【感想・ネタバレ】貴様いつまで女子でいるつもりだ問題のレビュー

あらすじ

「女子会には二種類あってだな」「ていねいな暮らしオブセッション」「私はオバさんになったが森高はどうだ」……誰もが見て見ぬふりをしてきた女にまつわる諸問題(女子問題、カワイイ問題、ブスとババア問題……etc.)から、恋愛、結婚、家族、老後まで――話題の著者が笑いと毒で切り込む。“未婚のプロ”の真骨頂。講談社エッセイ賞受賞作。

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上野千鶴子が世に介在する男女観を記号論的に分析し、我々の中で無意識的に培われた性差にまつわる自意識の存在を公にしたとき、日本はバブルムード最高潮で「モテ」が支配する世界にいて、そんな中一部の対極に『オリーブ』が位置していて、彼らはカウンターカルチャー的に「モテ」を内在化していた、そんな80年代。
それから20年、いまや草食男子と非恋愛価値観が幅を広げ、肌感としては「モテ」を受け入れられる者と受け入れられない者が50:50くらいかも。
鈴木涼美は前者で、「女子」たるアイコンを積極的に活用する(マジ笑える)。ジェーン・スーは後者で、「女子」たるアイコンへ疑問のナイフを投げ続ける(抱腹絶倒)。湯山玲子は越境的存在で、後者を理解し2つの世界を行き来する前者(むしろ尊敬すら覚える)。マツコ・デラックスはもはや性差を超越しているゆえ、(そしてポジション的には中村うさぎも同じく)、はなから客観的。
つまり、これらは現代若者の精神史をカジュアルに理解する著作たちなのである。
要は、こんな人たちもいるのねカタログ的な、ダイバーシティ促進の参考書として活用するか……もしくは、人生気楽にいこうよってことじゃない?(書店員・エイミー)

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Posted by ブクログ

ネタバレ

◾️record memo

・その五、保険と貯金を見直すべし。
二十代初めから支払い続けている生命保険、掛け捨てでないのは把握していましたが、がん保険がついていない商品だったことを、私は三十五歳まで知りませんでした。時世も変わりますから、以来、保険の見直しを数年に一度するようにしています。

格安ツアー以外の海外旅行も、免税店以外で買うハイブランドのバッグも、三十代前半で経験しました。同じ景色、同じ鞄でも支払う額が異なると、受けるサービスが異なることを、身を以て知ることができました。無駄遣いの良いところは、自分に不必要な贅沢がハッキリ見えるようになること。体験しないうちは、どれもが素晴らしいものに見えたままです。

私は二十代で稼いだお金を、三十代で全額使い果たしました。人はそれを馬鹿と呼ぶのでしょうが、清水の舞台から飛び降りて、その後しばらく骨折してるのちょう楽しい!四十代になったら、怖くてそんなことはできません。無駄遣いのあとの極端な節制も、体力や精神力のあるうちなら我慢ができますし。投資ならまだしも、浪費は老後の背中が見える前にぜひ一度ご経験を。

そして、ことあるごとに正論を吐く。正しい。正しいが可愛くない。可愛ければいいというものではないが、愛嬌や愛想が身を助けるということを、私が学ぶのは遅過ぎました。アラサー女のみなさんにおかれましては、同じ轍を踏まないで上手に生きることを、強くオススメしたいところです。

男と女の可愛いは同義ではないので、相変わらずチヤホヤされるか弱そうな可愛い女を見て腹が立つことはあるけれど、私には私のかわいいがあるぜ!と開き直る。

ひときわ異性関係において、隙がないことは致命傷のように言われます。隙がない女にとって、隙とはなんだか漠然とした空気のようなもの。得体の知れないそれを模倣しようとしたところで、「隙」と「媚び」と「馬鹿」の違いさえわからず、オロオロするのが関の山でした。ちなみに、オロオロは隙とは見なされません。そうなるとこちらも、「そもそも隙のある女が良いなんて、隙につけ込もうとしている人間の志が低いだけの話なのではないか?」と仏頂面になり、ますます隙がなくなる始末です。

その心の奥底の、やわらかくてみっともない湿った場所。ここに誰かが入り込んでこようものならば、バーンと内側からドアを閉める。そこまでしてようやく、隙がないのは、自分の弱さが起因している場合もあるのだと気付きます。

隙があろうがなかろうが、これからの毎日で傷つくことを完全に回避したり、絶対に傷つかない心を育てたりするのはとても難しい。けれども、いままでの毎日でアホみたいに傷ついてきた私は、とりあえず今日もご飯を食べて健やかに生きている。

