それとも戦争のことが好きなのか? 若き社会学者が「戦争」と「記憶」の関係を徹底的に歩いて考える!

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

戦争関係の本というものは、積極的には手を出さない。
のだけれども、それだとまさに「戦争を知らない」ままでいるしかないので、同世代の社会学者がどう捉えるのかという興味もあり読んでみた。読んでよかった。

歴史は必ずしもひとつではなく、見るもの、立場によってさまざまな歴史があるということは常々思っていたので、そこは同じ意見があって心強かった。
それ以外のところでも面白い考察が多く、博物館は現代の教会であるということや、日本の歴史博物館の少なさ(たしかに、長崎にはあるけれども現代史はないかも)、1945年8月15日ですべてが変わったわけではないということ、現在戦争が起こりうるとしても第二次世界大戦のようなものにはなりようがないということなど、なるほどと思わせるものが多かった。
すべてはアナログにつながっているものなんだろうけれども、語るためにはシンプルにしてしまいがちなんだということなのかな。
ただね、日本は日本なりの立場で現代史も語るべきだと思う。そこにさまざまな説があるということも記載すればいいじゃないか。無知であることは、ディスカッションには不利だ。

0
2015年09月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

各国の戦争学物館を通じて、それぞれの国がどのように戦争(基本的には第二次世界大戦)をとらえているかを描くという内容です。

いままで考えたことのない切口がまず新鮮でしたし、博物館を通じることで、それぞれの国の意識のかなり深層に近い部分を感じることが出来るということが驚きでした。

この本を通じての著者の古市さんの主張というのも見え隠れ(?)しています。
それは、たとえ当事者で会っても、人によって国によって、それぞれの感じる戦争が全く異なるように、戦争を伝えることなんか誰にもできないという事です。
そうであれば、戦後世代は国や世界の在り方を考える際、「戦争を知らない・理解できない」という点に立脚するしかない。
それは一見、消極的で無責任な立場のように思えるけど、逆にこれまでの世界史できわめて珍しい「本当の平和を知っている」という大きな武器になるのかもしれないと思いました。

真実は人の数だけあるのに、こと戦争に関しては「たった一つの真実」があると思い込んで、その見方の違いから諍いを続ける今の国際情勢に救いは無いなって感じることが多い。
それに対する、答えの一つがこの本で提示されたのかと思いました。


ちなみに、僕が読んだのは文庫版ですが、単行本にはももクロとの対談が載ってたみたいですね。ちょっと前に話題になったのって、この本だったのかと初めて知りました。

0
2015年09月09日

Posted by ブクログ

20代で戦争に対してこれだけの本をまとめるのが個性的。早熟ともとらえられるが、冷静なんだろうとも感じる。
表現力も秀逸。

0
2015年08月28日

Posted by ブクログ

戦争博物館巡りを通じて「戦争とは何か」を考察した,実に興味深い一冊。
話しは行ったり来たりを繰り返すが,タイトルの「誰も戦争を教えられない」の答えをよく射貫いていると思う。

シニカルさが鼻につくのはこの著者ならではであるが,著者も少しは大人になったのか?,以前の著作に比べると,少しずつ「お行儀が良くなっている」ような気もする。

著者自身は反戦平和主義の左翼とは一線を画しているつもりであろうが,結論自体には案外近いものがある。しかし,既成概念に囚われない著者の柔らかな視点や筋の通った論調は,傾聴に値する。

著者は,「戦争は楽しい」と断言する。
平和な現代においてこの言葉が一人歩きすれば大変な騒ぎとなるだろうが,戦争がエキサイティングなものであることは,歴史や文学,芸術などあらゆる面において物語られている。
この「戦争は楽しい」という大前提を否定している限り「好戦」も「反戦」も成り立たないだろう。ダークツーリズム(戦争博物館もその一部であるが)を一例として,このことを論じる著者の手法はお見事。

「ディズニーランド化」する(戦争)博物館において,「小さな記憶」が取捨選択され,「大きな記憶」が紡がれる。
平和博物館は,まさにその作業によって次世代に戦争の記憶を遺してゆく試みである。

