あらすじ
厳重に「保護」された滅菌室にしか存在しないカエル、軍に囲まれて暮らすキタシロサイ、絶滅させた人間によってDNAから「復元」されつつあるリョコウバト……。人が介入すればするほど、「自然」から遠ざかっていく、自然保護と種の再生テクノロジーの矛盾を、コロンビア大学が生んだ気鋭のジャーナリストが暴く。
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Posted by ブクログ
「絶滅を防ぐことは良いこと」と思っていた自分の考え方を広げてくれた一冊。
インパクトでいえば今年読んだ本の中では一番かもしれない。
まずタイトルにやられた。なんてキャッチーなタイトル。
本書に出てくるのは絶滅「できない」というよりは「させてもらえない」動物たちだなと思った。
仮に動物たちと意志を通わせることができたとして、人間が行っている取り組みに対して、何を感じているのかと思いを馳せた。
人類が地球環境に与えている影響の大きさを知ることができた。
しかし、それすらも地球にとっては些細なことなのかもしれないなとも思った。
そもそも人類が生態系に干渉すること自体がおこがましいのでは?とすら思った。
ハイパーオブジェクトという概念をもっと掘り下げて理解したい。
Posted by ブクログ
種の絶滅とはなんぞや、種の保護とはなんぞや、自然保護とはなんぞや。環境保護と貧困対策の優先順位はどうあるべきか。DNAさえ保管すれば良いのか、種の遺伝的多様性を維持するために、やっていいことと悪いことの線引きはどこにあるべきか。どこまでが保護すべき遺伝的グループだと言えるのか?etc.etc.
人類の支配を企む人や組織は、これらの問いへの答えを用意しなければならないのか、大変だなw
Posted by ブクログ
絶滅という局面に立つ生物たちを取り上げ、それに対する人間の行動を取り上げ、同時に保全というものや種、自然というものに対する思想を取り上げた本である。色んな事例や考え、行動に触れるたび、今まで自分があっさりと蚊帳の外で考えていた「生物や自然には価値があるから守らなければならない」という思想がいかに浅はかなものであったかを痛感させられ、深く考えるきっかけになる。この本をあまり良くないという口コミもあったが、個人的には非常に満足し、とても考えさせられ、勉強になった。ただ悲劇的なことばかり書いていると思ったら大間違いで、これは思想のための本であった。「絶滅するのは悪いこと」とそれこそ純粋に信じていて、「絶滅から生物は救わねばならない」と無心に思っている人に是非じっくりと読んで欲しい。そして考えて欲しい。
Posted by ブクログ
この本を読むまで、「絶滅」から動物・植物を救い出すことは、漠然と良いものと考えてきましたが、どうも単純な話ではないようです。
「動物を絶滅から防ぐことは本当に正しいこと?」
この本の著者も、そんな疑問から始まったそうです。
本に出てくる、カエルを守るための厳重な警備、種の保存のためのサンプルの冷凍保存、DNA組み換え技術…。
多くの実例は、さまざまなことを教えてくれます。
もちろん、絶滅危惧種を救い出すプロジェクトを今も懸命にされている方を、否定するつもりはありません。
むしろ、漠然と正しいと思い込み、ろくに知りもしなかった、その世界を覗こうともしなかったことを反省。
絶滅危惧種の動物を復活させることは、生態系を復活させることと同義ではないのです。
絶滅していく動物に対してどうしていけばよいのか。
事態は思っている以上に混み合っていて、これが正しいという結論は、いまだにはっきりとはわかっていません。
ただ、分からないからと、何も考えないのも、どこか違うと思いますので、現状を知る、という意味でこの本は読んでよかったな、と思えました。
Posted by ブクログ
生物の絶滅に対して、一概に否定はできないという立場から書かれた、非常に興味深い書物。たった一匹のカエルのために世界銀行からの融資による発電所の建設計画が中止になった政治がらみのエピソードや、リョコウバトの生息数の増減に入植者が関係していたという説などが取り上げられ、絶滅=悪という図式を積極的に突き崩していく著者の姿勢には好感が持てる。なお、著者はYouTubeのインタビューにて、GPSに関連した人間の行動や心理に関係する書物の出版を検討しているらしく、こちらも邦訳が待たれる。
Posted by ブクログ
人間が地球全体に及ぼす影響力が大きくなり過ぎた現在、「手つかずの自然」がなくなり、環境も変わり、日々絶滅する動物がいる中で、どういう状態で動物達を保存していくのか。
壊してしまって元の状態に戻せなくなったモノを、どういう状態にすれば人類にとって「良い」と思えるのかという話。
Posted by ブクログ
人間による種の保存という行為について、生態系の維持に必要なものなのか、人間の独善的な行為なのかという2つの見方ができると知った。絶滅危惧からの復活という目的で、絶滅の恐れのある種を動物園や研究施設で管理することは、人間から見れば未来に繋がる大切な工程のひとつであると思われるし、管理される側の動物は自由に活動できない状況になってしまう。