もちろん、自分をブスだなぁと思うことも、デブだな!と感じることも、ババアになったなぁ〜と思うこともあります。しかし、それを見知らぬ他人に断罪される覚えはない。

ブスデブババアの悪態吐きは、若さと容姿美でしか女の価値を認められない、感受性の乏しい人たち。そこに気付いてからは、さほど腹も立たなくなりました。俗に言う上から目線で「この人は、自分が世間から正当な評価を受けていないと感じているのだなぁ」とニヤニヤして終わりにします。だからこそ、ブスデブババア起因ではない苦言には、自らを省みることもできる。ブスでデブなババアは、自尊心が高く、結構しぶといのです。

人の心はコントロールできません。だから、ブスデブババア起因の不当な扱いを、真に受けず受け流す強い心を育てる。これはなかなか根気の要る作業ですが、いまのところ私には功を奏しています。

何の実績もない、どこの馬の骨ともわからない私のような中年女が、本を書いたりラジオで喋ったりしている事実。容姿や若さ以外の要素でも好意的な評価を受けられることがあると、厚かましくも信じようではありませんか。と言うか、容姿や若さ以外に好意的な評価をくれる人と、濃い付き合いをするように努める。それぐらいの自分勝手は、許されて然るべきです。

私は四六時中綺麗な心ではいられません。しかし、ドス黒い気持ちの内訳がわかっていれば、自分で自分の足を引っかけるようなことはしないで済みます。

最初の結婚ラッシュを見送った女には、なぜか見送り特典がついてきます。それは自由。二十代に比べて金銭的にも行動力的にも馬力がかかるようになった三十代女の独身生活は、未婚の自分を過度に責める気持ちさえなければ、あまりにも自由過ぎて楽し過ぎる。

やりたい放題を、誰にも怒られないのです。なんて素晴らしい日々でしょう!パーティーに明け暮れるような派手さはなくとも、自己責任のもと好きな時に好きなものが買え、飲みたい時に飲め、ちょっと無理をすれば望む旅行に行ける。この心地好さは、なにものにも代えがたいぬるま湯です。

ぬるま湯に浸かっていると、結婚行きの列車に乗った女友達から、早々に厳しい情報がアップデートされてきます。子供の教育費や姑問題や旦那や住宅ローン。自分の時間が減ってヘトヘトになった彼女たちを見ていると、子供の頃は普通に生きていればそのうちできると思っていた結婚は、どうやらこの気ままな自由と引き換えの産物なのだと気が付きます。

二カ月に一度ぐらいは、日曜の午後布団に入ったまま「あー、けっこん……とか……こども……とか……かんがえないといけ……ないの?かな?」という思いがよぎらないわけではありません。しかし、誰にも邪魔されず惰眠をむさぼれる自由を旦那のために使うなんて、どう考えても勿体ない。「旦那の親」なんて知らない人のために、笑顔を作る義理もない。

一生懸命働けば働くほど、お金を稼ぐことがどれだけ大変か身に沁みてわかる。すると、人の稼いだ金で生活するなんて肩身が狭くてやってられん!と、専業主婦願望が限りなくゼロに低下します。

シャンパンを「泡」と呼び、どこからか手に入れたブランドのファミリーセールで清水ジャンプ買いをする女は、もちろん一部。でも、定時で退社できる仕事に就き、休日には近所の猫の写真をインスタグラムにアップして「❤︎いいね!」を待つ女にだって、周りから「まだやってるの?」と言われる演劇や音楽を、バイトをしながら追求し続ける女にだって、たまに襲う侘しさを優に超えた気楽さがそこにあるのでしょう。自分中心の人生は、どんな形であれ手放しにくいものです。

それはあまりにも突拍子なく湧き上がった感情。いまさら取り返しのつかない現実。私の心が乱れる写真には、すべて父親が介在したのです。私はもうここで観念しました。私は、この父親の愛情に嫉妬している。

Facebookの子供の写真を見て私の感情が揺らぐのは、私が結婚していないからとか、私に子供がいないからとか、そんな理由ではなかったのです。私の持っていない「婚姻関係」や「親子関係」を持つ同年代の友人知人に、嫉妬していたのではなかった。むしろ立ち位置は逆でした。私は、父親に世話をされている女児(つまり数十年前の私と同じ存在)に嫉妬していました。なぜなら、子供時代にそんな風に父親に可愛がられた覚えが、私にはなかったから。

