あらすじ
「アロエが、切らないで、って言ってるの。」
ひとり暮らしだった祖母は死の直前、そう言った。植物の生命と交感しあう優しさの持ち主だった祖母から「私」が受け継いだ力を描く「みどりのゆび」など。日常に慣れることで忘れていた、ささやかだけれど、とても大切な感情――。心と体、風景までもがひとつになって癒される13篇を収録。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
『体は全部知っている』というタイトルの作品は収録されていませんが、全体を通してこの言葉がぴったりだと思うと、とても奥深く感じました。
どの短編も心に残るものばかりでしたが、特に「田所さん」や「おやじの味」が印象的で、好きだなと思いました。
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何か素敵だと思うけど、言葉にできないもどかしさとか。
忘れちゃいけない気がしてじっと立ち止まるけど、その瞬間を切り取れない切なさとか。
大事そうなものに直面した時、コレクションのように集めたくなってしまう人間の性なのだろうが、ほんとは、きっと、目に見える形で残しておかなくても感覚として体が蓄えているのですね。
だからこそ、色鮮やかな今を必死で生きないといけないし、感覚を蓄える体も大事にしないといけない。
本能に従っていれば、きっと私たちはより人間らしく、数字だとか利益だとか成果だとかを求めず、曖昧なものを許容できるのでしょう。
吉本ばななさんの作品、恥ずかしながら初めて読みましたがもっとこの綺麗な文体に触れたいと思いました。
「みどりのゆび」「おやじの味」が特に好きでした。
見たことないはずの情景とそこで揺れ動く心情に、「あ〜..なんかわかるな〜..」となぜか共感してしまいます。
状況は違っても、似た感情に私も出会ったことがあるのだ、私の体も知っていたんだ、と思わずにはいられなかったです。
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初吉本ばななさんでした。
ちょっと難しい話を書く方なのかなという先入観を持っていましたが、全く違って丁寧で綺麗な印象でした。
ありそうでない、なさそうでありそうな日常のお話でゆっくりと大切に読みたくなる文章で私は好きな1冊となりました。
ばななさんの
他の本も読んでみたいです。
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いちばん好き。一つ目の「みどりのゆび」を読んでいる時に、この一冊を好きになると分かった。僕が毎日を生きていく上で欲しい言葉が幾つもあった。こうだと思っていたことが、ちゃんとこう!だと書かれていた。ありがとう。
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五感で気付く瞬間が人生の中にいくつも散りばめられている。
本当にハッとして、ストンと落ちてくる感じ。
「体は全部知っている」
まさに表題通り。
感情移入はしないけど、そのハッとする瞬間の感じが綴られていて、心地いい。
感覚が鈍ってきた時に読みたい一冊。
Posted by ブクログ
恥ずかしながら読んだことがなかった吉本ばななさん、すごく好きです!
植物のことがよく出ていて、描写がすごくきれい。あとは海のこととか、雨とか。
すごく素敵だから、思わず自分も真似したくなってしまう。夜ボートに乗りながら、お酒を飲んだりとか。
「いいかげん」で主人公が喉元まできている言葉を押しとどめることができる、というのが心底羨ましい。どうやったらそれができるのだろう?私はついついその場のノリとか、売り言葉に買い言葉で口から出てしまうので。
元気のないときに、これを読めば大丈夫な気がした。「おやじの味」が好き。
Posted by ブクログ
短編集だと本のタイトルは短編のうちの一つ、ということが多いけれども、体は全部知っている、というお話はありません。どれか一つの短編が表紙を代表してしまうのではなく、全体を代表するようなタイトルに私は大満足しました。
日常にときとして入り込む非日常、意識の世界にふと訪れる無意識の世界、現実に紛れ込む夢、、、それが、普段忘れている自分の本心とか、内側に触れる瞬間を生み出す不思議。
ばななさんが、30代半ばで挑まれた作品とのことです。体がストライキに入って、体に立ち返ったことをあとがきで共有されています。
…
第1話目の「みどりのゆび」で、おばあちゃんのお話で、いきなりぴったりくる。
_祖母が死んで初めての冬だったが、もう何年も前のことのように遠く思えた。
私が1人旅の途中の山道でふと思い出した、去年の冬のアロエについての家族でのやり取りと、そこから思い出す祖母との最後の会話。
_「それでね、おばあちゃんはあんたにはわかると思うの、そういう感性がね。植物ってそういうものなの。ひとりのアロエを助けたら、これから、いろんなね、場所でね、見るどんなアロエもみんなあんたのことを好きになるのよ。植物は仲間同士でつながっているの。」
そういうものなの、っていうところがなんだかとてもリアルだ。母も祖母もなにかそういうものだって教えてくれてた気がする。
_そうか、こうやってつながりができていくのか、もうアロエは私にとってどこで見ても見る度にあたたかいものや優しいものにつながっていく。
一人旅、ってこういうことのために会ったりするのかもしれない、遠くに1人で行って、自分に戻る、自分の原点に戻る、自分の内側に戻る、そうやって、また次に進む先がどちらなのかに気づく。
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「黒いあげは」や「明るい夕日」なども、今が夢か現実かよくわからなくなる時の錯覚が書かれていてとても共感しました。
友人とドライブ行って温泉行って、ふとした記憶がよみがえる。父母のもめごとと、2週間の父の家出… 黒いあげは蝶が飛んできた記憶とともに、現実にも現れる… 胡蝶の夢!?!?
