• 馬上少年過ぐ
    ネタバレ 購入済み

    長編にならなかった伊達政宗

    司馬遼太郎が短編の筆を折ったのは、作家デビューして10年が過ぎたころ-その後3編の例外はある-、同じころに「街道をゆく」が始まる。『馬上少年過ぐ』に収められた7編のうちの4編はそうした昭和43年から45年に書かれた。残りの3編は、同じ新潮社から以前に出た『鬼謀の人』からの転載である。
    短編集の表題となった『馬上少年過ぐ』は隻眼の武将伊達政宗の晩年の漢詩の第一句から取られた。司馬は政宗を詞藻の豊かな武人と言いながら、その凄絶な生い立ちを語っている。それは24歳の政宗が実弟の小次郎を刺殺するところで途切れ、死の前年の歌の「千々に心のくだけぬるかな」に寓意があるとして締めくくった。
    ところが、司馬の言いたいことはむしろ文庫本のあとがきに表れているように思える。四国の宇和島伊達家の庭園「天赦園」の名が政宗の漢詩に由来することが政宗に対する関心の発端であるという。しかしながら、政宗を主人公とする長編を執筆するに至らなかったのは「政宗の生涯は、悪謀と譎詐、華やかながらも見えすいた自己演出に満ちている」という評から察することができよう。
    ともかくも司馬が示した「独眼竜」などのイメージとは遠いところの政宗像は一読の価値はあるのではないだろうか。
    ほかの短編も人物伝というものが多く、それらを盛るのに『街道をゆく』のような媒体に移行していったことが自然な成りゆきだったと考えさせられた。
    『貂の皮』の脇坂甚内も『重庵の転々』の山田重庵も奇体なところをもつ者として司馬作品らしいユーモラスな味わいに描かれている。

    0
    2017年12月08日
  • 街道をゆく 14
    購入済み

    再会がテーマの「街道をゆく」

     二十年来の知己である宇和島市立図書館長をしていた渡辺喜一郎と「久濶を叙した」という場面に見るように、「街道をゆく」のなかで「南伊予・西土佐の道」は、再会がテーマであるかのようである。
     それほどに司馬は旧知と先々で出会っていく。司馬にとって大阪外国語学校の先輩で、満州・長春に訪ねたことのある森和氏、司馬夫人の友人の夫、石丸良久氏、産経新聞社の同僚であった松浦幸男氏など。渡辺氏とともに十年以上前から宇和島周辺を取材して知った人々などを入れるさらに多くなる。
     その外に赤尾兜子の兄、赤尾龍治は盤珪禅師の研究者として紹介される。
     「街道をゆく」では旧作が話題になることも少なくないが、それにしても数が多い。「花神」、「歳月」、「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」などは長編で、煩雑を避けたのか、題名までは挙げていないが内容から関連する短編はいくつも思いつくだろう。
     つまり、「南伊予・西土佐の道」を読むことで、それらの作品と再会できることが司馬ファンの楽しみである。
     二宮敬作は、司馬のお気に入りの人物らしく、「花神」ではシーボルトの娘、イネの庇護者、好人物として描かれる。ところが、その知られるところの経歴は、志賀重昂が見た「ドイツ人名事典」の記述より大して詳しくならないという。司馬はいくつかの伝承に触れるが、それでむしろ小説のなかの二宮敬作の肉付けが司馬の想像であることが分かる。
     これも裏話といえるが、佐賀の乱から逃亡中の江藤新平が、宇和島で芸者を呼んで、江戸で覚えたはやり唄をうたったという伝承を知ったが、あいまいな話と思い、小説(「歳月」)には使わなかったとある。
     以上は司馬ファンのための紹介であるが、こうしたこととは関係なく、江戸時代の蘭学の淵叢として知られた宇和島について知ることで得るものは多い。

    0
    2017年10月31日