父親に愛情を注がれている他人の娘の写真は、「私もこうやって可愛がって欲しかった」と、私に埋めようのない欠損を認識させる。

心のざわつきの構造がわかったので、最後に嫉妬の処理方法を考えました。しかし、いまから三十年以上前に戻って父親に育児し直して貰うのは物理的に不可能です。年老いた父親をいまさら責め立てるのも不条理です。子供の頃の私と父親がふたりで写っている写真でも探そうかとも思いましたが、そんな儀式めいたことをしなくても、父親が私に愛情を持っていたことはわかっています。なので、私はあきらめることにしました。

やがて、心をざわつかせていた類の写真を見ても、私の気持ちは前ほど揺れなくなりました。自分の欠損と、友人の子供とは何の関係もないと腑に落ちたのでしょう。

さて、先ほど「勤労意欲の有無は、女の方がわかりやすい」と大雑把なことを書きました。では、私がサラリーマン時代に「勤労意欲が低い」と感じていた職場の女たちは、その後どうなったでしょうか?
新卒で入った会社に七年勤めている間に、その女たちは次々に辞めていきました。結婚して専業主婦になったり、経営者としての事業継承ではなく家業を手伝ったり、キャリアを追求する転職とは異なる、自分のペースで働ける仕事に移っていました。だいたい、三十代前半までに、みんな居なくなっていた。
彼女たちは、お仕事ゲームの第一線から身を引いたのです。キャリアとか、自分で稼ぐことに囚われない生き方を選んだのでしょう。

一度働きだしたら中座しづらいのが男の現実だとしたら、彼らのプレッシャーは相当です。働き続けることに、女としての自分の価値を見出す感覚は、私にはない。結果的に働き続けるとしても、「なにがあっても働き続けなければ、社会的に認められない」というプレッシャーを感じることもない。その圧を感じているか否かで、仕事に対する意識はかなり変わってくるでしょう。

ゲームから降りても失格と見なされない(他の道があるとされている)女と、ゲームから降りたらアウトと見なされる男。自己実現のひとつとして仕事に向き合う女と、とにかく働き続け、そこでボスになるというゴールを据える男。働くことに対して背負っている感情は、男女で異なる。

三十代半ばに「仕事=男の人生の価値だと男自身が思っている」と仮定してから、私は彼らとの接し方を少し変えました。ゲームの中座が社会的にヨシとされていないならば、のらりくらりと働く男がいても不思議ではない。誰もが血気盛んに働きたいわけではありませんし、ゲームを降りたくても降りられないのであれば、その態度も許容はしがたいが理解はできる。彼らが責任を追及し合わず、仲間意識を尊ぶのも合点がいきました。正しさを追求してお互い刺し違えるなんて、辞めないことを最優先にしたゲーマーにとっては最悪の選択でしょうから。

やがて、理解しがたい男ゲーマーに対する私の接し方は体系化されました。いつまで経ってもやる気が見られない男ゲーマーには、失礼ながら「この人、余裕のある女だったら三年でゲーム降りてるタイプ……」と思うことにしました。彼らには、三年でゲームを降りて婿に行き専業主夫になるという選択も、企業に就職しても転勤のない一般職で補助的な仕事をするという選択も、最初からほとんどない。どんなに働くことが苦手でも、ゲームを降りようと思うことが人生の負けにつながるのですから、自主的に会社を辞めて、アルバイトで気ままに暮らす選択は難しいでしょう。自分の仕事能力に自信はないが働き続けなくてはいけない人ほど、会社を辞められないでしょうし。

強い女にも五分の小さな女の子と言いますか、私にもパブリックイメージ(しかも自分で作り上げたもの)とは反する、小さな女の子=さみしさや傷ついた気持ちをダイレクトに感じる存在がいます。見た目には不釣り合いな、砂糖菓子の世界に憧れるフワフワした気持ちだって、ちょっとは持っているのです。

自分の悲しみを放ったまま、いくつになっても可愛いものを「カワイイ!」と言える女を見てケッと思っていると、私の中の小さな女の子はいつまで経っても満足しないことに気付きました。また、自己防衛のつもりでネガティブな感情を無視していると、結局は自分の中の小さな女の子が、全部黙ってその感情を引き受けなきゃいけなくなってしまう。見栄と意地と自己批判と自己憐憫と過剰な俯瞰が、自分を不幸にしていたのです。恐ろしいですねぇ。

