あらすじ
誰か、私を留めて。どこかへ跳び去ろうとする私を――世にも奇妙な「量子病」を発症して以来、自らの意志と関係なく世界中をワープし続ける稀。一瞬後の居場所さえ予測できず、目の前の人と再び会える保証もない。日々の出会いは儚く、未来はゆらぐ。人生を積み重ねられない彼女が、世界に爪痕を残すためにとった行動とは?
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Posted by ブクログ
“出会いと別れ”
少し前のイチオシ本。
ネット社会の今だからこそ読んでほしい。
少し複雑な文章構成からなる
少し不思議な「量子病」を持つ稀の物語。
世界中を飛びまわる彼女が、出会いと別れを繰り返す。
ある時、自分の存在をネットに移住させる提案を受けるも悩んでしまう。
旅をしながら彼女が出した答えに、ネット社会を生きる私たちもなにか感じるものがあるはず。
私は、人とのリアルな付き合いに恋しさを感じた。
『別れあってこそ、出会いがあるのだ。』
『出会え。別れたって、また、出会え。』
出会いと別れの、どうしようもない大切さを感じた。
もっともっと時間を作りたい。。
Posted by ブクログ
量子病、といういきなりどこかにワープしちゃう病気にかかった女の子を主軸に書かれてる。
SFファンタジーなんだけど、どこか現実の現代の未来がこうなってもおかしくないなって思えるくらいには、いい意味で想像に易いファンタジーで入り込みやすかった。
あと、細かく章が分けられてて、それが唐突なワープ感を上手いこと描写しててすげ〜って思った。
SNSとか、カップルアプリとか、出会いを求める人間に比例してツールも増えて、その繋がりが切れないツールや仕組みも同時にたくさんあって、それって離れ難いから作られたものだ。
おじいさんは「別れなど、なぜ、なくてはいけない。」って言った。
同じ事を思った人が仕組みを作った。
おかげで、別れて二度と会えなくなる事とかに対して重みが無くなっていってるかもなあって考えた。
出会いも別れも同じくらい尊いはずなのに。
Posted by ブクログ
量子病??? そもそも"量子"って何? よくわからないままに読み進めても、面白かった。稀が出会う人たちとの会話が、語られる言葉が一つ一つ心に残る。
ポッ ポッ ポッ ポッ ポッ
思い出したのは ………
百億の昼と千億の夜
スター・レッド
銀の三角
Posted by ブクログ
本作は、『天盆』に続く王城夕紀さんの第2作だという。読み始めてすぐ感じた。『天盆』とはタイプが大きく異なる作品だ。『天盆』が明快かつ連続的な物語ならば、本作は哲学的かつ断片的な物語だ。それには理由がある。
主人公の坂知稀(まれ)は、「量子病」という奇妙な病に冒されていた。自らの意思と関係なく、世界中をワープし続ける。いつ跳ぶか、どこに跳ぶか、予測する術はない。稀のワープに伴い、物語も跳ぶから、断片的になるわけである。各節は短く、それほど長い作品ではないのに、実に148節から構成されている。
跳ぶ先々での出会いが、一期一会のときもあり、何度も会うときもある。なぜか戦乱やテロの真っ只中に跳ぶことが多い。こんな過酷さに、自分なら耐えられまい。しかし、悲しむ間もなく、哲学的問いかけに答える間もなく、場面は次々とザッピングされていく。一気に読まないと、ついて行けなくなるだろう。
時代が近未来であることは察せられるが、現代社会が似たような状況にあることに注目したい。ネットに溢れる虚偽や悪意が、現実に影響を与え、動かしていく。二度のワールドダウンと、人々の喧騒、暴動。これが資本主義の成れの果てか。断片的な物語における巨大な奔流を、絵空事と笑い流すことができるか。
誰よりも世界中を旅した稀に突きつけられた、最後の問いとは。聡明な稀だけに、その提案は魅力的にも映る。人類に究極の選択を迫るという点では、早世した天才・伊藤計劃の作品群に通じるものを感じる。たとえ作り話でも、これが人類にとっての福音だと思いたくはないが、魅力に抗えない人もいるかもしれない。
意思に反して跳び続けた人生から導いた、稀の答えとは。ここに至り、断片的だった物語が、一本の線で繋がれた。『天盆』のようにわかりやすくはないが、『天盆』と同じく、血が通った物語だった。
Posted by ブクログ
面白かったです。出会いと別れ、共に尊いというのを普段は忘れて、別れの悲しみだけを重く捉えてしまうけど、別れが無いと出会いも無いので同じくらい大事なことなんだよな。
