あらすじ
時代とともに、絵は変わる。
でも、“人間の心”は変わらない。
19世紀後半のフランスに起こった絵画運動で、現代日本でも絶大なる人気を誇る「印象派」。“光”を駆使したその斬新な描法によって映し出されたのは、貧富差が広がる近代の「矛盾」という“闇”でもあった。マネ・モネ・ドガからゴッホまで、美術の革命家たちが描いた“ほんとうのもの”とは――。
*電子版では、絵画の多くをカラー画像で収載しています。
*著者の話題作『「怖い絵」で人間を読む』につづく〈ヴィジュアル新書〉第2弾!
[内容]
第1章 新たな絵画の誕生
第2章 「自然」というアトリエ
第3章 エミール・ゾラをめぐる群像
第4章 キャンバスに映されたパリ
第5章 都市が抱えた闇
第6章 ブルジョワの生きかた
第7章 性と孤独のあわい
第8章 印象派を見る眼
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Posted by ブクログ
891円
★再読
オルセー美術館行く前にこの本読んでたら完璧だと思うぐらい、オルセー美術館にあるものだけが語られてた。
中野 京子
(なかの きょうこ、生年不詳)は、日本の作家[1]、ドイツ文学者[2]、西洋文化史家、翻訳家[3]。北海道生まれ[4]。1979年、早稲田大学大学院修士課程修了[5][6]。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆する。2007年に発表された『怖い絵』を端緒とする『怖い絵』シリーズが大ヒットとなる。新聞や雑誌に連載をもつほか、テレビの美術番組にも出演する[7][8]。早稲田大学講師[9][10]。『怖い絵』シリーズの刊行10周年を記念して2017年に開催された「怖い絵」展では、特別監修を務めた[11][12][13]。2021年9月に開催された「怖いクラシックコンサート」(東京文化会館)での解説[14]、2022年3月公演の舞台「怖い絵」の監修[15][16]、同年7月上映の「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」の監修・解説を担当した[17][18]。
「 まずは、印象派とは何か?「一八六〇年代からフランスに起こった絵画運動。特徴としては、主題より感覚、形態より印象を重視し、絵具を混合しないことによる明るい色彩と、自在で魅力的なタッチ(絵筆の跡)を残して、光あふれる自然を讃美。マネに大きな影響を受けた若手たち──モネ、ドガ、ルノワール、モリゾ、ピサロ──を起点とし、セザンヌ、スーラ、ゴッホ、ゴーガンへと発展」 これがだいたいの共通認識と言っていいでしょう。 現在では印象派絵画はごく当たり前に受け入れられ、世界中で愛好されているため、侃侃諤諤の論争の時期があったなど、にわかには信じがたいかもしれません。しかし印象派の画家は──穏やかな作品のイメージと違い──既存の権威に反逆し、新時代の「前衛運動」をめざし、ついには世界の美術市場を劇変させた、芸術上の革命家たちだったのです。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「次いで、新印象主義と呼ばれる画家たちが登場します。スーラの『シャユー( =カンカン)』(ダンスの一種)を見てわかるとおり、光学理論を絵画に応用し、点描法で描かれています。ぽつんぽつんと画布に色の点を置いてゆくわけですから、気の遠くなるほど手間のかかる技法です。これまた発表当初は、「蠅のように汚らしい染み」などと酷評されるのですから、たまりません。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「後期印象派で最も著名なのは、オランダ人ゴッホでしょう。彼自身は印象派ではモネしか認めていませんでしたが、パリへ出てきて印象主義の技法を学び、明るい色彩、大胆なタッチへと画風を変えてゆきました。とはいえ『カラスのむれとぶ麦畑』などを見ると、ゴッホはもうゴッホという唯一無二の存在として完結しており、どこかの派に括れるものではないような気もします。 それはゴヤやベラスケスやフェルメールなどについても言えます。しょせん、何とか主義だの何とか派といった仕分けは、後世の人間が美術史をまとめるための便宜上の名づけですから、そこからはみ出す画家はいくらでもいるわけです。 印象派においても、マネはあくまでサロンにおける成功を求め、決して印象派展に出品することはありませんでしたし、セザンヌも後に仲間から離れてゆきました。光を描こうとすれば形態が不明確になることを、容認できなかったからです。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「 ところで印象派が脱却しようとしていたアカデミー作品とは、いったいどんなものだったのでしょう? それはひとことで言えば、ごく一握りのエリートのためのもの、王侯貴族や教会や知識人など、特権階級の嗜好に叶うものでした。彼らが絵を発注し、購買するのですから当然です。 一般向け公共美術館ができたのは、フランス革命後。印象派が登場した時点でまだほんの五、六十年というところです。しかもその間にも王政復古や戦争や内乱があり、ふつうの人々が親しく名画に接することができるようになるのは、社会にある程度ゆとりができて以降です。 したがって当初、人々は「既存の美」とはどんなものか、絵はどうやって鑑賞すべきかを、専門家たるアカデミーに教えてもらわねばならなかった。 聖書ならまだしも、神話や歴史について知らないことは多く、絵画のアトリビュート(「ヴィーナスにはリンゴ」といったような、その人物を特定する持ち物)の知識も足りなかったので、背景のテーマを学ぶ必要がありました。もしかすると眼の歓びより、「勉強」の要素のほうが強かったかもしれません。だからこそ、新たな購買層たるブルジョワ階級は、これまでとは全く違う、『カルメン』のような作品、いま自分たちが生きている近代社会にふさわしい、新たな価値観を持つ絵も見たい、わくわくする歓びを知りたい、と思うようになってゆきます。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「戸外に進出した画家たち さて、戸外で制作する画家の姿ですが、当時は周囲の目にも新鮮だったに違いありません。携帯電話が登場したばかりのころ、街を歩きながら通話する姿が「カッコいい」と喧伝された(今は昔)のと似ている気がします。軽量の画材を持ち歩き、自然に溶け込んで絵を描くのは、最先端をゆく芸術行為といったところでしょうか。見物人にとりまかれ、ちょっと得意な「日曜画家」もいたはずです。 アメリカ人ホーマーの『ホワイトマウンテンでスケッチする芸術家』はユーモラス。この「スケッチ用日傘」は画家のお肌を守るためではなく、画布に射す光線を調整するためのものです。何と、日傘と一体化したイーゼルまで売られていました。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「ルノワールは『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』で、庶民の休日の歓びを描きました。ここはモンマルトルの丘。パリ中心部から離れているので部屋の賃料が安く、労働者階級が居住する地域です。ムーランは「風車」の意。ロートレックが通いつめたキャバレー「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」が有名ですが、こちらは「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。