あらすじ
主人公のアルセストは世間知らずの純真な青年貴族であり、虚偽に満ちた社交界に激しい憤りさえいだいているが、皮肉にも彼は社交界の悪風に染まったコケットな未亡人、セリメーヌを恋してしまう――。誠実であろうとするがゆえに俗世間との調和を失い、恋にも破れて人間ぎらいになってゆくアルセストの悲劇を、涙と笑いの中に描いた、作者の性格喜劇の随一とされる傑作。
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一見飄々と書き上げたかの作品に見えるが、喜劇と悲劇という対極に位置する両者を苦も無く流麗に調和させる技術は物語の書き手なら誰もが嫉妬を禁じえない喫驚の一言。かのゲーテが本作を読んでモリエールに会う事を渇望したというのも頷ける至極の戯曲作品。
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モリエール随一の傑作とされる性格喜劇。若気の至りの塊のような青年アルセストが人間嫌いになっていく様を、ユーモアとペーソスたっぷりに描いていてほほえましい。理解してくれる友人がいて君は幸せだよ!
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モリエールにはまったきっかけ。タイトルに惹かれて手にとってみれば、まあ面白い。高校生のうちに出会えてよかった。数作品読んだ今もモリエールの中では一番好き。
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ロドリーグ。騎士。名門の家。恋人シメーヌ。ある日、ロドリーグの父親が、シメーヌの父親からビンタされる。ロドリーグは父親から「(私をビンタした)シメーヌの父親を殺して名誉を回復するのだ」と依頼される。ロドリーグは、シメーヌの父親を決闘の末、殺害。ロドリーグはシメーヌの館を訪れて、自分を殺せと迫るが、シメーヌは躊躇する。ピエール・コルネイユCorneille『ル・シッド(勇者)』1636 悲劇
生のどの瞬間も、死への一歩である。ピエール・コルネイユCorneille
トロイア戦争でトロイアはギリシアに滅ぼされる▼アンドロマック(アンドロマケ)。女。夫(トロイア王子)がアキレウス(ギリシア)に殺され、幼い息子と共にアキレウスの子ピリュスの奴隷になっている。ギリシア側は「アンドロマックの幼い息子がいずれ殺された父の仇を取るため、ギリシアに反旗をひるがえすかもしれない。今のうちに殺しておこう」と考え、ピリュスに「アンドロマックの息子を引き渡せ」と指示。ピュリスはいったん拒否して、アンドロマックに言う。「私と結婚しろ、さもなくば、お前の息子を引き渡す」。アンドロマックは仕方なく、好きでもないピュリスとの結婚を承諾▼エルミオーヌ。女。ピリュスの婚約者。結婚を約束していたピリュスが、別の女アンドロマックに夢中になり、婚約を破棄したことに怒り心頭。ピュリスを奪ったアンドロマック殺害をオレスト(アガメムノンの子)に依頼。オレストはピリュスを殺害。ジャン・ラシーヌRacine『アンドロマック』1667
※オレストはエルミオーヌを愛し、エルミオーヌはピリュスを愛し、ピリュスはアンドロマックを愛し、アンドロマックは夫エクトールと息子アスティアナクスを愛す。
フェードル。アテネ王テゼの妃▼大きな罪の前には、取るに足らぬ罪がある。ジャン・ラシーヌRacine『フェードル』1677
金曜日に笑う者は土曜日には泣くだろう。ジャン・ラシーヌRacine『訴訟人』
※コルネイユはあるべき人間の姿を描き、ラシーヌはあるがままの人間の姿を描いた。
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タルテュフ。貧しい青年。似非宗教家。表向きは善人のふりをして、お人好しの富豪オルゴンに接近、裏でオルゴンの財産や美人妻(エルミール)を奪い取ろうとする。周りの家族はオルゴンに「タルテュフは偽善者、騙されてはいけない」と訴えるが、オルゴンは聞く耳を持たない。オルゴンは、「善良な」タルテュフを悪く言う実の息子を勘当、タルテュフに全財産を贈与することを約束してしまう。そこでオルゴンの美人妻は夫をテーブルの下に隠れさせ、夫がいないと見せかけて、タルテュフに色仕掛け、タルテュフの正体を夫オルゴンに示す。オルゴンはタルテュフを追い出そうとするが、タルテュフはオルゴンの醜聞を元にオルゴンを告訴。しかし、”人心をよく理解されている国王陛下”の裁量で、タルテュフは逮捕される。モリエール『タルテュフ--ぺてん師』1664
