あらすじ
未知の世界へようこそ!
哲学なんて面白くないと思っているアナタのためのテツガク入門、改訂版!
哲学というものは、実生活において、まったく役に立ちません。
いや、それどころか邪魔になるとすら言ってもいいでしょう。
では、なぜ、哲学をするのでしょうか?
それは単純に、哲学が面白いからです。
では、なぜ、みんなは(あなたは)哲学をしないのでしょうか?
それは単純に、哲学の面白さを知らないからです。
私は、哲学の面白さを伝えたくてこの本を書きました。
(「あとがき」より)
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Posted by ブクログ
正しいとはなにか?
ボクをボクたらしめる、ココロとはなにか?
そんな哲学的な問いを、
科学や実験を例にあげながら考えてみる本。
絶対正しいという証明が、拠り所が、
欲しかった人々の戦いの科学哲学史や
どこでもドアの思考実験によって
哲学にも科学にも明るくない私でもわかりやすく、
本を参考に考えてみる、ということができたので
すごくおもしろかった。
今まで当たり前に信じていたものが、
本当は違うんじゃないかと突きつけられて、
立っている地面が揺らぐような感覚になる。
とにかく、もしどこでもドアが作られても、使いたくないなあと思います。
以下、ちょっと詳細な内容の覚書
【“論理的に正しい”とは何か】
→我々が信じている科学も、どうしようもない不確かさの上に構築されている。
・論理の正しさを証明することはできない
・正しいと信じられている理論にも絶対思い込みがある
・伝統的文化的ルールを根拠に述べられる“言語”ってやつを使っている時点で、100%正しいはありえない
・物質も性質(システム)に名前をつけただけなので、確固たるものではない
【量子力学という学問】
→量子力学とは、波の方程式を使って粒子がどこで見つかるかを確率的に調べる学問
→科学が「真理探求の学問」ではなく「道具主義的な学問」になってしまった最たる例
・光をはじめ全てのものは、波であり粒子であるという性質を持っている。
・「波であり粒子」という状態を人間は理解できなかったので、コペンハーゲン解釈とか多世界解釈とかパイロット解釈とか、普通ありえんみたいな考え方が科学の世界にたくさん生まれた。
・しかも結局受け入れられたコペンハーゲン解釈が選ばれた理由は、数式が簡単だったから
・ミクロの世界は観測できないから本当のことは分からない。なら便利なものを選ぶしかないじゃん。
【信じられる理論を見つけたかった苦闘の歴史】
→結局絶対正しいことは、人間が勝手に決めるしかない
・帰納主義(ウソっぱち理論もデータを集めて科学的正当性を主張するようになってしまった)
・論理実証主義(厳密にやったら科学が全部ウソっぱちってことになってしまった)
・反証主義(“科学とは今のところ反証されていない仮説である”という、一種の敗北宣言)
(前提が満たされていない可能性があるので、反証自体も確実にはできない)
【どこでもドアの問題】
→どこでもドアによって分子構造を再現されたボクは本当にボクなのか?
→ドアに入ってここのボクは破壊されるなら、死ぬってことになるんじゃないの?
・コンピュータに知能があるのか証明できない。人間の知性(?)も模倣かもしれないんだし。
・クローンの双子の赤ちゃんをつかってココロを証明する試みも、環境を完全に同じにできないので頓挫。
・自由意志ってものは存在しない。
・脳を分割したら意識はどっちに宿るのか問題。
Posted by ブクログ
・ゲーデルの不完全性定理
‐第1不完全性定理:ある事務準のない理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が必ず存在する
‐第2不完全性定理:ある理論体系に矛盾がないとしても、その理論体系は自分自身に矛盾がないことを、その理論体系の中で証明できない
・不確定性原理:運動量と位置を同時に正確に知ることは不可能
・観測至上主義的見方「測定してねぇんだから、一も運動量もへったくれもねぇんだよ!決まってねぇんだよ!」
・コペンハーゲン解釈:矛盾をそのまま受け入れる、予測の道具として使いやすいから使われている
‐電子は観測される前は波のような存在であるが、観測されると粒子になる。
‐観測される前の波とは、粒子がどこで観測されるかという確率の波である。
・多世界解釈:結局コペンハーゲン解釈と同じ数式を解く
‐人間も含めて、すべての物質(宇宙)も「あらゆる可能性が重なり合った波のような存在」
‐宇宙とは、波のように漂う「巨大な可能性の塊」で、宇宙における、あらゆる可能性は、今ここに重なり合って存在している
・パイロット解釈:数式が難しい、使われていない(コペンハーゲン解釈の方が使いやすく、同じ結果が出せる)
‐空間を歪めるような未知の波が、先行して進み、それが粒子の動きに影響を与えている。
・ウィーン学団「論理実証主義」
‐理論を論理的関係(∧、∨、⇒、など)で厳密に整理すると必ず「実験や観測によって実証されていない部分が見つかる」、すべてが疑似科学となる
‐論理実証主義の問題:「いくら観測データを集めても、
すべての場合については何も言えない」、科学理論は確実なものには絶対ならない
・ポパーの決断
‐すべての科学理論は「反証不可能」な疑似科学
‐疑いを乗り越えて、何らかの科学理論を構築するためには、どこかで疑いを止める地点を<決断>しなくてはならない
・クオリア:主観的体験が伴う質感、赤い花を見たときの「赤い」という質感
‐意識上に起きている『この質感』の起源(クオリアの起源)を原理的に解明することができない
Posted by ブクログ
・「我思う、ゆえに我あり。」誰でも聞いたことがある、デカルトの言葉。この言葉は深い意味をもつ。
この世で「もっとも確かなこと」はなんだろう? これをデカルトが考えた。例えば、目の前にある世界は本物か? 幻や夢かもしれない。今見ているものは実際に存在しないかもしれない。これが夢ではないと、どうやって証明できるのか。
こうして疑って、疑って、疑い続けて、ある日、考えがひらめく。「我々が認識するものは、全て嘘かもしれない。でも、それを疑い続けているものがいるということだけは真」であること。
つまり、「すべてが夢であっても、夢をみているものが存在すること」は決して疑えない。
この世のすべてが、信じられないものであろうとも、「それを疑っている何者かが存在すること」は絶対的な真実である。
これが、「我思う、ゆえに我あり」の本質的な意味である。
・論理的思考の正体は「飛躍」と「矛盾」
論理的とは、たとえば、「A=B、B=Cならば、A=C」は論理的思考の結果。
だが「A=B」、つまり「AはBである」というのはどういうことか?何をもってAとBは同じなのか。そもそも、世の中に完全に同じものなんてあるのか。同じだとしたら、A=Aでよいのでは。AをBに言い換えているだけ。
A=A=Aと言っていることになり意味をなさない。
「AはBである、だから、、」と宣言するときは、「AはBではない」ということが前提として成り立っている言葉。
結局のところ、「AとBは厳密には違うものだけど、この際、同じと決めつけてしまおう」ということであり、この飛躍した決めつけによって、初めて「意味」が生じている。
「AはBである、だから、、」というとき、そこには確実に飛躍と矛盾がある。