あらすじ
利休切腹事件の真相がいま明かされる! 利休と秀吉、共に頂点を極めた二人の確執の原因は何か? 『信長の棺』に始まる戦国の謎はいよいよ最終章へ。
秀吉が若かりし頃、まだ織田家の足軽大将に過ぎなかった頃、密かに茶の湯の作法を教えてくれた千宗易(利休)。本能寺の変の後、秀吉は天下人となり、宗易は秀吉の庇護の下、茶道界の第一人者として君臨する。だが、二人の蜜月は長くは続かなかった。宗易の茶道と秀吉の茶道への理解は、やがて大きく隔たっていく。
一方で広く大衆に受け入れられるよう質素で親しみやすい「政道としての茶の湯」を、他方では禅の「無」と「静寂」の空間創造を目的とする「悟りの場としての茶の湯」を提唱する宗易。だが、宗易の茶の湯を理解できない秀吉は黄金の茶室や北野大茶会など、宗易の理想とはかけ離れた方向へ茶の湯を変えていく。そして豊臣政権の複雑な政治状況の中、宗易は思わぬ誤算から窮地に陥っていく……。
著者84歳にして書き上げた、圧巻の歴史ミステリー!
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『秀吉の枷』は未読。
利休の茶会の記録をベースに歴史を見ていくと、こんなにいろいろなことが分かるのだな。記録部分の狭間は加藤さんが埋めていて、あくまでこれは小説なことには注意がいるが。
秀吉が利休の茶に対して違和感を抱いた部分は面白く感じたが、その後の展開はやや説明不足な気もした。茄子の部分のおもしろさは分かる。
何となく認識してた「突然切腹を命じられた」というのはおそらく史実と異なるのだろう。それを認識できたのもよかったな。
あと、文庫のあとがきに載っていた各国の茶の話も面白かった。
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利休とは。いろいろな利休本がありますが、膨大な資料に基づく分析もあるのでしょう、一番としっくりと利休について納得することができました。
豊臣秀吉には、あまり触れられていないある種の残酷さ、残忍さがあるのですが、秀吉の志していたおおらかな茶には共感できますし、こういった点が、大衆に受け入れられるところがなんでしょう。
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利休を主役に秀吉との邂逅と別離を描いた『秀吉の枷』のサイドストーリー。あとがきにあるように膨大な資料から執筆された労作。
2人とも割と女好きという共通点があるがそこはそんなに触れられていなかった。息子については利休は恵まれていた事が伺える。朝顔事件と山の民と結びつけているのは面白い発想だと思った。
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利休が信長に仕え、その後、秀吉に鞍替えせざるを得なくなった。心の中に、何この百姓め、という思いが燻り燻りしていたのを、人を見るに敏で、それによって天下を取ったような秀吉が気付かない訳がない。利休は様々な小説で、すごく利口で、スマートで気高く描かれることが多いが、本小説では、かなりドロドロとした汚なさを描いているところが好ましい。また、小説の中には、時々、今現在、これが国宝になってるとか、どこそこにこれは現存するとか、この漢字はこういう意味からこう書かれるとか、歴史をより深く知るための補足的な記載もある。これは、司馬遼太郎や宮城谷昌光などとよく似た感じで、私は好きだ。ただ、描写にかっこよさがない!こいつ悪人だけどカッコいい、憎めない、といったある種の憧れが湧かないのが残念だ。
本書で描かれる利休の最期は深く描かれてはいない。逆に何もないと言っていい。
著者が本書で描きたかったのは、なんなのだろう。利休は自分をしっかりもち、茶湯にその生も死も全て尽くしたということなのか、違うように思う。それなら、その辺にある利休の小説と何ら変わらない。本書から感じるのは、利休の愚かさ、幼さ、人間としての未熟さだ。あまりにも自分の立場を認識できていない。ドラマ仕立てにするなら、利休は茶道のことは関白秀吉といえども我を通した、でかっこいいだろう。でも、そうではなかったのではないか、利休は信長に仕えた頃の自分のままで秀吉に仕え、というか、秀吉に接し、秀吉が出自を異常に気にすることに気づかなかった、いや、気付いたが、放っておいた、だから、秀吉と言えどもあまりの無礼さにキレてしまった。ということなのではないか。この方が自然だな。
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茶人千宗易の秀吉との出会いから、本能寺の変による信長の死、秀吉の天下統一と変わりゆく時代の中で茶の湯の道を違えることになった秀吉と利休の様子が描かれている。本能寺の変の背後に見え隠れする秀吉の陰謀と茶道具を中心とした話の進め方がユニーク。
Posted by ブクログ
作者の加藤廣さん、初めから作家ではなく実社会で活躍の後、75歳から書き初め『信長の棺』での堂々たるデビュー、歴史小説家となられた由。
読んではいませんがニュースは知っておりまして、ある政治家が愛読書とおっしゃっていましたね。
つまり、退職後作家で藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』の清左衛門の仕事を彷彿させます。
しかも、この『利休の闇』お書きになったときは84歳になっていらした。
この年齢に親しみを覚え、尊敬しますね。
さて、「利休」はいろいろ小説に登場したり、たくさんの伝や論が書かれています。
わたしも野上弥生子さんの『秀吉と利休』を読んでいます。
ほとんど忘れていますから、比較ができないのが残念ですが・・・。
茶の湯の師匠と尊敬していた利休を秀吉が、なにゆえに切腹を命じてしまうのか?
