あらすじ
1990年代に、若者の仕事は大きく変貌した。非正規社員の増加、不安定な雇用、劣悪な賃金…。なぜ若年労働者ばかりが、過酷な就労環境に甘んじなければならないのか。それは、戦後日本において「教育の職業的意義」が軽視され、学校で職業能力を形成する機会が失われてきたことと密接な関係がある。本書では、教育学、社会学、運動論のさまざまな議論を整理しながら、“適応”と“抵抗”の両面を備えた「教育の職業的意義」をさぐっていく。「柔軟な専門性」という原理によって、遮断された教育と社会とにもういちど架橋し、教育という一隅から日本社会の再編に取り組む。
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教育現場では、人格の完成や学ぶこと自体の楽しさを重要視する傾向にあるが、本書での教育の視点=経済的利益、社会的効率(特に職業的意義)に着目して教育の有効性をどう担保していくのかについて指摘されている点が非常に面白い。
確かに教育の目的を抽象化しすぎてしまうと、日本国という社会が教育にとって何を成し得るのかという視点が抜け落ちてしまう。
社会学的視点で教育を見ることの重要性、面白さに気づかせてくれた本であるため、高い評価をつけた。
昔から今まで、私の社会教育学を研究する上での指南書です。
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今の日本の若者の苦しみの根本のところを指摘してくれていて、ずーっと頷きながら読んでしまいました。労働世界に対する「適応」と「抵抗」の二つの側面が教育に必要というのに賛成です。困難はいっぱいありますが、大きな方向性を示してくれました。
Posted by ブクログ
東京大学大学院教育学研究科教授の本田由紀による職業教育論。
【構成】
序章 あらかじめの反論
第1章 なぜ今「教育の職業的意義」が求められるのか
第2章 見失われてきた「教育の職業的意義」
第3章 国際的に見た日本の「教育の職業的意義」の特異性
第4章 「教育の職業的意義」にとっての障害
第5章 「教育の職業的意義」の構築に向けて
職業教育には、労働への<適応>と<抵抗>という2つの側面がある。<適応>とは、実業系の高校・高専・専門学校で担われてきた文字通りの職業訓練である。<抵抗>とは普通科高校、大学等で学ぶ労働法規、職業選択等に関する適切な情報とリテラシーの学習などである。
明治以降、工業の発展とともに中等教育における実業教育が奨励・拡充され、昭和期には軍需拡大とともに職工の育成も重要視された。戦後に入り、旧来の複線的な学制を廃して単線的な6334制度が導入されたが、それは戦前以来変わらぬ中等教育における普通科教育への憧憬と実業教育軽視の現れであった。1948年から翌年にかけて実施された新制高校の誕生すなわち、複数学科を併置する「総合制」高校の誕生により、実業系高校の数は激減した。
1960年代に入り、ベビーブーム生まれの団塊の世代が高校入学年次を迎えると、時の池田内閣の施策により「経済発展における人的能力の開発の課題と対策」として、高校内での普通科と職業学科の生徒数比率維持ないし後者の増大の方針が出され、これに伴って職業学科の増員・細分化が行われていった。
このような1960年代の制度設計の前提には、財界が推奨してきた「職務給」制度があったが、現実に普及した「職能給」制度により、企業内では特定の職務遂行よりも個々人の総合能力に重きを置いた人事制度が敷かれた。そして、年功序列型の職能制度により、教育現場に対する職業訓練教育の養成圧力が弱まり、職業教育の意義は弱まり、いったん細分化し多様化した職業学科の定員は減少していくことになった。
本書では以上のような第2章で展開されている職業教育軽視の戦後史を辿った後、現状の中等教育・高等教育(大学)における職業教育・キャリア教育の欠陥を第4章で明らかにしている。そして、政策的にキャリア教育充実を図ると名目は立てられているが、実態としてキャリアに必要な技能・知識を賦与することなく、生徒に自己実現のプレッシャーばかりを与えることで、職業教育を受けていない生徒達は「自己実現アノミー」状態に陥っていると指摘する。
