【感想・ネタバレ】心は孤独な数学者のレビュー

あらすじ

天才中の天才ニュートン。ニュートンの「プリンキピア」を12歳で読破した早熟の天才ハミルトン。ヒンドゥーの女神のお告げを受け、新定理を量産した神がかり的天才ラマヌジャン。天才はなぜ天才なのか。才能ゆえの栄光、が、それと同じ深さの懊悩を彼らは抱えこんでいたのではなかったか。憧れ続けた3人の天才数学者の人間としての足跡を、同業こその理解と愛情で熱く辿った評伝紀行。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

天才中の天才ニュートン。ニュートンの「プリンキピア」を12歳で読破した早熟の天才ハミルトン。ヒンドゥーの女神のお告げを受け、新定理を量産した神がかり的天才ラマヌジャン。天才はなぜ天才なのか。才能ゆえの栄光・・・しかし、それと同じ深さの懊悩を、彼らは抱え込んでいたのではなかったか──憧れ続けた3人の天才数学者の人間としての足跡を熱く辿った評伝紀行。

誰でも知っている数学者たちの足跡を辿るということで、実際に現地まで取材旅行に行くという筆者の行動力のすごさにまず驚かされた。
ついで、読み進むうちに明らかになってくる彼らの生き様に対して、深い情緒を尊敬を筆者が抱いていることもわかった。
ラマヌジャンに関する紀行文は全体の半分近くあるが、この本を通して自分自身もとりわけ彼の人物像に興味が持てた。
ただの天才ではない天才が、かつて存在していたのだということがものすごく不思議なことに思えてならない。

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2011年07月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ニュートン(85歳逝去)、ハミルトン(60)、ラマヌジャン(32)という3人の天才数学者の足跡を紀行評伝形式で書いた作品。
とりあえず、ニュートンとハミルトンはウィキペディア調べで紹介。
【アイザック・ニュートン(Isaac Newton, 1642年 - 1727年)は、その偉大な業績の一方で、極めて個性的で風変わりな人柄でも知られており、数多くの逸話が残されています。
• 自分の目に針を突き刺す(光学の実験)
光や色彩の正体を突き止めるため、自身の体を使った危険な実験を行いました。太い針(パドキン)を自分の眼球と骨の隙間に差し込み、眼球の裏側を圧迫して「目に圧力をかけると、どのような色や光が見えるか」を自ら観察・記録しました。失明の危険がある恐ろしい実験でした。
• 失明寸前まで太陽を凝視
残像(眼の記憶)の仕組みを調べるため、鏡を使って太陽を直接じっと見つめ続けました。その結果、数日間にわたって暗い部屋にこもらなければ何も見えない状態になり、視力を回復するのに数ヶ月かかったと言われています。
《 性格や人間関係のエピソード》
• 一生、独身だった
ニュートンは生涯一度も結婚せず、独身を貫きました。若い頃に一度だけ婚約者がいたという説もありますが、研究に没頭するあまり自然消滅したとされています。
• 激しい執念深さと論争
非常にプライドが高く、嫉妬深い一面もありました。
• フックとの論争:「フックの法則」で有名なロバート・フックと、光の粒子説・波動説を巡って激しく対立。フックの死後、ニュートンは王立協会の会長になると、協会内にあったフックの肖像画や実験器具をすべて処分・隠滅したと言われています。
• ライプニッツとの論争:ドイツの数学者ライプニッツと「微積分法をどちらが先に発明したか」で泥沼の優先権論争を繰り広げました。ニュートンは王立協会の委員会に圧力をかけ、自分に有利な報告書を匿名で自作自演しました。】(ウィキペディア)

