あらすじ
アメリカで話題独占!「葬儀屋」ブログを書籍化した
異色のベストセラー、ついに日本上陸!
今を生きるすべての人に贈る再生の物語。
「死は生の正常な一部である」
「死を健全に理解すれば、そこには美が見出される」
・生後すぐの赤ん坊 ・がんと闘病していた少女 ・大好きだった祖父
・薬物中毒の男 ・アルコール依存症の男 ・ダウン症の中年女性
・排除されていたレズビアン ・余命二日で自ら電話をかけてきた男
...ありとあらゆる形の死に接した、葬儀屋の六代目。
苦しみながらも、大切な人を失った人々に寄り添い続けていくうちに、
彼は死に希望と美しさを見出す。
死は、弱さを受け入れる強さをくれる。
米タイム誌が「必読の書!」と太鼓判。
原書である
『Confessions of a Funeral Director:How the Business of Death Saved My Life』
はAmazon.comで4.6/5.0の高評価(6月6日時点で189人がレビュー)を得ている。
翻訳は『死ぬ瞬間』(エリザベス キューブラー・ロス)を訳した法政大学教授の鈴木晶氏。
タイム(ネット版)
「ある葬儀屋の告白」というブログは示唆に富み、幅広いテーマを扱い、時には不遜だ。筆者は死を扱うビジネスの深層に踏み込んでいる。読者は、死についてだけでなく、人生について学ぶことができる。
ワシントン・ポスト
著者は有名ブロガーとして知られる。彼は葬儀屋という地味で堅い職業を定義し直し、人生における究極の関心事についての会話を誘う。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
現代人は死に触れ、死者のことを思い、死者を哀悼することを忘れてしまったのだ。
沈黙を前にした時、私たちは生存本能や生物学的特性を意識的に否定しなくてはならない。そのとき、私たちの答えとか説明とか確実性とか、天国への導きだけでは、私たちの疑問や疑念や不安は解消できないことを悟る。死よりも沈黙を恐れているのかもしれない。
人間の内部には、恥や恐怖に一度も傷つけられていない秘密の場所があるように思う。その無垢な場所では、私たちはありのままの自分でいられ、自分は愛されているのだと信じることができる。そこでは完全で完璧なふりをする必要もなく、仮面をかぶる必要もなく、傷を隠す必要もない。しばしばその場所は、死によって明るみに出される。
エデンの園では、弱いことが当たり前であり、恥の感覚などは力を持たない。
Posted by ブクログ
死をビジネスとする葬儀屋が、死を見つめ続けたからこそ生み出される言葉とは、どんなものだろう?
今の社会は死を覆い隠していると著者は言う。昔は、自宅で迎える死は多かったが、今では病院で医師や、介護施設等で死を迎える。そして、建物の裏口から、そっと運ばれ、葬儀屋にゆだねられる。こんな社会だからこそ、時代だからこそ、この本に意義がある。
時間について、示唆に富んだエッセイに感動したし、死を身近に感じているからこそ死と向き合い、生きているからこそ得られる感情を語る本書は、現代に生きる人への道標と感じた。
Posted by ブクログ
葬儀屋さん、私たちより遙かに多くの「死」にであう。何を感じ、どんな言葉を語るのか、それを知りたくて読みました。
「人生で最も辛い体験の一つは、愛する者が別れも告げずに去っていくことである」(P125)と述べ、
「たとえそこに苦痛と涙が満ちていても、愛が支配するところに天国はある。時に天国は地上にあらわれるのである」(P127)と語る。
大切なのは日々の生活の中で、近しい人を大切にし、その時その時にかけたい言葉、かけるべき言葉があれば後回しにしないこと。日々のささやかな積み重ね。
難しいことではないはずなのに、実行できないのはどうしてだろう?・・・と自問ばかりしていてはダメなんです。まずは行動する。
Posted by ブクログ
死は土で天国は花。
死の土壌から美しいものがにじみ出し、天国が出現する、という考え方に共感。
エンバーミング含めた葬儀を家業とする著者のブログがきっかけに書かれた本書。
死を隠し、忌み嫌うことで、恐怖が増す。そして幸福から遠ざかる。
昨今の愚かな選択のために、いま、幸せに生きることを奪われている子どもたち。死なないために生きているのではなく、いま、ここで、生きる喜びを感じるために、いのちを燃やすために、生きるべき。死は不可避で、何よりも優先されることではない。
死について、生について、考えることが大切だと改めて思った。
中村哲さんは、地獄に天国を出現させた人だなあ、ということも、読みながら頭をよぎった。
Posted by ブクログ
人の生死について書いた本でした。
フィクションだろうと思って借りたのですが、ノンフィクションでした。
ちょっと辛い、苦しい部分もあって読むのに時間がかかりました。