あらすじ
論文やリポートは、なかなか書けないものである。もとより「いかに考えるべきか」を離れて「いかに書くか」は存在しえない。著者は当代一流の文章家。その文体の明晰暢達はひろく知られている。読者は、著者の多年の執筆経験に即しながら文章というものの秘密を教えられ、文章構成の基本的ルールを興味深く学ぶことができよう。
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Posted by ブクログ
「自分の精神を通して、自分自身が書くのである。」とある。「が」への警戒を筆者が述べている中で、この文の意味に深みを感じる。
この本で述べている論文の書き方をざっとまとめると、
1、テーマを決める
2、答えようとすることのイメージとか方向
紙に書き留めることをする
3、思いつきを書き留めておく
4、深く考えること、調べること
5、長い文章を組み立てるのに過不足ない短文の群れができる。部分品を揃えて全体を組み立てるイメージ。
「とにかく文章を書くというのは自分を主張する行為である。与えられた現実を自分というものを通して再構築する働きに他ならぬ。」
こんな本を読んだら、決められた文字数で作文をするのも悪くないのではと思う。「文章を機械のように」書いてみよう。まずは「短文で修行」から始てみようと思う。
Posted by ブクログ
名著。
入試や卒業で論文を書く際、わかりやすい文章を作るコツが書かれている。
書く内容は頭にあるのだが、それをどう書いていいのか・・・と頭を悩ませている人には是非読んでほしい本。
と書いている54歳の私めにはそんなチャンスはありませんが。
それでもよかったのは、文章や概念、言葉や価値観は時代によって刻々と変化していて、外国からも取り入れられて、一方では廃れていくものがあって・・・
というのを実感しながら読めたこと。
そしてもう一つ。
文を読んだり書いたり、人の話を聞いたりしているとき、頭の中の別の部分に、フッと浮かんで消えていく閃きのような思考。
それを言葉にしてくれている、と感じられたこと。
私と60歳差の著者・清水さんとその時代に向き合えたいい時間でした。「綴方」と言わずに「作文」と言って先生に叱られる。時代を感じました。
フォロワーさん、ありがとうございました。
Posted by ブクログ
1 著者の清水氏は社会学者で、評論家でもあります。本書は論文の基本ルールについて、氏の経験を元に書かれています。ハウツー本とは一線を画し、高水準な内容です、文章を書く人には、是非とも読んで欲しい一冊です。
2 先ず本書でいう、論文は「哲学・思想・文化・社会科学の方面」における知的散文です。小説や随筆とは区別されます。
3 私にとって、有益だった点を拾ってみます。
① 文章の修業は、短文から始めた方がよい。短文が長文の基礎或は要素になっている。沢山の短文を繋ぎ合わせたり、組み立てたりすることによって長い文章が出きる。 ⇒ 私はメモする習慣があるので、よく理解できます。
② “が” を警戒しよう。“が”には「しかし、けれども、それゆえ、・・・等、沢山の意味がある。“が”に頼っていては、正しい文章は書けない。 ⇒ 私も安易に“が” を使い勝ちです。真意を伝えるには、接続詞との使い分けが必要と思います。
③ 文章を書く時には、日本語を外国語として、取扱わなければいけない。 ⇒ 文章を論理的に書くということでしょうか。また、例えば、英語は結論からいう言語で、確かに理解しやすいと思います。
4 私の読後感想です。題名からすると、難しい本の様ですが、平易に書かれています。従って、理解しやすいと思います。
私は会社勤めの時に、品質管理を学びました。そこで、人に物事を伝えるには、5W1H(誰が、何時、何を・・・)を明確にして、伝えなければならないと教えられました。十人十色の受け止めを回避するためです。この教えは、本書と合い通ずる点があります。
私は、本書を随分前に読みました。当時はもっと早く読んでいれば、卒業論文のレベルが高くなったのにと悔やんだものです。いずれにしろ、バイブルとして、大切な一冊です。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ読みやすいのに、中身がつまっていて無駄がない。魔法のような文章だと思った。ここで説明されていることが、全てこの本で体現されている。