ギャレットは「焼き菓子」。ここでギャレットを売っていた商人が開いたカフェでした。 画面に木漏れ日の表現が見られるので、日中ということがわかる。このカフェは、日曜のみ三時から深夜まで、店の前の広場を野外ダンス場に開放していました。ダンスは昔から最大の娯楽のひとつですから(これは上流から下々まで変わらない)、パリっ子たちは精一杯着飾って集まり、辛い日々の労働による憂さを発散したわけです。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「カイユボット『床削り』では、厳しい労働が引き締まった筋肉への讃嘆や身体を無心に動かす歓びへと転化されています。裕福なブルジョワ階級のカイユボットは、自分自身、ヨットが趣味の逞しいスポーツマンでしたから、肉体労働とスポーツの共通項だけに目がいったのかもしれません。 いずれにせよ印象派は、社会の底辺で喘ぐ男たちにほとんど関心を示しませんでした。神話も歴史も聖書も描かず、「今という時代」に焦点を絞ったとはいっても、その「今」を生きている肉体労働者は除外したのです。 では働く女性は? こちらは、少ないとはいえ取り上げられています(娼婦の仕事も含めればもっと増える)。「駅の詩情」が題材となったのと同じ理由から、洗濯したりアイロンをかけたり、赤子に授乳したり帽子を作ったりと、その姿態や動きの──美しさではなく──面白さゆえに、キャンバスに塗り込められてゆく。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「名家に生まれながら、本来の階級に居場所を見つけられないロートレックと、今いる場所から脱出したがっている女たちは、言わず語らず互いをよく理解しあったのです。彼女たちはロートレックになら、本当の自分をさらけだしました。絵を売る必要のないロートレックは、描きたいものを描くことができた。娼館の醜悪さや、男に身を売りながら心は女にあるレズビアンの生態、老いた娼婦の絶望が、彼の達者な絵筆で今に残されたのです。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「「本を読む」という行為 モリゾの姉のような立場にある女性の倦怠を、同時代人ムンカーチが『家の中の女』で克明に描写しています。 ムンカーチはハンガリーの画家。当時この国はハプスブルク家によって、オーストリア =ハンガリー二重帝国というきわめて不自然な王政をとらされていましたから、画中の若い女性は貴族階級かもしれません。何十室もありそうな広大な邸で、さながら豪奢な家具の一部と化したかのように無駄に着飾り、仮綴本の一葉を読んでいる。敷き重ねられた絨毯、貴族趣味のタピスリ、どっしりした家具調度、分厚いカーテン……印象派と違い、背景描写は執拗で、そのためいっそう閉塞感が伝わってきます。 我が子すら慰めにならず、生き甲斐もなく、暇と退屈という魔に蝕まれてゆく人生。彼女もノラになるのだろうか……。イプセンが『人形の家』を書き、もう「お人形」でいるのは嫌だと決然と家を出る新しい女ノラを生み出したのは、本作の二年後、一八七九年のことでした。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「ところで本を読むという行為は、今の我々にはあまりに当たり前すぎて、何らかの意味合いが含まれているとは思わない。まして日本は昔から世界に冠たる識字率の高い国で、江戸時代には国中いたるところに寺子屋があり、身分性別に関係なく、五、六歳の子どもたちは皆「読み書きソロバン」を学べました。これは誇るべき文化であり、今日でも日本のようにレベルの高い新聞が全国津々浦々でこれほど読まれている国など、ほとんど無いことを知るべきです(欧米ではインテリの読む新聞と、それ以外の人々の読む新聞は全く違う)。 識字率の割り出し方は難しいのですが、だいたい十九世紀半ばのロンドンやパリで、二割以下だったと推定されています。外国人居住者も多かったので、安易に日本との比較はできませんが(江戸では優に七、八割)、想像よりはるかに読書人口は少なかった。文字が読め、本を読む時間もたっぷりある女性となるとさらに数は限られ、そうした女性の姿が描かれるようになるのは十八世紀半ばを過ぎてから。モリゾのご先祖フラゴナールが、印象派より百年前に描いた『読書する娘』は、その愛らしさで人気の高い作品です。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
その後フランス革命で新聞やパンフレットが量産されましたが、それも皆が個々に読んだわけではありません。革命派がカフェに集まったのは、そこへ行けば文字の読める人間がいて、音読してもらえるからでした。多くの人は新聞を読んだのではなく、耳から聞いたのです。 やがて国全体が豊かになるにつれ、識字率は飛躍的に高まり、小説本も爆発的に売れるようになります。いわゆる三文小説と呼ばれる、恋愛もの、お涙ちょうだいもの、冒険ものなども増えました。すると(案の定?)女性の読書が問題視される。下らない小説ばかり読んでいる女は、アルコール中毒の男と同じくらい、脳が破壊されると言うのです。読書人口が極端に少なかった頃、例えば先のフラゴナールの少女なら、知的で静謐な美と讃えられていたのに、おおぜいの女性たちが小説に夢中になると、今度は由々しき事態と騒がれる。エンマ・ボヴァリー(フローベールの『ボヴァリー夫人』)も、甘ったるい恋愛小説によって頭の中を空想でいっぱいにし、おかげで目の前の現実に幻滅した女性と捉えられていました。読書好きの女は知的な女性ではなく、むしろオバカな女とされたのです。一八八〇年に女子の公教育が制度化されたとき、「わたしが一番好きなのは、字が読めなくて、赤ん坊の尻のしまつができる女だね」と言ったのはルノワールでした。 マネの『鉄道』も、読書する女性の姿です。膝の仔犬が眠りこみ、子どもは退屈そうに眼下の汽車を眺めている。彼女はそれほどにも長く、本に没頭していたのでしょう。そしてふっと目を上げ、こちらを見る。この絵を見ている我々を見る。しらじらと夢から醒めたように……。
「見る席ではなく、見せる席 そもそもボックス型の桟敷席(四 ~六人用)の大部分は、舞台より他の客席を眺めるのに都合よく出来ています。真横に壁があるのですから、前方の手すり寄りに座らない限り、舞台はきわめて見えにくい。なぜこんな構造にしたかといえば、それは第一義が観劇にはなく、社交の場としての機能にあるからです。自宅の居間の延長のように使うので、接客したり飲食したり、はなはだしくは上演中にカーテンを閉め、よからぬことにも使いました。音楽はバックグラウンド・ミュージックに成り果てる。 舞台と真正面に相対する二階中央桟敷席がロイヤルボックスですが、次にステイタスの高い席は、舞台に一番近い桟敷席でした。しかしここは舞台上手(ないし下手)のほとんど真上に位置していますから、一方の側からしか見えず、全体を俯瞰しにくい。そのくせ書割の奥まで見え、芝居における夢の効果をぶち壊す。ドガ『エトワール』の視点がこれです。控えている踊り子たちの姿が丸見えになっています。これはテレビを例にとると、スタッフの動きまわる姿や小道具の移動が常に画面に映るようなもので、はなはだしく鑑賞の妨げになる。なぜこんな場所が貴賓席か、不思議に思えます。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「 ロートレックの石版多色刷ポスター、『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』がそれを伝えています。