「教育と職業」という誰しもが関わり、社会構造の根幹に関わる壮大なテーマに対峙しながら、実証的な論証を試みようとする本書の価値は高い。「労働力実態」を構築する企業が、ホワイトカラー労働者の雇用にあたって、職業的意義を教育に要請していないこの現実をいかに変えていくべきかを考えるのが最も重要な課題であろう。
Posted by ブクログ
若者の就職やキャリア教育のことについて、ここ数年夥しい数の書籍や雑誌の特集号が組まれている気がするけれど、とりあえず、皆が同じ土台で議論をしていくために知っておくべき情報が整理されている本。日本における就職事情の変化、職業教育・キャリア教育の変遷、世界の中での日本の職業教育・キャリア教育、就職事情の位置など、とにかく、「現在の」「日本における」就職事情、職業教育・キャリア教育事情の位置をきちんとマッピングしてくれている。
Posted by ブクログ
高校生・大学生の就職率が最悪の状況だ。それよりも、失業率も雇用状況も改善の見込みがない。そもそも中途採用の枠すらないのだから、新卒採用枠なんぞもっとないのが当然の成り行きのはずだが、雇用状況が悪い状況では、それに連動して教育も生活も悪くなるのは当然の帰結だろう。コロンブスの卵ではないが、しっかりした収入がまず無ければ、生活することができず、同時に教育への十分な投資もできるはずがない。
著者は、若年層への過酷すぎる就労環境への風当たりの原因を、社会(国家政府・企業)、学校などが「教育の職業的意義」を軽視し、学校現場で十分な教育をしてこなかったからだと主張する(学校現場といっても、教育政策がまずありきだが)。
「教育の職業的意義」とは、序章で「教育の職業的意義」を教えることへの反論に答えている(=再反論)中から見ることができる。ざっくりまとめると、以下のようにでもなろうか。
①これまで会社が大部分を請け負ってきたもので、今ではそれが不可能であること。
②「専門な柔軟性(flexpecially)」を身につけること。
③学校教育という「保護された段階」で選択の練習が可能であること。
④働く者全員が身につけるべき労働に関する基本的知識(制度など…〈抵抗〉の側面)と個々の職業分野に即した知識(〈適応〉の側面)が求められていて、それらを駆使して自分の働き方をより良くしていくこと。
特に目を惹いたのが、各学校で「総合的な学習の時間」などに行われている「キャリア教育」の効果が実感できてないことについてだ。著者の論に、なぜキャリア教育の実効性が不十分と感じるのかという課題がクリアになった。つまり、著者の論を敷衍すると、自分探しや自己分析、自己PR、面接練習に始まり(特に自己分析などの時間がお喋りの場になりやすい)、職業体験、インターンシップ、ゲストティーチャーという活動でも、「将来のことを考えろ」、「将来の自分の進路は自分の責任で決めろ」と「善きものを持たねばならない」という規範をかざすのだが、「ではどうしたら自分の進路を決められるのか」、「どうすれば善きものを持てるのか」という手段・方法が示されず、目標を持ったとしてもそれが「善きもの」という保証を与えるわけではないというわけだ。ここに息苦しさや空虚さを感じてしまい、実感できなくなるわけだ。
「学校は社会の縮図である」と言われる。ならば、「教育の職業的意義」を社会でも再考し、新たなモデルを提示し実行することが急がれる。
Posted by ブクログ
多くの教育関係者、企業人、そしてふつうのお父さんお母さんに読んでいただきたい本です。
「このままでは、教育も仕事も、若者たちにとって壮大な詐欺でしかない。私はこのような状態を放置している恥に耐えられない(p.214)」
本田先生の主張は熱いです。
Posted by ブクログ
労働環境(日本型雇用慣行)の変化と、そこから表出する現状の教育問題、そして対案。
昨今話題の「キャリア教育」の課題も明確にしており、勉強になった。
高校段階からの専門教育(職業)を意識した学校・学会・コース再編や、就職後を含む柔軟な移動など、賛同するものも多かった。
社会に出ても、十分に職業教育を期待できない現状を知り、また、改善の策を見つけられる一書。
Posted by ブクログ
日本の教育には仕事で活かすことが実利に直結する能力の涵養効果がない。現代の若者の失業率の高さ、フリーター・ニート問題。これらは社会の問題ではなくもはや個人の能力の問題である。だからこそ、教育が職業的能力を育む必要が生じるというのがこの本の骨子。