Posted by ブクログ
胸に刺さった。とても知的で誠実な説教をされた気分。編集者だったときに、ここまで真剣に言葉に向き合ってなかったなあと反省した。
いわゆる「文章読本」としては珍しく、例文がほとんど出てこない。how to本を期待した読者の多くは、そこで肩すかしを食らったような気になるかもしれない。では、例文なしでどのように「論文の書き方」を説明しているのか。本著で展開されるのは、「知的文章を書くとはどういうことか」についての深い考察だ。「書くとは?」 「日本語の特徴とは?」 「言葉の裏側にある本質的な何かを伝えるのは?」 そういった、知的文章を書くために根源的に向き合わなければならないことのひとつひとつを、著者の経験や古今のエピソードなどをもとに、誠実に深掘りしている。そこから導き出された実践方法は、「日本語を外国語のように扱う」「建築物のように、文章を構築する」「『が』を警戒する」といったものだ。一見すると、抽象的すぎると思うかもしれない。しかし、本著を読むと、これらが「書く」ことの本質をとらえた、普遍的な方法論であることがよくわかるだろう。
読みながら「古典と言っていいような普遍性をもっているなあ」と思っていたら、この手の本の中では古典なんだね。岩波新書の中でもベストセラーだとか。自分が本著を手をとったきっかけが、岩波書店がやっている「はじめての新書 岩波新書80周年記念」の企画で、大澤聡が帯文を書いていたから。結果的には大正解だったなあ。岩波新書の深さを感じた。いまの新書のあり方とは、まったく違うなあ……。
Posted by ブクログ
論文の書き方を知りたくて手に入れた書籍。一般的な文書の書き方を教えるという内容ではなく、日本語の文書とはから著者の経験から解説した書籍だった。文書を書きたい人に、書きたいけど悩んでいる人に、何かヒントを与えてくれる。
Posted by ブクログ
論文を書こうと思った時に読んだ本。
清水幾太郎の著書であり、非常に示唆に富んでいるし、表現もわかりやすい。
文章を書くという行為、読むという行為に比べると高度な、大変な行為だと書いてあったのが印象的だった。
それを表すように「文章とは認識である。行為である」(56頁)と書かれている。文章はただそこに書かれている文字の塊ではない、書いた人と読む人との間での交流が行われている。認識の違いが浮き彫りになることもあれば、たった一文で認識がガラリと変わってしまうことすらある。
とはいえ、文章は必ずしも情緒的なものでもなく、理にかなって作られるものである。それは「数式を解く場合も論理が働いているが、外国語の場合も論理が文法と一つになって働いている。辞典と文法を頼りにして、私は全く理詰めの方法で外国語の文章を読んでいかねばならぬ」(83頁)というように、外国語の文章を読むということと数学の話をつなげて説明している。
しかし、外国語とは何のことだろうか。それは英語やフランス語、アラビア語等のことだけだろうか。日本語であっても、専門用語が使用されている論文や文章を読む行為だって外国語を読む行為に近いものだと思う。
また、言葉の定義だって人によって異なることは多々あるからだ。
ある文章には、その背後にいくつもの背景や文脈があり、それらを踏まえ、理詰めで読んでいって内容がより一層わかる文章は世の中に多くあり、日本語を外国語のように改めて勉強し直すことは大事なのではないかと思う。
文章を書くという行為の難しさは単にそれが日本語が、実は難しいというだけの話ではない。そこに残される文章は現実を表すものであれば、それは歴史として残るからだ。以下のように書き手の責任感について、清水幾太郎は述べている。
「本当の現実や本当の真実は、人間の働きを含んで初めて成り立つ。人間の責任を含んで初めて成り立つ」(190頁)
Posted by ブクログ
論文の書き方だけでなく、書籍の感想(レビュー)のような短い文章でも役に立つ、「文章の書き方」の考え方を示しています。
IIIには、「が」を警戒しようという章になっています。
「私は、こう思いますが、そうでない場合もあります。」
というよりは、
「私はこう思います。しかし、そうでない場合もあります。」
の方がよいと思われます。
自分でこのレビューを書いている最中でも、「レビューを確認する」時に、2つのことに注意しています。