影絵のように黒く居並ぶ観客の前で、スカートを巻き上げて踊る女性がラ・グリュ、かつての洗濯女にして、今や大人気のカンカン・ダンサー。開脚や側転、素早い足のステップ、下着をさらけ出して踊るカンカンの刺戟の強さを、現代人が理解するのは難しい。宝塚の健康的なラインダンスを思い浮かべてしまうし、またショーダンス自体、アメリカの振付師ボブ・フォッシーに代表される露骨なセクシーさに慣れさせられているからです(この先、男女とも丸裸で踊る時代がきてももう驚きません)。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「風光明媚な田舎アルルでゴッホは、驚異のメタモルフォーゼを遂げます。初期の作品を見ると、よくこれで画家になりたいと思ったものだと呆れるほどなのに、がむしゃらに突き進めば人はどこまで行きつけるかの見本のごとき変身例となる。アルル到着から死ぬまでの三年、彼はアブサンを飲み、テオにねだって高価な絵具を送らせ、ゴーガンと共同生活し、たちまち喧嘩別れし、発作的に耳たぶを切り落としてそれを娼婦に持ってゆき、精神病院へ入れられ、退院し、テオにあたりちらし、今度は自主的に精神病院へ入り、なおかつ五百点もの絵を描いた。二日に一点描いた計算で、玉石混交もやむなし(しかしその玉は、まさに珠玉です)。あげくにピストル自殺。爆発し続けたような晩年でした。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「美術史的には、ゴッホは後期印象派の画家とされます。パリで印象派の明るい色彩を学び、点描画法を試したり、浮世絵の影響を受けたりしたため、そう括られるのです。とはいえ、自然光をあるがままに捉えようとしたモネから、ゴッホはどんなに遠いことか。いかに明るい色彩を使おうと、ゴッホにはモネの幸福な光もやわらかな空気感も表現できなかった。彼の北方的苦悩は、アルルの陽光によっても溶かされることはなかった。同じオランダ生まれの天才レンブラントが、光を描こうとして逆に闇を深めたのを思い出さずにおれません。 強烈な色彩の表現力を遺憾なく発揮した『星月夜』は、一度見たら忘れられない絵です。アブサン中毒で狂気にかられた男が描いた異常世界だからではありません。こんな夜は現実にはありえない。ありえないのに、直感的に、いや、こんな夜を知っている、こんな夜の不安を、苦悩を、叫びを、神秘を、確かに知っている、そう言いたくなるからです。画家の心の闇に渦巻く、形容しがたいエネルギーの塊に、微かに共鳴する我々がいます。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「ゴッホは『タンギー爺さん』の他に、浮世絵そのものを何枚も模写しています。浮世絵の鮮やかで粋な色彩と、遠近法を無視した平坦な描写法、そして意表を突く構図の面白さが、驚きをもって受けとめられたことがわかります。 西洋絵画は何世紀にもわたって苦心に苦心を重ね、工夫に工夫を凝らして、二次元の画布に三次元を現出させようとしてきましたが、はなからそれを問題にしない浮世絵の軽やかさ、自由さは、古典の縛りから抜け出そうとする印象派に、大きなインスピレーションを与えたのです。浮世絵の画面の切り方の奇抜さもまた、写真同様、これまで見たことのない視覚を提示しました。スーラ『オック岬』は、明らかに安藤広重『東海道五十三次 箱根・湖水図』にインスパイアされた絵です(それにしても、圧倒的な広重の凄み。比べるも愚か、というほど差がある)。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「ではどうして印象派絵画はブランドになったのに、ジャポニスムは短期で終わって浮世絵人気は拡がらなかったのか。大きな理由は、描かれているものが欧米人にとって文化的に遠すぎ、親しみにくかったせいです。そのうえ日本画は油絵と違い、紙に描かれているため耐久性がはなはだ落ちる(飾るにしても資産としても、これは痛い)。また一点ものでない版画は、とうぜんながら価値が薄まる。そもそも浮世絵は、行灯の仄暗い、ゆらめく明かりのもとで広げての鑑賞が想定されており、今とはずいぶん異なった見え方をしていたと思われます。それやこれやで(現代日本人にとっても)敷居が高いのです。 悲しいことに日本人自身、自分たちの持つ宝に気づいていなかった。浮世絵を芸術とは思っていなかったし(現在の漫画に対する評価と似ていたようです)、二十万点も海外流出してゆくのを止めなかった。印象派のたいていの作品より、よほど日本画のほうが優れていると感じる人が増えてきても、印象派の画家や擁護者たちのように、理詰めで外へ向かって発信することをしない。国民性と言おうか、黙って差し出せば、相手がわかってくれると信じている、ないしは自己宣伝はみっともないと考え、鑑賞法を語らない。フランスのやり方と正反対です。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「 実のところフランスは、美術も音楽も長らくイタリアに遅れをとっていた。フランス・アカデミーが優れた新進芸術家に与えた「ローマ賞」という名称、そしてイタリア留学という褒賞が、全てを物語っています。フランスは必死にイタリアを追い、己の弱点を補うべく理論武装して、自らの芸術がいかに優れているかを、滔々と世界へ訴え続ける(現在進行形)。小説でさえ、本人があとがきで、こう読め、ああ読め、ここが感動のしどころだ、と読者に指図するほどですから、宣伝能力は比類ない。 日本もその点はもっと見習うべきだし、世界で活躍する日本人アーティストをもっと国全体で支援すべきと思うのですが……。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
富豪の娘と画商 アメリカと印象派の橋渡しをした、重要なふたりを挙げましょう。 ひとりは『オペラ座にて』の、アメリカ人女性画家カサット。富裕な家に生まれ(兄は後年ペンシルヴァニア鉄道の社長)、小さなころからヨーロッパ各地を見てまわるという恵まれた環境に育ち、美術学校で勉強した後、本格的な絵の勉強のためフランスへやってきました。まもなく印象派に魅入られ、ドガに師事して、印象派展にも出品するようになります。先述したハヴメイヤー夫人とは幼馴染みでもあったし、絵の購買層たる上流階級に太い人脈を持っていましたから、いかに印象派が斬新な芸術か、いかに投資として有利な物件かを、あちこちに推薦してまわりました。「モネをもっとたくさん買えばよかったのに」などという手紙も残しています。彼女を通じて印象派の(金儲けの手段としての意味をも含む)魅力に開眼したアメリカ人は少なくありません。 もうひとりは、フランス人画商デュラン=リュエル。彼は印象派が嘲笑されていたころからその将来性を信じ、積極的に作品を手がけ、また個人的にも経済支援を行ないました。何しろそれまで印象派の画家たちは、仲間内で(といってもたいていは、資産家のカイユボットやバジールが)購入する程度でしたから、好意的な画商の登場は彼らにとって命綱といってよかった。デュラン=リュエルはせっせと印象派作品を集め、オークションを開きますが、いかんせん、いつまでたっても安値でしか売れず、次第に窮地に追い込まれてゆきます。もちろんそれを救ったのがアメリカでした。破産の危機に瀕したデュラン=リュエルは、決死の覚悟でニューヨークへ営業に行く、三百点もの印象派絵画を携えて。