私はこの考え方に反対。というのも、職業的能力を学校が育むとしたらそれは学校ではなくて就職予備校になるからだ。むしろ、学生の勤勉が社会に評価するシステムを作るべきだ。なぜなら、それが学生のインセンティブになるから。
Posted by ブクログ
課題文献
レポート、ウケ狙って書く。今になってちょっと狙いすぎたなとおもいつつ、提出期限まであと20分という時間を呪う。
「教育の職業的意義」に僕も賛成するところである。職業的意義を教育制度に考慮することで社会に対する知見もより高度なものとなるだろうし、それが昨今の「若者の政治的無関心」という問題の解決糸口にもなるのではないだろうか。
Posted by ブクログ
大学の授業で学んだ「間断なき移行」や「一人一社制」などを念頭に起きながら読んだ。
私の高校は就職者がゼロで、進学か浪人かの2択だったので、高卒就職については解像度が低い。
それでも、他国と比べて日本の教育の職業的意義が低く、勉強の意義を見出せない学習者が多いという指摘には共感した。学年が上がるほどその割合が増加するのも肌感覚として納得できる。
本書を読んで、教育の意義について再考すると共に、高校生の勉強のモチベーションの低さと国際的な学力の高さのギャップに、どこか不気味さを覚えた。
Posted by ブクログ
本書はかなり真面目にアカデミックに多くのデータを取り上げ、それらの数値に基づいて著者の考えを感情的にならずに述べられている。
冒頭に「あらかじめ予測される反論に対する回答」みたいなのを出しているので、ちょっとずるい気もするが、これもアリだろう。
若者が社会に対する「適応」「反抗」を身につけることの必要性、また現状のキャリア教育の問題点を指摘している。
「大企業の学卒者一括採用」の弊害についても他国との比較も交え、わかりやすく解説されていたのが印象深い。
もったいないところは本のタイトルで、あえて今風の「なぜ〜のか?」とか「〜力」を使わなかったと思うが、あまりに地味なタイトルのため、注目されにくい面は否めない。
せっかくいいことが書かれているので、もうひとつ工夫してもよかったのではないか。
Posted by ブクログ
圧倒的な資料で自論が展開されるので説得力が非常にある。問題提起にはなる。そして「柔軟な専門性」を身につけるというのは良く分かるが、具体的方策についてはやはり曖昧で解決策が見えない。
Posted by ブクログ
柔軟な専門性のアイデアや教育の職業的意義の抵抗と適応を纏うべきという論調に同意した。本書では大学人が抱える現在のキャリア教育に対して感じていた違和感を詳らかにしてくれる。
Posted by ブクログ
あとがきに書いてありますが、キャリア教育が具体的な教育課程・方法の議論から遠ざかっていることを批判している一方で、柔軟な専門性に関しての教育課程・方法の議論に踏み込めていないところは難しいなあと思いました。しかしそれを差し引いても、<適応>と<抵抗>のバランスは色んなところで考えたいものだと思いました。
Posted by ブクログ
日本の雇用形態および高校教育の変遷をまとめている部分はとても勉強になった(職務、職能、専門、普通)。雇用形態については不可逆であると納得した。
本題に関わる「適応」と「抵抗」についての記述は特に目新しくは感じなかった。程度の差はあっても誰しもが考えることだろう。
図表を大量に引用している。これについて本文中ではさらっと触れる程度のことが多く消化不良だった。
OA入試
Posted by ブクログ
職業に対する「適応」と「抵抗」の基礎力をつけておくことが、巨大な公共事業である教育に求められる役割とのこと。「抵抗」へのこだわりは、バランスがいいなと思いました。「適応」についても具体的で細かな知識技術というより、大きな目で捉えた役割や業種職種の基礎知識・歴史を重視するあたり、共感できます。
Posted by ブクログ
キャリア教育の重要性は確かにそうなんですが、当人にとっては今一つ実感が持てません。特に高校生などは、社会にはどんな仕事があるのか、抽象的にしか把握できず、興味を持ちたくても持てない現実があります。