一つは、文章を入れ替えて、論理的なつながりを分かりやすくすること。
もう一つが、長い文章を、短い一つの論理だけの文章にすることです。
前者は、
V「あるがままに」書くことはやめようという章に関係しています。
最初に読んでから、すでに30年経っていますが、今でも役に立っています。
という文章は、次のように書き直しています。
最初に読んでから30年経っています。今でも役に立っています。
この方が、印象がいいと思います。いかがでしょうか。
Posted by ブクログ
短文から論文を構成していくというコツがかなり使えそうだった。また、難しい言葉をやたら使用しないという事も。
発行されたのがかなり古いが、それでも今でも通用する内容だった。
どちらかというと、テクニックというより論文を書く訓練方法や考え方に近いので、応用が効くと思う。
Posted by ブクログ
2025/02/23
読み始め。
論文の書き方の本だけあって、とても読みやすい。
1959年初版なので、多少は古さを感じなくもないが、文章論に流行り廃りも影響しないと考え、このまま読み進めていくことにする。
2025年3月28日
飛ばし気味に読み終えた。
国語が苦手な私にとっては、ちょっと難しかったかもしれない。
Posted by ブクログ
論文を書く参考にはそこまでならなかったけど、なかなか面白い本だった。日本語って構造的に欠陥があってなかなか読みにくいね。その分色々凝った表現が出来るんだろうけど、
書くと読むの違い 短文で書いてみる デッサンしないと論文かけないよね
美文を真似しろ 主語をはっきり 「ひとってなに?」 イエスノーをハッキリ 新聞スタイル とは
「が」の便利さ 会話は社交の原則 書き言葉は孤独 批判するには理解しないと
幾何学だぞ 描き始めが肝心 外国語と日本語の違い 学校教育で文章の基礎的技術教えなさい 話すとおりにかけとは?
書くというのは? 空間的並列状態にあるものを時間的継起状態に 写真文書絵画 文章は作り物でいい 日本の自然尊重の弊害 無駄な穴埋めの言葉は不要必要?
書くことは爆発だ! ゲーテの作家論 批判の仕方 権威の引用? 道徳的であることで利益を得る
経験と抽象の往復 定義とは狭き門を通って作られる 明治初年の造語作業 溝は小さくなってるものの テレビの挑戦
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タイトルから論文のノウハウを指南してくれるかと思いきや、「が」の乱用や抽象・具体の行き来、東西の文化論まで視野に入れた本格的な文章論だった。
著者も後書きで述べているようにここでいう「論文」の意味は結構広い意味であり、人によってはミスリードにつながるタイトルだと思った。
今からすると大分昔の本なので、テレビ・ラジオの登場により文章の地位が脅かされているといったことなども取り上げられている。その当時(今も)切実だったのだろう。
そういう時代感を把握する上でも価値のある本だと思う。
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「論文」となってはいるが、論文に限らず作文技術全般に関するエッセイ。エッセイなので作文技術を体系的に論じたものではないけれど、それでも長く読まれているだけあってたくさんのヒントが記載されているし、エッセイならではの含蓄もある。
著書の文章作成における心得は、結びに次のようにまとめられている。「文章を機械のように作ろう。文章を建築物として取扱おう。曖昧な「が」を警戒しよう。親骨を見失わないようにしよう。経験と抽象との間の往復交通を忘れまい。日本語の語順に気をつけよう」。とくに「曖昧な「が」を警戒しよう」は、本当に大切な60年前の本だけど、文章を書くことの要諦はぜんぜん変わってない。
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筆者の文章は、私たちの世代なら、大学受験国語でおなじみ、読解練習をよくさせられたものである。当時はそのつもりで読んでいるので、感想も何もあったものではなく、ひたすら正解だけを求め続けて読んでいたが、それから数十年、改めて「読書」してみて、当時のそんな読み方は非常にもったいに読み方だったのだなあと痛感させられた。