※ルイ14時代、ヴェルサイユ宮殿で初演
※タルテュフ→ジュリアン(赤と黒)
アルセスト。貴族の青年。社交辞令やお世辞が許せない。虚飾が許せない。偽善者がきらい。不正が許せない。過度の潔癖。アルセストは、セリメーヌという美人(未亡人)に恋をするが、セリメーヌはモテモテで、色んな男に言い寄られている。アルセストは「複数の男に優しくしたり、気のある素振りをしないでくれ」と潔癖を発動するが、セリメーヌに軽くあしらわれる。アルセストはセリメーヌに「俗世間から離れて一緒に暮らそう」と持ちかけるも「年寄りでもあるまいし」と断られ失望する。モリエールMolière『人間ぎらい--怒りっぽい恋人』1666
〇オロント。男。セリメーヌに恋。
〇アカスト侯爵。男。セリメーヌに恋。
〇クリタンドル侯爵。男。セリメーヌに恋。
〇アルシノエ。女。アルセストに恋。セリメーヌの友人。男にモテるセリメーヌに嫉妬。
〇エリアント。女。アルセストに恋。セリメーヌの従妹。
〇フィラント。アルセストの友人。誰にでも愛想がいい。
アルパゴン。老人。高利貸し。けち。拝金主義。息子の恋人に一目惚れし、強引に奪う。モリエールMolière『守銭奴』1668
〇クレアント。アルパゴンの息子。
〇エリーズ。アルパゴンの娘。使用人ヴァレールと恋仲。
〇アンセルム。アルパゴンが娘エリーズを結婚させようとする。ヴァレールとマリアーヌの父。
〇ヴァレール。アルパゴンの使用人。
〇マリアーヌ。息子の恋人。ヴァレールの妹。
結婚の契約をしてからでなければ恋をしないというのは、小説を終わりから読み始めるようなものだ。▼満足は富にまさる。モリエール
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シャルトル嬢。女。16歳。貞操観念が強い。年の離れたクレーヴ大公と結婚するも、舞踏会で出会った美青年ヌムール公に一目惚れしてしまう。女は夫であるクレーヴ公にヌムール公を好きになってしまったことを正直に伝え、ヌムール公から離れるために宮廷から離れた田舎の館に住みたいと申し出る。しかし、ヌムール公は田舎の館を訪れ、遠目からこっそり眺めていた。クレーヴ大公は妻とヌムール公が密会していると勘違いし、ショックで死んでしまう。ヌムール公は改めて娘に求婚するが、娘は拒絶し、修道院に入る。ラ・ファイエット夫人『クレーヴの奥方』1678
※軍人・政治家ラ・ファイエット(1757-1834)は18世紀の人。
※宮廷では表面だけで判断してはいけない。らしく見える、だけである。
シュヴァリエ・デ・グリュー。青年。名家の生まれ。学業優秀。慎み深い。内気。マノンという妖艶な美少女と恋仲に。シュバリエとマノンは共謀して、隣人の司税官や女好きの老人を誘惑して金を巻き上げていく。破天荒な生活。ついに二人は逮捕される。出所後、二人は米ニューオリンズの小さな村でつつましく暮らし始める。が、シュヴァリエは、マノンに言い寄る村長の息子と喧嘩になり、負傷させてしまう。二人はアメリカの荒野を逃走するが、マノンが飢えと寒さで体調を崩して死ぬ。シュバリエは失意の中、フランスに帰る。アベ・プレヴォPrévost『マノン・レスコー』1731 ※聖職者なので「アベabbé=神父」
〇チベルジュ。シュバリエの良き友人。堕落していくシュバリエを改心させようとする。
※ファム・ファタール。
メルトイユ夫人。性悪女。知り合いのヴォランジュ夫人が大嫌い。ある日、嫌いなヴォランジュ夫人の娘セシル(15歳)が婚約したこと知り、セシルを破滅させてやろうと、性に奔放な男ヴァルモンにセシルを誘惑するよう仕向ける。ヴァルモンはセシルの部屋に忍び込み、言葉巧みにそそのかし、性的関係をもつ。セシルは妊娠するが流産、修道女となる。一方、メルトイユ夫人はその鬼畜の所業が暴露され、非難の的となり、天然痘に罹って美貌を失い、さらに財産も失う。ピエール・ショデルロ・ド・ラクロLaclos『危険な関係』1782
※メルトイユ夫人は「女タルテュフ」とも。
少女ヴィルジニーと少年ポール。島の自然の中で幸せに暮らしている。が、ヴィルジニーがパリの学校へ行くことに。ヴィルジニーは都会での生活に慣れず、2年ぶりに島へ帰ろうとするが、船が難破して溺死。それを知ったポールは絶望して自殺。サン=ピエールSaint-Pierre『ポールとヴィルジニー』1788
