あらすじ
どうやら、十年以上経って話題になっているらしい。じぶんで言うのもおかしいですが、読んだ方によれば「いまの時代が予見されている」そうです。「ぜんぶ、ここに書いてるじゃないか」なんていう声もいただきました。――糸井重里。本書は、発刊から十年を経て、「まるで、予言の書!」と再評価の声が高まっている名著に、書き下ろしの「続・インターネット的」を加筆。もとは、『ほぼ日刊イトイ新聞』を始めた当時の著者が、インターネット登場後の世界について考察したものだが、読む者は、ここ十年間に起きた変化の本質を、十年前のこの本によって知ることになるだろう。また本書で綴られる言葉は、パソコンすらいらない、「消費者」なんていない、自分を他人にするゲーム、寝返り理論、消費のクリエイティブ、妥協の素晴らしさ……など、普遍的価値を持つ。糸井重里の予言的、そして普遍的なメッセージが詰まった一冊である。
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Posted by ブクログ
通勤にはいつも二冊本を持っていきます。
小説とそれ以外の二冊を
気分や疲労度合いで読み分けてます。
疲れてて頭が働かないときは、小説を読んでます。
本書は、朝の出勤時間(一番頭が元気なとき)に読んでました。
きっかけは、たまたまYouTubeで糸井さんのインタビューを見て、久しぶりに糸井さんの言葉を読みたいと思い。
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まるで、予言の書!
話題の名著、文庫化
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2001年に新書で出版されたものが文庫化。
インターネットがもたらす効果と、周辺について。
面白かったのは
消費にもクリエイティブが必要ということ、
リンク・フラット・シェアな考え方、
なんだかんだ言っても源氏物語の時代から
人の感情って変わらない部分あるよね、ということ。
正直、糸井さんの言葉って
抽象的だったり、こーゆーこと?と考えながら読むので
私的にはパワーを使うのですが、
久しぶりの糸井さんの言葉を感じられる嬉しさが強かったです。
Posted by ブクログ
インターネット的、とは
インターネットという、フィルターで、
物事がどう変わるかを書いた本。
秀逸なタイトル。
低く価値を見積もられていたモノが発掘されたり、
多様性や、勢いが重視されたり、
色々なもの見つかるパンドラの箱と表現されたり。
でも、インターネットを使うハードは、
結局は人のからだ。
本当の意味での豊かさは、体が資本であることには変わり無いだろう。
コンテンツが増えるので、消費する側にも優先度を意識する必要がでたり、消費者にもセンスが求められる。
古い本とは思えないほど、インターネットを言い当てている本でした。
糸井重里さんの、他の本も読みたくなりました。
Posted by ブクログ
まさに予言の書。今読んでも新鮮で一つ一つが納得させられます。
P57 インターネットのことを「リンク」「シェア」「フラット」「グローバ ル」というふうに整理して語ってきましたが、こういう整理をしているひまがないと きには、ぼくは、インターネット的とは、“Only is not lonely” ってことだよ、と言い たい気持ちです。
P79 「ほぼ日」を始めたきっかけ
四十五歳の頃、ものをつくることへの危機意識を、この流れのままだと「将来、め しを食えなくなるんじゃないだろうか?」と、とてもリアルなかたちで感じるように なりました。
「いまはよくても、このシステムの中では、つくり手としてダメになるのかもしれな い。自分がつくり手として食えているいまのうちに変わっていかないと、いろいろなことをちょっとずつ我慢している間に、死んでしまう」 そう感じたから、とにかく流れを変えなくてはと思いました。
まず、いま「住む場所」を変えることが先決だと直感的に考えたのでした。いま快 適に見えている自分の業界や自分のポジションから一度離れなくてはいけない。