さすがに岩波新書の青版、近年相次いで出版されているお手軽新書とは違い、読みごたえがある。が、私が年を取って筆者の年齢に近くなっているからか、時々垣間見える筆者の愚痴に親近感もわいたりした。若いときには大家からのありがたいお言葉という感じでの受け止めだけで終わっていたかもしれないが、年を取ってから読むと、このような大家の人間臭い部分がちょっとわかるようになって、そのおかげで本の内容がすっと入ってきてしまうなんてこともある。上では若いときにもっとちゃんと読んでおくべきだったと書いたが、こういう発見は、大人になってから読むことの特典なのかもしれない。
本編についてだが、「論文の書き方」というタイトルであっても、当然最近の軽いハウツー本などとは全く異なり、日本語と外国語の違い、日本の社会や文化・教育に対する批評、哲学等を学ぶ時のこちらの心構えや姿勢など、その考察は本当に深く、これからも折に触れて読み返したいものばかりだった。
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Twitterだったかどこかで、文章を書くには云々の話が出ていた時に本屋さんでみかけ、なんとなく読んでみたもの。
なにせ昔の本なので、現代に通じるかといえば全てがそうとは言いがたい。今の時代、美文を書いて成長した子などいやしないのだから。
それにしても清水幾太郎にしろ、三島にしろ、小学生時代に書いたと言われる文章が恐ろしく統率が取れている。まさに美文。これができるからこそ、後世に残る文章を書くことができたのだろう。時代の差を感じる。現代は「好きに書くがよい」だけを優先し、美しい文章を書くことに注視することが疎かになってはいまいか。
美しい文章は、それを伝えたい人に高精度で内容を伝えることができる。言葉の深奥に含ませたものまで。
束縛と自由の境目で、何を選び何を伝え、何を遺すか。
「論文の書き方」云々を超え、文章を綴ることを考えさせられた1冊である。
Posted by ブクログ
「「良心」も「運命」も「批判」も、言葉となって初めて存在する。」
文章を書く方法について著者の経験をもとに書かれた本。
文章は思想と密接な関係にあり、誰かの文章を模範にするのはその人の思想の受容になる。
そして、言葉の定義は大切だ。なぜなら、お互いが同じ言葉を同じ意味で使っているとは限らないからである。抽象的な話は、相手方もその抽象的な話についてくることができる知的さを要求する。
“が”はつかいやすい言葉である。だからこそ、“が”を使わずに文章を構築する努める必要がある。
読んでいて文章を作る際に参考になる本であった。
Posted by ブクログ
清水幾太郎「論文の書き方」岩波新書
文章の書き方や本の読み方について書かれた本に傾倒していたときに買い、清水幾太郎は他の本を読んだからと積ん読していました。
なぜもっと早くに読まなかったのか!
おもしろい!
著者が文章を書く上で自分に課しているルールを本軸に、哲学、思想、文化、社会学方面の「知的散文」を中心とした論文の書き方について述べられています。
しかし、論文に限らず、人に伝える文章を書く上で、気を付けなければならないことや、書き始めるまでに必要なことなど、「知的散文」以外にも役に立つのではないでしょうか。
ただし、あくまで、これまでにある程度の文章を書いてきた人、これからある程度の文章を書いていかなければならない人、文章の書き方や構造に興味のある人向けのような側面もあります。
私も学生時代に、絵本ですが一冊だけですが出版したことがあり、
・日本語を外国語として取り扱う
・文章を削り、言葉を切り捨てる
本著でも述べられている、上記については、とても共感でき、気を付けていたことです。
ある程度コツを掴むと自分のスタイルが出来上がり、さらにある程度まではそのスタイルで卒なく文章が書けるようになる。しかし、ついには自分のスタイルで太刀打ちできず、どうしようもなく文章が書けなくなる時が来る。あるいは、悪文を書いてしまう。そうすると、スタイルが崩れる。そこを苦心して超えたとき、本当の実力が身につき、スタイルが確立するといった旨が述べられている。
その域に達することはかなり厳しいけれど、そこに少しでも近づきたい。
巷で人気の「すぐ役に立つハウツー本」のそれとは違う「書き方」の本です。
