あらすじ
悲恋、秘められた恋、ストーカー的熱情など、文学者たちの知られざる愛のかたちを追った珠玉のノンフィクション。
●小林多喜二――沈黙を貫いて亡くなった小林多喜二の恋人、田口タキ。多喜二に深く愛されながらも、自分は彼にふさわしくないと身を引き、それゆえ伝説的な存在になった。
●近松秋江――女性に対する尋常でない恋着を描いて明治・大正の文学史に特異な足跡を残した近松秋江。いまでいうストーカーのごとき執着と妄執は、「非常識」「破廉恥」と評された。
●三浦綾子――旭川の小学校教師であった三浦綾子は、敗戦による価値観の転倒に打ちのめされ退職、自死を図る。光を与えたのはクリスチャンである一人の青年だったが、彼は結核で逝き――。
●中島敦――母の愛、家庭のぬくもりを知らずに育った中島敦が選んだ女性は、ふくよかで母性的な人だった。だが彼女には親同士が決めた婚約者がいた。そこから中島の大奮闘が始まる。
●原民喜――最愛の妻を失ったときから、原民喜はその半身を死の側に置いていた。だが広島で被爆しその惨状を目の当たりにしたことで、彼は自らの死を延期したのだった。
●梶井基次郎――宇野千代をめぐって、その夫、尾崎士郎と決闘-そんな噂が流れるほど話題になった梶井基次郎の恋。では、千代はどう思っていたのか。二人の出会いから別れを丹念にたどると、恋多き女の心情が浮かび上がる。
他に取り上げたのは、鈴木しづ子、中城ふみ子、寺田寅彦、八木重吉、宮柊二、吉野せい。
解説・永田和宏
感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
目次より
小林多喜二 恋と闘争/近松秋江 「情痴」の人/三浦綾子 「氷点」と夫婦のきずな/中島敦 ぬくもりを求めて/原民喜 「死と愛と孤独」の自画像/鈴木しづ子 性と生のうたびと/梶井基次郎 夭折作家の恋/中城ふみ子 恋と死のうた/寺田寅彦 三人の妻/八木重吉 素朴なこころ/宮修二 戦場からの手紙/吉野せい 相克と和解
どの作家の愛と死と文学もそれぞれの時代や周囲の人々に、幾多の困難や喜びに彩られ魅力的で引き込まれましたが、特に心に残ったのは奇しくもともにクリスチャンだった三浦綾子、八木重吉の愛と死です。
二人とも既知の作家(詩人)であったこともあると思います。(初めて名前を知った作家も多かったです)
作者の梯久美子さんはあとがきにおいて
「すぐれた作家や多くの読者を得た作家の人生は、それぞれが生きた時代を映し出す。本書では作家たちがどのように死んだかにも紙幅を割いた。恋愛と結婚の顛末に加えて、死の様相にも作家の個性と時代性があらわれていることが、あらためてわかっていただけるのではないか」と述べられています。
三浦綾子は自著『道ありき』『この土の器をも』の中でも詳しく書いているのを読んだ記憶がありますが、キリスト教を通じて夫となった三浦光世と出会う前に前川正という幼なじみの青年からこのような遺書を届けられています。
「綾ちゃんは真の意味で私の最初の人であり、最後の人でした。綾ちゃん。綾ちゃんは私が死んでも、生きることを止めることも、消極的になることもないと確かに約束して下さいましたよ。(中略)決して私は綾ちゃんの最後の人であることを願わなかったこと。このことが今改めて述べたいことです。生きるということは苦しく、又、謎に満ちています。妙な約束に縛られて不自然な綾ちゃんになっては一番悲しいことです」前川と夫となった三浦光世は驚くほど似た面差しの青年だったそうです。
八木重吉の墓の左側に14歳と15歳で亡くなった子供たちの墓があり、その墓をはさんで「登美子」とだけ刻まれた墓があるそうです。姓がなく名前だけなのは重吉の死後に再婚したためで、再婚相手は歌人の吉野秀雄だそうです。吉野は登美子より先に亡くなったけれど生前、重吉の墓に参ってこんな歌を詠んでいるそうです。
「われのなき後ならめども妻死なば骨分けてここにも埋めやりたし」
吉野はこの歌を自分の遺言としたそうです。
八木と吉野は生前一度も会ったことがないそうですが、22歳の若さで夫を亡くした登美子は幼な子を抱え働きましたが、子供を亡くし、吉野45歳、登美子42歳で再婚。吉野の家にきたときは、重吉の詩集、遺稿、写真、聖書の入ったバスケットを携えていたそうです。そして吉野は、無名だった重吉の詩を世に知らしめることに力を尽くしたということです。
重吉と登美子は、家庭教師と生徒の間柄で重吉24歳登美子17歳での結婚でしたが、重吉は結核に罹り29歳で息を引き取ったそうです。