あらすじ
古代中国二千年のドラマをたたえて読み継がれる『史記』。中国歴史小説屈指の名手が、そこに溢れる人間の英知を探り、高名な成句、熟語のルーツをたどりながら、斬新な解釈を提示する。この大古典は日本においても、清少納言、織田信長、水戸光圀、坂本龍馬にと、大きな影響を与えていたことに驚愕させられる。世のしがらみに立ち向かった先人の苦闘が甦る101章。
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Posted by ブクログ
司馬遷『史記』を素材に、古代中国の習俗、文化、歴史について述べたエッセイ集。
一篇に一テーマ、文庫2~3ページくらいにまとまっており、読みやすい。
以下、各文章から、興味を持った点を覚書に。
「酒の霊力」
紂王の「酒池肉林」のエピソード。肉は干し肉を木々の枝にかけた、と一般には言われているが、宮城谷さんは裸の男女を立たせた、としていて驚いた。神霊を招く行為というが・・・
「商民族の出自」
上甲以来、商の王には十干が名前に入るとか。甲は「一」を表すのでなく、「十」が石棺に入った形だという指摘が面白い。
「氷の利用」
古代では貴族の遺骸をきよめるのに氷を使っていた、という話に驚いた。
「新年の吉凶」
『史記』の「天官書」にある、魏鮮が正月に行ったその年の吉凶を占う方法が紹介されている。さまざまなものが列挙されていたが、町の人の声が宮(ド)に聞こえればよい年、商(レ)なら戦争、徴(ソ)なら旱害、羽(ラ)なら水害、角(ミ)だとわるい年だそうだ。
「鶴鳴」
鶴を好んで身を滅ぼした衛の懿公のエピソードが紹介されている。
「空前絶後の道」
春秋時代の戦争は、戦車(兵車)が主力だそうだ。平地で大軍の兵士を送るのに向いていたからだという。もっとも、北方の異民族との戦いではあまり効果がないそうで、戦国時代には歩兵と騎兵中心に変化してきているらしい。始皇帝は軍事用道路を建設し、兵車を「数十乗」横並びで走らせられる、幅約百六十メートルの道を作ったという話もあった。それを北方へ600キロ作るとは・・・。
「古代中国の気象」
昔の気象条件については、なかなか知りえないことなので、貴重だと思った。春秋時代は黄河以南は雪もあまり降らず、むしろ夏の大雨の方を憂慮していたとか。
「鳥の陣形」
今まで古代の戦争がどのようなものかさえ、考えたことがなかったため、気象の話と並んで興味深かった。魚鱗、鶴翼、長蛇、偃月、鋒光矢、方円、衡軛、雁行の八陣のことが出ている。
「子路の冠」
本題の子路の話より、なぜ十二歳、または二十歳に加冠の儀を行うのかという話が面白かった。満数「十」に、陰を表す「二」を添えた数であるというところが重要で、陰陽の思想で陽を表す男性は、陰をもって完成するということを表しているのだとか。
「数の単位」
紂王が撃たれるときのことを書いた『詩経』の表現にある、「受(=紂)の臣億万有るも・・・」の話から、この頃の「億」は現在の十万または百万のことだと書かれていた。知らないととんでもない誤読をしかねないことになる。
「王侯の一人称」
『史記』では、王侯が「孤」や「寡人」と称するとき、凶事が起こる。そのように司馬遷が使い分けている、と。「予小子」は即位したてで、喪に服している君主の一人称と紹介されていたが、これは他の文書でも共通する意味合いか?ちょっと判然としなかった。
「仙人杖」
『史記』にはエピソードはあるものの、そのいでたちについてはあまり触れていない聖人原憲。藜の杖をついていたことから、後にそれは聖人のシンボルになったとか。
「靴の出現」
はきものを表す言葉に、「靴(かわぐつ)」「舃(二重底のくつ)」「履(かわぐつ)」「屨(麻のくつ)」「蹻・鞋(わらじ)」があるという。匈奴との戦いに臨み、兵車戦から騎馬戦に切り替えざるをえなくなった趙で、「履」を捨て、「靴」に変わった、というが・・・靴はブーツ型のものらしい。「履」がどんな「かわぐつ」だったのかは、よくわからなかった。
「呂后の治世」
身内や臣下を殺戮したという劉邦の妻、呂后。しかし彼女が実験を持っていた間、庶民は安らかな生活を送ることができたという。
他にもたくさんあるが、これくらいにしておくことにする。