戦後70年たっても,いまだに国家としての「大きな記憶」をつくることができていない日本。
直接には明言していないが,「大きな記憶」,つまり「国家の歴史認識」を確立させるために,戦争博物館の役割は極めて大きいと,著者は言いたいのかもしれない。

著者は言う。
日本が国際的な地位(たとえば国連常任理事国入り)を獲得したいならば,東京裁判やサンフランシスコ講和条約を前提とされた物語に抵触しない「大きな物語」を確定させた方がいい,と。つまり「戦争責任は明確に認めるべきである」と主張している。

私自身,本音では東京裁判を否定したい思いが強いが,安倍首相による戦後70年談話が出された今,著者が言うように戦争責任は明確に認めるべきだと考えるようになっている(思想的・政治的敗北かもしれないが)。どこかで区切りを付けることこそが,次なるステップになる。ちょっと悔しい?が,ここは著者の主張に同意したい。


非常に興味深い一冊であったが,気になる(相容れない)部分が2点アリ。

ひとつは,著者の「戦争を知らない」ことに対する,ある種の開き直り。
「戦争から遠くなってゆくのは,悪いことばかりではない。むしろ希望がある」
「戦争を知らずに,平和な場所で生きてきた。そのことをまず,気負わずに肯定してあげればよい」
「自分たちが歴史を「知らない」とわかっているからこそ,謙虚に歴史に向き合うことになる」
・・・といった論調には,はっきり言えば背筋がゾワッとしてくる。これって殆ど,反戦平和主義者の言葉を切り取ってきたものじゃないだろうか?

ふたつ目は,著者について。
シニカルさは彼の「センサー」が極めて鋭敏であることの証であるとはいえ,彼が採る手法はあまり持続可能性が高くないだろう。
彼は自分自身の思想信条の位置を明らかにしていないように感じるが,そういったノンポリ的「漂流生活」は,歳を取るほど続けることが難しくなるだろう。
「漂流生活」を止めたとたん,彼は途端に,周囲からの「皮肉の対象」となる心配がある。まあ,彼はそのようなことを全く気にしないのかもしれないし,社会学という分野自体がそういったある種の融通無碍さを許容する,大らかな領域なのかもしれないが。

0
2015年09月13日

Posted by ブクログ

2015年23冊目。
戦争博物館紀行という感覚で読んだのと、「歴史学者ではない。社会学者が書いたものだ」という認識で読んだので、おもしろかった。
これまでの戦争観とか平和観で読むと、不快だったり、憤りを感じたり、疑問に思ったりする内容かなあと思う。「そんな言い方しちゃだめでしょ!」とツッコミたくなるところが多々ある。
でも、こんな見方や考え方もあるんだよなあというところで、おもしろい本だと思う。
それぞれの国家がもつ戦争の捉え方が博物館に投影されている。なるほど。
展示するモノの取捨選択、最新の技術を活用した展示(体験)などなど、思想だけじゃなくて博物館学なんかも関わってくる。こんなアプローチ、おもしろい。
ただ、立場によって戦争観は異なるから、博物館は当たり障りのないものになるのかと。これもなるほど。
でも、デリケートなテーマなんだから、表現の仕方は気をつけないと。せっかく新しい視点を提示してるのに、叩かれて終わっちゃうこともある。
反面、当たり障りない表現ばかりしていては切り込めないしなあ。新しいことをするって、闘いだよなあ。

巻末の資料もおもしろい。
関東圏から、私も行ってみたい!
ちょっと、狙った感じの脚注には、閉口した。

0
2015年08月19日

Posted by ブクログ

第二次世界大戦がどうだったかではなく、どうやって日本や世界の国々は伝えていっているのかを博物館などの訪問を通して分析した本。
私は、戦争はダメですっていう教育はされて来たのはすごく良く覚えていて、多分、日本は悪いことをしましたっていう日本は加害者ですっていうことを教えられたような気がする。「あの酷い北朝鮮でも国連に入れてるのに、日本はなかなか入れなかったんだよー」って先生に言われた記憶がある。(今、考えると日本が戦後すぐに国連に加盟していない理由と今の北朝鮮が国連に加盟している理由が違うと思うけど。)
でも、国として第二次世界大戦において日本が加害者か被害者かという議論を始め、ひとつの事象においても人によって考え方が違うだろうと。じゃあ、統一することが可能かと言われれば、多分無理だろうと…
では、どうしていけばいいのか…
筆者は、知らないことで生まれる良さもあると思うって言っていて、現に、大学の授業で日韓の教科書比較をしたときに、私は戦争のことがわからないから、韓国の教科書を読んだときに、日本がめちゃくちゃ悪人に書かれていて、やりすぎじゃないかとか、酷すぎるんじゃないかと思ったけど、そういう見方もあるかなと同時に思った。そういう今の若者は第二次世界大戦に対してかなりフラットに見れるようになったと思う。教育されていないからこそ。

