あらすじ
いのちと味覚は切っても切り離せないもの。環境汚染によって安心・安全な食材が姿を消し、簡便な「レシピ」の氾濫で、食の本質が失われつつある今、「より良く生きる」にはどうしたらよいのか。その心得を、「畏れ」「感応力」「直感力」「いざのときを迎え撃つ」「優しさ」の五つの指標から説く。著者初の新書エッセイ。
序 章 九十二歳のいま、これだけはお伝えしたいこと
第一章 「畏れ」を持つこと─風土の慈しみ、旬を味わうための心得
第二章 「感応力」を磨くこと─“手のうちの自然”に五感を集中してみる
第三章 「直感力」を養うこと─風が示してくれた、おいしい生ハムのつくり方
第四章 「いざのとき」を迎え撃つこと─牛すじやアラを食すのは、いのちの根底を固めること
第五章 「優しさ」を育てること─スープの湯気の向こうに見えてきたこと
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Posted by ブクログ
わたしたちが食べるものは、すべからく他の何かの「命」だ。
そしてわたしたちの体はすべて食べたものでできている。
生きることは食べること。そして食べることは本来、命と向き合う行為なのだ。
食べること、そして命そのものと向き合い続けることで獲得された著者の哲学。とても興味深く拝読した。
著者はこれから食べようとするもの=命を畏れ敬う。なるべく最大限にその命を活かすよう料理するときにもその心を忘れない。
そして食べる人間に対しても命を与えて生かそうとする。
命を繋げるための栄養を与えられればいい、という発想にはならない。「やさしさ」が必要なのだと。
できあいのものが悪いとは思わないけど、命と向き合うには料理をすることが一番なのだと思った。
命をいただいているのだと忘れないように私も常日頃食べるものや食事に向き合いたい。
そして命をむだにしないで、旬のものをちゃんといただき、包丁を握るときは、鍋をふるうときは命と向き合いたい。そう感じた。
そして私も自分を、大切な人を生かす、温かくてやさしいスープをたくさん覚えたい。
Posted by ブクログ
著者の辰巳芳子(1924年~)は、家庭料理・西洋料理の料理研究家にして、多数の著書を持つ随筆家。母は、料理研究家の草分け的な存在である辰巳浜子。2012年には、その活動がドキュメンタリー映画『天のしずく 辰巳芳子“いのちのスープ”』で紹介された。
私は自ら料理をすることはなく、(幸いにして自らの“いのち”を差し迫ったものとして意識するに至ったことのない)現状健康な、50余歳の会社員であるが、著者のような(料理に限らない)一道を極めた人の言葉からは、思いもよらない気付きを得ることが多く、本書を手に取った。
そして、本書を読み終えて、物心がついてからでも40年を超える自らの「食」に対する認識は、(期待に違わず)大きく変わった。
それは、「もともと料理が好きではなかった」著者が「目が覚めるような気がいたしました」と語っている、分子生物学者の福岡伸一氏が著書で引いている、シェーンハイマーの「食べることは、からだにガソリンを注入するようなことではなく、分子レベルで食べたものとからだが入れ替わることだ」という言葉が、日常の生活において何を意味するのかを理解したことである。
私は、福岡ハカセのファンで、複数の著書を読んでおり、上記の“動的平衡”の概念は頭では理解をしていたつもりであるが、それを日々の生活で実践するということは、まさに著者が本書で繰り返し語っている、「一日三食、三百六十五日。その一食一食がいのちの刷新であるならば、私たちは、食べるべきように食べなければならない」、「生きていきやすく食べる。すなわち、風土に即して食べる」ということに気付き、目から鱗が落ちた思いである。
本書には、著者が究極の食とする様々なスープのレシピも詳しく記されており、実際に料理をする人々には実践的で、より参考となると思われるが、料理を手掛けない私にとっても、「ものを食べるということは、人間が人間らしくあるための根源的な営みです」、「味覚とは、いのちを養うために備えられたもの。いのちに直結する「愛すべき感覚」なのです」という言葉は、明日から食事に臨む気持ちを改めさせてくれるに十分なものであった。
(2017年11月了)