_止めることのできない時間は惜しむためだけでなく、美しい瞬間を次々に手に入れるために流れていく。
_…私はなんとなく気が狂いそうだと思った。自分の歳も住んでいるところもわからないような感じがした。夢に出てくる風景の中を歩いているようだった。それはいい夢でもわるい夢でもなかったが、現実からは遠くに離れていた。今歩いているこのミニチュアの世界で、自分だけがぐぐっと巨人になって、高い高いところから私たちのちっぽけな人生のあれこれ全て、昔から今までの全部を見つけているような錯覚にとらわれたのだ。
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「おやじの味」では、職場で失恋して、出勤できなくなり、今は山小屋に1人暮らす父のところで過ごすことにした私。
_「ねえ、お父さん、みんあんでここで暮らせたらいいのにね。お母さんも、畑とか耕して、虫とかつかんで、みんなでいっぱい働いて、夜ごはんたくさん食べて、ぐうぐう寝るの。みんな並んで。真っ暗な中で。」
私は言った。それは泣けてくるくらいあり得ない、遠くの光景だった。なんでだろう?なんでありえないのだろう。なにがどこで間違ってしまったのだろう?きっと、私が毛虫の感触を失ったのと同じ道のりで、家族から少しずつなにかが失われてしまったのだ。
この部分を読んだときに感じた強い恐怖心?深い悲しみ?みたいなものはなんなんだろう。たくさんあった可能性は既に遮断されているという現実を突きつけられる、からなのか、
あったものがなくなったことに気づいたときの喪失感?ずっと前からなくなっていたけれど、ただ気づいていなかっただけ、確認せずにおいておいた、「ある」かもしれない可能性。今はもう、絶対ない、でも過去には未来としてありえたたくさんのこと。なんでこうなったのか、なんでこの現実が選ばれたのか、の分かり得なさ。それでもこの現実からは路線変更はできない、有限性。…
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「サウンド・オブ・サイレンス」では、養子であることをはっきりとは言われていなかったけれども、15歳年上の「姉」が肉親であったことはうすうす気づいている私。
_…とにかく、 人の体や心というものが自分たちの思っているよりもずっとたんの情報を受け取ったり発したりしているということだけは確かなように思える。
現実にある神秘性。体が神秘だ。…
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「いいがけん」は、もっと世俗的で面倒で、私は、この人生ってなんだかなあ、と思う。きっとなにかがどうしようもなく偏っているのだろう、という。
神社にお参りに行く。
_「子供もじじいももういいです。ちょうどいい年頃の伴侶に恵まれますように、道のりは遠くても。」
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短編集。身体と五感を十分に使っていれば、毎日はヒマになるスキなどなく美しいものである、ということ。
Amyよりやっぱ吉本ばななのほうが好きだなあと思うなど。
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モーリス・ドリュオンの『みどりのゆび』を調べていて、偶然に吉本ばななの「みどりのゆび」に出会い、読んでみました。
かつてベストセラー本を次々に出していた頃私は夢中になって読んでいました。今回、突然にまた私の前に戻ってきた吉本ばなな。優しさ、癒しといった柔らかさだけでなく、毅然と前を向く強さまで手に入れて成長した姿を見ることができました。
どの短編もポスイットだらけです。
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色んな家庭があって、普通の家庭というものはなくて、それぞれの家庭がそれぞれ違うのだけれども、ちょっとずつ自分の家庭の部分部分に、すこしにてて、なんだかさめざめと、言葉が身体の奥の方に落ちて響くような話ばかりだった。
僕の家が、そんな家だったからなのかも知れないけど。
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吉本さんは良い意味で道徳的な話を書かれる
生きていることには本当に意味がたくさんあって、星の数ほど、もうおぼえきれないほどの美しいシーンがわたしの魂を埋め尽くしいるのだがら生きていることに意味をもたせようとするなんてらそんな貧しくてみにくいことはもう一生よそう、