祝祭資本主義と祝祭テロによる分断と格差で破滅へ向かう世界で、人々はネットの世界に移住してしまうけれど(たぶん文字通りネットに存在する)、コロナ禍でオンラインのみで交流することも増えた昨今ではこのうすら寒さがより身に沁みます。出来るだけ傷付きたくはないけど、わたしも生身で交流したい。ネットの関係はぷつんと断ち切るのが簡単だから、自分に優しい人ばかり周りに置いておく事も出来るけどそれで良いのか?って思います。
マレは量子病で祝祭を移動しまくる事しか出来ず、出会った人との人間関係を積み重ねられない。でも出会った記憶と影響は相手に残り、マレには積み重なっていく。それが最後の決断に繋がったのだと思います。
強く光る、大きな祈りのような作品でした。生きる人への祝福だ。
Posted by ブクログ
坂知稀が罹ったのは己の意思とは関係なく存在感が分解され、全く別の場所へ転移する「量子病」。この病は何なのか。
格差は広がり、貧困にあえぐ者とは対照的な、支配する者により変えられていく世界。
肉体を捨て、自ら量子の世界を選ぶこともできるようになる。
自分と他人、個と同化。ヒトが存在するというのはどういうことか。
今の世界にリンクする事柄もあり、こういう未来があるのかも、という世界観と詩的な言葉に引き込まれる。
いつか彼女に惹かれて集まった人々が、彼女を留める楔となる日が来るのかもしれない。
世界を漂う彼女が残したものとは。必ずあるもの。そして人生そのものだ。
Posted by ブクログ
年末のどさくさで行方不明になっていたものをやっとの事で見つけ出して読み終わりました。
新年1冊目。
量子病という病にかかり1つ所に留まれないマレが、壊れゆく世界の中で色々な人に出会い自分の存在の意味を知る。
1冊が壮大な叙事詩のようになっていてとにかく美しい言葉が胸を打つ。
ラスト近くは割としっかりとしたストーリーがあり、むしろそこが少し凡庸に感じたけれど、ラストは元の雰囲気に戻りすごく良かった。
世界観は少し去年読んだ 『アメリカンブッダ』に似ているかなと思った。
SFは得意じゃないからこそ敢えて読んでいるのですが、こういう美を孕んだストーリーは好みです。
細かく断片的な話の積み重ねなのですが、ほんの少ししか登場しない人物も全てマレと出会いモノクロに色がさされ、生き生きと動き出す。
誰もみんな愛しく印象的でした。
こんな映画があったら素敵だなと思うけれど、邦画じゃ無理だろう。どちらかと言えばフランス映画の趣。
Posted by ブクログ
内容が複雑なので読むのが難しい。
立場の異なる人間が入り組んでいて物語の主軸がどこにあるのかわからないまま話が進んでいく。
かつ場面転換が多く、さらにその度に新たな人物が登場し、加えてSF的な用語や造語も登場してくる。
しかしこれは物語上仕方ないというか、目的を持ってそう書かれている節があり、そのわかりづらさが効果的に物語の理解へとつながっている逆説的な面を持っている。
とは言え難しいのは確かなので、私なりの理解で物語を整理してみたい。
主人公は坂知稀という女性。
ある日突然「量子病」を発症し、自分の意思とは関係なしに瞬間移動するようになってしまった。
時はワールドダウン(世界的経済破綻)を引き起こした近未来で、それに端を欲するテロやデモが頻発していた。
ある瞬間移動でフランスに跳んだ彼女は、テロへの報復攻撃に対する抗議デモを目にし、それを追うジャーナリストのジャンと出会う。
ジャンは恐慌からテロ、デモへの一連の動きの影にいる存在を感じ取り調査を進め、稀とも交流を重ねていく。
しかし、稀はまた世界のどこかへと跳躍してしまう。
その後の物語は「ワールドダウンに関する世界的な動き」と「その裏で暗躍する人物」と「それを調べるジャン」という関連し合う軸と、「それらの軸を気にしつつも量子病のせいで傍観者でしかいられない稀が世界中をワープし続けるスポット的短編」が場面転換を繰り返しながら進んでいく。
この構成では物語にのめり込むのは難しく、稀の視点で傍観者として話を追うことになるはずだ。
場面転換の際には稀が瞬間移動するたびに感じるストレスも追体験することになる。
これが作者のひとつの狙いではないかと思っている。
終盤ではそれらの複雑な動きもひとつに収束していき、その段階で稀はある選択を迫られる。
彼女の決定は量子病に侵されて失った、あるいは得た経験があったからこそのもので、普通は悲しいとされる出来事にも意味はあるのだと思い知らされた。
惜しむらくは、彼女の内面というか、これだけ過酷な運命にあっても芯を保っていられる彼女のバックボーンを知ることができなかったところか。
