あらすじ
ミシェル・ド・モンテーニュは、16世紀フランスの思想家、モラリストである。彼が残した『エセー(随想録)』は、古典知識の集大成であると同時に、知識人の教養書として古くから受け入れられ、その真理探究の方法、人間認識の深さによってデカルト、パスカルなどの思想家に影響を与え、今日にいたるまで古典的な名著として多くの人々に読みつがれている。「わたしは何を知っているのか(ク・セ・ジュ)?」という句は、モンテーニュの言葉であるが、人間の理性、判断力、知識には限界があることを謙虚に認め、試行錯誤を恐れずに真理を追究しようとした彼の思想をよく表している。本巻には、「酔っぱらうことについて」「良心について」「実地に学ぶことについて」「書物について」など11編を収録。《わたしが思っていることをいってしまうならば、みんなが酔っぱらうからといって、酒を禁じるといった習慣はまちがっている。よいものだからこそ、度を過ごしてしまうのではないか》(「酔っぱらうことについて」より)。モンテーニュのイメージを一新する平易かつ明晰な訳文で古典を楽しもう。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
後半の方が興味深いテーマだったのだけど、何でだろう、なかなか文意が頭に入ってこない。
というわけで、付箋は本の前半ばかりでした。
”徳とは、色鮮やかで、強力な染料なのであって、魂が一度それにひたされると、あとはもう、魂もろともはぎ取らないかぎり、その色が落ちることはない。したがって、ひとりの人間を判断するためには、その足跡を、長期にわたり、丹念にたどる必要があるのだ。”(われわれの行為の移ろいやすさについて)
得ではなく徳を行動原理にしたいと常々思っていますが、難しいですね。
自己中ではないつもりですが、好き嫌いが徳の足を引っ張るのです。
精進しなくては。
”酒を飲む快楽というのは、人生においても重きを置きたいものであるからして、もっと時間を割くべきかと思われる。店の丁稚(でっち)や人足(にんそく)たちのように、とにかく酒を飲む機会は逃さぬようにして、この欲望のことを常に念頭に置いておくべきなのかもしれない。どうもわれわれは、日々、この習慣を切りつめているような気がする。”(酔っぱらうことについて)
いや、私はそこまで飲まなくても大丈夫なのですが、いやいや、モンテ―ニュさんがそうおっしゃるのなら仕方ないですなあ。でへへへへ。
”人間に関することは、なにごとも、自分に無縁ではないのだと考えなくてはいけない。(テレンティウス『自虐者』七七、のもじり)”
これと似たようなこと、梨木香歩の『村田エフェンディ滞土録』にも書いてありましたね。
第一次世界大戦が勃発した時、留学先のトルコから故郷のギリシャに帰ろうとした下宿人が「わざわざ今帰らなくても」と言われて返した言葉。
他人事ではなく、なにごとも自分のこととして捉えること。
これもまた、心がけていることの一つです。(酔っぱらうことについて)