あらすじ
侘しさ、人恋しさ、明日をも知れぬ不安感。大阪の片隅で暮らす、若く貧しい“俺”と“私”(「ビニール傘」)。誰にでも脳のなかに小さな部屋があって、なにかつらいことがあるとそこに閉じこもる――。巨大な喪失を抱えた男の痛切な心象風景(「背中の月」)。絶望と向き合い、それでも生きようとする人に静かに寄り添う、二つの物語。
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Posted by ブクログ
社会学者が書いた小説っていうのが気になった。
自分の気分の浮き沈みが激しい時に読んだ。
ずっと悲しさ切なさが付き纏ってる。
小さなものが積もり積もってふとしたきっかけで一瞬で終わりになるのがリアルに描かれてた。
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孤独と絶望のすぐ近くで暮らしている人たちの、でも実は自分もすぐ近くにいると感じさせる、独特なようで当たり前の、実は見慣れた毎日の風景。
この人の文章は、どうしてこんなに燻んでいて、希望が見出せないのに、引きつけられるんだろう。
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日々すれ違う他人には、自分と同じように人生のストーリーがあるんだということを忘れてしまうと、
他人に対して乾いた対応をしてしまうことがある。
他人の人生を覗き見る感覚で読み始めたが、
なぜか古き良き温もりと、人と重なる温度の幸福感が沸々と蘇えり、ああ、コロナやらなんやらで、
とても大切なものをなくしてるんじゃないかと怖くなりました。
読み終わった後、なんともいえない味わいを
噛み締める時間が暫く必要でした。
何回も読み返したい本です。
Posted by ブクログ
賑やかで暖かい場所にいると、後でひとりになったときの寒さが際立つ。
舞台が大阪であることで哀愁が増す。
妻を亡くした男性が主人公の「背中の月」での独白、
「また行きたいね、あの店なんだっけと言いながら俺たちは結局、あの街にも、あの店にも、あの海にも、二度と行くことはなかった。」
に、永田和宏の
「そのうちに行こうといつも言いながら海津のさくら余呉の雪海」
という歌を思い出した。
脳内でずっと自分に、亡き妻に話しかけているような文が頭に染み込んでいくように感じた。
読み終わって自分がいる場所を確かめる。
ここでないどこかに行きたいと思う気持ち、
でもここだって一度離れればもう二度と戻れない場所になるかもしれないのだ。
そしてそのきっかけは、ドアポストに鍵を入れるというだけで引き金を引けてしまう。
波打ち際の鍵は昔誰かが落とした鍵なのか。
さまざまな人の記憶が重なり混ざり合う。
「二度とない」ことへの焦燥や恐れはいつまでも人間の共通の認識なのだろう。
誰もが、失うことはないかのように生きている。
でもそれは人間が生きている限り必ず訪れる。
喪失を喪失としてそのまま取り出して見せてくれたような物語だった。
ときどき取り出して眺めたい。
悲しみに慣れておくため。優しい自分であるため。
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どんな人物にも背景があり、とりまく状況は自分の意思に反して、又は沿って、変わっていくものなんだなぁ。
他者と自分との境界が曖昧な文体。冷たいようで優しい眼差しを感じました。
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『断片的なものの社会学』に出てくる人々。それぞれ1人ずつが小説の登場人物のようだったが、本書では彼等が実際に動き出す。大阪の土地勘がほとんどないにもかかわらず、景色が眼に浮かび、会話が耳で聞こえてくるような‥リアルで不思議な読後感だった。
惜しくも芥川賞受賞を逃したことをネタにされる著者のお人柄も含め☆☆☆☆☆
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この現実感のないリアルさは何なのだろう。ここではないどこかだとか、細部だけ具体的な夢の様な。どこにでもある、ありふれた世界。私が見ているものは本当にあるのだろうか?