私のこの文章を読めばわかりますよね。ほら、すぐには役立っていないでしょう?笑
Posted by ブクログ
この本は論文の書き方を親切に手ほどきする本ではない。基本的に著者の経験やエピソードを通して、文章を書くいくつかの原則を挙げていったものである。そのためどちらかと言えば読み物としての性格が強く、この一冊だけで文章がうまくなるとは思えない。あくまで文章をテーマにした話集である。
しかしその内容がとても面白い。引き込まれて、一気に読んでしまった。やはり文章がうまい。一読の価値はある。
参考までに出てきた文章の原則を挙げておく。
・文章を機械と思え。
・ 文章は建築物。
・ 「が」は多用しないように。
・ 骨の部分を常に意識する。
・ 経験と抽象をバランス良く。
・ 語順に気をつける。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
論文やリポートは、なかなか書けないものである。
もとより「いかに考えるべきか」を離れて「いかに書くか」は存在しえない。
著者は当代一流の文章家。
その文体の明晰暢達はひろく知られている。
読者は、著者の多年にわたる執筆経験に即しながら、文章というものの秘密を教えられ、文章構成の基本的ルールを興味深く学ぶことができよう。
[ 目次 ]
1 短文から始めよう
2 誰かの真似をしよう
3 「が」を警戒しよう
4 日本語を外国語として取扱おう
5 「あるがままに」書くことはやめよう
6 裸一貫で攻めて行こう
7 経験と抽象との間を往復しよう
8 新しい時代に文章を生かそう
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
文章の書き方指南本で、名著としてしばしばあげられる一冊。
「小さい魔物である」と熱く語られる「が」に関しては、あまり意識したことはなかったが、いわれてみれば確かにそうだ。
「が」の前後で反対の意味のこともあれば、並列だったりもする。「殆ど無数の意味がある」のである。
著者流の書き方に、おおむね異論はないのだが、「『無駄な穴埋めの言葉」を大いに使おう」は、使わない派の谷崎潤一郎に賛成。
接続詞を多用する文章は、書き手の考え方が整理されていなかったり、文章の並びがおかしかったりするものだ。
時折挟まれる論評や小ネタが案外面白い。例えば、「日本語の発音やアクセントが広汎な問題になり始めたのも、ラジオの出現を俟ってのことであった」。確かに標準語が何なのか、ラジオ以前の人々は意識しなかったのかもしれない。
黎明期のテレビも、「言葉がフルに働かなくても、万事は映像が負担してくれる。言葉は隠居することができる」と鋭く分析している。
手に取ったのは何と100刷(2020年9月)だ。1959年の初版と60年以上前の本ながら、現代人にも読まれる分かりやすい文章・文体のおかげだろう。書き方本の面目躍如。
Posted by ブクログ
文章の書き方について言及した本。
「が」の用法に注意する、日本語を外国語のように数学的に理解できると文章の構造が分かる、難しい言葉を乱用しすぎないなど細かな点で役に立つノウハウがあった。
実際、文章の書き方というよりは「日本語」についての記述が多かったので若干肩透かしをくらった気分。抽象的で理解が追い付かない部分も多々あった。
Posted by ブクログ
清水幾太郎の「愛国心」を読み、とても冷静ですっと読み込めるものだったから、その人がどういうあたりを気にかけながら書くものなのか……ついでに自分もこういう冷静な書き方をしてみたいものだと思って、購入した。
こういう書き方の本はこれ含め3冊持っている…のかな。
どれも共通しているのが、書くことは自分を表現すること、なのである。
私は自分が思ったことを直で書くことが苦手で、こういう記録なども相当苦手だ。それで、小説という形を用いて、別の登場人物に託すことになるのだが、間に何が入っていても、書いている者は私なのだから、書くことは私を書くことなのだ。
その書きものだが、現在まるで書けないでいる。
清水幾太郎によると、新しい現実にぶつかっているからなのだという。
言われてみれば、そういうタイミングでじわじわと書けなくなっていった。
この山を越えたら、また新しいスタイルが、書きたいものが見えるのか。
本はあくまで論文の書き方であったけど、物を書く人は読んでみて損はない。