僕らがまだ小さい頃の将来の夢はプロ野球選手やサッカー選手、ケーキ屋さん等が上位で、サラリーマンはランクインすらしていなかったように記憶しています。仕事の大多数はサラリーマンで占められているのに、どうして現実との齟齬が生じるのだろうか?と友達と議論しましたが、『サラリーマンは実際何をやっているのか分からなかったから魅力的に映らなかったのでは?』という結論に至りました。ということを思いだしました(笑)
知らないと対処できないことは多いので、キャリア教育自体は悪いことではないと思います。
ただ、本書に即して言えば、「役立っていない」というだけのことで、改善の余地があります。
仕事に対して、適応と抵抗の能力を高める教育が必要なのはわかりますが、具体策が少ない印象がありますし、内容的にはもう少し踏み込んだ議論を展開してほしいところです。
日本的雇用からの脱却や正社員と非正社員の二極化は破綻モデルとして認識するべきで、未だにそれらにこだわっている人々が多いのは残念です。
著者の主張は、これから社会に出てゆく若者に対しての提言であり、その成果が実際に現れるのは数年先のことでしょう。その間の空白期間にあたる若者(僕も含め)の対症療法を早急に立てなければなりません。
職はあるのに、なぜフリーター等が減らないのか。職業に対する需給のミスマッチの問題と、賃金のミスマッチが差し当たりの問題でしょう。
ハローワーク等の求人情報で紹介している賃金を見れば絶句します。いくら能力があってもワーキングプアは必死。生きてゆけない水準にまで買い叩かれた賃金では、一人暮らしなんてままならないし、パラサイト・シングルを生み出す結果ともなります。雇用の流動化は生まれないし、ますます所得階層の固定化に拍車がかかります。
個々企業ではそれが精一杯でも、全体を見渡せば、ますます景気が悪くなる循環から逃れられません。社会的ジレンマを抱えています。
そこで政府の登場ですが、まだまだ果たせる役割を全うしてるとは言えず、惨憺の念がこみあげます。
この際国債を大量に発行して、市場に金をばらまく政策もアリでしょう(実際ここ数年で議論されています)。
…本書の領域を逸脱した感想ですが、教育もさることながら、現状の対策も考えてほしいと願います。
教育に関しては鋭い指摘であると思いますので、僕の評価はA-にします。
Posted by ブクログ
4月、たまたまラジオをつけていたときに、本書に関連して教育のあり方について問う番組が流れてきました。その内容が自分も以前、疑問に思ったり気になっていることと少し重なっていたので、本書を読んでみることにしました。
全体的に私の頭には難しい言い回しで、消化し切れていない部分が多々ありましたが、ほんのちょっぴりは理解できたつもり。
本書で特に強く訴えているのは、以下二点の強化なのかな、と思います。
1. 業務・仕事に”適応”するための、実用的・専門的な技能と知識の教育
2. 雇用する側の不当な扱いに”抵抗”するための、雇用者としての権利に関する教育
“1”については実際に「もう少し学校で実践的な教育を受けたかった」と思ったこともあるので、おおむね賛成。ただ、そちらに偏りすぎるのも問題だと思いますし、人によっては汎用性の高い基礎学問の方を重点的に学びたい人や、そうしたスタイルが合っている人もいると思います。なので、教育スタイルの異なる学校が多く出来、生徒側が自分に合った場所(学校)を選べるようになるのが理想なのかな、と思ってみたり。
しかし、これにはもう一つ解決しなくてはならないことがあるような気がします。それは例えば大学への進学を決める際、将来目指すべき職業について知る機会が得られないこと。そして仮に目指す職業を決められたとしても、その職業に必要となる知識・技術が一体なんなのかを知る機会がないまま進路を決めなくてはならない、ということ。
できるなら、高校や中学でもOB・OG訪問を行うなどし、世の中にはどのような仕事があり、そこに適応するにはどのような知識があると良いのかを知るきっかけを与えてあげたいと思います。その中で興味がある職業が見つかったら、それに必要な知識を得るにはどのような教育機関を選ぶべきかを調べたり、親に相談したりできると思うんです。
現状のような、ただ進学の為の教育だけでなく、その先の人生を見据えた教育も出来るようになると良いと思いますね。
そしてもう一つ、“2”「雇用者としての権利に関する教育」。これは現在、大多数の人が学生時代に全く学ぶ機会がないがないのでは?