ジュリエット。孤児の娘。悪徳。性に奔放、残酷、神を恐れない。パリの犯罪愛好協会の一員になるが、フランスの人口の三分のニを餓死させる計画を聞き、さすがに躊躇。パリ南西の町アンジェに逃げ、ある男と結婚、娘が生まれるが、単調な生活に嫌気がさし、夫を毒殺、財産を奪い、イタリアへ逃亡。ロシア人ミンスキー(少年少女を拷問・強姦・虐殺して肉を喰う巨漢の男)から金を奪い、イタリア各地で快楽と悪行を尽くす。パリに帰り、実の娘を拷問、火に投げ入れて焼き殺す。さらに生き別れた妹を雷雨で落雷死させる▼悪徳は自然の本質であり、人間の一切は悪徳。マルキ・ド・サドSade『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』1797 ※発表後、風俗を乱したとして逮捕、精神病院に監禁される。
●ジュリエット。姉。淫蕩。性に奔放。悪徳。
〇ジュスティーヌ。妹。貞淑。節操が堅い。美徳。
●クレアウィル。夫人。ジュリエットの友人。悪徳を肯定。
●ノアルスイユ。放蕩。ジュリエットを庇護。
●サン・フォン。大臣。ジュリエットに惚れる。
〇ラ・デュラン。魔術師の女。運命の予言。
アドルフ。男。22歳。冷笑家。孤独を愛しながら孤独に堪えられず、人と交わってみるが長く続かない。けだるい日々。ある時、アドルフは倦怠感を紛らわすため、愛してもいない女エレノールに近づき、付き合う。女がアドルフに献身的な愛を捧げると、アドルフは女を重荷に感じ、別れを切り出す。女は失意のあまり死んでしまう。望んでいた自由が、アドルフに重くのしかかる。バンジャマン・コンスタンConstant『アドルフ』1816
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ヴォイツェク。男。下級兵士。貧困。医療被験者のバイト。内縁の妻と子がいる。ある日、ヴォイツェクは妻がヴォイツェックの同僚の男と踊る姿を目にする。ヴォイツェックは「あの女を殺せ」という声を聞き、ナイフを購入、夜、妻を沼地に連れ出して殺害。空には赤い月が出ていた。ゲオルク・ビューヒナーBüchner『ヴォイツェク』1835 ※ドイツ、悲劇
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面白い。
おべっかや飾り立てた大仰な言葉遣い、本心とは異なる表面上の友情と愛情で満ち満ちた社会を嫌うアルセスト。
「嘘をつくと蕁麻疹が出る(これは違国日記の高代槙生)」かのような彼は、真実の見えない厚化粧な社交界を嫌う。つまりは「人間嫌い」ということだろう。
しかしそんな彼も「恋ってやつぁ、理性じゃどうにもならないんでね」と、本来彼が憎む部類の女性に恋をする。その様は、自分の主張を偽らず世間が嫌いだと言って憚らない頑固で一本気な彼らしく、大いに気狂いじみている。
馬鹿馬鹿しい世間とアルセストの対比というのを基調に、それらをさらに、馬鹿馬鹿しくしかし哀れなほど真剣に恋しているアルセストの様と対比させることで、あるスケールでは喜劇、あるスケールでは悲劇、と深みがでている。
この舞台、みてみたいなあ
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本音と建前を弁え、言葉を並び立てて"良識"のある人間として振る舞う社交界貴族達の言動も、言葉や気遣いで固めた人間の心の醜さに耐えられず、真っ向から反発する青年アルセストの言動も喜劇として見ると滑稽でおかしい。が、それはくすぐられるようなおかしさではなく、痛切な余韻を残すおかしさである。喜劇と悲劇の表裏一体を描いており、これが喜劇の随一とされるゆえんかと感じた。
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久しぶりに古典を読んだ。さくっと読めるので良い。とても皮肉のきいた作品。いつの時代も悪口は人間関係を強固にする手段だったのだなあと悲しくなるし、そんなもんかとも思う。
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純心な主人公アルセストが、自分の最も嫌うつくろいの社会の色に染まったセリエーヌにのめり込む。恋に破れ人間嫌いとなって隠遁することを決意する。1640年代の作品だが現代にも通ずる物語。2018.7.7
Posted by ブクログ
本音を言わず建前で人と付き合う
そんな事が嫌いだ。
そんな社会はクソだ。
人間はもっと正直に生きるべきだ。
そう思った時期って誰しもあると思う。