小さな女の子をなだめすかすには、少し時間がかかりました。怒りを感じる度に背中の女児に「これは?ああ、傷ついてるのね。悲しいのね。ハイハイ」と確認して、悲しさやさみしさを認める。場合によっては、人にそれを伝える。こっ恥ずかしい感動の映像に思わず心が揺さぶられた時には「これは?ああ、感情が昂って泣きそうなのね。ハイハイ、泣きましょう」と涙を流す。どうにもつらい状況が続いて苦しい時には我慢せず「これは?嫌なんだ。ハイハイ、助けを呼びましょう」と人に助けを求める。自分には不似合いに感じる可愛らしいものを見た時には「これ可愛い?似合わないと思うよ〜あっそう、じゃあとりあえず愛でるか」と手にとってみる。

小さな女の子の感情に付き合うのは超絶面倒でしたが、彼女の存在を認めたら、私はこの女の子を救済できた。巨大な女の子は少しずつ小さくなって、私はそこそこ気楽になりました。「理想の自分になるために努力すること」と、「理想の自分なら感じないと勝手に想定した感情を無視すること」は、別の話なんだと思いました。みっともない感情にある程度開き直れるのが、大人なのかもなとも思いました。

未練がましさや傷つきやすさ、そして子供っぽさは、いまだ私の中に存在します。でも、「そんなに上等な人間じゃないなぁ、アッハッハ」と、無様な自分に動揺しない厚かましさを身に付けた。自認はするけど、自責はしない。そういう風にすることに決めました。

当時私が生きづらかった理由を考えると、それは主に己と決着が付いていなかったから。いまも「完全に自分を受け容れた!」とは言いがたいのですが、それほどの落胆を伴わずに「まぁこんなもんか」と自分を認識できるようにはなりました。何事もソフトランディングできる点で、加齢は敵ではありませんでした。

理想という名の正論と目前の現実が大幅に乖離している時、理想以外をNGとすれば、必ず自分の首が絞まる。なぜって、夜が明ければ気に入らない現実は必ずやってくるから。ならば、理想と現実の間に今日の落としどころのようなものを見つけよう。

「女たるもの、こうあるべきだ」なんて考えて、そこからはずれた自分をくよくよしなくていい。好きなように生きる。傷ついた仲間がピットインしてきたら、総力を結集してメンテナンスし、また見送る。それが自由だ。それこそが自由だ。

というわけで私は今日も、一人でだらだら暮らしています。私の部屋を見た友だちが、あまりの飾り気のなさに、「おじいちゃんの部屋みたい」と言いました。観葉植物ばかりが元気に繁茂しちゃって、葉っぱの陰になってテレビ画面が見えにくいです。しょうがないからテレビを見るのは諦め、猛然と友だちに萌えを叩きつけるメールを打っています。絵文字皆無な、語尾に「!」が多用されたものを。まえに「ハートマーク」のつもりで文末に「v」をつけたら、「あの『v』ってなに?」と、おずおずと聞かれました。「♡」と「v」って似てるだろ!似てないか。尼さんよりも清らかな生活を送ってる気がするのだが、当然ながらだれも褒めてくれません。

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2025年04月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ポッドキャスト「となりの雑談」で大好きになったジェーンスーさん。初めて著書を読んでみて、惚れ直した。
自分の中で曖昧な輪郭でしかなかったことを、パキッと言語化してくれて終始心地よかった。痒いところに手が届いて、あースッキリ!のあの感じ。

チャプター32
感情や事態の構造を自分なりに把握すれば、私にとっては問題解決とほぼ同義。

自分勝手な思い込みの連鎖を断ち切れれば自分の心のざわめきの矛先を誰かに向けなくても事態は収拾する。

チャプター34
理想の自分になることと理想の自分なら感じないはずの感情を無視することは同義ではない。

みっともない感情を認める。自認はするけど自責はしない。

私にとってセラピーになった。
かっこいい大人になるために、この感動を忘れた頃また読み返したい。

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2025年01月31日

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ネタバレ

ラジオの「相談は踊る」で大好きなジェーンスーさんのエッセイ。

ぎっしりとジェーンスーが詰まっていて、ラジオで聴いたあれやこれの背景となる考え方を知ることができました。

コテコテに女子?の内容なので、読んでいて拒絶を感じる時もありますが、なぜ体が拒んでいるのかを丁寧にひらきながら読み進めることで、今までとは違う自分になれるという実感がありました。

自分の心に蓋をして目を背けていた部分を無視せず、ちょっとずつ受け入れていきたいと思います。

女として生きて20年後半の今、この本に出会えてよかったです。

女は生きづらいと言いますが、一方で8通りの生き方のバリエーションがあり、仕事というゲームは中断も出来る。選択肢という面においては、今の時代の女性は男性よりも自由です。
男性は未だに会社に長くいなきゃというプレッシャーと闘っているわけで、私はそんな彼らと、同僚としても友人としても恋人としても、どうしても溝のようなものを感じて心が折れかけて居たわけですが、男性社会の生き方というのを理解しようとしていなかったのが理由だったと納得できました。