社会に出たら、ほぼ100%に近い人が雇用者としてスタートするはず。にもかかわらず、そのような教育が全くなされていないのは大きな問題だと思います。万が一、不誠実な企業が労働基準法に抵触する不当な行為を行ったとしても、知識がなければ雇用者側は自分が不当な扱いを受けていることすら知ることなく、経営者のされるがままになってしまいます。
この問題は…実は多くの人が必要と既に気づいているのかもしれず、解決に向けた動きが過去あったのかもしれません。しかし、企業側からすると“抵抗”のスキルを身につけた雇用者の存在は邪魔な存在に映りかねません。そして、そのような教育を行っている学校の卒業生というだけで、採用を躊躇してしまう可能性もあります。
なので、雇用者としての権利についての教育は、いっそのこと義務教育過程に組み込んじゃうのはどうかと。どのみちほぼ全員が社会人になるのであれば、全員が就学する小・中学自分に、本当に基礎的なことだけでも教えておきたい、と思いました。
本書にはいろんなことを考えさせられる、興味深い内容がたくさん詰まっていました。久々にじっくりと、小説ではない本を読んだ気がします。
ただ、本編少々文章が堅くてちょっと読みづらい感があります。「あとがき」は、生徒のインタビュー内容をベースに“現場”ベースで語られていて、本編に比べると読みやすい印象がありましたので、いずれ本書と同じテーマで、教育者の側、教育を受ける側、そして採用する側それぞれのインタビューを綴った本などを(もし、そのような本があれば)読んでみたいと思います。
Posted by ブクログ
キャリア教育と職業教育との相違をきちんと整理して論じ、適切な職業教育が日本の学校教育において実施されることの重要性を熱く論じている。そこまでは概ね同意できるのだが、では何故、日本の学校教育において職業教育が軽視されるようになってしまい、今もってその改革に展望が開けないのか。それは、著者の言うように教育社会学者だけの手には余ることなのかもしれないが、そこを突破しなければ、どうしようもないのではないか。そういう問題提起はなされている良い本なので、そこから先は学者まかせではなく、一人一人が考えるべきことだろう。
Posted by ブクログ
本書を通じて「適応」と「抵抗」という言葉が幾度も出てくる。この2つの言葉を各人の置かれている立場で考えてみてほしいということが、最終的なメッセージと認識した。
・キャリア教育:社会や職場への適応のため。いかなる変化・領域にも対応可能な汎用的・一般的スキルをつけておけばいいという発想。しかし!自己実現アノミー昂進の問題あり!
