【感想・ネタバレ】馬上少年過ぐのレビュー

あらすじ

戦国の争乱期に遅れて僻遠の地に生まれたが故に、奥羽の梟雄としての位置にとどまらざるをえなかった伊達政宗の生涯を描いた『馬上少年過ぐ』。英国水兵殺害事件にまきこまれた海援隊士の処置をめぐって、あわただしい動きを示す坂本竜馬、幕閣、英国公使らを通して、幕末の時代像の一断面を浮彫りにした『慶応長崎事件』。ほかに『英雄児』『喧嘩草雲』『重庵の転々』など全7編を収録する。

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長編にならなかった伊達政宗

司馬遼太郎が短編の筆を折ったのは、作家デビューして10年が過ぎたころ-その後3編の例外はある-、同じころに「街道をゆく」が始まる。『馬上少年過ぐ』に収められた7編のうちの4編はそうした昭和43年から45年に書かれた。残りの3編は、同じ新潮社から以前に出た『鬼謀の人』からの転載である。
短編集の表題となった『馬上少年過ぐ』は隻眼の武将伊達政宗の晩年の漢詩の第一句から取られた。司馬は政宗を詞藻の豊かな武人と言いながら、その凄絶な生い立ちを語っている。それは24歳の政宗が実弟の小次郎を刺殺するところで途切れ、死の前年の歌の「千々に心のくだけぬるかな」に寓意があるとして締めくくった。
ところが、司馬の言いたいことはむしろ文庫本のあとがきに表れているように思える。四国の宇和島伊達家の庭園「天赦園」の名が政宗の漢詩に由来することが政宗に対する関心の発端であるという。しかしながら、政宗を主人公とする長編を執筆するに至らなかったのは「政宗の生涯は、悪謀と譎詐、華やかながらも見えすいた自己演出に満ちている」という評から察することができよう。
ともかくも司馬が示した「独眼竜」などのイメージとは遠いところの政宗像は一読の価値はあるのではないだろうか。
ほかの短編も人物伝というものが多く、それらを盛るのに『街道をゆく』のような媒体に移行していったことが自然な成りゆきだったと考えさせられた。
『貂の皮』の脇坂甚内も『重庵の転々』の山田重庵も奇体なところをもつ者として司馬作品らしいユーモラスな味わいに描かれている。

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2017年12月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 龍野藩の家祖、脇坂安治のことを知るために収録の「貂の皮」を再読。当時豊臣秀吉の家臣であった安治が丹波で400年続く名門で、丹波の赤鬼と恐れられた赤井直正の護る黒井城へ、降城の使者として単身乗り込む。説得は失敗するが、直正が安治の勇気に感じて、奇瑞をもたらす家宝の雌の貂の皮を贈る。しかし貂の皮は雌雄あったため、安治が雄も所望すると、力づくということになり、翌朝、貂の皮の指物をした直正が城門を開いて討って出た…。
 非常におもしろい作品。でも黒井城の地元の資料では直正は病死となっています。司馬遼太郎のねた本は江戸時代に脇坂家が安治の宣伝として作成したようです。しかしその後安治は大名となり、子孫も明治まで続きます。貂の皮の加護はあったようです。尚、貂の皮は地元の龍野神社で年に一回のお祭りで公開されるとのこと。

 その他の作品も一級品揃いで大変面白いですが、司馬遼太郎の短編集は統一性が無いように思います。やはり読者としては時代は同じ方が良いのですが。

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2016年02月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

・幕末の長岡藩で非凡の才を発揮しつつも時勢を見極められずに散った河井継之助を描いた「英雄児」
・英国人殺害事件に関与した海援隊隊士菅野覚兵衛と佐々木栄を中心に幕末の日英関係を描いた「慶応長崎事件」
・江戸末期から明治初期を生きた、非凡の才を持った血気盛んな絵師、田崎草雲の生涯「喧嘩草雲」
・奥州の覇者正宗が歴史に残した足跡を、彼の持つ非凡な詩歌の才と共に描いた「馬上少年過ぐ」
・一介の町医者の身から伊予宇和島の命運を握るまでに栄達し、数奇な人生を送った山田重庵を描いた「重庵の転々」
・大阪の陣の後に武士になることを嘱望した大須賀満左衛門の奮闘を描く「城の怪」
・賤ヶ岳七本槍の武将として武名を轟かせた脇坂甚内(安治)の生涯を描いた「貂の皮」