「『グランド・ジャット島の日曜日の午後』は、彼の母親の手元に残りました。スーラ死去から九年後の一九〇〇年、彼に心酔していた画家シニャックが、この絵を忘れさせてはならじとオークションにかけ、八百フランで、あるフランス人に売られます。同年、シスレーの『ポール・マルリーの洪水』に四万三千フランの値がついていますから、八百フランが不当なまでに安かったことがわかります。いえ、むしろフランス人の見る目の無さがわかる。印象派絵画をようやく受容したものの、少し毛色が変わるともう受けつけない。ゴッホが生前、たった一枚しか売れなかったのが思い出されます。 二十四年後、スーラの本作はまた売りに出され、シカゴのコレクターに二万ドルで買われ、フランスを離れてゆきました。このころになってようやく作品の真価に気づいたフランス人は、買戻し団体を組織して、一九三一年、四十万ドルを提示しますが、すでにシカゴ美術館の聖遺物となっていた『グランド・ジャット島』が、もどるはずはありません。オルセーにこの絵がないのは無念でしょうが、アメリカを恨むのは筋違い。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「 印象派は、絵画が商業利用される幕開けの、いわば申し子でした。公立美術館が増え、誰もが気軽に絵画鑑賞可能になるにつれ、規範となる芸術、つまり古典という考え方は廃れ、専門家のお墨付きよりむしろ、多くの人に愛される絵が「傑作」と呼ばれるようになる。クラシックよりポピュラーが愛されるように(もちろんポピュラーの中の少数のほんものは、確実にスタンダードになるのですが)、画面が明るくてきれいなもの、何も考えなくていいもの、心地よいもの、癒し効果のあるもの、知識がなくても楽しめるもの、要するに印象派絵画が圧倒的に支持される。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
もう一度シスレー『ポール・マルリーの洪水』を見てください。これは一八七六年のセーヌ川氾濫により道路が水没、人々が舟で通わねばならなくなった光景です。それを画家は、何ら同情も憂慮もなく、自然への怒りもなければ、無策な政府を批判するでもない。神を呪うでなし、不便をかこつ住民のけなげさを讃えるでもなし、ただ見ている。ただ水面の光の照り返しや静寂が気に入ったから描いている。 いったいこれはどういうことでしょう? 我々は画家から、災害地の美を感じるよう強いられているのだろうか? シスレーは上流階級に属する都会人で、田舎の水辺の景色が好きでした。つまりはそういうわけです。リアルな田舎の生活やそこに暮らす人々には興味がない。たとえ住民が難儀していようと、洪水によって一変した景色が美しければ愛でる。印象派を購入する人の眼と、描く者の眼は合致していたのです。それは現代の我々の困惑とも、何ら関わりない。 同じことはドガ『エトワール』にもあてはまります。下層階級の女性を見下していた画家は、踊り子とそのパトロンの関係を当然のものとして、何ら批判精神もなく、しかしみごとに瞬間の美を切り取って見せた。そして後世の美術史家たちもまた、ドガと同じ視線でこの絵を見たのでしょう。なぜならこれまでの美術書の(皆無とは言えないまでも)大半が、書割の後ろに立つ黒い服の男には全く触れず、ひたすらバレリーナの衣装の美しさや構図の斬新さや色彩感覚について説明していたからです。何が描かれているかより、どんなふうに描かれているかのみ重要視するのは、鑑賞者の眼ではなく画家の眼です。その見方では、なぜここにこんな男性が隠れているのかと、疑問に思うことすらできない。
「何も知らなければ偏見をもって絵を見てしまいます。どんな偏見かといえばこの場合──バレエというのは高尚な芸術で、バレエを習う少女たちは裕福な家の出身で、プリマに選ばれたのは大変な努力をして実力をつけたからだ、という現代の眼です。現代の眼でしか見ない、という偏見です。当時の踊り子の状況が今とは全く異なっていたことは、これまで書いたとおり。バレエはオペラの添え物でしかなく、踊り子は売春婦と同義であり、プリマとして踊っているからといって実力があるとは限らず、単にパトロンの後押しによったのかもしれない、そういった歴史的事実です。 そんな「瑣末」なことなど知らないまま、楽しむべき? 知れば幻滅する? はたしてそうでしょうか。背景を知っても、そしてその背景が思いもよらないようなものであっても、いくつもの幻滅が重なっても、にもかかわらず絵の価値は変わらない──それこそが真の芸術作品のはずです。作り手の人格と芸術が乖離していることは、少しも珍しいことではなく、文学も音楽も、いえ、芸術以外の世界でも、こんな人間なのにこんな素晴らしいものを産み出したのか、こんな下劣な人間が、こんな崇高な行ないをすることがあるのか、という例は枚挙にいとまがない。こんな社会状況で、こんな意図で、こんな経緯で描かれたのに、それでもなおオーラを放つ。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「ジャン =バティスト・アルマン・ギヨマン(一八四一 ~一九二七) パリ生まれ。叔父が営む服飾店に勤めながら写生学校に通う。一八六一年頃画塾アカデミー・スイスに入学し、セザンヌやピサロと出会う。働きながらの制作なので、描く風景はパリ市内および近郊に限られていた。六三年に落選展に出品、パリ市の土木課で夜間勤務しながら昼間に絵画制作に取り組む生活を続けた。印象派展には第一回から六回参加、『ベルシー河岸─雪の印象』など都市化の進むセーヌ河畔の風景や工業化していく風景などを多く取り上げた。九一年に宝くじに当選し以降絵画制作に専念、最後まで生き残った印象派の画家となった。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「アルフレッド・シスレー(一八三九 ~九九) フランス在住のイギリスの実業家の息子としてパリに生まれる。ロンドン留学中にイギリスの風景画家の作品に影響され、パリに戻ってから画業に専念、一八六二年、シャルル・グレールの画塾に入り、モネ、ドガ、ルノワールらと出会う。彼らとともにフォンテーヌブローの森やパリ近郊に出かけ、戸外での風景画を精力的に制作した。この頃カフェ・ゲルボアの常連となり、ピサロ、セザンヌ、ギヨマンらとも交友を重ね、七四年の「無名会第一回展」に参加した。生涯にわたって、『アルジャントゥイユのセーヌ河』などの穏やかな風景画を描き続けた典型的印象派。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「ジョルジュ・スーラ(一八五九 ~九一) パリの中産階級の家に生まれる。官立の美術学校に入学するが、兵役のため中退。一八八三年、サロンに素描を出品し入選する。この年から、後に彼が完成する光学理論を取り入れた点描法の技法につながる作品『アニエールの水浴』の制作に着手、八四年に完成しサロンに出品するが落選した。八六年、五十人ほどの人物を点描法で描いた大作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を第八回印象派展に出品し、賛否両論を呼ぶ。この新たな技法を用いた画家たちは新印象派と呼ばれたが、スーラ自身、生前はあまり評価されず、三十一歳の若さで病死した。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「ポール・セザンヌ(一八三九 ~一九〇六) 裕福な銀行家の息子として南フランスのエクサン・プロヴァンスに生まれる。法科大学に入学するも中退し、パリのアカデミー・スイスに通い絵を学ぶ。カフェ・ゲルボアでマネを中心とする後の印象派グループと知り合い、特にピサロの影響を受けて、明るい色彩の絵を描くようになる。