主人公アルセストが滑稽でもあり、
どこかいつかの自分と重ねてしまう。
これを喜劇として受け止める私たちの社会もまた、悲劇的な喜劇と言えるのかもしれない
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鬼のような人間嫌いの主人公アルセスト。
青年故か、誰にたいても斜に構えて反論のみw
誰も認めようとしない思考回路がすでに自分をかぶっていてつらいですw
アルセスト「僕はあらゆる人間を憎む。」
この発言に集約されるアルセストのキャラがいいです。
悪い事をしてるやつらは当然憎むし、社交界に染まって媚びまくってるやつらも鬱陶しいから憎むし、人徳のある立派な人物さえも憎む心を持っていないというところがうざいから憎むという徹底ぶりw
まあこんな男がフランスの社交界でうまく行きていけるわけもないので、アルセストと周りを取り巻く人間との絡みは喜劇そのものです。
ついでにといっては失礼ですが、主人公の恋が話のメイン。
めちゃめちゃ人間嫌いやのに恋愛は鬼のようにピュアw
しかもその相手が主人公が一番嫌いな社交界に染まりまくった女性w
主人公は恋に真剣そのもので、死ぬほど悩み苦しんでいるんのですが、なぜか滑稽w
ついでに相手の女性も滑稽w
社交術をめっちゃディスった内容で、現代の日本社会にもあてはまるものがあります。
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本心しか言いたくないという潔癖性を持つ主人公が、理性では如何ともしがたい恋愛に熱をあげ、最終的に人間ぎらいになる話。あくまで喜劇である。
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当事者にとっての悲劇は第三者においては喜劇となる。そういうことだろう。
登場人物に感情をおいて読み進めれば,この物語の結末は悲劇だ。けれども,これをあくまで戯曲として捉え,最後まで傍観の意思を貫けば,読み手はこの本を滑稽な喜劇として捉えることができるのである。
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三谷幸喜さんの文楽舞台の人形ぎらいに関連する書物として読むことにした。
偏見的だが、いかにもフランス人のへそ曲がり的な論法で話が進んでいく。ある意味主人公のまっすぐな主張は理解するけど実際身近にいたらめんどくさい奴としか思えないかなと。
戯曲形式なのでサラサラ読めたが、音読したらより登場人物の心理に近づけるような気がした。やらないけど。
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演劇の脚本である。現物を見た後でないとその場面が頭に浮かばないので興味が持てない。
現在であればYouTUbeで観た後にこの脚本を見ればいいと思われる。津村の読み直し世界文学の1冊であるが、読み直しても場面が浮かばないのは、日本でそれほど上演されなくなったせいなのかもしれない。
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喜劇王の作品ということで、気軽に読めて大笑いできる作品かと思いきや、意外にそうでもなかった。もちろん、モリエールは役者でもあったから、さすがに演劇で笑わせる手法をよく心得ている(p.25、p.73~など)。しかし全体としては、むしろ悲劇に近いような印象だった。
アルセストは自ら「僕はあらゆる人間を憎む」(p.14)と言っていて、確かに劇中プリプリ当り散らしてばかりである。しかし、それは逆にアルセストの人間愛の裏返しでもないだろうか。愛憎は表裏一体というか、人は関心のないものを憎んだりはしない。アルセストは自分の中に「人間とはかくあるべし」という人間性の基準(あるいはイデア)をしっかり持っていて、誰も彼もがそれに一致しないので怒ってばかりなのだ。
社交界が舞台になっているのだが、そもそも社交術とは人と人の軋轢を緩和して、それぞれが気持ちよく交際できるように、という理念に基づいていたはずだ。しかしそれが高度に発達した結果、逆に人間のまごころと矛盾するようになってしまった。気に入っている人にも、内心軽蔑している人にも同じような笑顔を振りまく貴婦人セリメーヌに、アルセストはいらだつ。「ぼくはそんな風にみんなを大切になさるのが気に入らないんです」(p.50)