「英雄児」…長岡藩家老河井継之助
情景は江戸古賀茶溪塾での、無隠鈴木虎太郎の出会いの場面である。未だ穏やかな江戸の空気が懐かしさを醸し出している。やがて継之助はその凄まじい才能を発揮して藩政を指導し、強大な長岡藩軍を作り上げ、凄惨な北越戦争を戦う。藩は焦土と化し、多くの民衆が斃れ、継之助もまた戦傷死する。その墓碑は幾度も毀たれたという。著者の評言『英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしい。』に大いに首肯する思いがする。

「慶應長崎事件」…土佐藩海援隊士菅野覚兵衛。
慶應3年7月6日夜、長崎で起こった英海軍イカレス号水兵斬殺事件の顛末である(イカレス号事件)。嫌疑が海援隊に懸かった為、英国、幕府、土佐藩の三者が折衝したが、大政奉還直前の幕末の最も煮えつまった時期に当たり、『歴史はこの間、停止したといっていい。』という著者の評言通りの無用の摩擦であった。アーネスト・サトウの観察眼が非常に興味深い。

「喧嘩草雲」…足利藩士田崎芸(絵師草雲)
幕末の奇士の逸話である。喧嘩で鳴らした絵師草雲(梅溪)は、宮本武藏の画幅に出会い心を改めた。ところが幕末の風雲は彼を措かず、小藩足利戸田家一万石の宰相の様になってしまう。やがて戊辰戦争が始まるや、機知を以て藩を救う。乱世に生まれた者の変転を考えさせられる。

「馬上少年過ぐ」…仙台藩主伊達政宗。
奥羽の雄政宗の、主に少年期から、家督を相続する前後に焦点を当てて描く。奥州の土俗と、稀代の没個性人の父輝宗を詳しく描写し、その特異性を述べるが、表現や推察にやや筆が走り過ぎ、著者の作品群の中では異質な位置を占める。

「重庵の転々」…伊予吉田藩家老重庵山田仲左衛門。
伊予吉田藩分封直後に起こった所謂「山田騒動」の顛末である。重庵は史実では「文庵」。長曾我部牢人重庵は寒村の村医であったのが、次第に重んじられて遂には家老に迄栄達する。藩政改革に苛烈極まる施政を行い庶人の反動を受け、遂には元の重庵に戻り仙台で余生を送る。著者の云う『侍の家にうまれれば温和で無能であることがのぞましかった。最大の不幸は有能にうまれつくことであった』の言葉その儘に、泰平の世で無く、戦国・幕末等の乱世に生まれていれば稀代の英雄と成り得た人物であった。末尾に語られる著者の前に現れた仙台の老人の挿話が何とも不思議である。非常に秀逸な短編。

「城の怪」…下総牢人大須賀万左衛門。
元和偃武の後、松平忠明治下の大坂城下。仕官を夢見る牢人、仕官の望み得ないと思う足軽物頭、嘗て豊臣家に使えた女、の三者が織り成す江戸初期の市井の風景。

「貂の皮」…龍野藩主脇坂安治。
賤ヶ岳の七本槍の最年長者で、播州龍野5万5千石脇坂家は大名になった七本槍では唯一、維新まで家を保った。その馬印は世に珍しい雌雄一対の貂の毛皮の槍鞘である。此れに纏わる奇瑞と安治の数多い戦場往来の逸話を絡めて描くのだが、その中でも大変興味深い丹波の豪族、赤井悪右衛門直正から貂の皮を受け継ぐ有名な逸話は、残念ながら史実では無い。

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2016年02月12日

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