第一回、三回の印象派展に出品するが、まもなく印象派を離れ、故郷に戻って対象の構造的本質を追求する独自の画風を開拓した。風景、人物、静物すべてに傑作を残すが、特に『リンゴの籠のある静物』など静物画は構図を追求するうえで適した画題だった。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「エドガー・ドガ(一八三四 ~一九一七) パリに銀行家の息子として生まれる。一八五五年に官立美術学校に入学し、六二年、マネと知り合い、カフェ・ゲルボアで次第に印象派の画家たちと交わるようになった。「無名会第一回展」に『ダンス教室』を出品する頃から踊り子や働く女性などの市井の人物や情景を好んで描くようになり、動作を一瞬にして捉えて描く独自の画風を確立した。印象派展にはほとんど毎回参加したが、八五年頃から視力の低下に悩まされるようになると、石版画やパステル画、写真も手がけ、さらに目が悪くなってからは、記憶の中の踊り子たちを手探りで彫刻した。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「カミーユ・ピサロ(一八三〇~一九〇三) 西インド諸島のセント・トーマス島生まれ。一八五五年、画家を志してフランスに渡り、画塾アカデミー・スイスでモネやセザンヌらと知り合う。六〇年代末にはパリ近郊のポントワーズに移り住み、『赤い屋根、冬の林の眺め』など田園風景を好んで描いた。全八回の印象派展すべてに欠かさず出品、グループ最年長の彼は若い画家たちのまとめ役でもあった。八五年頃からスーラの影響で点描法も試みている。晩年は眼病に苦しめられ戸外での制作を断念、部屋の窓からの眺めを描くようになり、パリの近代都市の景色を多く描いた。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「エドゥアール・マネ(一八三二 ~八三) パリの高級官僚の家庭に生まれる。一八五〇年にアカデミーの大家トマ・クーチュールの画塾に入学、ルーヴル美術館で過去の巨匠たちの作品を模写、研究した。五九年のサロン初出品では落選するも、六一年には初入選を果たしている。六三年の落選展に出品した『草上の昼食』、六五年にサロン出品の『オランピア』は主題的にも技法的にも当時の保守的な人々には受け入れられずスキャンダルとなるが、カフェ・ゲルボアに集まる、後に印象派となる青年画家グループの中心的存在となる。『フォリー・ベルジェールの酒場』を描いた晩年は壊疽を患い歩行困難となった。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「クロード・モネ(一八四〇~一九二六) パリ生まれ、ノルマンディー地方の港町ル・アーヴル育ち。一八五九年にパリに出て、画塾アカデミー・スイスで学び、後に印象派の仲間となるピサロらを知る。六二年には画家シャルル・グレールのアトリエに入り、シスレー、ルノワールら同世代の画家たちと知り合う。彼らとともに戸外に出かけ、移ろいゆく光と色彩の描写を追求、「光の画家」とも呼ばれる。七四年の「無名会第一回展」出品の『印象─日の出』が印象派の語源。晩年は白内障による視力の衰えと闘いながら、季節や光の変化のもとに描く連作が中心となり、なかでも『睡蓮』の連作で知られる。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「ベルト・モリゾ(一八四一 ~九五) ブルージュの官吏の家に生まれる。幼少期より姉とともに絵画を学び、パリに出てからはコローに弟子入りして戸外での制作活動を始める。一八六四年にサロンに初入選後、サロン画家の紹介でマネと出会い、印象派の画家たちと交友を重ねるようになる。マネから画風のうえで大きな影響を受ける一方、マネの作品のモデルも務めた。七四年、「無名会第一回展」が開催された年にマネの弟ウジェーヌと結婚、その後は独自の画風を確立し、『ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘』など身近な主題を大胆で奔放なタッチと明瞭な色彩を用いて描いた。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「ピエール =オーギュスト・ルノワール(一八四一 ~一九一九) フランス中南部のリモージュで生まれる。父は仕立屋、母はお針子。一八六二年にパリの官立美術学校に入り、シャルル・グレールのアトリエでモネ、シスレーらと知り合う。六四年にサロンに初入選の後は、入選と落選を繰り返す。七四年の「無名会第一回展」に出品、七六年の第二回印象派展には『陽光を浴びる裸婦』など今日ルノワールの代表作として知られる作品などを出品した。八一年のイタリア旅行でラファエロらの古典に影響されてからは印象派を離れ、色彩豊かな豊満な裸体を数多く描く。一九〇〇年頃からリューマチが悪化し、車椅子で制作を続けた。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
「アンリ・ド・トゥールーズ =ロートレック(一八六四 ~一九〇一) 伯爵家の息子として南フランスのアルビで生まれる。十四、十五歳の二度の事故で両脚を骨折、下半身の発育が止まり、以後、絵画に没頭する。一八八二年にパリに出て当時の有名画家コルモンの画塾に入り、ゴッホやドガと知り合う。八四年以降モンマルトルにアトリエを構え、ダンスホールや酒場に入り浸って『ムーラン・ルージュにて、ダンス』など娼婦や踊り子のような夜の女たちを描いた。九一年に「ムーラン・ルージュ」のポスターを制作しパリ中の評判になる。九九年、アルコール依存症で精神科病院に入院、次第に衰弱し、二年後に母親のもとで死去。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
ティツィアーノ ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 一四九〇頃~一五七六。ルネサンス期に最も活躍した、イタリア・ヴェネツィア派の巨匠。ヴェネツィア共和国の公認画家として宗教画や神話画を多数手がける一方、神聖ローマ帝国皇帝でありスペイン国王のカール五世と、その息子フェリペ二世からも絶大な信頼を得るなど、肖像画にもすぐれた。 ジェローム ジャン=レオン・ジェローム 一八二四~一九〇四。フランス・アカデミーの大御所。彫刻家でもある。細部にまで気を配る緻密な絵画はアカデミー美術の特徴だが、歴史を題材にしたものばかりでなく、オスマン帝国やエジプトへの旅の後に描いたオリエントを題材にした作品をサロンに出品し人気を得た。当時の前衛絵画「印象派」には批判的だった。 クールベ ギュスターヴ・クールベ 一八一九~七七。フランスを代表する写実主義の画家。自画像でサロンに初入選するが、社会主義に共鳴し社会的芸術としてリアリズムを追求、普通の場所の名もない人々をありのままに描くと、絵画の理想化を求めるサロンには受け入れられなかった。五五年のパリ万博に『画家のアトリエ』と『オルナンの埋葬』を出品しようとしたが出展を拒否され、万博会場のすぐ近くに自ら作品を展示し「世界初の個展」を開催した。 ベラスケス ディエゴ・ベラスケス 一五九九~一六六〇。スペイン最大の画家の一人。スペイン・ハプスブルク家の王・フェリペ四世付きの画家になって以降、没するまで宮廷画家として過ごす。徹底した写実に視覚的効果を加味した巧みな画面構成を得意とし、フェリペ四世、マルガリータ王女、マリア・テレサ王女などスペイン王族の肖像画を数多く手がけた。