日本の事例では、兵庫県のコウノトリや佐渡島のトキが挙げられる。中国から個体を輸入し人工授精後に自然界に放流した結果、現在でも一定数が生息し、絶命危惧度が緩和された。確かに日本の原風景の再現には貢献できたかもしれないが、トキらが絶滅した後、その土地で新たに形成された生態系を脅かす存在にもなり得る。今後個体数が増加していき自然界に問題が顕然した場合には、人間の独善的な行為と指摘されてもおかしくない。
本書の終盤ではオブジェクト指向存在論に触れている。人間からの一方的な自然や種の解釈を行うだけではなく、双方向的な理解を模索する必要があると学んだ。地球に生命が誕生して30億年以上が経過したが、その間、ある種が繁栄・進化したら他のある種が衰退・絶滅に追いやられるという事例は汲めども尽きなかった。現代は人間が繁栄する種であり、その余波で他の種が衰退していると考えられる。以上を踏まえ、他の種にとっての人間の存在意義を考え続け、人間による種の保存行為の是非を検討する必要があると感じる。
面白かった
絶滅と進化と脱絶滅。
身も蓋もない言い方をすれば、
この世に絶対的な善悪は存在しない
ということになってしまい
身動きが取れなくなってしまう。
それでも一応の答えをだして
先に進むしかないのです。
Posted by ブクログ
保護して生かしておけば絶滅を免れているかというとそんなことはなくて、保護環境下で生活様式が変わって何世代か経つと自然環境下とは違う進化をしてしまう。保護する意味を考えさせられる。
Posted by ブクログ
保全、脱絶滅、種の復活。
保全と脱絶滅の違いなど、種に対する考え方も多様だということを知って驚いた。絶滅するものを止めることは純粋に「良いこと」「やるべきこと」なのではなく、いろいろな視点に立って考えるべき内容なのだとはじめて理解した。
オブジェクトに関する記述は、西洋的なアプローチから東洋的なアプローチに向かっているように感じた。
Posted by ブクログ
「絶滅できない」というタイトルに興味を覚えて読んでみた。
自分がこうした問題の存在について初めて考えたのは、鮭の人工孵化のニュースだったと思う。
遡上してくる鮭を捕まえて捌き卵を取り出し、人の手で受精させて卵を育て、稚魚を川に放流する。
卵を産みに帰ってきた鮭をわざわざ捕獲するのが幼心に疑問だった。
確かにある意味で尊厳死の問題にも似ている。
人が手を加えた時点でそれは『自然』では無いのではないか。
『自然』についての考え方は、多分日本人はまた少し異なるだろうと思う。
世界は人類の為に創造されたという感覚が無いし、
八百万の神という考えがあるだけに自然=神という感覚の方が強いだろう。
人が保護した動物は、その動物そのものなのだろうか。
動物園で飼育される虎は、確かに種としては虎なのかもしれないが
環境リッチメントが行われているだけで、本来であれば備わっている狩りの能力なども失われ
餌を待つだけの虎は本来の虎の姿とは異なるのではないか。
それでも虎を保護することが、『自然』を守ることに本当につながるのだろうか。
セレンゲティが設立されマサイ族は立ち退きになり立ち入り禁止になったが
サファリツアーの会社はこの地域を利用できることに違和感がある。
自然保護主義者は自然が人間にとって大いに価値があるときしか
自然保護を要求しない。
欧米の白人専門家は欧米諸国で何世代にもわたって行われてきたことを
発展途上国に禁止を求める場合が珍しくない。
この辺りも頷けるところだ。たとえば捕鯨は日本でも関わりのあることで、
獲って油を絞っただけで死骸はそのまま捨てていた米国が
肉も髭も骨もすべて余すことなく利用してきた日本人の捕鯨を批難する。
自分も動物愛護活動をしているので、
動物なんかより人をまず保護しろよと文句を言われるのは実体験としてある。
蛙を保護して繁殖させるため飼育下に移したことで
ストップしていたダム建設工事が実施され
結局生態系全体の調和を破壊することになったというのは
皮肉である。
繁殖の為に交雑させた種は本来の種ではなく
それは保護に該当するのか。
近親交配を巧みに避けることで、遺伝的多様性は低くともやってこれた種もいる。
絶滅とはなにをさすのか、人はどこまで手を出すことが義務なのか可能なのか。
倫理やクローンの問題にもつながっていく。
管理と干渉はどの程度まで許されるのか。
環境から切り離された遺伝子に意味はあるのか。
保護し人工で育てられて野生に戻された鳥は、
鳴き方を含めすべて一から覚え直す必要がある。
命が生きるのはただ遺伝子と命だけではなく環境も重要なファクターである。
進化とはなにか。絶滅を防ぐことが必ずしも正解なのか。
冷凍保存されている細胞から絶滅した種の復活をさせることは
自然保護になるのだろうか。
復活させられるなら絶滅させてもいいのか?
