あらすじ
戦争―日清・日露から、日中戦争、米英との戦い―について、なぜ日本は戦争に突き進んだのか、いかなる目的と、蹉跌があったのか、相手国にいかなる事情があったのか、それらをわかりやすく、簡潔に記しています。
現在も中国や韓国によって問題視されている歴史認識について、あらためて考え、問題点を整理するためにも格好の本です。
例えば、米国との戦争については、日本に確かに外交上の失敗がありました。しかし、それだけではありません。ヨーロッパを蹂躙するドイツを叩きたいと考えていた米国が、日本に戦争を仕掛けさせることによって大戦に参加したことなど、複雑な背景を的確に指摘しています。また、日本が連合軍と戦ったことによって、植民地だったアジア諸国に独立の機運が高まり、戦後の解放・独立につながったことも確かな事実です。
いわゆる“自虐史観”から離れて、「日本の戦争」を真摯に、公平に見ることが何よりも大切です。本書はその一助になる教科書です。
産経新聞の長期連載「子供たちに伝えたい日本人の近現代史」からの書籍化。
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Posted by ブクログ
日清戦争から詳細に歴史をたどっているのでわかりやすい。
でもこれ・・・産経新聞で連載が続いているんですが・・
1冊にできるまで出版は待てなかったんだろうか・・・。
続編読まないといけなくなるやん。
まぁ、新聞で読めばいいんですが^^;内容忘れそうだ^^;
Posted by ブクログ
今年(2014)の夏は日本が明治から昭和にかけて戦った戦争について解説した本に出会えました。私が学校の授業を通して感じてきたことは戦争を否定的に捕らえることが多く、あの選択が間違っていた・軍部が暴走した、というものでした。
そのような一面があったのは事実と思いますが、当時も今と同様に議会で国の方針を決めていて、国民の世論もそれらを支持していたはずです。今後無駄な戦争をしないためにも、この本の主題である「日本が戦った本当の理由」を学んでおく必要があると思いました。
この本は、親が子供に伝えるために知っておくべきことが書かれてあります。私の人生から見れば、このような本に出合えたことは良かったと思いました。
以下は気になったポイントです。
・日清戦争にて海軍に優れていた清に日本が圧勝したのは、戦術が優れていた以上に、士気の高さ、が違っていた。明治天皇は、広島の大本営に行幸して半年間も泊り込んだ(p31)
・山地の多い台湾の東部は19世紀に入っても未開拓であった、最初の3年間は高山族の激しい武力抵抗にあって、日本国内では台湾売却論まで出る始末であった(p35)
・3代目の台湾総督である乃木氏は1年あまりで辞め、4代目の児玉の起用によってようやく統治が本格化した(p37)
・1900年に激化した義和団に対して英軍を中心とする列強軍は北京に入れず天津に引き返すほど。7月に日本が英国などの要請を受けて2.2万人の兵員を送り込むと攻勢に転じて、8月中旬に8カ国連合軍が北京制圧に成功(p46)
・1904(明治37)ロシアと戦端と開いた日本は旅順を標的として全滅させた(12月)、一帯を清国から租借するロシアがここに太平洋艦隊を集結させていたから。その前の8月にはウラジオストク港に拠点をおく「ウラジオ艦隊」を無力させていたので、日本海・黄海の制海権を握った(p58、65)
・第一次世界大戦当時、英国・ロシア・フランスからも欧州戦線への派兵要請があったが断り続けた。ようやく1917(大正6)に、巡洋艦「明石」を派遣して英国など連合国の輸送船をドイツ潜水艦から守ったが、陸軍の派兵は見送った(p87)
・平成24(2012)秋に東京駅がリニューアルされたが、大正3(1914)に開業した当時の姿に復元されたといった方がいい(p101)
・欧州を中心に行われた一次大戦は、850万人を超す戦死者を出し、国民を総動員する戦いを経験していた。日本は兵器の急速な近代化を必要とするほどの激しい戦いはしていなかった(p107)
・海軍の予算は大正10年には国家予算の3分の1にあたる5億円だったが、12年には2.8億円に削減された。これにより世論は陸軍にも軍縮を求めた(p108)
・日露戦争後、中国・遼東半島の租借権を得た日本は、この地を関東州として、関東総督府を置いた。関東州や経営権を得た南満州鉄道とその付属地の警備にあたり、大正8年に独立した関東軍となった(p128)
・リットン報告書は、満州国が現地民の自発的運動により樹立されたものでない、と日本の主張を退けたが、満州の自治・満州における日本の利益(関東軍の存在)も認めていた(p131)
・英東洋艦隊の2隻の戦艦(プリンスオブウェールズ、レパレス)は日本の航空隊に急襲されて沈没した(p194)
・開戦から4日後に発表したものによると、あの戦争の日本での正式名称は「大東亜戦争」であったが、GHQがこの名称を使うことを禁じた。アジアの新秩序建設や解放という日本側の大義名分を感じたから(p196)
・ジャワ島において日本の2倍(現地兵入れて8万人)いる連合軍に完勝できたのは、寄り合い所帯の弱さもあったが、それ以上に「親日」的な現地人の存在があった(p201)
・特攻隊の成果は日本側はつかめなかったが、米国の報告によれば、沖縄戦だけで空母から上陸用舟艇まで、250隻が損害を受け、駆逐艦以下34隻が沈没した。最も大きな戦果は、米軍に恐怖の念を与えたこと(p230)
・昭和20年1月に、マリアナの米軍B29爆撃兵団の指揮官が、カーチス・ルメイ少将に代わったことで、夜間低空から焼夷弾を使う無差別じゅうたん爆撃が採用、非戦闘員も対象となった。その最初が、3/10の東京、大阪を経て、17日には309機のB29が神戸に来襲(p234)
2014年9月17日作成
Posted by ブクログ
日清・日露戦争から第二次世界大戦までの日本が戦った理由について、冷静な史観でまとめられています。
副題には、「子供たちに伝えたい」とあり、自分自身しっかりと向かい合っていなかったことを感じていたので、手に取りました。
産経新聞で週一回連載したものをまとめたもので、連載中から読んでいたのですが、こうして一冊の本としてまとめて読むと、世界的な視野や、歴史の流れがとても分かりやすかったです。
まさに今、集団的自衛権も認められている中、世界的な視野で冷静に平和について考えなければならないと改めて感じました。