あらすじ
人から見たら悲劇かもしれない人生。
しかし、正々堂々、力いっぱい生きた私はいま、満足だ
――こんな佐藤愛子は、どうしてできた?
ワガママ盛りの6歳で聞いた乳母の言葉は、思えば初めての人生の教訓だった。以来、父・佐藤紅緑、母、先輩や友の影響を受けて出来上がったのは、「他人から理解されないばかりでなく、自分でも何かわけのわからない、ヘンな佐藤愛子」。
そして二度の結婚に失敗、夫の借金に巻き込まれ、それでも人は幸福に生きられる!
93歳、初の語り下ろし人生論。
佐藤愛子を作った言葉
「なんぼお嬢ちゃんやかて、大きゅうなったらどうしてもせんならんということが、世の中にはおますのやで」(乳母)
「豆腐屋のオッサンかて校長先生かて、おんなじ人間ですがな」(母)
「カネカネという奴にろくな奴はいない」(父・佐藤紅緑)
「女に小説は書けないよ。女はいつも自分を正しいと思っている」(師・吉田一穂)
「君はね、平林たい子さんのような作家になりなさい」(師・北原武夫)
「苦しいことが来た時にそこから逃げようと思うと、もっと苦しくなる」(師・臼井栄子)
「君は男運が悪いんやない。男の運を悪くするんや」(友・遠藤周作)
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Posted by ブクログ
183ページ
780円
7月19日〜7月20日
93歳の佐藤愛子さんの語り下ろし作品。90歳を過ぎると友だちはみんないなくなった。死んでも魂は残って、四次元の世界があるという。佐藤さんの経験からそう言えるのがすごい。人生は苦しいことがあるから楽しいことがあるというのを自分自身の経験から騙ってくれているので、説得力があった。
Posted by ブクログ
佐藤愛子、1923年生まれ、父佐藤紅緑(武士の地をひく明治男)が50歳の時に生まれた子ども、兄はサトウ・ハチロー。「それでもこの世は悪くなかった」、2017.1発行。講演などを元にした語り下ろし人生論。①苦しいことが来た時にそこから逃げようと思うと、もっと苦しくなる ②「あの人どうしてるかな」と思う人がだんだん増えていくのが、とても嬉しい ③今が一番幸せな時。それを知らないでいるということが幸せ ④90歳を越え、友達はみないなくなった。文壇でも、誰もいなくなった。
Posted by ブクログ
とても強く逞しく、清々とした人柄だなと。
この本を読んでからニュースを見たら現代人はなんてくだらない事でぎゃあぎゃあ喚いているのか…という気持ちにさせられました。
何でも経験してこそわかる。一度きりの人生、止まらずに色んな事を経験していこうと前向きにさせてくれました!
Posted by ブクログ
著者の本を読んだのは、「九十歳。何がめでたい」についで2作目。そもそもこの人の本は、エッセイ以外の小説を読んだことはないので作家としての実力は知らないが、90歳を過ぎてこれだけ世の中に対してハッキリとした認識があるのは、素直にすごいと思う。いろいろな苦労を経験されたようで、その中から紡ぎ出される言葉は一つ一つに含蓄があり、説得力がある。また、遠藤周作や北杜夫など超有名作家との変人エピソードも満載で、おおらかな、古き良き時代の一旦を知ることができる。
Posted by ブクログ
著者が人生・幸福・死について語る。幸福は苦労の上に在るもの、だとか、損があればあとに得がくるという考え方が面白い。とくに印象的だったのは、最後5ページ、死後の世界のこと。物質主義の現代で精神的な事柄を語る点が興味深かった。佐藤愛子さんの他の本も読みたくなった。
Posted by ブクログ
講演が元になっているので
話が軽快にかわり
佐藤先生の面白さ
サービス精神が良く感じられます
川上宗薫氏のエピソードが
とても良かった
浮気して身ごもった奥様の
嘘をまんまと信じるところや
佐藤先生の苦しいときに
援助を申し出たなど
非常に人間味豊かで
優しい方だったんだぁ
読み終えた感想です
作者は、人生を長年歩いてこられ、相応の見識や凄さ、またユーモア等を兼ね備えた極めて明るい前向きの方だと拝察しました。
同時に達観もされておられるようで、小生は、作者のそのようなお考えとか生き方に全面的に賛同します。
多様な考え方や意見等が飛び交ってやや混沌としている現在、手軽に入手できる芯のある書物の一つと思っています。
Posted by ブクログ
あっさりした性格で読んでて気持ちよかった
でも考え方が違うところは違うかなあ
おばあちゃんが生きてたら
こんな感じで返されてたのかな
(立ち会い出産についてとか)
瀬戸内寂聴さんへのくだり面白かった!
Posted by ブクログ
20170305 長生きの秘訣、気にしなくていつも笑っている。気に入らない事ははっきり嫌だと、言う。素直に喜ぶ、おめでとうと、言う。長生きして当たり前の生き方なのだと思った。
Posted by ブクログ
作家を「先生」と呼ぶのはヘンだと思う。それでもやはりそう呼びたくなる人はいて、その筆頭が愛子先生だ。この本は語りおろしで、特に目新しいことが出てくるわけではないけれど、私は愛子先生については同じ話を何遍聞いてもまったく飽きない。全部が全部「その通り」と思うわけではないが、なにかもう根本の所で仰ぎ見てしまうものがある。それでまた、どういうわけか読んでいると目頭が熱くなってしまうのだ。
「人生というものはね、幸福だのなんだのと言ったって、どうということはないんですよ」」「苦労したってどうということはない。反対に、幸福になったからと言って、別にどうということはない」