あらすじ
ケータリング業者の水島健一は何事にも無気力な四十四歳。病死に見せかけ楽に死ねる「薬」の都市伝説に翻弄される人々を横目に、手抜き調理で依頼をこなす日々だ。しかし、ある生意気な少年・英樹との出会いが健一の料理を変えていく。それと同時に「薬」の噂とも向き合うようになるが……。真摯に生きることを拒んできた大人と、生死をまっすぐに見つめる少年の交流が胸をうつ感動長篇。
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Posted by ブクログ
最初は健一のぐうたらな感じがむかむかしてたけど
英樹と会ってから変わっていくのがすごく心に
沁みた
自分も病気になって終活について考えることが
最近あるからなんだか気持ちが入ってしまった
司がいい人生送ってくれるといいな
Posted by ブクログ
題名からもっと軽い話と思ってました。
持病のある僕と知り合って、おじさんが真摯に料理に向かうようになってから、読んでよかったと感じました。
死について考えることは、同時に生についても考えることになりますね。
今の自分のあり方を考える、よいきっかけとなりました。
Posted by ブクログ
出だしのニコニコ顔から歪んだおじさんが心の中で反パクしていく物語かと思ったら全然違うって、人間らしい常識ある涙脆いおじさんじゃないですか。ケータリングの仕事に誇りを持たずいい加減で生きてく為に仕事しているだけの司の養育費の為だけの、と思いきや全部ひっくり返る。毎年行ってる妹と友人の思い出の山に1人でも行くとか未だに自分を責めるとか死からガラッと生き方変わる、それを忘れない潔さ。途中でぼくが秀樹でおじさんが健一と理解した、なんて味のある物語だと、出汁の話でちゃんと技術あるんだよ、料理人だよと感動する
Posted by ブクログ
表紙の目玉焼きが美味しそうという理由で
何の気なしに手に取った本だけど、
ぐっと心掴まれる作品でした。
何よりおじさんのキャラクターがとても良い!
初めての作家さんですが、
他の作品も読んでみたくなりました。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ泣きました。
タイトルから僕とおじさんの日々の朝ごはんの話なのかと思っていたら、全然違いました。
朝ごはんが出てくるのはたったの一度。
自分にとって当たり前の何の変哲もない朝ごはんが、誰かにとってはとても特別な事なのだと考えさせられました。
主人公はやる気のない料理人のおじさん。
このおじさんが少年と出会い変わっていく物語。
おじさんの変わっていく姿が読んでいてうれしかったです。
変わった後のおじさんが作る料理がとても美味しそうで食べたくなりました。
良い1冊に出会えました。
Posted by ブクログ
親友と妹を亡くした時から一生懸命に生きることをやめた健一が、病気に苦しむ英樹に出会って変わっていく。健一との出会いから、周囲の人も少しずつ変わっていくのがよかった。表紙の絵は健一がつくった英樹の最後の晩餐だったんだなぁ。タイトルの意味もそこで分かる。大きな事件は起きないけれど、じんわりと温かい気持ちになる好きな作品でした。
Posted by ブクログ
ケータリング業者の健一と難病でずっと病院暮らしの少年英樹の物語。
全てが面倒臭いと手を抜いていた健一の料理が英樹の喜ぶ顔を見ることで変わっていく。自分の人生を延命に費やすのはもうイヤだ、と手術を受けないと決めた英樹の望みで最後の晩餐を作る健一の焼いたトーストがものすごく美味しそう。
Posted by ブクログ
良かった。健一という人がどんどん変わっていく様子が良い。
出会う人たちによって人間らしさというか・・・本来の優しさが戻ってくるというか
この僕がキーなんだけど、やっぱり切ないな
Posted by ブクログ
タイトルからして朝ご飯屋さんを舞台にお客さんとのハートフルな短編集とか想像したのだが、全然違っていて、ケータリング業を営むダラーとした中年男が、腰のリハビリで通う病院で出会った少年との交流を描く作品で、ちょっとしっとりもした良作。登場人物がたくさんいるので、集中して読まないと人間関係が掴みづらかった。
Posted by ブクログ
久しぶりの号泣。当事者だから変われること、当事者だからの影響力。なんでそんなに忙しくしてるの?と聞かれることがあるのは早くに父を亡くした故という自覚はある。そういうこと。
Posted by ブクログ
読後、じわじわと感動が押し寄せます。会場でパーティをセティングするケータリングという仕事をしている水島健一44歳の物語。前半はパーティ料理と苦しまずに死ねる薬の2つのテーマを軸に話が展開。内容は分散気味だし、タイトルとどう関係するのか全く分からない状態。後半、健一が車椅子の13歳の少年、水谷英樹との出会いから本筋に。11回目の手術はもう受けないと尊厳死を決心した少年の願いは、健一に「元気なうちに最期の晩餐を作ってほしい」と。楽に死ねる薬はいらない。自殺したいわけではなく、無駄な治療で延命したくないだけ。
