あらすじ
長い歴史と豊かな地域色をもつイタリアで、人々の心を結ぶ国民食パスタ。古代ローマのパスタの原型、アラブ人が伝えた乾燥パスタ、大航海時代がもたらしたトマト。パスタの母体となった中世農民のごった煮スープに、イタリア統一を陰で支えた料理書、そしてパスタをつくるマンマたち……。国民食の成立過程からイタリアをみつめます。(カラー16頁)
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
言われてみれば当たり前なんだが、トマトパスタも唐辛子も新世界産だ。パスタ自体がイタリア統一後に今の地位まで来たんだな。峰ストラトミネストローネがが主流なのは当たり前か。いろいろ学んだ。南北格差は大きいし、歴史も結構違うんだな。統一といってもいろいろ。
Posted by ブクログ
モノからたどる世界史シリーズ、イタリア編。
お隣フランスからイタリアへ。
個人的に古代の話が好きなので、古代ローマとかの話はワクワクする。
小麦の起源は何だろうとか、トマトが持ち込まれる前のパスタは何だろうとか、興味深い話が多かった。
自分でパン作りしたり、調味料に興味が出てくるほど料理をするようになった今だから読んで面白いけど、高校生の課題図書としては、食に興味があるか、よほど好奇心が強くないと面白いとは思わないかも。
作ってみるのもいいかも。
以下まとめ
○日本のパスタ
明治40年代(1907~)に大使館用にマカロニ製造機を新潟の製麺業者が開発
1955~(昭和30年代)オーマイブランド、日本マカロニ(株)
1970~(昭和):ファミレスがオープン。ナポレオン、ミートソースが普及。
1980~(昭和55~):イタリアで修業を積んだコックがイタリアンレストランを次々オープン。生パスタが普及。
1990~(平成2~):フレンチからイタリア料理が人気に。イタ飯という言葉が生まれる。
※日本の麺文化
鎌倉時代:切り麦~うどん →きしめんへ進化
1200年代にはそうめんがあったそうな
江戸時代:屋台の6割がそば、うどん
・そば…朝鮮の僧より東大寺へ伝わる
・ラーメン…昭和に北海道に働きに来ていた中国の麺よりヒント。日本人が開発。ドラマ「まんぷく」
○パスタの種類
小麦…乾燥パスタ(デュラム、セモリナ粉)は卵を使わない
生パスタ(普通小麦)は卵を使う
じゃがいも…ニョッキ
粟、雑穀
○小麦のルーツ
紀元前9000~7000年頃、東地中海に自生していたと言われ、メソポタミアで栽培され、のちエジプト、ギリシャ、ローマの諸文化を支える主食になる。
○古代ローマ…ギリシャより、パンとしての小麦が伝来し、主食に。
※エルトリア人のお墓にパスタの練り粉を作る器具が描かれていた。ギリシャからパン製法がもたらされ、パン職人の学校を作り、特許制の組合組織を定める。
bc30にはローマ帝国には329の精製パン所がギリシャ人によって経営されていたそうな。
まだパスタは生まれておらず、ラザーニャと呼ばれるワンタンっぽい小麦粉の生地をスープで煮たもの。
○古代から中世へ
ゲルマン人の侵入→狩りと肉を好むため農業があまり発展せず。東ゴート族、東方ビザンツ、ランゴバルト、フランク王国と支配勢力が入れ代わり立ち代わり替わる。オリーブ油や小麦は中世ヨーロッパではあまり食用としては貴族内で用いられなかった。
○ルネサンス、パスタの復活
レシピ集に書かれたラザーニャはこの時点でチーズを使ったり、スープで煮る製法が多く、水と結合していた。14世紀トスカーナ地方で発見された「料理の書」
北イタリアでは軟質小麦しか手に入らなかったため、生パスタが発展。乾燥パスタはアラブ人より伝わり、シチリアが一大産地となる。運搬しやすく商業に適しているため、輸出用としても活躍。
南イタリア:ビザンツ帝国→9世紀以降はアラブの支配を受ける。シチリアやブーツ底部分は異文化交流が盛んだった。1130年、キリスト教ノルマン人が両シチリア王国を建国。→イスラムとキリストが共存していた。」
北イタリア:ジェノヴァがヴェネチアとともに海洋交易で栄えていた。シチリアからの交易を独占していたため、ジェノヴァでも乾燥パスタが手に入りやすかった。ジェノヴェーゼの原型
○都市国家としてのイタリア
フランク王国の滅亡以降ローマ教皇と皇帝の勢力争い
→そこをついて、それぞれの都市の有力者が自治都市(コムーネ)を成立
→それぞれ領域国家として周辺を支配していた。
○中世のパスタ
アーモンドミルクや鶏のブロードでゆでたパスタにチーズを振りかけるシンプルな食べ方。
※ブロード:日本のだし、フランスのブイヨン、イギリスのスープストックのようなもの。野菜、魚介、肉、鶏の4種類がメイン。
○大航海時代のイタリア