Posted by ブクログ
坂知稀は、量子病という、世界中どこにでも跳んでしまう病を抱えていた。
跳ぶ瞬間は突然に訪れ、そのとき身につけている青いものだけ一緒についてくる。
人との別れも幾度となくあった。
最初は病気に振り回され、自分の意志など関係ないと思っていたが、次第に、跳ぶ先は人間の意志で決まってくるのだと知る。
生きることをある意味放棄していた主人公が、自分の人生へ光を見出していく。
どんな人生でも、意味を見つけて、どう生きるかは自分次第なのだ。
別れがあれば出会いもあり、数えきれない人との出会いが自分を作っていることに気づく。
Posted by ブクログ
『青の数学』に続き、王城作品三作目。すべての本読みの心の内を的確に表した作品。私たちは物語(小説)を求め続ける限り、何処へでも行ける——そう確信する作品でした(^^ 星四つ半。
Posted by ブクログ
私たちは量子という波であり
他の波に留められなければ
粒子として存在できない。
出会いのすべてが偶然だが
それは必然でもある。
誰かが必要とするから
出会いたいと強く願うから
その波に反応して
私という波は粒子として顕在化する。
この一冊の本を通じて とてつもなく
大きなことを教えられたような気がする。
爽快なエンディングに心からの喝采を。
私は強く望む。マレ・サカチに出会うことを。
そうすればいつか 彼女は私の前に現れるのだから。
出会うことの本当の意味。教えてくれてありがとう。
Posted by ブクログ
量子力学をテーマにしたSF仕立てですが、生きるっていうことを追求していくような話になってる。全世界的にテロと経済崩壊が連鎖していく未来像が、なんだかとてもリアルに感じる。いつどこに跳ぶかわからない主人公のごとく、物語もあちこちに跳ぶ。そして徐々に結末に向かって収束していく。なかなかスリリングで目が離せない小説でした。
Posted by ブクログ
久しぶりのジャケ買い、まさかのSFだった
のだかちょうどYouTubeで二重スリット実験の紹介動画見てた時期だったからおぉとなった
近未来、「量子病」なる病気を発症した主人公が世界各地に「跳んで」しまう。法則性とかもないから本当に世界の様々な人と出会って別れて、な話。
いかんせんそんな具合だから本当にシチュエーションが細切れで。なかなか入り込めなかった。
最後の1/5は面白かった。
天文台のところとか農場のところとか、あそこだけピックアップで連作とかでも面白いと思うんだけどな
Posted by ブクログ
難解。
量子病?想像できないし、物理的なこともさっぱり。
それに加えて、祝祭資本主義?テロ、デモ…
そして、すぐにどこかに跳んでしまうから、頭がついていかない。
でも、跳ぶたびに章が変わり、切り替わるからやめられず、何ヶ国語も自分で学び、何処でも自分をしっかり持つマレの魅力に取り憑かれ、青の鮮やかさが頭に焼きつき、ページを捲る手が止まらなかった。
生きること、出会うこと、別れること…人間味が感じられる一冊だった。
Posted by ブクログ
量子病という不思議な病気のため自分の意志とは関係なく、世界中をワープし続ける坂知稀(さかち・まれ)。跳躍するタイミングも行き先も滞在時間も予測できない中、突然現れた彼女を受け入れてくれた人たちに助けられて生きる。毎日や関係を積み重ねることができない彼女が、コントロール不可能なように思える自分の人生に対して選んだ方法とは?引き込まれるSFファンタジー。
Posted by ブクログ
ファンタジーか、SFか。タイトル「坂知 稀」は人の名前。「贈り物」とやらはあまりピンとこない。構成はポエミー。映像的に出会う人々との短文が印象的。
Posted by ブクログ
SF。ファンタジー。近未来。
SFマガジン2015年6月号の新刊紹介から。
"量子病"により、世界中をワープし続ける主人公。
SFとしては、ワープの原理がどうこうではなく、近未来の社会や人間の生活の移り変わりを描いた、ディストピア小説風。
ワープすることにより多くの人々との出会いを経験する、主人公の冒険小説としても読める。
大きなインパクトはなかったが、ユーモアのある会話や、気の利いた社会風刺、爽快な読後感など、随所に魅力を感じた。
Posted by ブクログ
量子病という創造の産物を媒介に世界各地の貧困、不条理、不公平を体験していく主人公。その中で、人の優しさ、哀しみも同時に感じていく。ネットでは決して味わえない出会いと別れ。
現実はどこに向かうのか。