ルーベンス ピーテル・パウル・ルーベンス 一五七七~一六四〇。フランドル出身のバロック期を代表する画家。イタリアに留学してルネサンス美術を吸収、動きの多い劇的な構図、豊かな肉体表現、華麗な色彩で独自の世界を構築した。スペイン・ハプスブルク家の宮廷画家となってからは工房を設置し、膨大な作品を残した。 ニクラウス・マヌエル 一四八四~一五三〇。スイスの画家、詩人、政治家。ベルンに生まれ、バーゼルやイタリアに旅行し、その絵画美術を吸収する。またドイツ・ルネサンス期の画家デューラーの影響を受け、木版画・銅版画の技術も学んでいる。十六世紀のスイス絵画を代表する存在。 ブリューゲル ピーテル・ブリューゲル 一五二五頃~六九。十六世紀ネーデルランド絵画の巨匠。イタリアで修業ののち帰国し、怪奇・幻想的な作品や宗教的作品を手がける。アントワープからブリュッセルに移ってからは農民の風俗を好んで描き「農民画家ブリューゲル」の異名をとる。細部まで丹念に描きこんだ作品は、歴史資料としても貴重な情報を提供している。 コロー ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 一七九六~一八七五。十九世紀のフランス絵画のなかで最も優れた風景画家の一人で、バルビゾン派に属し、次世代の印象派への橋渡しをした画家とされる。イタリアやフランス各地の詩情あふれる風景画を数多く描き、夢想的・叙情的な雰囲気を強く感じさせる独自の色調と様式を確立した。
ホーマー ウィンスロー・ホーマー 一八三六~一九一〇。十九世紀のアメリカを代表する画家であり、アメリカ水彩画の伝統を確立した人物として知られる。もとはイラストレーターとして新聞社や雑誌社に絵を提供する仕事をしていたが、三十歳の頃にパリに渡りバルビゾン派の画風を吸収、田園の風景を屋外で写生するスタイルを身に着けた。 ドーミエ オレノ=ヴィクトラン・ドーミエ 一八〇八~七九。十九世紀のフランスのジャーナリズム勃興期に、国王や政治家を鋭く風刺する石版画で活躍、一世を風靡した。生涯に四千点近い石版画を残す一方、パリ市民の庶民生活を題材にした三百点ほどの油絵も描き、印象派や表現主義の画家たちに大きな影響を与えた。 カバネル アレクサンドル・カバネル 一八二三~八九。フランス・アカデミーの頂点に君臨する画家で、正確なデッサンに基づいた典型的なアカデミックのスタイルで、歴史、古典、宗教を題材に描いた。四五年、二十二歳でのローマ賞受賞以降、順調にアカデミーでの地位を確立、その作風と成功から、印象派の画家からは敵対視された。 マクシミリアン・リュス 一八五八~一九四一。もとは彫刻師の店で働いていたが、兵役の後、一八八五年頃アカデミー・スイスに入学して絵画を学び、ピサロら印象派の影響を受ける。風景画、特に労働者や街路の風景などを画題とした。スーラが創始した点描法によって描く「新印象派」に属する画家の一人だが、後に独自の画風を確立した。
ピカソ パブロ・ピカソ 一八八一~一九七三。スペインで生まれフランスで制作活動をした芸術家。一九〇〇年にパリに出てロートレックらの影響を受けるが、友人の死がきっかけとなった「青の時代」、恋人との出会いなどによる「バラ色の時代」を経て、ジョルジュ・ブラックらとともにキュビスムを創始、現代絵画への道を拓いた。 ブーダン ウジェーヌ・ブーダン 一八二四~九八。同時代の画家仲間クールベやコローから「空のラファエロ」「空の王者」と呼ばれたフランスの画家。セーヌ河口の港町ル・アーヴルに転居後バルビゾン派のミレーらと知り合い、画家への道を志す。故郷ル・アーヴルやノルマンディーの海岸風景を好んで描いた。 ホガース ウィリアム・ホガース 一六九七~一七六四。十八世紀を代表するイギリス・ロココ時代の版画家・画家。版画家として下積み生活を送った後、上流社会の頽廃や当時の世相をユーモラスに風刺した連作絵画が人気を博し、国民的画家となった。すべての階級に題材を求めて二百五十点以上の銅版画を残し、風刺画の父とも呼ばれる。 レーピン イリヤ・レーピン 一八四四~一九三〇。ロシアの写実主義画家。名士の肖像画を制作する一方、社会の最下層を題材に民衆の姿を力強く描き出した。一八七三年からイタリアとパリに遊学して同時代のフランス印象派に触れる。帰国後リアリズム美術家の集団「移動美術展派」に参加、ロシア・リアリズムの頂点をきわめた。
ムンカーチ ムンカーチ・ミハーイ 一八四四~一九〇〇。ドイツ系だが、自らマジャール化を望み、ハンガリーの国民的画家になった。パリ滞在中にクールベの影響を受け、写実主義に徹した画風を確立、歴史画、風景画、肖像画の分野で写実派の巨匠として名声を得た。 フラゴナール ジャン・オノレ・フラゴナール 一七三二~一八〇六。フランス・ロココ美術の典型的風俗画家。二十歳のときにサロンのローマ賞を受賞しイタリアへ留学するが、帰国後はアカデミーに入会せず、それまでの歴史画・宗教画から転向。寓意的・官能的な風俗画を多数描いて好評を博し、画家としての絶頂を迎えた。 ゴーガン ポール・ゴーガン 一八四八~一九〇三。ポスト印象派を代表するフランスの画家の一人。二十三歳頃から絵を描きはじめ、ピサロとの出会いから印象派の画家たちと知り合う。一八八六年にブルターニュのポン=タヴェンに移り住み、そこで明確な輪郭線と鮮やかで平坦な色彩で描くという、印象派を超える新たな表現手法を確立、その後もパナマ、アルル、タヒチと放浪し、精力的に制作活動を行なった。 安藤広重(歌川広重) 一七九七~一八五八。江戸時代後期の浮世絵師、画家。はじめ役者絵、美人画を手がけたが、一八三二年、幕府が朝廷に駿馬を献上する年中行事の行列に参加して東海道を上った翌年から『東海道五十三次』を発表して好評を博し、風景画家としての名声を得る。ヨーロッパでは大胆な構図と藍色の美しさでジャポニスムの流行を生み、印象派の画家たちに大きな影響を与えた。
「音楽を芸術の最高峰に置くドイツ人が「耳の人」ならば、浮世絵が証明するように日本人は「眼の人」ですから、今の美術展の賑わいも納得できます。」
—『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)』中野 京子著
それにしても、ではなぜ日本人はこれほどまでに印象派を好むのでしょう? 西洋美術受容の先ぶれとして、白樺派の作家たちが印象派を称揚したからとの説がありますが、とてもそれだけとは思えません。本文で書いたように、印象派作品が明るく、わかりやすく、心を癒し、市民階級(まさに現代の我々)の日常を肯定している、という点が大きい。何かを強く主張してこないので、疲れないのも良いのかもしれない。 でもさらに言うならば、日本人はまだ西洋美術の学びの途中です。印象派以前の絵画には意味があり、その意味がわからなければ感じることさえできない。そのためには、肖像画であれば、それが誰でどんな功績のあった人物か、歴史画であれば、それがどの時代のどんな事件か、神話画であれば、それはギリシャ神話のどの物語か、宗教画であれば、それは聖書のどの場面か、そういった知識が不可欠なのに、とてもまだそこまでは手がまわらない。また印象派以降の絵画は、それこそ百花繚乱のうえ抽象性と個別性が強くなりすぎて、どう感じていいのかさえ謎。そこで、すんなり理解できる印象派への殺到、という状態なのかもしれません。
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印象派絵画からフランスの近代化の過程学べる
非常にわかりやすい!作中にレミゼラブルが出てきて、映画を見たことが思い出された。中野先生の本をもっと読んでみたい!