P96 「その力以下の評価をされてるものを探せ!」と考えま す。勢いがなくてもかまわないのです。力と(勢いだけを価値とした場合の)評価が合 ってないと思えるものを、ぼくは「ほぼ日」で紹介したいと思いました。力がなくて もダメだし、力以上の評価を受けているものは、企画になりにくい。力というのは、 しつこいようですが、実力と言ってもいいもの、「何と名付けていいかわからないけど、とにかくすごいんですよっ!」というものです
P112 社会心理学者の山岸俊男さんの著書なのですが、その本は別段「倫理」や「道徳」 の書ではありません。社会の中で人間がどういう行動をとるか、どういう心理を持つ か、というようなことを、実験を重ねて考えていくいわば科学の本です。
しかし、面白いことに、この本の結論は「正直は最大の戦略である」という言葉 集約されてしまうのです。
「相手をだましたり裏切ったりする プレイヤーよりも、正直なプレイヤーのほうが、大きな収穫を得る」ということになったらしいのです。
P117 その企業の実現したい社会像に、まるで選挙の投票 をするように、「買い物」をするようになるのだと思うのです。おそらく、企業が、 広報活動や商品を媒体にして、自分たちの理念・理想を伝えることは、その企業の存 続に関わるようになっていきます。
P135 どのみち、一番強いのは「市場」を持っている人で、その次がそこに商品を運ぶ 人、モノをつくっている人の立場がどんどん弱くなっているのは確かです。よくいわ れる川下のほうが川上よりも強い立場になっていくということで、これ、やっぱり、 上流も下流もフラットなインターネット的な変化だと思いますね。
P149 役割は、点滅しているのです。
科学でスカッと整理できると思わずに、わかりあえない者どうしが、どうやって信 頼を結んでいけるのかを考えたほうが、 これからの社会に合っていると思うのですが。
以上のことは、「本音と建前」という二元論とは、ちがいます。揺るがない本音が
あると考えること自体が、「点滅」を認めないことだからです。
P205 ポンペイの歴史研究の先生に「未来社会では、古代ローマでの奴隷 にあたるのが、コンピュータになるんですよね」と訊いてみたのですが、「いやあ、 その頃の奴隷にあたるのは、いまのサラリーマンでしょう」と、さらっと言うんで す。これには驚きました。
よく考えると、その通りなんです。生涯賃金がある程度決まっていて、階級が上が らないような仕組みができている。なるほどそれは、古代ローマの奴隷と同じかもし れない。
P222 いままで「クリエイティブ」を語るときに考えられていた場面は、ほとんど「生産」の側にありました。創意工夫のない商品はお客様が見向きもしないとか、クリエイティブのないモノマネ商品が氾濫しているだとか。
しかし、クリエイティブは、生産の側、送り手の側だけで追求していってもしかた のないことなのです。
生産は消費がないかぎりできません。むろん消費も生産がなければできないわけ で、それの両方がセットになって市場ができているわけですよね。いや、世界ができ ていると言ってもいいくらいです。
P230 敵のあらを探すことで、安心できたりもします。比較される何かより勝っているこ を見つけたら、優れているような気がします。 でも、そういうことをいったんやめ てしまうのが、ほんとうに「消費のクリエイティブ」を成熟させることになるし、ひ いては、クリエイティブな生産をつくり出すことになるでしょう。これが、消費の豊 かさというものを生み出していくための大きなヒントなのではないでしょうか。
P241 立候補するという考え方
何か、したいことがあったら、選挙ではありませんが、人に呼びかけなくてはなり ません。手伝ってくれ、一緒にやってくれ、とお願いするわけです。一生、他の人のやり方を解説しているだけの素人批評家のままでいるならともかく、何か自分にやり たいことが見えたときには「立候補」する必要があるのですね。
P244 これからの時代は、大きさは別にして、あらゆる場面で立候補しないで生 きていくことが、困難になるのではないでしょうか。どっちの道に行きたいのか、何 がいやで何がしたいのか、何を美しいと感じ何をみにくいと思うのか、そういったこ 自分なりに生きるための「軸」として持っていないと、他人とリンクしたり、他 人の協力を得られたりができないでしょう。
