【感想・ネタバレ】八甲田山 消された真実のレビュー

あらすじ

「天は我を見放したか」という映画の著名なフレーズとは大違い、新発見の事実を丹念に積み重ね、青森第5連隊の悲惨な雪行行軍実態の真相に初めて迫った渾身の書、336頁にもわたる圧巻の読み応え。

1902(明治35)年1月、雪中訓練のため、青森の屯営を出発した歩兵第5連隊は、八甲田山中で遭難、将兵199名を失うという、歴史上未曾有の山岳遭難事故を引き起こした。
当時の日本陸軍は、この遭難を、大臣報告、顛末書などで猛烈な寒波と猛吹雪による不慮の事故として葬り去ろうとした。1964年、最後の生き証人だった小原元伍長が62年間の沈黙を破り、当時の様子を語ったが、その内容は5連隊の事故報告書を疑わせるものだった。地元記者が「吹雪の惨劇」として発表、真実の一端が明らかにされたものの、この遭難を題材にした新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』(1971年、新潮社)と、映画『八甲田山』(1977年、東宝、シナノ企画)がともに大ヒット、フィクションでありながら、それが史実として定着した感さえある。

著者は、その小原元伍長の録音を入手、新田次郎の小説とのあまりの乖離に驚き、調査を始めた。
神成大尉の準備不足と指導力の欠如、山口少佐の独断専行と拳銃自殺の真相、福島大尉のたかりの構造、そして遭難事故を矮小化しようとした津川中佐の報告など疑問点はふくらむばかりだった。
そこで生存者の証言、当時の新聞、関連書籍や大量の資料をもとに、現場検証をも行なって事実の解明に努めた。
埋もれていた小原元伍長証言から事実の掘り起こし、さらに、実際の八甲田山の行軍演習、軍隊の編成方法、装備の問題点など、軍隊内部の慣例や習性にも通じているの元自衛官(青森県出身)としての体験を生かしながら執筆に厚みを加えた。

新発見の事実を一つ一つ積み上げながら、「八甲田山雪中行軍」とは何だったのかその真相に迫った渾身の書、336頁にもわたる圧巻の読み応え。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

事故報告の隠蔽や捏造は現在でもよくあること…。
また第五聯隊が遭難中に関わらず、転出将校の送別会を優先というのも、問題が起きてもゴルフや会食を継続する現政府に通じるものがあります。助かった第五聯隊の殆どが下士官であり、一般兵卒でなかったところもまた、今も昔も犠牲になるのは下の者なのだな、という印象です。
計画は師団長からの命令ではなく、福島大尉の考えであったこと、それに対抗した津川聯隊長が第五聯隊第二大隊に命じたこと、というのが「八甲田山死の彷徨」と大きく解釈の異なる点と思います。小説では第三十一聯隊の徳島大尉(福島大尉)が人格者であり、計画に際しても少数精鋭を選び抜いた印象でしたが、実際には見習士官と下士官による教育隊であり、単に人数がそれだけしかいなかった、と。
「八甲田山死の彷徨」は小説としてとてもよく出来ているので、ついそちらを真実のように思い込んでしまいがちですが、こういった当時の新聞や、資料を元にしたノンフィクションを一緒に読むのも面白いなと思いました。まあ作者は元自衛官で青森第五普通科連隊勤務だったとのことなので、こちらはこちらで第三十一聯隊を非難しすぎな向きもありますが…。

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2018年06月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

事件後に陸軍大臣等に出された報告書を検証しつつ、事件の全体像を描いている。
基本的に事前の準備がほとんどできていない。現地踏査もしていない。
露営も非常に安易に考えられている。
事件報告も、聯隊長等が非難されないよう都合良く事実をねつ造している。
ただ、遭難して寒さのため責任行動がとれず、十分に思考されたとは思えない行動を辛辣に非難しているのは酷ではないか。
全体的に聯隊長を初めとした幹部に対しての批判は、やや感情的に過ぎる気もしないでもない。
生存してほぼ無傷の倉石大尉らについて、何故なのかと思っていたが、それは服装に注意が払われていたから。それは装備が自弁の将校だからなせること。さらに日清戦争で極寒の地で戦った経験が影響していたのだろう。
山口少佐は自殺でなく心臓発作なのね。
津川聯隊長への処分は非常に軽すぎるね。

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2021年02月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

こういう解釈もあるというところが、妥当かと。
映画「八甲田山」やその原作小説が史実のように思われるのに憤慨するのはわかりますが、キレてどうすると。
5連隊長の捜索の遅れですが、二次遭難を考えたのかもしれません。ただ、200人遭難して、1人の救助に13人と仮定すると、連隊規模を越えるので、さっさと師団案件にするべきではありました。
凍傷対策における情報の共有がなされていないのは、組織としてどうなのかと。
証言、当時の新聞、公式資料を基にしていますが、それらの信頼性は低いと思います。
助かった人の証言も、低体温症で空腹の状態で日時、場所、誰が何を言ったなんかを憶えていられるものでしょうか。
文中に"大本営発表"とあったのですが、事件当時に大本営は無かったので、慣用表現として使ったと思われますが、紛らわしいです。
地図無しで行軍したとのことですが、露営場所をプロットした地図の出典はどこなのでしょう。
専門用語に説明が不足しています。
5連隊とか31連隊の連隊番号は通番なので、陸軍では一意に決まります。つまり、第1師団とか他の師団には5連隊という連隊は無いのです。
小銃の残置にこだわるのは、30年式は知りませんが、38年式だと菊の紋が刻印されていて、要は天皇から預かった体の扱いなのかと。それだけ重要なものなのです。
衛戍病院と陸軍病院(旧衛戍病院)を混在させるのは紛らわしいし、衛戍病院なんて普通は知らないかと。

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2018年03月25日

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