植民地がなく、スペインに支配を受けていたイタリア地域。大陸との地中海交易をおこなっていたが、スペインが海洋ルートを独占したためジェノヴァやナポリが衰退。ただし、スペイン経由で新大陸の食べ物も入ってきた。
・唐辛子:育てやすく、胡椒の代替品として南イタリアで早くに栽培が始まる。
・トマト:赤い実が毒草マンドラゴラに似ているため、しばらくは観賞用として食用ではなかった。17世紀末「スペイン風トマトソース」アントニオ・ラティーニのレシピが出版。
完熟トマトを炭火であぶり、皮を向いて細切れに。玉ねぎ、胡椒、イブキジャコウソウ、ピーマンを混ぜ、塩、酢、油で整える。
・かぼちゃ:砂糖が高価だった当時の貴重な甘味となる。16世紀にはかぼちゃのトルテッリ(詰め物)が流行。
・ジャガイモ:蕪や栗同様、下々庶民の食べ物と認識されて、18世紀の大飢饉が来るまで家畜に与えられる程度だった。ニョッキの材料として認知されてから浸透していく。
・トウモロコシ:休閑地の二毛作など雑穀扱いで家畜のえさ用だった。こちらも庶民が雑穀として食べていたくらい。
○イタリアのマッケローニ(パスタ)食いになるまで
スペイン支配化のイタリア人は葉物野菜(ブロッコリー、キャベツ)を多食。
→ペストや飢饉で人口が半減したが、ナポリの人口が17.5万(15世紀)→40万(17世紀)へ激増。都市人口の急増と栄養不足への対応として肉の代わりにパスタが台頭。
※セモリナ粉のグルテン(植物性たんぱく「質)が豊富で、それにチーズ(動物性たんぱく質+脂質)をかければ完璧に
※グルテンフリーって??
高GI食品なので、血糖値上昇対策としては多食は避けたほういいかもしれないがダイエット効果は不明。ジョコビッチが提唱。
小麦アレルギーやグルテン不耐性症対策に有効。
健康目的にグルテンを避ける食生活とのことだが、
調子がいいと感じるのは添加物を取らなくなっただけとの話も。
○近世のパスタ
庶民のミネストラ:中世の納品は領地を耕作する賦役あり。粉をひく臼の使用料なども払う必要があった。また、北ゲルマン時代の支配時代に畑が荒廃して小麦の収穫量が上がらないため、雑穀が庶民の食卓のメインだった。雑穀のごった煮スープミネストラ。
当時はパスタをたらふく食べるのが庶民の夢。
イタリアは都市国家(コムーネ)を領主が納めるスタイル→15、16世紀はシニョリーア(君主国)として、領主が皇帝または教皇から称号をもらい君主国となる。
フィレンツェのメディチ家、ミラノのヴィスコンティ家、フェッラーラのエステ家、マントヴァのゴンザガ家など、各君主がパトロンとして学者や芸術家を保護することで人文主義が台頭→ルネサンス文化が先駆ける。
18世紀のヨーロッパの啓蒙思想よりイタリア近代化、独立の機運が高まる。
→1891年、アルトゥージ「料理の化学と美味しく食べる技法」が出版
→イタリアを代表するレシピとして、さまざまな地方のパスタ料理が記載され、家庭に1冊といわれる。
→「イタリア」国文化としての意識の浸透。方言色が強かったイタリア語を標準的な言葉で記述し、言語の統一も少なからず果たす。
○マンマの味
イタリアではカトリック系、マリア崇拝が盛ん。
→マザコン気質、楽観的、無条件の母性愛信仰、親離れ、子離れできないイタリア人の原型
※とあるが、著者のイタリア男性のイメージが若干きつめに書いてあるような…。
男女の役割が日本と同じくはっきりしていた。
料理=女性が当たり前。カトリックの保守的な教えも影響している?
あり合わせで安い食材を工夫して美味しくする想像力=創造力が求められる。
南部カラブリア地方では嫁入り条件が15種類のパスタを作れること、らしい…。
裁縫などと同じくパスタ作りも女性のリーダー職だったが、近代化してからパスタ生産も工業化が進み、女性の立場は低く待遇も悪くなる…。
※カトリック教会と国家の思惑により、男女平等をうたいながら、女性の家庭外での活躍をよしとしない風潮が根強く残る。ファシスト政権時代、ムッソリーニの家政政策。男を戦争で使う→その他の家の問題は女性が責任者としてうまく回すような役割を与えた。
○戦後のイタリア
日本も同様だが、自由、モダン、平等理念など、アメリカナイズすることがかっこいい、いいことというイメージがあったが、自国の停滞ムードを打破するための夢想…。
実際にアメリカに移民したイタリア人はかなり差別され、パスタ料理もなかなかアメリカで受け入れられなかった。
肉消費量が増えている中、肉食により栄養バランスが崩れている。1960年以前と以降でアメリカナイズの食事をするようになった世代の健康状態が悪化したため、くしくもスローフードとしてのパスタ料理が見直される。
(パスタと野菜中心のメニュー)