そんな社交術(会)と人間性の対決のクライマックスが、五幕四場のラストシーンである。他人をこき下ろした手紙が露見してみんなに見限られたセリメーヌに、二人で人里離れた田舎へ行こうと誘うアルセスト。言い換えれば彼は、虚飾と欺瞞の世界を去ってまごころに基づいた暮らしをしようと説いているのである。ここに、作者モリエールの描きたかったことが凝縮されているように思う。
ところで、この作品の魅力というか価値の一つは、やはりアルセストという強烈なキャラクターを生み出したことだろう(バルザックもよく引き合いに出す)。彼は頑固一徹にアレコレ怒りまくっていて、「人間嫌い」の名に恥じない。セネカが『怒りについて』のなかで「相手の罪悪が怒りに値するたびごとに激怒するならば、賢者は余りにも怒り過ぎることになる」と書いているが、アルセストはまさにこれである。ちなみに、常にアルセストをなだめて寛容を説く友人のフィラントは、セネカに通じるストア派だろう。
いつもイライラして批判ばかりしている友人がいたらさぞかし疲れると思うが、それでもアルセストは不思議に息づいている。それはおそらく、彼の考えていること、言っていることは、誰もがときに心に思うことだからだ。誰もが多かれ少なかれ感じる人づき合いの煩わしさ、嘘っぽさを暴いて、突きつけるているから、ちょっとした爽快感が生まれる。彼の問題は彼の考え・主張ではなくて、それをうまく表す手管がないことだと思う。
ストーリー的には、男たちを手玉に取っていたセリメーヌが凋落するシーンが納得しにくいが(ただ、劇では演出家の腕の見せ所かもしれない)、人間が好きなのに出会う人間にはみんな我慢がならず、愛したいのに愛されず、才気はあるのに活かす術がないアルセストを生んだことで、『人間嫌い』は不朽の作品になったのである。
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何でも率直に自分の感情をぶちまけなければ気がおさまらない一種の中二病患者アルセストの大変残念な恋の物語である。
しかしこいつときたら良く分からない。
誠実な人間以外は寄るな触るなとうるさい割に、彼が恋焦がれるのは行き遅れの聖女ではなく、甘い言葉と毒舌とをしっかり使い分ける小悪魔ガール(笑)なのである。
人間態度の在り方について色々ご高説を垂れつつ、結局ブスは無視して美人の尻を追いかけまわしているのだ。実にしょぼい。その時点で、己の思想を透徹した者に与えられる潔さの魅力もないのである。セリメーヌにあっさりと振られるのもむべなるかな。エリアントをあっさりかっぱらわれるのもむべなるかな。
自分から人に剣突を食わせておきながら人に裏切られたと嘆くアルセストを見ていると、なんだか己の底を覗き込んでいるようで痛々しい。彼の矛盾は全国津々浦々の中二病患者達の抱えるいかにも残念な矛盾である。
一方で、アルセストの傍若無人さにもめげずに彼の面倒をみるフィラントのイケメンっぷりが光る。おべっかと誠実さを適度に混ぜて使い分け(好かぬ奴には当たり障りなくおべっかで、友人にはあけすけな誠実さで接するのである)、悪口雑言を浴びせられてもさっぱりめげず、最後に美味しいところをしっかり持ってゆくタフなしっかり者である。
コミュニケーション能力とは実に大事なものであるなぁ、全部あけすけはさすがに駄目だよね、とフィラントにいたく感じ入る本。
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「人間ぎらい」というタイトルに惹かれて手に取りました。
さすがに17世紀に書かれた古典戯曲を「面白い」という風には僕は感じない。でも、ものすごく普遍的な内容ゆえに、この作品が風刺していることが色褪せていないことは本当に興味深いなと感じました。
主人公・アルセストは良くも悪くも純粋な青年ですが、良い青年が得をするかというと、今も昔も同じように、そういう側面だけではないようですね。「古き良き時代」という懐古趣味的な言葉もあるけど、昔が良くて今が悪いかというと、決してそんなことはなくて、300年以上前もすでに人間社会は矛盾に満ちていたわけです。
全体的な内容よりも、アルセストの親友・フィラントが語る口上(P96)が本質を突いていて、それがとにかく印象的でした。
Posted by ブクログ
タイトルに引かれて購入したが、正直名前負けしてると思う。いや、俺が悪いな。純文学的な深さを期待して読んだが、期待と反した内容だったのでガッカリした。まぁ裏読みすれば深さはあると思うが、淡泊な内容だったので。