・労働の基本的知識・政策・法律:しんどい現実や理不尽な事象に抵抗するため
この2つを各段階の教育機関やらなければならないのだから、かなり周到にカリキュラムを組まねばなるまい。浮ついたスローガンや理念から、地味で着実で堅牢な知識・技術の習得にシフトせよといっている(p.161).。まず仕事の担い手としての足場を固めてから、市民教育を施さないといけないと思う。
加えて、現実に抵抗すらできない層もあることを再認識した。
それは、非正社員であり、正社員の雇用や処遇を守るバッファーの役目を果たしているという。このようなパラドキシカルことは、多くの職場であるだろう。
高校段階の事例として、以下に留意したい。
・アメリカでは日本の12単位に相当する職業科目が提供されている。
・カナダの高校の多くは総合学科
・シンガポールの職業高校(成績下位の者がいくことが多い)ITE生徒は、学校での学習を肯定することが多い。→敗者復活トンネル
柔軟な専門性(Flexpeciality)
ある、専門分野に特化しすぎずに、他の専門分野の学習を端緒・入り口・足場として、隣接する分野、より広い分野に展開できるポテンシャルを組み込んだカリキュラムが必要だという。造語の語源は(Flexibility+Speciality)だそうだ。本書ではp.197にこの事例が紹介されている。
ちなみに、EU/デンマークでは、労働市場政策で「柔軟な安定性(Flexicurity)」(Flexibility+Security)が使われている。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
一九九〇年代に、若者の仕事は大きく変貌した。
非正規社員の増加、不安定な雇用、劣悪な賃金…。
なぜ若年労働者ばかりが、過酷な就労環境に甘んじなければならないのか。
それは、戦後日本において「教育の職業的意義」が軽視され、学校で職業能力を形成する機会が失われてきたことと密接な関係がある。
本書では、教育学、社会学、運動論のさまざまな議論を整理しながら、“適応”と“抵抗”の両面を備えた「教育の職業的意義」をさぐっていく。
「柔軟な専門性」という原理によって、遮断された教育と社会とにもういちど架橋し、教育という一隅から日本社会の再編に取り組む。
[ 目次 ]
序章 あらかじめの反論
第1章 なぜ今「教育の職業的意義」が求められるのか
第2章 見失われてきた「教育の職業的意義」
第3章 国際的に見た日本の「教育の職業的意義」の特異性
第4章 「教育の職金的意義」にとっての障害
第5章 「教育の職業的意義」の構築に向けて
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
いわゆる「就職」でなく「就社」であったこれまでの日本における教育と社会の関係の実体がよく分かった。これまでの日本は「何が出来るか(職能)ではなく、「どれだけ優秀か(潜在能力)」で人を採用するため、新卒一括採用、学歴主義が行われてきた。しかし、これこそ高度経済成長期に特有な状況であったのであり、戦後50年の状況こそ特別だったと言うことになる。したがって、いつまでも戦後の良かった時代の習慣にしがみついていることは出来ない。
また、最近大学でやたらと喧伝される「キャリア教育」なるものの怪しさを、本書を読んで再確認できた。「自分のキャリアを自分で作り出せ」「自分探し」「夢を追いかけろ」的なものはナンセンスだと思っていたが、単にプレッシャーを掛けるだけで、その様なことが一体何を生み出すのか。
筆者も最後に述べているが、本書は大学における職業教育において必要な要素を提示しているが、具体的なカリキュラム等を提示しているわけではない点に注意。
Posted by ブクログ
2009.12.12購入。
学校と社会をいかに関連付けていくか。
普通科教育を受けても、社会に出たときに即適応できるかと言えばそうではないと筆者は指摘したうえで、社会の現実を教える必要があると説く。
社会に出る、そのために専門的な教育と使用者側への抵抗の手段について教育が教えるべきであるとする筆者の論は分かるが、具体的に「どのように」というのがなかったのが残念。それは筆者もあとがきで指摘している通りである。
Posted by ブクログ
・未就業者で就業経験のないものに強要するキャリア教育はそれは「為政者の願望」であるといのは重要な指摘。未就業者である若者に「仕事人としての自分なりの目標」を強いるのは暴力以外の何物でもない。
・ある職業に必要な能力を習得させるという発想の手前が必要ではないか。将来どの職業についたとしてもグローバル化した世界の中のコノ国(どこの国であっても、国民国家システムが作動しているうちは)で生きる以上、必要となる知識・技能・態度を義務教育期間内に国家は授けるべき
Posted by ブクログ
淡々と。
読み物というより、論文的な構成ですので、楽しんで読む本でもないです。