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「印象派の画家が何を描いたのか」を切り口にして、主にフランスの近代史を知る
いやー面白かった!!
自分が本屋するとしたら、こういう「"ある視点"からみた歴史」って本棚作るなぁ笑
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印象派が現代人、日本人に受け入れられやすいこと、それが何故なのかということが分かりやすく書かれていて面白かった。
時代背景もセットで面白いから学生の時知れてたら賢くなったかもな〜〜
美術が何もわからなくても浅く理解できたのですごくいい本だなと思う。もっとわかる人はもっと面白いかも知れない。
綺麗な絵のことを知りたい人はぜひ
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絵の実物をたくさん入れてくださってありがとうございます!中野京子先生の本全部読みたい!
浮世絵は印象派ほどはやらなかった、版画だし紙は保たない、なにより宣伝が下手…etc
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印象派絵画を、時代背景をもとに解説していく。社会や政体の変遷であったり、工業化と貧富の格差であったり、男女間の事情や社会的立場であったり、確かにその背景を理解すると、絵画の鑑賞に深みが増してくる。取り上げられるのは、有名な絵画ばかり。26作品はカラーで、1000円でこの内容なら納得だ。非常に楽しく読めた。ただ背景にやや重きを置く分、美術的価値に関する叙述が物足りない印象だった。最後の一文、にもかかわらず美しい、という言葉はすっと腹に入ってくる言葉だ。紹介された絵画と、またどこかの美術展で出会うことを楽しみにしたい。
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絵(美術)は解説されるものではなく感じるもの。…そんな風に言われそう思ってきたけれど 気にいった絵や世界的に評価されている絵の事はもっと知りたい。
文化の違う外国での作品の背景を知りたい。
そんな欲求に答えてくれるのが中野京子さん。
本書は印象派を取り上げ解説。
とてもおもしろい。
あとがきまでよかった。あと173Pの世界で活躍する日本人アーティストをもっと国全体で支援すべきの一文にはまったく同感。
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[追記]
こないだ頂いたポストカードがドガだった。
今までだったら、単なる「ドガのバレエの絵」だったが、
この本をよんだおかげで、この絵の背景や登場人物が何を表現しているかが、わかって絵の見方がかわった。
知識というのが、見方をかえる。ということがよくわかった。
---------------------------以上 追記------------------------------------
「怖い絵」シリーズの印象派の解説版。
今回は印象派と呼ばれるドガやモネ、マネ、ゴッホ等を中心に、
印象派とは何かがかかれている。
フランス革命がおわり、ナポレオン3世の時代に今までの
宗教画や人物画ではなく、感じたままに、
思った通りに書くという絵画の革命がおこった。
なるほど、印象派の絵画は内容がわからなくても
なんとなく良いとか、直感的、感情的にみることができる。
絵画が貴族たちの教養のひけらかしから
一般市民が見ることになってきたという時代背景もあるようだ。
歴史を重んじるヨーロッパよりも、新しい歴史を作りたいアメリカによって買われ、結構な数の絵画がアメリカの美術館にあるのはそのためらしい。
最後のし目の言葉がぐっときた。「にも関わらず美しい」作り手がどんな人間だろうが、芸術は美しいものはうつくしい。それこそが芸術の毒とのことだった。
美術館にますます行きたくなった。こういう本を読むと楽しみが深くなる。
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印象派、そして西洋美術史のとっかかりとして非常に良かった。
印象派関連の展覧会は何回も行くけどやっぱり歴史的背景を知流のと知らないのとでは、鑑賞するにあたっての感じ方は少し変わるかなと思う。
もちろん感覚で絵を見ることは大事だけど、歴史的な背景を知った上で見ると、見え方や書いてあることの意味などを、より見て取れるなと。
美術史周りから西洋史や世界史、はたまた日本史を学んでいきたいなと思う今日この頃。
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印象派作品は明るく、わかりやすく、心を癒し、市民階級の日常を肯定してくれる。
だから、市民階級にとって、身近なものに感じて、多くファンに受け入れられた。
印象派と浮世絵(ジャポニズム)のマーケティングの違い。
印象派は、作家やその理解者(ギャラリーオーナー)などが、その作品の良さを理詰めで発信した。その結果、アメリカでのコレクターの拡大など、ファンの裾野を広げた。
一方、浮世絵は、日本人独特の作品を見て感じる、説明はしないような、文化が幸いした。一過性のジャポニズムの流行はあったものの、長期的なファンの継続には繋がらなかった。
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再読。印象派の生まれた背景や、画家の社会的背景を紐解きながら、印象派の絵画を楽しむ。従来の古典派から抜け出し、絵画を見るがままに楽しませてくれる姿勢は、素晴らしい。でも、その時代の社会的背景をそのまま切り取って描かれているものと知ると、絵によっては、退いてしまう。それでも中野さんが指摘するように、「にもかかわらず」-それこそが芸術の毒であり魅力、なのだと感じる。
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印象派の背景を知ることができて興味深い。印象派画家自体はあまり好きになれそうにないが、絵の価値は変わらない、「にもかかわらず美しい」という中野さんの指摘は、おっしゃるとおりと感じました
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フランスでは当初印象派の評価が低く、大量にアメリカに流出してしまったこと。そのように流出したスーラの「グランドジャット島の日曜日の午後」(シカゴ美術館)をフランスの団体が買い戻そうとしたけれどもできなかったこと。仕方なく引き取ったカイユボットの絵画が今ではオルセーの大切な展示となっていること。どれも知らなかったことで、興味深かったです。
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印象派の絵は大体が明るい色彩の風景画だと思っていたが、実際は風景に留まらない近代欧州の姿が正負双方の側面から映されているということが新鮮だった。また、印象派絵画の名作の内容だけでなく、当時の歴史的背景にも触れられていて興味深かった。また、この本を読み終わった後印象派以前の古典的作品を調べてみたが、逆説的だが3次元の世界を絵に落とし込もうとした先人の努力に印象派絵画とは異なる凄さを垣間見ることができた。
絵画のことは全然分からないという自負があったが、それらが描かれた時代や作者に関係する背景を知っていると興味を持てるし、楽しむこともできるということを知った。最後の章で矛盾した現実に対してメッセージ性を介在させずにその瞬間の美しさだけを切り取った印象派絵画に対して、背景知識がないと現代人の目で偏見を持ってみてしまうという指摘に身の引き締まる思いがした。
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久しぶりの中野京子さん。
変わらず読みやすく、印象派が苦手な私でも面白かったです。
「印象派」の特徴として「主張しない」一面があり、過去の宗教画や未来の抽象画と違い、絵の中にストーリーや意思を込めなかったそうです。ですが、それぞれの背景を探れば十二分に面白いということが書かれています。
ただ、一人一人の画家を強く取り上げるという感じではないので、サブタイトルは誤解を招くような…。
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印象派の題材から、その時代の社会的背景を教えてくれた。
また、印象派の、社会そのものを描くわけではなく、このテーマは取り上げ、こういうものは描かない、という部分も興味深かった。
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印象派の絵は神話や聖書の知識がなくても自分の感じるままに楽しめることが魅力だと思いますが、フランスの近代史と共に絵の背景にあるものを知ることで、より楽しみが増えた。その背景が少しがっかりするようなものであったとしても、「にもかかわらず美しい」これに尽きますね。色んな絵がカラーで掲載されているので、目でも楽しむことができました。
Posted by ブクログ
27.10.9東京都美術館で開催中のモネ展で購入。
大好きな印象派を中野さんの視点で解説。とても面白く、勉強になったしますます美術館に行きたくなる。(そしてもう一度モネ展に!)