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大阪というと賑やかで華やかで雑多なイメージですけど、これは、その裏にある陰の大阪だと思いました
それなりに生きられているのに、頼りない、流されている感じが頭から消えない、
一見すると出口のないような閉塞感が漂っているようですが、市井の人たちが、誰かや誰かと過ごした思い出と寄り添いながら、静かに暮らしている、両編ともじんわりと体温を感じるような話でした
視点が変わってちょっとわからなくなるようなところもあったけど、それも誰それの物語と区切らない、全部誰かの物語の続きというふうに捉えてみました
Posted by ブクログ
大阪の海沿い、大正あたりで生きる人々の、どうしようもない日々の記憶。
こういう人たちの生活が「分かる」かどうか、見えるかどうかって、読む人自身の生い立ちに深く関わってくる気がする。
うら寂しい読後感。滔々と流れる淀川を見に行きたくなる。
Posted by ブクログ
第156回芥川賞候補作
よく聞くラジオ番組で何度か岸政彦さんがゲストだったり、Eテレの「100分で名著」にも講師として出演されていたので、社会学者であるということは知っていた。
そして、大阪愛はもちろん、「人」というものに対する興味や愛情が本当に深い方なんだなぁ、とその熱量の高いトークから感じていたのだが、小説はまた違った趣きだった。
読み始めてすぐ、なぜか柳美里さんの「JR上野公園口」が思い浮かんだ。
私自身は、大阪という街をあまり知らないので、この小説の舞台が大阪のどんな所なのかは、読んで受けたイメージしかない。
ゴミの吹き溜まりの少しすえた匂いのするような、寂れかけた一角に暮らす、明日が見えない若者たちの物語。
登場人物の一人一人がはっきりせず、どこか重なり、どこか繋がっているような…いくらでも代わりがある仕事をしている人々。
いくらでも代わりがあったとしても、その人はその人しかいない。
でもその当人が、そのことを理解することもなく、ただただ無常な時に流されていく。
これがバブルの時ならば、「横道世之介」みたいな根拠のない前向きな空気感が漂うのだろうが、平成世代は、生まれた時から不景気と格差社会の中にある。
ささやかな幸せを見つけても、簡単にその場から剥がされる。
そういったことを怒りではなく、諦めの姿勢で受け入れてしまう彼らの姿が哀しい。
読む世代によって感じ方は変わるだろう。
私の世代は、こうなる前にもう少しできることがあったのではないか、と感じるのではないだろうか。
2022.2.13
Posted by ブクログ
大阪市に住んでいる、住んでいた人にはすぐ入ってきやすいと思う。地名や駅名がたくさん出てきて、あー、あのあたりなら、ありえるな〜と。
他の地域の人が読むとまた違うかも?
全体的に暗い。貧困がテーマかな?
ありえそうな、転がってそうな話で、短いのですぐに読める。最初、誰が語り手なのか分からないが2章で回収されている。
Posted by ブクログ
過去と現在と空想が入り混じって、今がいつで誰と話してるのか分からなくなる本。
でも登場人物の耐えがたい空洞はしっかり伝わってきて、読んでいるのがつらかった。
少ない選択肢の中から選ばされて、選んだんだからお前の責任だというプレッシャーに耐えながら生きてるんだな。
閉塞した生活に物語的な奇跡なんて起きない、この程度が現実だよという感じ。はぁ〜。
Posted by ブクログ
突然の雨に見舞われ、コンビニで安物のビニール傘を買う。
傘の見た目や機能性なんてどうでもいい。どうせその場しのぎの傘なんだから。
また別のビニール傘を買ったっていいんだから。
他人との関わり方が、そんなビニール傘に似ている。
なんとなく誰かと話がしたい。相手は別に誰でもいい。でも自分の話をするのは億劫だから、相手の話を聞くだけがいい。
大阪を舞台にした、寂寥感たっぷりの物語。
毎日をただ淡々と機械的に過ごす若者たちがとてもリアル。
雨が降るとすぐに水浸しになるという湿地帯の大阪。でも大阪住みの若者たちの人間関係はドライなんやな。
途方もない切なさ、寂しさがひたひたと伝わってきて、何度も胸が締め付けられた。
岸さんはこれが3作品目。男女の会話が相変わらずいい。カギカッコがない会話の方が読み手の気持ちに無断でズカズカ入ってくるのかも。勝手に入り込んでずっとそのまま心の中に居座る感じがクセになる。
寂しさ漂う余韻に暫し包まれる。
もう一作の『背中の月』
こちらは妻を病で亡くした男の話。
喪失感がすごく伝わってきて痛々しい。
この人、いつかは立ち直れるんだろうか。
Posted by ブクログ
薄い本で1時間半足らずで読み終えた。
心に寂しさがありながらも薄い膜で多いながら過ごしている、どこにでもありそうな日常が文学的に綴られ細かい描写も多く没入した。
Posted by ブクログ
大阪が好きだ。
暮らしたのは累計で10年足らずだし、孤独と苦悩の思い出しかないのに、それでも好きだ。
たぶん、大阪という街が、自由であり、終末であるからだと思う。
Posted by ブクログ
「背中の月」の方が好きでしたね。
でも「ビニール傘」の世界を読んだから、そちらの方が好きと感じたのかも。
…いかにも芥川賞候補という作品でした。
