あらすじ
いま、改めて富士山を知る――。著者の「富士山もの」の掉尾を飾る傑作。
霊峰富士に対する民間信仰は昔からあるが、急速に大衆化したのは「富士講」の始まった天正年間である。しかし、大衆化は同時に信仰の俗化、形骸化を招いていった。富士講の荒廃に反発する行者・月行に見出され、のちに富士講中興の祖と称されるまでになった身禄の、感動的な波乱の一代を描いた長篇歴史小説。
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富士山に興味がある今、登る前に知れてよかった。
霊峰富士、民間信仰が急速に大衆化した「富士講」が始まったのが天正年間。1573〜1592頃
元禄2年1689年頃からの5代目月行と月心と6代目となると伊兵衛の生涯の話。
駿河国浅間神社の浅間大菩薩、それまでは木花開耶姫/コノハナサクヤヒメ、を祭神としていたが、神と仏が合体して、浅間大菩薩という宗教対象が生じた
お鉢周り〜東賽の河原〜銀明水/下がった岩の根からの湧き水=御神水〜大宮口、大日如来の堂〜剣ヶ峰〜親知らず子知らずの岩場〜雷岩〜釈迦ヶ岳、溶岩峰、釈迦の割石の凹部が1675年8/15 案山禅師の入定の場
仏教では戒律、禅定、智慧の三つを実践することで菩提の域に達すると説いている
戒律とは身を慎むこと、禅定とは精神統一のこと、智慧とは実践の帰結によって得られる正しい認識のこと
食行身禄じきぎょうみろく と行名を進ぜよう
修験道では山のことを三身即一と説く。法身、報身、応身の意味で心のせか、物質の世界、その物心二つを合わせて動く世界のこと。これら三つの姿、即ち宇宙における抽象的世界、具体的世界の全てが一つになった形が山の日であるということ。
わが富士講における山とは即ち、富士山であり、浅間大菩薩の御姿と解しておりますが、その真意は修験道における山の思想と根本的には同じものだと考えております p. 152
享保18年1733年7/13 身禄63歳6/13入定〜31日目
気とは万象の息遣い、風、雲、空、温、暖、温気(湿気) p. 9
ご来光とは、日の出と共に雲の中に現れる如来の尊像のこと。仏の後光とも言う。山の頂などに太陽を背にして立った時、前方の雲に映る自分自身の影と、自分自身を中心として現れる虹環コウカン/ を言うのであった。 p.33
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断食をして死を迎えられる人がどれだけいるだろうか。
作中に、瞑想をして時には自分だけのこと、時には父だけのこと母だけのこと兄や弟だけのことを考えてみなさいという教えが出て来るがたまにはそうやってみるのもいいかも。
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富士講300年。霊峰富士への日本人の思いを描く
「富士山もの」の掉尾を飾る傑作。享保十八年、吉田口の岩穴で入定した行者・身禄の感動的な生涯を通じ、富士への想いを描いた長篇歴史小説
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自分にとって身近な富士山。その山の中で江戸時代に入定(宗教的自殺)をした人がいたことは知っていた。ただ、知識として知っていても、その人の人となりや当時の空気感のようなものはなかなかわからない。リアルと創作の境目が曖昧な小説ではあるが、それでも理解のヒントにはなるかなと期待して読んだ。
師匠との出会いから江戸での生活の様子、2度の結婚など、ひとりの商人が周囲の人たちとの関わりの中で次第に富士山信仰に入り込んでいく様子がイメージとして浮かび上がる見事なストーリーだった。富士講はその時々の指導者が、始祖角行の教えを自由に解釈するというスタンスに驚き、同時に納得できた。
岩室に篭って死に至る31日間にどのような話をしたのかは詳しく調べてみたい。