リョコウバトは人間のせいで絶滅してしまったのだから
人の手で復活させようとうのは正しいことのように思えるが
元は害鳥であったことも考えねばならない。
単純に復活させれば良いというものでもないし、
オビオバトの遺伝子を操作してリョコウバトにすることが
「リョコウバトの復活」になりうるのか。
2200万年の進化を果たしてDNAから読み取れるのか。
自然保護というと良いことと考えてしまいがちだが
何事もそれ一辺倒ではなく、
あるがままにしておくのが自然ならば、人のせいで絶滅したり絶滅できなかったりする種がいいるのは
不自然なのではないだろうか。
人がどこまで手を出してよいのか。本当に難しい問題だ。
容易に答えは出せないが、保護=良いことと思考停止するのではなく
それぞれが考えていかなければいけない。
現代の生き方が客観的に見て優れているという
自分たちの頑なな信念がわたしたちに偏見を抱かせる
という言葉も共感した。
20世紀はじめは自然は女性を受け入れない、極端な自然環境は女性にはきついと考えられており
1838年まで北極圏に女性が足を踏み入れたことがないというのは知らなかったので驚いた。
この自然問題は、実は男女の問題にも波及するように思った。
自然の消滅で私たちが実際に失うものは謙虚さ。
これも確かにそのとおりだと思った。
日本人は比較的、自然に対しては謙虚な民族だとは思うが
傲慢にならずにいたいものだ。
Posted by ブクログ
種を存続させることは正義と今まで疑いなく信じていましたが、この本を読んで少し考えが変わった。
保護し、人間の手で生かしていてもそれは本当にその種の存続と言えるのか。ぎくりとする問いを投げかけられた。
保護された動物達のその後。
とめどなく広がる人間のテリトリー。
正しいこと、がわからなくなった。
保護は人間の自己満足?
でもやらないよりやった方が良い。
でも根本的な解決にはならない。
いろんな思考がぐるぐる。
共存できる道はないのか。
もう遅いのか。
関連書も読みたくなります。
文章は論文的?な文章で読み進めるペースはかなり遅くなってしまった。
Posted by ブクログ
全ては『ヒト』という種のエゴであると。
地球からしたら、我々は癌細胞と同じで蝕み全てを破壊し尽くしていく。
絶滅した種を復活させるなど、神にでもなるつもりなのか。
Posted by ブクログ
今までは、種を絶滅から守る?いいんじゃない?程度にしか思っていなかった。
だが必ずしも全てが正しいというわけではないようだ。
人工的な環境下でしか生きられない動物は、自然に生きていると言えるのか。
人間の手によって育てられた動物は鳴き方すらも忘れてしまう。
DNAより復活させられた動物は、果たして絶滅前の動物と同じ種で括っても良いのか。
人間の都合で絶滅に追い込んでおいて、今度は復活だなんて勝手すぎる。とは思うが今までこういう話題にはあまり関心を持っていなかったので何も言えない。
Posted by ブクログ
身内のラインで流れてきたので、読んでみた!
第4章のクジラの話が面白かった。
遺伝的多様性がない状態で、存続している種があるなんて知らなかった。このまま絶滅してしまうのだろうか?
多産な1334号セミクジラは、何が違うのだろうか?詳細な遺伝子解析の情報が欲しかった。
第1章 帰る箱舟(アーク)の行方
「飼育下繁殖」された生き物は自然に帰れるのか?
第2章 保護区で「キメラ」を追いかけて
異種交配で遺伝子を「強化」された生きものは元と同じか?
第3章 たった30年で進化した「砂漠の魚」
「保護」したつもりで絶滅に追いやっているとしたら?