作中に何度も出てくるカップ麺のゴミが二つの話を繋げ、静かなやりきれなさどうにもならなさ、虚しさを顕在化させているかのよう。
(引用)「妙な話だが、幸せなとき、楽しいとき、遊びにいっているときよりも、急な葬式が入ったとき、人間関係でめんどくさいことがあったとき、仕事上のトラブルに巻き込まれたとき、ああ俺たちはふたりなんだなと思う。」というセンテンスに泣きそうになりましたね。
その時二人だった、今はどうしょうもなく一人だということの孤絶感。
「不在」というのは「今ない」、というだけでなくて、あり得たかもしれない希望に侵食する空虚なんだとつくづく感じさせられます。
Posted by ブクログ
これは大阪が舞台でなくてはならない作品。ここまで描けるのかと思う程の丁寧な人物描写。筆者は社会学者として多くの市井の方々と接して来られた経験があるからこそ描けるのでしょうか。。。
Posted by ブクログ
なんとなく、ただなんとなく、タイトルに惹かれて読んでみた。
……これがまた少し難しい。
でも、きっと、大阪のどこかにこういう人たちがいて、生きてて、でも死んだような生活で……
今この人たちはどうしてるんだろう……
そんなことを、読み終えた時に思った。
私の地元は大阪に近く、小説の中に出てくる地名もなんとなくそこの雰囲気がわかる。
大阪ってキラキラしてる部分もあるし、澱んで暗い灰色の世界もある。
その中で、今日も生きてる人たちがいる。
…………この本を読んで、何か得たのかと言われると、難しい。でも、“何か”を感じたような気はする。
そんな不思議な本だった。
Posted by ブクログ
貧しさと若さと共存と孤独と。
雨空の、ねずみいろの、大阪の寂れた風景。
そんな世界をイメージしながら。
感覚で大阪を味わった気分だ。
ストーリーはともかく、
余韻は残るな。
Posted by ブクログ
描写が細かくて人の人生を覗き見しちゃった感。
ちょー良い。途中まですっごい共感してたのに最後ちょっとよく分かんなくて掴めない感じ。
良い。
あと写真がなんかエモくて良い
Posted by ブクログ
7年前の大坂が舞台。時間が移動しながら物語が進む。二つ目の作品は、少し悲しくて、主人公が生きる気力を取り戻してくれるのかしら。人が大事にされない、不安定な世の中を映している。
息子の残して行った本。息子を思いながら読み終えた
Posted by ブクログ
「ビニール傘」
大阪の片隅に暮らすどうしようもない若者たち。語り手が次々にかわり、話と話が繋がっているような繋がっていないような、よく掴めない。そういうものとして読めてくる。
「背中の月」
喪失と向き合う男性の心情。隣の席の看護師が話してた、どうでもいい会話を繰り返す思い出すのもリアル。
Posted by ブクログ
ビニール傘の役割をどう理解するかによって、解釈の違いで出てくる作品だと思った。
・いくらでも替えが効く関係性
・世界と2人を隔てる薄い膜、境界線
正反対の性質だけど、どっちにもとれる。
Posted by ブクログ
大阪の最下層で暮らす男と女。安い、ゴミにようなものに囲まれ、食べ物すらゴミを食べているかのように感じられる生活。
詳細に描写される汚い部屋や無為な生活に感覚が麻痺しつつ、嫌悪感に満ちる男の眼差し。
ああ、この人はもっと上から落ちて来たんだろうと思った。最初から安い暮らしで育ったならばここまで皮肉に思わないのじゃないか。
あとで著者が博士を取る前に4、5年日雇生活を送り、その時の体験をもとに書いたと知る。なるほど納得。
底辺のパワーや生命力がなく、静かに日々を消化する。そして密かにちょっとずつ傷ついていく。そんな気がした。
話の筋はわかりにくい。男が複数いるようにも思え、女がどの女だかわからなくなり、確認のため再読仕掛けて止めた。作者はデジャヴかループを意図してると思ったから。
面白いとは言えないが、汚い大阪を描いているわりに静かで上品な読み心地の作品。
Posted by ブクログ
(いま感想文用のノートに手書きで書いているのだけど、「傘」っていう漢字が全然上手に書けなくて悲しみ。)
「断片的なものの社会学」以来、それまで全然知らなかった岸政彦さんという社会学者/作家の方にすこぶる興味を持って、著作をあれこれ読み漁っている。
この小説は、おそらくカップルと思われる男女のそれぞれの視点から、彼らの出会いや日常生活が淡々と語られる。前半が男性側、後半が女性側。決して裕福ではなく、ほとんど定職にもついていないような二人。汚い部屋。塞ぎ込む彼女。日雇いの肉体労働。付き合ってすぐの頃の思い出、明るかった彼女。波打ち際。だらだらと始まってだらだらと終わる関係。自分と無関係なようで全然そんなことはない、見ず知らずの人の生活。大学生の頃に読んでいたらどんなふうに思ったかなあ。「ビニール傘」の二人と同じように、霧の中を彷徨うような生活をしていたあの頃に読んでいたら。あのときわたしは「あーこれわたしにはムリ」って思ったんだった。自分で気付いてかなり強引なやり方で一気に方向転換したんだった。その選択は間違ってなかった。間違ってなかった・・・本当に?
Posted by ブクログ
繋がりが難しいが、所々既出のフレーズでリンクしている部分が面白かった。
不思議と読んでいられた
嬉しいときよりも、不幸な時の方がどうしようもなく2人に感じる、みたいな部分が、真理かもしれないと思った