0
2015年08月12日

Posted by ブクログ

うーん、読めなかったなあ…もちろん初めから終わりまできちんと読んだのだけど、結局のところ古市さんはどういうスタンスに立っているんだろうかということが良くわからなかった。
各国各地の戦争博物館は、エンタメ性がなければ、そしてリニューアルをしなければ、来場者が見込めず、廃館となってしまい、その戦争の記憶を残せなくなってしまうという言い分はよくわかるのだが、やはり戦争にエンタメ性は求めてはいけないというように思うし、戦争は、テレビだったり映画だったり、もしくは本だったり体験した人から話を聞くなりそういうもののさまざまな視点から学ぶもので、『「誰も」教えてくれない』わけではないと思う。まあ、でも、コロナが始まって最初の緊急事態宣言が出てしまった頃、出る前に広島で原爆ドームや平和記念博物館を見たが、この本に書いてあるような視点から見たわけではなかったので、やっぱりこの本は買って、旅先に持って行って読んで、改めて観に行ってみたいなと考えさせる本だった。

0
2023年05月13日

Posted by ブクログ

著者がハワイのパールハーバーを訪れたことからこの本は始まる。
パールハーバーは、白を基調とした記念館があり、いたって爽やかで戦争の暗いイメージはあまり感じられない。それはアメリカが戦勝国で今も現在進行形で戦争をしているから。
対して日本の戦争関連の博物館では、戦争の悲惨さは目一杯伝わってきても、なぜこの戦争は起きてしまったのか、今後どうしていくべきか、などのメッセージは感じられない。
いずれも主語がない。右派と左派の妥協の産物のような中途半端な博物館しかない。
唯一、靖国神社にある遊就感はメッセージ性のある博物館だが、運営団体は宗教法人であり国ではない。
国としては、大東亜戦争に触れたくない、メッセージなんて残したくない、後世に伝えることは何もないということなんだろう。
義務教育で教えないことにも通じている。

「戦争ダメ絶対」と繰り返しながら戦争の加害者にも被害者にもなることができない日本。対してドイツは威風堂々と敗戦を宣言し、街を歩けば戦跡に当たる。国家として戦争の記憶を残そうという姿勢が伝わってくる。もう一つの敗戦国イタリアは、国家ではなく地方の歴史として戦争を語り継ぐ。特に第二次世界大戦の終結に至っては複雑な経緯があり、純粋な敗戦国とも言えないから、日本ドイツとは立ち位置が異なる。

時間はどんな凄惨な出来事でさえも冷却させる効果を持っている。
近代国家の出現によって戦争は悲惨さを増し、犠牲者も増えたと思いがちだがそんなことはない。国家が出現する前の狩猟時代には、現代では考えられないほど部族間の争いが絶えなかった。世界的に殺戮やジェノサイドが深刻化するのは独裁政権下ではなく、無政府状態になった時。
近代国家は、実は戦争による犠牲を抑止してきたと言える。

「誰も戦争を教えてくれなかった」という単行本の題名について、著者なりの答えが文庫本の題名「誰も戦争を教えられない」。誰も戦争を知りようがないし、教えようがなかったということ。
戦時下を生きていた人でも、年齢、属性、住んでいる地域によって戦争の姿は全く違ったものになる。
日本として共有している大きな記憶も、人によってその記憶はバラバラで、数えきれないほど無数の小さな記憶の上に成り立っている。

戦後70年、著者をはじめとする若年層は戦争なんて知らない。そこから始めていくしかない。
戦争を知らず平和な世界で生きてきた。そのことを気負わず肯定して生きていくこと。
背伸びして国防の意義を語ることも、安直な想像力で戦死者たちに同情することも、戦争を自分に都合よく解釈することも不要。