Posted by ブクログ
タイトルからすると大学などで書く論文のための本のように感じるが、内容的には「文章を書くにあたっての心得」といった内容の本。
文章作成の具体的技術についての記述が少なく、記憶に残る部分は少なかったが、次の部分はなるほどと思った
○経験と抽象を行ったり来たりする
○抽象語は西洋では日常的な言葉から生まれているが、日本では訳語に際して漢語を使っており日常感が薄い
Posted by ブクログ
論文執筆マニュアルとしてはかなり古い本ですが、今読んでも学べることが多いように感じます。とくに、文章のスタイルを真似ることの重要性を述べ、そこから模倣を通して思想そのものの理解にまで説き及んでいるところは、論文執筆マニュアルの範囲を超えて大切なことを教えられたように思いました。
そのほか、はっきりとした逆説の意味を持たない接続助詞「が」の問題を指摘している箇所も有益だと思います。「が」を完全に追放することを勧めているのではなく、文章の論理的なつながりにそのくらい意識的でなければいけないというのが、おそらくは著者の真意なのではないかと考えます。
Posted by ブクログ
2014/7/13
論文を書く参考にと思って読んだ。
技術的なところはあまりなかった気がした。なるべく短文を多く。がの使い方。文書をつくる。など文を書く上で今後気をつけていきたい。
Posted by ブクログ
1950年代に刊行された本である事、そして学部生のリポート作成などを念頭においている事をなどを前もって知っておく必要はあるものの、「論文を書く際の心構え」的なものを教えるという点では、それなりの意味を持っていると思う。
ただ、それは言わば観念論に近く、技術論に関わる部分は少ないし、論文の定型などというものが学会などで固定する以前の話なので、論文の組み立てや立論や議論の展開などについて何か得られるかと言えば・・・ほとんどなし。まあ、この本にそういうものは期待して読む人は少ないと思うので、50年前に出された本としての役目は十分に果たしていると思う。
Posted by ブクログ
50年前に書かれたものですが、その内容は現在でも充分通用すると思います。結局は、いい論文を書くには、その内容の親骨が明らかになるまで自説と他説とを慎重に検討し、想定される読者や社会に向けて読みやすいよう工夫せよ、ということにあると思われます。自分の思いのままに、感じたままに書く、というのが個性の尊重のように過剰に思われている現在でこそ、読まれるべきかもしれません。
Posted by ブクログ
論文が完成するまでの過程
1.テーマが決まる
何について書くか、そのテーマが決まらなければ、そもそも、出発することが不可能である。テーマは問題と言い換えてもよい
2.問題が決まるときの、答えようとすることのイメージを書き留める
問題が決まるときは、答えようとすることのイメージ(方向)が生まれるもの。この最初のイメージや方向を大切にしなければいけない。
3.イメージが浮かぶのと同時に閃く観念や思いつきをとことん大切にし、紙に書き留める。
イメージを精神に現れる全体的な姿というほどの意味に使うとすれば、イメージが浮かぶのと同時に、いくつかの観念・思いつきがパッパッと閃くものである。それを大切にする。
4.長い文章を作るための部分品を作り上げる
観念や思いつきを大切にするというのは、それを深く考える・書物などで調べるということ。長い文章を書くための部分品に作り上げていく。この過程で2つの新しい事実が生まれてくる。
?今まで考えもしなかった、観念や思いつきが
浮かんでくる。これも大切にする
?部分品が出揃ってくると、最初の曖昧だった
イメージが明確になってくる。ところが、
それにつれて、新しい部分品が必要になって
くる。逆に、今まで大いに役立つだろうと
思って、一生懸命に仕上げてきた部分品が
不要になってくることもある。
5.部分品を組み合わせて、長い文章を完成させる
こういう調子で、全体と部分との間の、イメージと観念との間の相互的コントロールが行われる。それが何度も行われるうちに長い文章を組み立てるための部分品が出来上がる。そうしたら、全体のイメージにしたがって、これらの部分品を組み立てる。相互的コントロールが十分に行われていたら、最後の組み立てはそう困難ではない。