【ウィリアム・ローワン・ハミルトン(William Rowan Hamilton, 1805年8月4日 - 1865年9月2日)は、アイルランドの数学者、物理学者、天文学者です。
• 生没年:1805年8月4日生まれ、1865年9月2日死去(60歳没)
• 出身地:アイルランド・ダブリン
• 所属:ダブリン大学トリニティ・カレッジ(22歳で同大のアネックス天文台長・天文学教授に就任)
主な業績
• 四元数(しげんすう)の発見:1843年に複素数を拡張した4次元の数体系を発見。現代の3Dコンピュータグラフィックスやゲームエンジンの回転計算(姿勢制御)の基礎となっている。
• ハミルトン力学:ニュートン力学を洗練し、全エネルギーを表す「ハミルトニアン」を用いて物理系を記述する解析力学を構築。これはのちに量子力学の基礎(シュレーディンガー方程式など)へとつながった。
• ハミルトン-ヤコビ方程式:力学や幾何光学において重要な偏微分方程式を導出。
• 「ベクトル」や「スカラー」の用語導入:数学においてスカラーやベクトルといった概念・名称を導入した。
エピソード
• 幼少期からの神童であり、10歳で10以上の言語(ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語など)を習得。
• 16歳のとき、ピエール=シモン・ラプラスの難解な著書『天体力学』の記述に誤りを見つけ、周囲を驚かせた。
• 四元数の基本公式を発見した際、感動のあまりアイルランド・ダブリンのブルーム橋(Broom Bridge)の石柱にその公式を刻み込んだとされる。】(ウィキペディア)

さて本書で断トツに面白かったのは、インド生まれのラマヌジャンの話。
彼は独力で数学を学び、数学的閃きと独自の理論で数え切れない定理や公式をノート3冊に書き留める。内容が高度過ぎてインド国内では真偽の判別がつかないため、当時の宗主国英国の一流数学者ハーディに手紙を書くところから、彼の人生は動き出す。
激動のラマヌジャン自身の生涯は、のちに映画『奇蹟がくれた数式』(2016年)として詳しく描かれています。
以下は備忘録。
・カーストはヴァルナ(バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの4姓とアウトカーストを含む身分制度)とジャーティ(職業集団)の2系統
・インドの結婚は、相手を含めすべて親が決めるが、同一カースト同士が基本、少なくとも女性上位(カースト)は許されない
・嫁入り道具と持参金に当たるダウリーは、娘を持つ父親の年収を軽く超えてしまうことで、様々な悲劇が起こっている
・ダウリー絡みの死亡者が1日平均17人、総人口に対するインドの男女比が100:93と歪なのはこれと無関係ではないかもしれない
・ラマヌジャンの天才を発見したハーディ自身が同時代に生きる天賦の数学的才能たちを点数化した。ハーディ20点、リトルウッド30点、巨匠ヒルベルト80点、ラマヌジャン100点
・英国での生活(特に宗教的制約による食事)に馴染めず、数学的熱狂を維持しつつも健康を害し、帰国後転地療養を繰り返す。結局1920年32歳の若さで亡くなるが、その時に書き残した書類は56年後の1976年に偶然見つけられた。そこには《擬データ関数》に関する600を超える公式が書かれていた
・日本の九九に当たるものを、インドの子供には20×20まで暗唱させる(他教科も物語風に詠読暗記するのがインド流)

以下の映画にもラマヌジャンの名前が登場します。
【映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』の中で、インドの天才数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンは、主人公ウィル・ハンティングの才能を説明するための比喩(引き合い)として登場します。
映画内での関係・言及のされ方
• ランボー教授による比較:
MITの教授ランボー(ステラン・スカルスガルド)が、大学の廊下に貼り出された難問をいとも簡単に解いてしまった清掃員ウィル(マット・デイモン)の規格外の才能に驚き、彼を歴史的天才であるラマヌジャンになぞらえて語ります。
• 「無名の天才」という共通点:
ラマヌジャンは正規の高等教育を十分に受けず、独学で驚異的な公式を次々と見出したインドの無名の天才でした。学歴も社会的地位もなく、大学の清掃員として働いていたウィル・ハンティングの境遇や、公式を直感的に導き出す天才性キャラ設定が、ラマヌジャンのエピソードと強く重なるものとして劇中で引き合いに出されています。
補足(モデルとなった実在の人物について)
• 映画の清掃員が未解決問題を解くというエピソード自体のモデルとなったのは、ラマヌジャンではなく、統計学の未解決問題を宿題と間違えて解いてしまった数学者ジョージ・ダンツィグのエピソードであるとよく言われています。】(ウィキペディア)

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2026年10月10日

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