あらすじ
あまりにも多くの人たちが日本の古典とは遠いところにいると気づかされた著者は、『枕草子』『源氏物語』などの古典の現代語訳をはじめた。「古典とはこんなに面白い」「古典はけっして裏切らない」ことを知ってほしいのだ。どうすれば古典が「わかる」ようになるかを具体例を挙げ、独特な語り口で興味深く教授する最良の入門書。
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Posted by ブクログ
軽いタイトルと軽い表現の裏に濃厚な味がする本でした。
古典の内容よりも、漢字・漢文という外国語が日本に到来して、それをいかに日本人が悪戦苦闘の末、克服して現在に至ったかを、古典を通じて、橋本流の面白い比喩を駆使した解かり易く丁寧な説明で、楽しく読むことが出来ます。
漢文だけで書かれた『古事記』や『日本書紀』、漢字を使った万葉仮名の『万葉集』、そして「ひらがな」だけで書かれた『源氏物語』『枕草子』などを経由して、鎌倉時代にはいり『方丈記』をへて『徒然草』の和漢混淆文の完成にいたり、現代使用されている日本語に近づいたとの道筋をチョコチョコと寄り道をしながら楽しく読ませてくれます。
カタカナは漢字のカンニング用に考え出されたという話、句読点や濁点がなく、ただだらだらと連続した「ひらがな」だけで書かれた源氏物語というのも想像すると壮絶ですし、男女の関係がイスラム原理主義のような時代に、唯一男女を取り結んだ「和歌」の話も楽しく、またその和歌が近代になり「生活必需品」から「教養」へと「転落する」という表現もなるほどと思わせる。
この本を読み終えて、以前に読んだ「おどろきの中国」の中で橋爪大三郎が中華文明としての基準を『中国>韓国>日本』と評価していたのを思い出しました。
わが国の先人の苦労を知るにつけ、漢字の発祥の中国やその模範生である韓国から見れば、漢文や漢詩の下手くそな東の海の向こうの野蛮な国が、如何に自分たちの独自性を崩さずに独立自尊の精神で苦労してきたかを誇りにすら思えます。
Posted by ブクログ
・そう思って、安心してください。この私のモットーは「”わからない”を認めない限り、”わかる”は訪れない」です。この章で、皆さんは「日本の古典はそもそもわからないものである」ということを認めました。「だったらわかるようになるかもしれない」というところで、次ですー。
・「無常感」の「無常」というのは、仏教の思想からきたもので、「常ということは無い」です。「いつまでも同じということはない」ーこれが「無常感」です。べつにどうってことのない話で、あたりまえです。でも、この「あたりまえ」に、ほんのちょっとなにかがくっつくと、ドキッとします。「いつまでも同じということはない。すべてのものには、いつか終わりがくる」と。ドキッとするでしょう?
・「漢字」と「ひらがな」をドッキングさせる作業は、「教養ある大人の男が平気でマンガを読む」というようなもんです。「教養ある人はなかなかマンガなんか読まないし、教養のある人を納得させる質の高いマンガというのもなかなか生まれない」というようなもんなんですが、「漢字とひらがながドッキングした」ということは、「その教養ある大人の男がついにマンガを読んでしまった」ということです。そうでしょう?鴨長明の『方丈記』から兼好法師の『徒然草』までの百年は、どうやら「大の男がマンガを読むのを当然とするのに要する時間」だったのです。
・京都で、王朝文化は健在でした。あるいは、京都ではますます王朝の文化が健在でなければなりませんでした。その理由は、政治の実権が鎌倉に移ってしまったからです。
平安時代の貴族は、なんにもしませんでした。皮肉ではなくて、ほんとになんにもしなかったのです。公式使節を中国へ送る「遣唐使」だって、平安貴族はめんどくさがってやめてしまいます。それで中国からの影響がなくなって、十二単をはじめとする平安時代の「国風文化」が生まれたのです。ウソじゃありません、ホントのことです。
それまでの日本政府は、「歴史」というものを作っていました。『古事記』『日本書紀』以来、日本の政府はずーっと時代ごとに「歴史」という公式記録を作り続けていましたが、それも平安貴族はやめてしまいました。平安時代の貴族というのは官僚で、「国家公務員」なんですが、この人たちは「国家の公式記録を系統立てて作る」ということをしませんでした。そういうことをめんどくさがってやらなかったので、平安時代のことは、『人事異動の記録』以外、ほとんどなんにも残っていません。平安時代のことを知りたかったら、当時の貴族たちが書いた「日記」という政界メモを調べるしかないんです。「男もすなる日記を女もする」のはいいんですが、「日記を書く前に公式記録ぐらい残していてくれ」と言いたいようなもんです。