原田マハさんのジヴェルニーの食卓を思い出しながら読み進めた。
印象派の絵は疲れずあまり考えず、ただ明るくて綺麗〜と観る感じ(だから日本人に人気だとか)だったけど、明るい中にもその時代背景、自分が思っていたのとは違う作者の意図があったり…。
それを知ることでさらに美術鑑賞が楽しくなるし、驚きや軽いショックを受けつつもますます魅入る。どんな背景があったとしても美しいと思う。
印象的な作者の言葉 [にもかかわらず美しい]
この言葉が全て表していると思った。
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印象派で近代を読むとのことでとてもわかりやすい時代・絵画説明がされています。この本を読んで、絵画だけでなく印象派を形成した時代背景についても知りたくなりました。
フランスとアメリカの片思いの関係や日本の浮世絵が印象派に与えた印象など読んでいてもっと知りたいと思うことがたくさんありました。
ただ、テーマが「印象派で近代を読む」なので大まかな説明しかありません。(それでもわかりやすくて好きですが)フランス文化に詳しい方には少し物足りない一冊なのではないかと思います。反面、これから印象派、ひいてはフランス美術界について学んでいこうという方にはおすすめです。
Posted by ブクログ
たしかにアメリカの美術館の名前を冠した展覧会では、印象派作品が目玉扱いになっているな。日本史専攻だったから、欧米の歴史がすっぽ抜けている、ということをうっすら思い知らされた。印象派に思想はないかもしれないけれど、時代の空気を今に伝えるし、画家の魂は変わらず絵画のなかにある。
Posted by ブクログ
印象派が誕生する社会的な背景や、当時の市井の人々の暮らしぶりなど興味深い内容。ひとつのテーマについて深く掘り下げるというよりも、時代を概観する本として良いと思います。
地の文で「です・ます」と「だ」が混在しているのは、敢えてそうしたのだろうと思いますが(校正漏れにしては多すぎるので)、正直に言って成功しているとは思えません。中野京子さんの本は好きなのですが、言葉のリズム感が合わないなぁと思うことが時々あります。
また、広重は「歌川広重」と表記すべきではないでしょうか?
Posted by ブクログ
「です・ます」調に統一されていない文体に、微妙にペースを崩されます。
絵は言われれば分かる程馴染み深いのに、生前売れなかった画家が多いイメージがある印象派の成立から、当時の評価が低かった理由などが良く分かります。
Posted by ブクログ
さすが 中野京子さんの本
多角的に絵を読ませてくれる
今回は、社会や当時の環境について が焦点かな
マネの『オランピア』や『草上の昼食』が、それぞれ
ティツィアーノ『ウルビノのヴィーナス』『田園の奏楽』の
女神や神話上の人物を 生身の人間にした絵
というのには驚いた
そうだったんだ!!
しかし、一番最初に 『草上の昼食』を見た時の衝撃は
忘れられない。
びっちりと礼装した男性と 森の木漏れ陽の下
ピクニックしているのは 全裸の女性!
(うわ、何なんだ、コレ?! ・・・だった)
中野さんは これは現在を見越した未来図だったかも
なんて 書いてる
ヌーディストビーチのピクニックね。
そう見ると、なんか笑える
Posted by ブクログ
印象派とフランスの時代背景についての説明的な本だった。絵がたくさんあってたのしかった。
ドガの「カフェにて」という絵を初めて見たのだけど、女の人すごくつまんなそうな顔しておもしろ〜〜!って思って解説読んだら全然違う意図の表情だった。
絵って全部物語が盛り込まれてると思ってたから、印象派は見たままに描かれててメッセージ性はないから教養を必要とせず楽しめる、みたいなことが書かれててびっくりした。
洪水で水びたしになった村があって舟で移動するしかなかったところを絵に描いてる画家がいて、その人は水面のきらめきが好きだったのらしい。きれいだから描いたそうで、村人の苦労を伝える意図はないのらしい。映えてるから絵に描いたってこと……??
でも人がなに考えてるかは本人以外わからないから、こう解説されてても「こんなに村は大変なことになってるけどこんなに美しいです。こんなに美しいのに。」って思いながら描いたかもしれないよな。この画家に限らず、やや勝手なこと言ってそうだな、って思っちゃったところがあるので心情の部分はあまり信じないでおきます。
Posted by ブクログ
印象派の数多くの作品を豊富な図版で紹介しつつ、そこにえがかれている時代のありようについて解説をおこなっている本です。
ヨーロッパの絵画を解釈するにあたって図像学的な知識が必要となることは、現在ではひろく知られるようになりましたが、19世紀の風俗をえがいた印象派の絵画も、そこにえがかれている対象とそれらを取り巻く西洋社会の実態について知ることが欠かせません。本書は、文章による解説と図版に付された注釈によって、これらの絵画がえがかれることになった時代背景が理解できるようになっています。
著者は「あとがき」で、「なぜ日本人はこれほどまでに印象派を好むのでしょう?」という問いかけをおこない、「印象は作品が明るく、わかりやすく、心を癒し、市民階級(まさに現代の我々)の日常を肯定している、という点が大きい。何かを強く主張してこないので、疲れないのも良いのかもしれない」と述べています。これは、常識となっている印象派解釈に沿った説明といえるでしょうが、本書の解説はむしろこうした理解をくつがえすものです。
たとえば著者は、印象派の絵画にえがかれている貧富の差や女性の地位について、当時のヨーロッパ社会がかかえていた問題をわかりやすく解説します。さらに印象派がこれほどまでにひろく受け入れられるようになったのは、日本とアメリカの影響が大きいとしながらも、その受容史のなかにも権力勾配が存在していたことを明らかにし、さらに印象派の画家たちが目の前の世界をえがきとることにのみ関心を向けていて、社会に対する批判的精神を持ちあわせていなかったことも指摘されています。
Posted by ブクログ
内容的にはサラッと書かれている。あとがきによると、講演を基にした書き下ろしとのこと。画家を印象派の時代でくくって当時の風俗を紹介するのがテーマと感じた。印象派展示などの前に事前知識として読む、などかな。鑑賞後はもう少し詳しく各画家ごとに描かれた本の方がいいかもしれません。