著者の戦争に対する独特な考え方が赤裸々に綴られていて読み応えがあった。

0
2023年01月16日

Posted by ブクログ

歴史や戦争のことに関しては、国や人によって様々な見方がありますが、著者は執筆時、学校で教わった知識程度(著者いわく)でした。
よって、中立で冷静な視点が貫かれており、どのような歴史観を持つ人にも楽しめる内容になっています。
海外も含む戦争関係の施設を巡り、エンタメの視点からも分析した各国、各世代の歴史観の違いについて分析しています。
こう書くと、お堅い本だと思われるかもしれませんが、語り口は軽妙で、時折、ジョークも交えた内容が読みやすいです。
特に日本では、戦争のこととなるとシリアスに語られがちですが、本書のように身近なものとして捉える視点は大事だと思います。
著者が言っているように、歴史は実際に体験した人であっても、立場によって見え方、感じ方は異なるので、「戦争は誰にも教えられない」というのは、まったくその通りです。

0
2020年09月26日

Posted by ブクログ

世界各国の戦争博物館を観光しながら社会学者の目線で、世界中の戦争教育のあり方を述べている。そして、エッセイ風なので読みやすい。

フツーの人が観光では行かない世界各国の戦争博物館を観に行き、その国と日本の文化比較しつつ、歴史教育としての敗戦教育のあり方を題名通り答えのない問題なのかを考えさせる。

また、アジアの反日国の市民が、その国の博物館を見学している風景の著述を読むと、ホッとしてしまう自分もありながら、反面、歴史教育の難しさをはっきりと理解させる。

著者のいう公共サービスの博物館にも、マーケティング観点が必要というメッセージには、本当にその通りだと思う。

著者は、私より若いのだが、次世代の論客の一人となることは、間違いない。
結構、軽い文章に騙されるが、引用資料も充実して、流石、学者と感心させる。

0
2016年01月26日

Posted by ブクログ

世界の戦争博物館を古市氏の視点で巡る。時にイライラさせる脚注がテレビ出演時の氏の姿を彷彿させる。多彩な内容は興味深い。

0
2024年11月21日

Posted by ブクログ

「戦争を知らない」というのは、恐らく「戦争を体験していない」という意味で使われている。この換言は極めて暴力的で、例えていうなら、橋下徹が、学者や批評家は政治家になってからものを言えと凄む発言に近い。実際には、我々は戦争を知っている。ウクライナ戦争もガザ侵攻も現在進行形だし、第二次世界大戦をスクリーンで見たり、小説で読む事だって可能だ。

ここで期待される、知っているという事の到達点は何なのか。つまり、それは言い換えれば、教えられたという状態、修了したという事の合否は、何をもって判断するのかという点にも通ずる。この定義がない限り、本書は極めて浅い、ただの戦争記念館体験ルポでしかない。まあ、ルポはルポで面白かったが、定義がない限り、「誰も教えられない」というタイトルには根拠がない。

戦争を経験しないと、戦争を知っているとは言えない。古市憲寿だけがこういう表現をしている訳ではないが、ならば、戦争など知らない方が良いのだし、知識として知るという状態、歴史から学ぶという行為を軽んじてはならない。知るために戦争を経験するのは本末転倒だ。我々は、それを〝避けるためにこそ、知る必要がある“のだ。

著者のいうように戦争記念館には、それぞれの国による表現手法があり、テーマパークみたいになっていたからと、それに絶望する必要もないし、戦争の娯楽化を感じ取って、批判する必要もない。悲惨さを伝えるだけでも良いし、その悲惨さが過剰だったり、逆に緩和し過ぎでエンタメ化されてしまったりはあるだろう。単純化して言うならば、戦争をしたくなるという事は戦争を教えられていないという事。武力による「戦争をしたくならないようにする事」が、戦争を学ぶ事の本質だという気がした。

0
2024年10月20日

Posted by ブクログ

広島、パールハーバー、南京、アウシュビッツ、香港、瀋陽、沖縄、シンガポール、朝鮮半島38度線、ローマ、関ヶ原、東京…。本書は社会学者、古市憲寿氏が現地を旅して考えたことを綴ったものであります。