・「和漢混淆文」は、日本人が日本人のために生み出した、最も合理的でわかりやすい文章の形です。これは、「漢文」という外国語しか知らなかった日本人が、「どうすればちゃんとした日本語の文章ができるんだろう」と考えて、長い間の試行錯誤をくりかえして作り上げた文体です。「自分たちは、公式文書を漢文で書く。でも、自分たちがひらがなで書いた方がいいような日本語をしゃべる」という矛盾があったから、「漢文」はどんどん「漢字+ひらがな」の「今の日本語」に近づいたんです。漢文という、「外国語」でしかない書き言葉を「日本語」に変えたのは、「話し言葉」なんです。つまり、日本人は、「おしゃべり」を取り込んで自分たちの文章を作ってきたということです。
・古典を今の時代によみがえらせる方法は、たった一つです。「古典なんだから」と思って、遠慮なんかしちゃいけないんです。「ちゃんとわかろうとすればちゃんとわかる」と思って、真っ正面からぶつかることです。そうすれば、古典はいろんなことを教えてくれるんです。「もう人間じゃない」なんて思いかけていたジーサンやバーサンだって、昔は「なういヤング」や「ださいヤング」だったんです。それを忘れちゃいけません。
古典が教えてくれることで一番重要なことは、「え、昔っから人間てそうだったの?」という「人間に関する事実」です。「なーんだ、悩んでるのは自分一人じゃなかったのか」ということは、とっても人間を楽にしてくれます。古典は、そういう「とんでもない現代人」でいっぱいなんです。この本の中で紹介したのは、その中の「ほんの一端」なんです。どうか古典を読んでください。
・古典を暗唱して口の中に残しておくということは、そういう「標準語の中から消えてしまった言葉」と再会した時、「これはかつて生きて使われていた言葉だ」ということがピンとくるメリットがあります。「古典をわかる」ということは、本の活字の中に眠っているだけの言葉が、実は「生きて使われている言葉でもあった」ということを知ることなんです。古典をわかりたかったら、それを暗唱して「自分の口に移す」ということは、とっても有効です。「言葉に慣れる」というのは、そういうところなんですから。
Posted by ブクログ
これで古典が分かったか?と言われれば「?」ではあるが、
古典の成り立ち、日本語の成り立ちなど、
文学史の要素が大きい本であった。
奈良時代には中国から伝来した『漢字』のみで文章、つまり漢文を書かなければならなくて、
古事記や日本書紀は漢字のみ、万葉集も万葉がなが使われていたが、漢字のみ。
どうしても堅苦しい感じが否めないし、読みづらい。
そこから、万葉がなが変化していく中でひらがなが生まれ、
分かりづらい漢文を読みやすくしようと、当時の学生が漢字の一部分を切り取ったことでカタカナが生まれ、
それを補助的に用いた漢文書き下し文が生まれた。
平安時代には漢文だけの文章とひらがなだけの文章が対立して、
公式文書は漢文じゃないとダメ!とか、漢文は男だけが使っていいものだ、女はひらがなで書いてろ、とか、今思えば不毛、しかし当時の人々にとっては確固たる常識だった概念があった。
役人の文章が分けわからないのは、古くからのことだったんだな・・・と思う。
(公式文書が漢文じゃないといけないというのは、おそらく外交のこともあっただろうが)
そんな中で、男なのに女として『ひらがな』を用いて土佐日記を書いた紀貫之や、
女なのに漢文の教養があるなんて変人だ、と思われても気にしないあけっぴろげな清少納言は、
度胸があるなぁ・・・感心する。
その後、鎌倉時代になって平家物語や方丈記、徒然草などが代表的な和漢混淆文が生まれ、
現代に通じる日本語の基礎ができた。
私がこうやって当たり前のように漢字とひらがなを使って文章を書くことができているのは、
そういった経緯があったからこそ成り立っているんだな、と思う。
漢字のみだったら分かりづらいのは当然であるが、かといって、
ひらがなのみでぶんしょうをかけばわかりやすいといえばそうでもない
なぜならくとうてんももとはかんぶんをよむためのほじょとしてつかわれていたからひらがなにくとうてんのがいねんはないのだ
過去の人々の工夫があってこそ、いまの日本語が成立して、
漢字とひらがな、そしてカタカナを、程よいバランスで用いながら文章を書くことができている。
ありがたいことだ。
古典を学ぶ・読むことは、日本語のルーツを知ること。
そして、今の日本語が出来るまで、人々はどのように世界を表現してきたのかを感じることだ。
私がもっと早い段階に読書に興味を持ち、
この本を読んでいたら、古典をワクワクしながら楽しんでいたことだろう。
まぁ、今からでも遅いということはないし、もっと読もうと思うのだが。
平安時代が目と目を合わせただけでセックスをしたのと同じ、ととらえられていたのは驚きだ。
だから、文章が果たす役割は大きくなり、和歌という文化が発達して、凄まじい表現力を誰もが持っていたのだろう。
当時の「人を好きになる」と、現代の「人を好きになる」を比較して考えたときに、
相手に思いを伝える努力は、平安時代のほうが大きかったのかもしれない。
源実朝、青年ウラベ・カネヨシ君の話はぷぷっと笑ってしまった。
あまり今の若者と変わらないんだなと思ったと同時に、
しかしそれでも、周りに屈することなく突き進む精神は、私に今の日本に必要であろう。
これから生きていく上で、
そこらじゅうに存在する綺麗なものに目を向けて、同時に古典を読んで、
この世界を楽しんでいきたい。