Posted by ブクログ
前半と後半で物語の印象が変わった。前半の水島のイラッと来るくらいの無気力さ、後半英樹と出会った後の水島の変わり方、そして「朝ごはん」を食べた後の英樹の言葉がなんでか心にグッと来た。
全部読み終えた後ですごくいい作品だなと思えました。
Posted by ブクログ
人生に疲れた人が、おいしいご飯を食って、少し元気を回復して、再び世間の荒波に立ち向かっていく、「時には美味しいものを大切な人と食べていいんだぞ」的、昨今はやっている系小説かと思っていたのだが。
確かに人生に疲れて投げやりなおっさんが出てくるが、そのおっさんが食事を作る側の主人公という変化球を投じてきた。なかなかやるやん…と思っていたら、そのおっさんが「僕」と出会うことで、元気を回復していくという、もうひとつのひねり。
読み終わってみれば、結論は似たようなところに落ち着くのだが、ひねったことで、食感…もとい読感はかなり変わっていて、ありきたりのグルメ小説とは感動度合いが一味違う。
前半の視点がうつりかわりすぎるモブ描写と後半が乖離しているのがちょっと残念なのと、俺には投げやり時代のおっさんの方が魅力的にうつってしまったのも(これは大いに俺の責なのだが)残念なところであるが、良作。読んで気持ちがシャンとする作品だった。
Posted by ブクログ
詳しいことを書くとネタばれになってしまうから書かないけど、縁って生きるってこういうことよねと思った。
昔話みたいに「幸せにくらしました。」おしまいみたいに人生はやさしくないけど、でも、生きていく意味や力をもらえる出会いというものがある。
主人公はだらだらしててやる気なくて、好かんなーと思って読んでいたけど。
Posted by ブクログ
出来合いのものをそれらしく加工し、なるべく手抜きをして、盛り付けだけきれいにすればOK。
なんとも誠意のないケータリング業者の水島健一・44歳。
バツイチ、息子は元妻と暮らす。
なんていい加減な料理人!だから食中毒も出すし、やる気がないにもほどがある!
しかし、料理はまず、自分が「食べたい」と思わなければ作る気が起きないのだろう。
食欲ではなく、「食べたい気持ち」というのは生きる気力のことだ。
そして、誰かに食べてもらいたいという気持ち。
おいしく食べてもらいたい、喜んでもらいたいという願い。
料理をするエネルギーはそこから来る。
いい加減な料理をしていた健一は、大切な者たちを失って、生きることの意味や希望を見失っていたのだろう。
タイトル、「僕とおじさん…」の、"ぼく"の登場はずいぶん遅かった、そして、あっという間に彗星のように去ってしまった。
「任務を終えたような気分だよ」は健気過ぎる。
「ぼく」に出会って、「ぼく」とともに命を見つめなおすことができた、おじさんの再生の物語である。
Posted by ブクログ
幸せを目標にしたら大変だよって、チヨコさんが言ったの。
キリがないからねって。
それより、今日三度の食事ができたら、なんていい一日だったんだって思えた方がよっぽど楽だよって、そう言ったわ。
人間も料理と一緒で、複雑であればあるほど旨みが出るんだろう。
生まれてきただけで意味がある。
親にとっては、生まれてきてくれたというだけで、幸せを運んでくれるんだからな。
そこにいてくれるだけで充分なんだ。
思っていたような子どもにならなくても、問題を起こしたとしても、自分の子どもとして生まれてきてくれただけでーそれだけで充分なんだ。
諦めんなよ。
夢を自然消滅させるなんて寂しいじゃないか。
夢があるってだけでーそれだけで最高じゃないか。
夢をもちたくてももてない人だっているんだぞ。
Posted by ブクログ
ケータリングの仕事にやる気のない主人公。ショートドラッグを持っているという噂。ミステリアスな展開で途中までワクワクしていたが、結局最後はありきたりなハッピーエンドに終わって少しがっかりした。
Posted by ブクログ
美味しそうな料理の描写を期待していたので、少しがっかり。語り手がコロコロ変わるし、話があちこちに散らばって、読みにくさを感じた。あの事故は必要だったのかなぁ…
車椅子の少年とおじさんのやり取りは、最初の内は力が抜けていて良かった。少しづつ深刻になっていくのは、仕方ないけれど。
全体的にタイトルと表紙に負けてしまっているかも。
Posted by ブクログ
物語も半ばを過ぎると、お腹が空く。猛烈にお腹が空く。料理は、美味しいものは、人を幸せにするということを変化球で感じさせられる話。
物語の展開的には直球かな。