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よしものばななの短編集。個人的には最後から2番目の短編が好きだった。本書を読んで1番に考えさせられたのは恋愛やSEXについての価値観。よしもとはこのように二者を並列に語っていることからも2つを独立して存在する概念として捉えている。恋愛の中にSEXが包含されるのではなく恋愛と肉体関係を別物として割り切っているのだ。平たく言えば性愛に関して開放的で不倫や一晩の情事などの行為を恋愛に縛られることはない自由なことだと謳っている。これは価値観の相違であり是非が問題ではないので1つの考え方としてインプットしておこうと思う。また気づいたこととして挙げられるのは今まで読んできたよしもとばななの小説には必ずと言っていいほどおばあちゃんが出てくるということ、そしてほとんどの主人公はそのおばあちゃんが大好きだということだ。作者がおばあちゃん子である証であろう。最初の短編も例に漏れずおばあちゃんとアロエについてのお話だった。作家の性格や趣味嗜好は作品に現れるとは言うがここまで顕著なのは珍しい。タイトルは「体は全部知っている」だがそれぞれの短編に共通することは体と心というより大切なものと記憶という関係性にある気がした。1作目はおばあちゃんとアロエ、2作目はボートとお母さん、3作目は彼氏とサーファー。大切なものを介して記憶を掘り起こし新しい始まりを告げる。このような共通性があるように感じた。どの短編も劇的な展開があるわけではないが淡々とした日常が彩豊かに描かれている。その時の気分に左右されずゆったりと読める短編集だと感じた。
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ん〜短編が上手だな!一人一人の登場人物にとって一番重要な事を丁寧に描写して、それ以外は上手に切り離してる。かなり短い話のコレクションなので、分かりやすめのテーマが多いけど、思慮が浅いわけでは決して無い。
織り込み方を工夫すれば結構直接的にテーマを喋っても自然と入ってくるものだなあ
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1話10分ほどで読める短編集
ドキドキするお話もほっこりするお話も切ないお話もあったけど、アル中の母親と娘の話、「ボート」が1番好きでした。
吉本ばななさんの文章は情景が自然と浮かんできて、とっても美しいので、大好きです。
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13の短編集。みなさん、好きな話しはそれぞれですが、一話目のみどりのゆびが、少し不思議なエッセンスがあり良かった。どれもなかなか上手くいかない人生でもそんなに悪いものでもないよねと思わせられた。
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あとがきで作家自身も書いているけど、体と本能にちゃんと耳を傾けていれば、間違った方向には行かないんだな、と。
日々のノイズで、体の声や本能の囁きが、聞こえづらくなっていたり、聞こえているのに聞こえていないフリをして生きている自分への戒めになる。
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はっきりとした形では見えない体の部分から醸し出される生活感と感性が素敵でした。ゆっくりと時間が流れていく感じで心地よかったです。特に「花と嵐と」を読んでる時は私もこの世界に飛び込みたいなと思いました(^-^)
あとがきに書いてあった〝体と本能にまかせておけば、さほど間違えることはない”が好きです〜
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余計な人間関係の構築、人への文句、全部暇だからでてくるもの バタバタと動いて一見忙しいようでも、内面に充実する時間が無いと人は暇になって見かけの忙しさにのまれていく
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すごく浮気する人とつきあうのと、浮気どころではない人生に都合のいいようにつきあわされているのと、どっちがましだろう?の答えを早く見つけたい〜❕
田所さんがお気に入り♥
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本を読んで、この感覚、自分も確かに感じた経験があると思った箇所が何箇所もあった。でも、何か感じても、直ぐに流してしまい、無かった事になる場合が多い。
感じた事を言語化する事で、その経験が深まり、感受性が高まると思った。
Posted by ブクログ
忘れてしまった過去の記憶でも、
体、感覚は過去を覚えていてそれが心に繋がっていく。
そんな短編集です。
癒される柔らかい文章ですが、
考えさせられる言葉がたくさんあります。
13篇もあるんです。
ぎくり。とするお話しが、きっとみつかるでしょう。
Posted by ブクログ
タイトルの通り、「はっきりとした根拠はないけどなんとなく体がさまざまなことを感じ取ってしまう体験」を共通テーマとした短編集。
「みどりのゆび」と「田所さん」が特に好き。
よしもとばななさんの文章は美しいなと改めて思いました。筆者本人も体調を崩していた時に書いた作品らしく、年末に数日寝込んだ身としては体を大切に生きようと改めて思いました。