これが作家の創作魂に火をつけるのでしょう。
この本には「茶道とはどんなものか」も描かれています。
茶道のたしなみのないわたしから見ると、七めんどくさい作法のような気がします。
道を究めるのにも気質や出自も影響しますね、秀吉がだんだん離れていくのも道理かなと思います。
それに利休が秀吉を嫌ったということもありそうです。嫌いは相手にすぐ響きます。
これが加藤廣さんのたどり着いた利休の闇です。
「最初に自分を取り立ててくれた―自分と同じ長身で眉目秀麗な―信長に対する憧憬。
その対極として短躯醜悪な秀吉への軽蔑がなかったとは言い切れまい。」(347ページ)
人間臭ふんぷんのいやらしさです。本当は秀吉自身にこそそれがあるはずなのに。
「断捨離」の見本のような茶室、静謐な空間と簡素な美。到達した簡素美への驕り。
あの有名な
庭中の朝顔のつるを全部刈り取ってしまい、茶室に一輪の青紫色の朝顔が露も滴るように活けてある床。
映像を思い描いても、人間臭さがいいのか、到達した清澄がいいのか、凡人は迷います。
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秀吉も悪いが利休も悪い!
先月、新刊の平積みの本として目に入る。帯の『利休は何故切腹したのか?』が何故か引っかかり購入した。
本書を読み千利休のイメージが変わった、後書きにも書かれているが、日本人特有の判官贔屓により傲慢な成り上がりの秀吉に利休が切腹を命じられた事で理由はどうあれ秀吉悪の利休善と思ってしまう。しかし本書を読むと一概にそうとも言えない。
何れにしても晩年の利休と切腹を命じた秀吉の二人ともに出逢った頃の茶を思い出して欲しかった・・・
何事もルールやマナーなど概念的なものを規則化し文章化してしまうと、解る人には解りやすく、興味を持たない人を遠ざけてしまうのでは?と思った。
千利休の功名心により茶道は一歩、民衆から遠い物になってしまったような気がします。
因みに作中に登場する利休の妾の琉球女とは花の慶次のリサのお婆さんでしょうかね。
本当にいたんだ!?と思いました。
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利休が秀吉により、切腹されられた謎を解くミステリーというけれど、それほどミステリアスな話でもない。
本書では、秀吉が求めた大らかな茶の道と、「遊」なるが故やたら小うるさいルールが必要だとする利休との茶の道の路線対決という構成になっている。
ただ若い時には淫蕩三昧な生活を謳歌していた利休が、突然お茶の求道者に変化したのかが、イマイチよく分からない。
利休(宗易)が信長時代に、秀吉(当時藤吉郎)の茶の手ほどきをし、秀吉の茶の師匠として振る舞ったという描写はあるが、茶人として名声と権威を誇り、秀吉の政事にも大きく関わったというような描写は端折られている。
また秀吉が江戸を中心に関東を見て回って、家康を豊饒な関東への移封が間違いだったと後悔する秀吉の記述など、時代小説ならなんら問題はないが、歴史小説としては事実関係の検証が荒っぽい気がした。
秀吉が検知を行ったのは、家康の関東移封の後で、家康の石高が当時250万石という数字が分かっていた訳ではない。
山本兼一の直木賞受賞作の「利休にたずねよ」の方が、構成や心理描写など面白かったような気がする。
本著は、事実関係や心理描写の粗っぽさが目立つ感じがした。
ただ歴史小説ではなしに、歴史に題材(謎)を求めた時代小説に近いものだと割り切れば、全般に読みやすいし、嫌いな作家ではない。
Posted by ブクログ
著者の「信長の棺」「秀吉の枷」「明智佐馬助の恋」は読んでいる。帯にはいよいよ最終章へとあるが、信長の遺体消失の謎は解決しているしなあ、と思いつつ頁を開く。
久し振りにサクサク読書できた。変に利休を美の探究者として褒め称えていないのが良い。秀吉の茶はもっと大らかなものでいいじゃないか、という言い分ももっともだとも思う。天下人が云うのは矛盾があるとしても。
武士の茶、利休の探究の茶、秀吉の茶。茶道といっても違うものだし、利休がその探究を押し付けた結果の衝突かな。
岡倉天心「茶の本」、藤森照信「茶室学」のことなど思い出した。
淀の方の懐妊以前の秀吉後継とか、小田原征伐後に秀吉が江戸を初め関東を見て廻っているなど、初耳の話もあった。本当なのかな。頭にメモしておこう。