第4章 1334号という名のクジラの謎
「気候変動」はどこまで生きものに影響を与えているのか?
第5章 聖なるカラスを凍らせて
「冷凍標本」で遺伝子を保護することに意味はあるのか?
第6章 そのサイ、絶滅が先か、復活が先か
「iPS細胞」でクローンをつくれば絶滅は止められるのか?
第7章 リョコウバトの復活は近い?
「ゲノム編集」で絶滅した生きものを蘇らせることは可能か?
第8章 もう一度”人間の親戚”に会いたくて
「バイオテクノロジーの発展」がわたしたちに突きつける大きな問い
第1章 東アーク山脈は13か所の山の島があることから、アフリカのガラパゴス諸島と呼ばれる。東アークを有するタンザニアは、一日2ドル未満で暮らしている人口が73%にもなる国で、電力事情も悪かった。そこでタンザニアではキハンシ川の滝で水力発電プロジェクト――出資元は世界銀行――が立ち上げられた。環境アセスメントのため調査に赴いたキム・ハウェルはブルトーザーの音を後ろに聞きながら現地調査を行った。(通常、環境アセスメントがされた後でないと開発は始まらない。タンザニアではこの時環境アセスメントに関する法的要件がなかったとしている)環境アセスメント完了後、長期モニタリングのために再度滝をおとずれたハウェルらは、黄色いカエルをを見つけた。後に、キハンシヒキガエルと呼ばれることになる。2000年水力発電施設が完了してから、滝幅は98%縮小し、推定個体数は2万匹から、1万2千匹に減少した。このカエルは飼育下繁殖プロジェクトのため、海外への移送が提起されたが、国内の利害関係などの理由で却下された。紆余曲折あったが、政治的理由から、国外輸出への扉が開かれ、人口飼育下での保護が始まった。その後、キハシン川の個体群は絶滅した。人口飼育下では完全殺菌された部屋でほかの生物を隔離され飼育されることになった。完全に保護されたカエルたちは、2012年7月は滝に戻された。帰還後定着に対して多くの不確定要素を残して。
この章では、このカエルがどうなったのかは書かれていない。キハシン川の個体群が消滅した理由の一つで、カビにつての記述があった。興味ぶかかった。この章では、貧困と自然保護のジレンマが書かれていた。貧困を解決することと、自然を保護すること。同列にはできないことを示唆していた。
第2章 19世紀末にほぼいなくなったフロリダパンサーは、伝説的なハンター、ロイ・マクブライドによって1973年再発見された。この個体群には遺伝的に同一であり、近親創刊による弊害が表れていた(繁殖能力が落ちていることもその一つ。精子の94%が奇形だった)。保全学者は、絶滅に向かうこの種に対して、遺伝的多様性を持たせるため、ほかの地域のパンサーと交配させることにした。この案には反対者もいた(デイブ・メア 繁殖を成功させるために必要なものは、遺伝的強化ではなく、適切な生息地、現状よりもっと広い生息地とした)。が少数派だった。この交配でできた個体ははたして、本来の個体と同一のものなのか?また、遺伝的回復リスクは2つあった。一つは、外交弱勢:子孫の適応度がさらに低下する現象。もう一つは、ゲノム掃引:子供の適応度が、元の個体群の適応度を大幅に上回って、子供の遺伝子がゲノム全体をまたたく間に支配し、元の個体群を事実上遺伝的絶滅に追い込んでしまうこと。この二つのパンサーの交雑について、遺伝的割合の調査は行われていない。こうした交配による遺伝的救済は、今後の保護活動でも当たり前になる。それは、生息地が広くなることはなく、遺伝的交流できないからだ。交配で一時的に生息数が増えたとしても、遺伝的断絶と生息数増加による1個体あたりの生息域の減少で危機は今後も続くとみられる。
この章では、交配種が果たして、保全したい親と同じかどうか?が提議されていた。今回の交配では、かつて遺伝的交流があった亜種類どうしだったが、果たしてこの2種は違うものだったのか?この点も提議されていて面白かった。最後に伝説のハンター、ロイ・マクブライドのコメントが書かれていて、なやましいと思った。
Posted by ブクログ
Science of resurrection. for exsample, the Kihansi spray toad(frog) in onlyed Tanzania, Africa, the Florida panther across the puma, the White sands pupfish chage or revolution 30 years in only USA, the North atlantic right whale..., the Hawaiian crow...., the Northern white rhinoceros..., the Passenger pigeon..., the Homo neanderthalensis.......