新世代の社会学者、古市憲寿氏が本書で選んだテーマはズバリ『戦争』でありました。僕自身もまた、古市氏と同様、戦場に行ってドンパチをやったことも無ければ、戦時下で生活をしたことも無い、あるフォークソングの歌詞で言うところの『戦争を知らない子どもたち』の一人ではありますが、それでも、断片的に祖父や、母方のおじなどから戦地での話を聞いていたり、取材などで戦場に行っていた、なんていう経歴を持った方と会って直接話を聞いていたりしていたりはしているので、学校教育で習ったことなどを除いてまったく何も知らない、ということはおそらく無いであろうと、そんな認識でございます。

本書の内容を大まかにまとめてみますと、『古市氏と行く戦争記念博物館の旅』といったものでしょうか。『負の世界遺産』の代表格といえる『アウシュビッツ強制収容所』を初めとする国内外の戦争に関する博物館、記念館に古市氏が足を運んでは、そこであったであろう出来事や、来し方行く末について考察を重ね、また現地で古市氏が遭遇した様々な出来事についてもここでは書き留められております。僕が古市氏の書いた書籍のスタイルに慣れたのは本書からで、かつて読んでここでも紹介をさせていただいた『絶望の国の幸福な若者たち』や『僕たちの前途』の2冊は、正直なところ、相当読むのに苦労してしまいました。

本書を読んで古市氏が行っていたことは(考えることはおそらく別なことであろうが)僕がやりたかったことでもあり、(時間はかかるかもしれませんが)いつかやってやろうということに他ならないものでもあり、その辺のところは素直に『羨ましい』とさえ感じるほどでありました。最後のほうになると、日本人ならば誰もが一度は耳目にするであろう古戦場、関が原の地で出会った『ノーモア、セキガハラ』と『ユーモア、セキガハラ』の2つの看板と事象に吹き出しつつも、古市氏の言う
『僕たちは、戦争を知らない。そこから始めていくしかない』
という言葉は、先の戦争(太平洋戦争。もしくは大東亜戦争)から何世代も時が流れ、その間に自国が戦火にさらされることが無かった我々の「偽らざる現在」なんだろうなと、そんなことを考えておりました。

補章として収録されている古市氏と『週末ヒロイン』で有名なアイドルグループ、ももいろクローバーZとの対談を通して、僕自身もまた戦中、戦後に関する細かい知識が欠如していたことを認識して呆然となったり、巻末に収録されている『戦争博物館ミシュラン』を読みながら
「あぁ、こことこことここには一度足を運んでおこう」
と思う一方で、人間の持つもっともダークな部分が浮き彫りになる戦争というものが、それと同時に映画や小説を初めとする様々な芸術やエンターテイメントのテーマとして取り上げられる「キラーコンテンツ」になっているという「矛盾」に思いを馳せるのでありました。

本書は2015年7月25日、講談社より『誰も戦争を教えられない (講談社+アルファ文庫 G 256-1)』として改題、文庫化の上、再販されました。

0
2024年08月06日

Posted by ブクログ

各国の戦争博物館をまわって、戦争を知ろうとする切り口。
ネットが全盛の時代に箱モノで伝えられられるものは何か、各国の展示方法の傾向などもおもしろい。

確かに書いてあるように個々の体験を聞いたことが戦争を知ったことになるのか。
誰が戦争を教えられるのか。

切り口も語り口も面白い本。

0
2015年12月29日

Posted by ブクログ

終戦から70年の今、気鋭の社会学者である著者・古市憲寿が世界中の戦争博物館を歩き語る。巻末の戦争博物館レビューも面白い。

0
2015年11月10日

Posted by ブクログ

戦争=平和博物館、後世に何を伝えるか。勝利を描くアメリカ、残すことへの執念アウシュビッツ、愛国教育の中国、様々な小さな物語の日本。関ヶ原は過去の別時代の戦争、国家による大戦も現代から見ると起こり得ない別時代。小さな、民間の、機械や遠隔操作の戦争。

最初はなぜ博物館?と思いましたが、次第になるほどね、へ。今の戦争はもう昔の戦争じゃないんだ、大戦ももう昔なんだ、と気付かされました。

0
2015年11月27日

「学術・語学」ランキング