まず現状として、
・増加する非正社員側の苦境:低賃金と脱出の困難さ
・正社員側の苦境:過重労働化と、年功序列による賃金カーブの傾斜の鈍化
という事態が呈示される。
「若者」の中での非正社員の増加は最早一般常識として、
正社員側の労働環境の悪化についてはまだ浸透した認識とは言えないし、
個人的な実感としても議論の余地がありそうに思う・・・
自分の勤め先について言えば、過去においては「実質」の労働時間と、データとして提出される額面上の労働時間とにかなりひらきがある。
まぁそういう(法律に引っかかるような状況は)10~20年以上前の昔話としてあって、この本で引用されているのは2002年/2007年の比較データだったりするから、そのスパンでは確かに正社員の実質労働時間は増えているのかもしれない。
ただ並べて呈示されている、労働災害請求数の推移(H13~19年度の増加状況を示す)を見て、「特に精神障害の増加の度合いが著しい」根拠にするのはどうかと思う・・・・
「うつ病」という概念が浸透して、しかもそれを労働災害として広く認知されるようになってきたのも、この10年程の間のことで、それ以前にもデータに出てこないだけで「うつ病」的な労働災害が同程度が、それ以上に発生していた可能性は低くないように思う。
*
第2章は明治から現在まで、教育の職業的意義がどのように考えられてきたかを解説していて、ここは読み物としても面白い。
その中で、その後に使用する「教育の職業的意義」の二本柱になる概念として呈示しているのが、(職業への)「抵抗」と「適応」の為の教育、という考え方。
戦時中の職業への教育において反省的に語られているのが、「適応」、特に国策への人材の適応の為の教育に偏向して、労働者に自身の権利を守る為の抵抗のすべを教育してこなかったということ。
第3章は国際比較において日本の教育の職業的意義の低さを指摘するもの。
第4章・第5章が、いよいよこれからあるべき「教育の職業的意義」を語る章。
第4章は昨今流行の「キャリア教育」批判から入るわけですが・・・
このあたりの主張は、『軋む社会』あたりの主張と共通(同一著者なのだから当然)。
具体策として専門高校の復権を主張。
一方で、各専門職に特化した教育課程に一旦入った後、もしその学生がその教育・職に合わなかった場合の方向転換を可能にする余地と、大学受験等の制度整備とを求めている。
正直、これは『軋む社会』を読んでも思ったことだけど、ここの主張をどう実現していくか、具体策に乏しいという印象を否めない。
全体的に、職業教育が必要だという主張には賛成。
個人的な実感として、今の日本の(特に、自分がそうだったことも反省しつつ文系)大学生の9割9分は遊んでないでとりあえず働けというところでしょう・・・
高い学費親に払わせて遊んでるとかマジ屑だよね、という非難を、しかし大学生個々人に向けたところで、
「せめて大学くらいは出してあげないと・・・(ろくに就職できないじゃない?)」っていう情勢の中では無駄。
だから制度から変えていきましょう、という主張としては賛成。
でも、じゃあ具体的にどう変えられますか?ていったら相当に難しい。
いまある専門高校がどういうものか、あまりイメージがないからかもしれないけど・・・
Posted by ブクログ
2011.09.30 就職難が続く現状の厳しい社会環境の中では、おっしゃる通り教育の社会的な意義を強化することは重要なんだと思います。ただ、企業側も採るにとれない理由があるわけで、教育側を変えるだけでは解決できないと思われます。この問題は本当に難しい難しい。
普通科オリエンテッドなこの環境を変えていく具体的な方法論にも、さらに迫っていく必要があると感じた次第です。
Posted by ブクログ
マクロ的な視点で書かれている本ということでは、けっこうデータの裏付けはあって納得できると思います。ただ、職業的意義を持った教育の推進にはものすごく時間がかかるというか人の考えを根底から覆していかなきゃいけないので大変だと思いますね。あまり現実的ではないと感じます。教育を変えるとなると、働く現場の考えも変えていかなければならない。今、企業で中核を担っている「苦労した世代」が退出していく中で、新たな考えを少しずつ若い世代に広めていく手段を考えるべきかと思います。
Posted by ブクログ
最近のキャリア教育になんとなく違和感を感じていたが、その理由がこの本を読むとよくわかります。社会問題を個人の問題にすり替え、自己責任で解決しろという立場は問題です。戦後の高度成長時代に、その時代のニーズによって確立された終身雇用や新卒一括採用という制度を温存したままで、若者にキャリアを考えさせるのは若者を余計混乱させるだけです。しかし、どうすればよいのかという部分は結構難しい。まずは、この事実を若者が理解して戦略を考えることが必要。たあとえば、大学卒の男子の56%しか就職できないことを知るべきだ。