この本の男性バージョンがあったら、いいのにな。
探してみようと思います。

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2025年01月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

衝撃的なタイトルに惹かれ。
30代のうちに読めてよかった!
「女子」の先輩からいただく、時々クスリと笑えつつも、重ねてきた人生経験から生み出されたタメになる考え方、お言葉の数々。

隙のない人間は弱い。隙は作るものではなく、堪えること、任せること、信じることで生まれるもの。
職場の後輩、同僚との関係性にも通ずるいいお話でした。たしかに隙がある人間は愛されると思う。

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2024年10月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「生きるとか死ぬとか父親とか」のドラマをきっかけでジェーンスーさんのことを知り、この本を手に取った。

ジェーンスーさんの言葉の選び方とか、文の構成、例え方とか、ユニークでとても好き。こんな文章書ける人になりたい。

Facebookや、女性雑誌の話題を読んで、なんか古いなーと思ったら、発刊されたのは2014年。10年前!!驚いた。

10年前でも、30代から40を迎える女性の悩みやモヤモヤが一緒のことに、びっくり。
他の本も読もうと思う。

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2025年07月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

年齢を重ねると、皺が増えたり足腰が衰えたり物忘れをしたり…などネガティブなイメージを漠然と抱えていたが、本書は大人になるって悪いことばかりじゃないんだなと希望をくれるようなジェーン・スーさんの強い芯が垣間見えた一冊。
他人の目を意識しつつも、鋭い洞察や深層心理を絶妙に言語化し、折り合いをつけながらうまく付き合ってらっしゃる。

SNSに載らない女子会を『海賊の宴会』と呼ぶのが特に面白かった。
『SNSに載る女子会が女性性の指差し確認ならば、SNSに載らない女子会は、女装ショーの楽屋打ち上げ。
SNSに載る女子会が女の戦ならばSNSに載らない女子会は、戦のあとの宴。
兜の緒を締めたり緩めたり、女の集いはどちらも楽しい。』

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2024年10月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

完全にタイトルで選んだ本
良かった、女子の気持ち

まだまだ子供なアラサーだけどそれで良いんだなあって感じ、先輩からの言葉

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2025年03月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

いつまでも子供っぽい自分を律するために手に取ったが、いい意味でタイトルに裏切られた!いつまでも心の中に小さい女の子を飼おうという教えだった。でもポイントは意識して飼うということだと思う。また40代の著者が20ー30代を振り返りながら書いているので、来たる30代への心づもりが少しできた。

心に残ったフレーズ
☀︎結婚したらわからない喜び
→結婚しなきゃわからない喜びがあるのと同じように反対の喜びもある。でも私はもう一つの選択肢のことを想像する気にもならない。それだけ今が幸せということ。旦那に感謝だ

☀︎他人と共有できないパーソナルな愛に溢れたかわいい
→共有できる可愛いと、できない可愛い。後者は替えが効かないから、これを感じ合ってるパートナーがずっと円満でいられるのかなと感じた

☀︎過ごすではなく、暮らす
→ただ流されるように日々を送るのではなく、意思や目的を持って、能動的に活動し、日々を楽しもう、ということだと捉えた。無目的にスマホをいじってる時間は本当に無駄だ

☀︎子供の頃からピンクが大の苦手でした
→完全に記憶から抹消されていたが私もそうだった!急に鮮明に昔が思い出されて雷が落ちた気持ち。可愛くない自分には似合わない、ピンク好きは可愛い女の子が多かった、おしゃれな母に青が素敵な色だと習った笑、のが理由
でも価値観が広がったり、メイクも服も自由に選べるようになって、あとは時間も経過し、自分の顔に慣れたからピンクを拒まなくなってた

☀︎バカにしていたことをはじめる/苦手を嫌いにスライドしない
→斜に構えたり、恥ずかしがったりして挑戦せず避けてきたことにあえて挑戦したくなった

⭐️やること
☀︎スマホを暇つぶしにいじるのをやめる
☀︎毎日の体操と柔軟。夏のランニングが可能か試す
(30代から体に違和感を感じだし、40で老けを実感)
☀︎インスタ投稿もっと気軽にしてみるweek。写真にも凝ってみる
☀︎GU基本は試着して買う。オンラインで買う時はカートに入れてから一旦寝かせる
☀︎柳原可奈子のインスタフォロー(帯を書いてたらしい)→暖かい雰囲気がわかったのでもう満足

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2024年07月23日

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