あらすじ
未知の世界へようこそ!
哲学なんて面白くないと思っているアナタのためのテツガク入門、改訂版!
哲学というものは、実生活において、まったく役に立ちません。
いや、それどころか邪魔になるとすら言ってもいいでしょう。
では、なぜ、哲学をするのでしょうか?
それは単純に、哲学が面白いからです。
では、なぜ、みんなは(あなたは)哲学をしないのでしょうか?
それは単純に、哲学の面白さを知らないからです。
私は、哲学の面白さを伝えたくてこの本を書きました。
(「あとがき」より)
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Posted by ブクログ
・ゲーデルの不完全性定理
‐第1不完全性定理:ある事務準のない理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が必ず存在する
‐第2不完全性定理:ある理論体系に矛盾がないとしても、その理論体系は自分自身に矛盾がないことを、その理論体系の中で証明できない
・不確定性原理:運動量と位置を同時に正確に知ることは不可能
・観測至上主義的見方「測定してねぇんだから、一も運動量もへったくれもねぇんだよ!決まってねぇんだよ!」
・コペンハーゲン解釈:矛盾をそのまま受け入れる、予測の道具として使いやすいから使われている
‐電子は観測される前は波のような存在であるが、観測されると粒子になる。
‐観測される前の波とは、粒子がどこで観測されるかという確率の波である。
・多世界解釈:結局コペンハーゲン解釈と同じ数式を解く
‐人間も含めて、すべての物質(宇宙)も「あらゆる可能性が重なり合った波のような存在」
‐宇宙とは、波のように漂う「巨大な可能性の塊」で、宇宙における、あらゆる可能性は、今ここに重なり合って存在している
・パイロット解釈:数式が難しい、使われていない(コペンハーゲン解釈の方が使いやすく、同じ結果が出せる)
‐空間を歪めるような未知の波が、先行して進み、それが粒子の動きに影響を与えている。
・ウィーン学団「論理実証主義」
‐理論を論理的関係(∧、∨、⇒、など)で厳密に整理すると必ず「実験や観測によって実証されていない部分が見つかる」、すべてが疑似科学となる
‐論理実証主義の問題:「いくら観測データを集めても、
すべての場合については何も言えない」、科学理論は確実なものには絶対ならない
・ポパーの決断
‐すべての科学理論は「反証不可能」な疑似科学
‐疑いを乗り越えて、何らかの科学理論を構築するためには、どこかで疑いを止める地点を<決断>しなくてはならない
・クオリア:主観的体験が伴う質感、赤い花を見たときの「赤い」という質感
‐意識上に起きている『この質感』の起源(クオリアの起源)を原理的に解明することができない
Posted by ブクログ
・「我思う、ゆえに我あり。」誰でも聞いたことがある、デカルトの言葉。この言葉は深い意味をもつ。
この世で「もっとも確かなこと」はなんだろう? これをデカルトが考えた。例えば、目の前にある世界は本物か? 幻や夢かもしれない。今見ているものは実際に存在しないかもしれない。これが夢ではないと、どうやって証明できるのか。
こうして疑って、疑って、疑い続けて、ある日、考えがひらめく。「我々が認識するものは、全て嘘かもしれない。でも、それを疑い続けているものがいるということだけは真」であること。
つまり、「すべてが夢であっても、夢をみているものが存在すること」は決して疑えない。
この世のすべてが、信じられないものであろうとも、「それを疑っている何者かが存在すること」は絶対的な真実である。
これが、「我思う、ゆえに我あり」の本質的な意味である。
・論理的思考の正体は「飛躍」と「矛盾」
論理的とは、たとえば、「A=B、B=Cならば、A=C」は論理的思考の結果。
だが「A=B」、つまり「AはBである」というのはどういうことか?何をもってAとBは同じなのか。そもそも、世の中に完全に同じものなんてあるのか。同じだとしたら、A=Aでよいのでは。AをBに言い換えているだけ。
A=A=Aと言っていることになり意味をなさない。
「AはBである、だから、、」と宣言するときは、「AはBではない」ということが前提として成り立っている言葉。
結局のところ、「AとBは厳密には違うものだけど、この際、同じと決めつけてしまおう」ということであり、この飛躍した決めつけによって、初めて「意味」が生じている。
「AはBである、だから、、」というとき、そこには確実に飛躍と矛盾がある。