P258 どの業界でもそうですけど、呼び方を変えて、頭打ちの現状を誤魔化すようなこと があります。Tシャツをカットソーと呼んだり、ズボンをパンツと呼んだりね。で も、言ってることは要するにぜんぶ「服」だったりする。
そういう、目先のことに振り回されたりしない、自分のなかの軸のようなものは、 つねに意識して保っておいたほうがいいと思います。
Posted by ブクログ
・インターネット的のキー要素はリンク、フラット、シェア
・only is not lonely
・出し切ること。冷え切ったとこに熱を入れても仕方がない。冷えを追い出すことが熱を入れることより先にあるはず
・正直は最大の戦略 by山岸俊男氏
・プライオリティの決め方 やりたければやる。選びたいものがあればもっといいものを待つよりもすぐにやる。
・話すように書く。わかりやすいように。
・わからないことは言うな
・本当に大事なことは、しかもやりがいがあって難しいのは問題を発見すること。次に面白いのは問題に最初に答えを出すこと
・無意識に感じている不自由を見つける
・休みかたの上手な人になる。消費にどれだけクリエイティブになれるか
・いいと思うものを他と比べないで褒める。
・企業のホームページが面白くないのは企業が持つ世界観・人間観・幸せ観・商品鑑にかけるからでは
・立候補することは自由になること。数だけの存在から抜け出せること
Posted by ブクログ
ベストテンとかチャートとかが、なぜ人々の関心と興味引くかといえば、安定しないことでのスリルがそこにあるからでしょう。「勢い指数」のようなものがそこにあるとして、その基礎になる情報というものは、何なのでしょうか。これがまたあんまりよくわからないものなのです。とりあえず「露出」と「売り上げ」という要素で計りましょうと、いうような感じで、無意識の申し合わせができているようですね。売り上げ×露出=勢い(評判)…という図式は成り立つのですが、、CDでいえば出荷枚数が売り上げだし、主にテレビの登場頻度が露出でしょうから、どちらも「勢い」の指数を上げるために、CDを大量に買ったり、政治的力関係でテレビの登場回数を増やすことも可能でしょう。こうなると「勢い」も人工的に「つくれる」のですから、勢いを価値の軸にする時代というのは、大量生産・大量消費にフィットした考え方だと思うのですが、そろそろ寿命がきているように思えます。根拠の曖昧な価値に合わせて競争することは、運頼みの要素が強くなりすぎるのですね。強い馬が勝ちにくいというレースが、ずっと続くと、最初は逆転の多いゲームを面白がった観客も、やがて飽きてしまうでしょう。つまり、ゲームデザインの杜撰なゲームになってしまうのです。
いまの映画やCDのランキングは、それを選んで買えるヒマのある人が決定しているのですね。現在の市場の動向というものは「消費する時間をたっぷり持っている」比較的ヒマな人々からの発信に偏ってしまいます。
幸せ観がないと、ものは作れないかというと、そんなものがなくてもいくらでもつくれます。しかし、どういうことが幸せなのかということがわからないままに、ドラマを作ったとしても、「ハッピーエンド」の「ハッピー」がわからなければ、そのドラマはハッピーを提示できません。「よかったね」というセリフひとつを書くにも、作者が何を「よかった」と考えているかというプレゼンテーションがないと、共感もできないし、反感を買うことさえできないのではないかと思います。
ドラマを観ていて、何か違う気がするなと思うときは、その作家の人生観や世界観に、見ているあなたの考え方がフィットしなかったわけです。しかし、違うなあと思いながらも、作家が本気で問いかけた時には「俺はそうは思わないけれど、その幸せもあるんだろうなあ」と何となく納得できたりします。その逆で、作家が自分の人生観や世界観にまったく触れないところで、「どうせ、みんなはこういうのがうれしいんだろう? どうせこういうのを面白いと思っているんだろう?」というような、想像上の「多数」に合わせようとした表現には、受け手にして心を動かされることはないと思います。