あらすじ
漢の最盛期、武帝の時代。が、北辺の地に匈奴の来襲があいつぎ、時代に影が兆しはじめた。李陵は、五千の少兵を率い、十万の匈奴と勇戦するが、捕虜となった。その評価をめぐり、華やかな宮廷に汚い欲望が渦巻く。司馬遷は一人李陵を弁護するが、思いもかけぬ刑罰をうける結果となった。讒言による悲運に苦しむ二人の運命に仮託して、人間関係のみにくさ美しさを綴る「李陵」他に、自らの自尊心のため人喰い虎に変身する李徴の苦悩を描く「山月記」など六編を収録。
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Posted by ブクログ
## 感想
『李陵』は勇猛な将である李陵が敵軍に捕えられ、祖国へ帰りたいと思いながらもその祖国から辛い目に遭わされ、捕えられた敵軍の中にも好人物や良い風土があることを知り、葛藤する話。
途中、同じく漢にいた蘇武という人と会う。
この蘇武は同じような境遇ながらに祖国を愛し続けていて、しかも最後には運良く漢に帰れることになる。
そんな李陵を見て嫉妬や羨みのような感情を覚えて悲しむ李陵の心中は計り知れない。
私たちは常に何かに所属している。
家族、学校、会社、国。
自分が属するものが信じられなくなることは、どんな気持ちだろう。
こんな風に祖国に裏切られるなら、確かに諦めてしまうかもしれない。
私も、絶望して、諦めて、蘇武のようには生きられず、李陵のように祖国を恨み続ける。
今の自分が日本に生きて、会社で働き、家族とともに過ごしていられるのは、当たり前のことではないのだということを、こうした歴史を知ると常に思う。
『弟子』は、孔子の弟子である子路に焦点を当てた物語。
子路から見た孔子や周りの国々の姿を見るうちに、その報われなさに辛くなる。
> いかなる場合にも絶望せず、けっして現実を軽蔑せず、与えられた範囲で常に最善を尽くすという師の智慧の大きさもわかるし、常に後世の人に見られていることを意識しているような孔子の挙措の意味も今にして初めて頷けるのである。(p95)
>
孔子の弟子、子路が長い放浪の旅のなかで孔子に対して思うこと。
一言にまとめると簡単に見えるが、難しいことだ。
「与えられた範囲で最善を尽くす」ことが、今の世の一員である私たちがやることだ。
常に後世の人に見られていると思って、最善を尽くす。
自分もそうありたいと思う。
『名人伝』は、弓の修行をする紀昌という人の物語。
「まばたきをするな」「目を良くしろ」という師の指示に従って、長年かけて鍛錬を行う紀昌はめきめき上達する。
しかしある時、「もう師を超えてるよな?師さえいなければ俺が最強だよな?」というようなことを考え、師に向かって矢を放つ。
それは失敗するが、それまで素直に修行していた紀昌の印象がだいぶ悪くなった。
その後、紀昌はさらなる高みを目指して、山にいる仙人のような人に教えを乞う。
また長年の修行を経て、今度は弓を持たなくなった。
『名人伝』では多分、「名人になるほど物にこだわらない」というか、ただ技術云々を鍛えるのではなくて、世界そのものと繋がるのだ、というようなことを言いたいのかなあと思ったが、私は紀昌が長い年月をかけて素直に単調な修行を実施する場面が良いと思った。
才能は大切だが、それ以上に努力を積み上げることだ。
『山月記』は、虎になった李徴の語りがメインの話。
こんな文章が印象的だった。
> もちろん、かつての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心がなかったとは言わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己の詩によって名を成そうと思いながら、進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを怖れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己が珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。己はしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙イとによってます
ます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。(p124)
>
「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」とは凄まじい表現だと思う。
「この尊大な羞恥心が猛獣、虎だった」とその後に続く。
誰しも皆、傷つきたくはない。
『悟浄出世』は、西遊記で有名な妖怪である沙悟浄が主役の話。
沙悟浄が人生に悩み、様々な人に話を聞きに旅に出る。
旅の果て、こんなことを思う。
> 昔の自分は愚かではあっても、少なくとも今よりは、しっかりとした、それはほとんど肉体的な感じで、とにかく自分の重量を有っていたように思う。それが今は、まるで重量のない・吹けば飛ぶようなものになってしまった。先からいろんな模様を塗り付けられはしたが、中味のまるでないものに。(p151)
>
色々な偉い人の話に触れた末に、「なんだか薄っぺらいものになってしまった」と思う沙悟浄。しかしその後、沙悟浄はある考えに至る。
> とにかく、自分でもまだ知らないでいるに違いない自己を試み展開してみようという勇気が出てきた。躊躇する前に試みよう。結果の成否は考えずに、ただ、試みるために全力を挙げて試みよう。決定的な失敗に帰したっていいのだ。今までいつも、失敗への危側から努力を放棄していた彼が、骨折り損を厭わないところにまで昇華されてきたのである。(p156)
>
「考えるよりやってみよう」という考えに、考えに考えた末になったのは面白い。そしてこれは私自身も大切にしている考えだ。あれこれ考えると、良くないことが頭をよぎり、身動きできなくなる。誰も人生の正解なんてわからないのだから、やるだけやってみればいいのだ。家族を不幸にするようなこと以外は。
『悟浄歎異』は、先程の『悟浄出世』の沙悟浄の手記という体の物語。孫悟空の天才性や、三蔵法師の素晴らしさが沙悟浄目線で語られる。
こんな文章がある。
> 外面的な困難にぶつかったとき、師父は、それを切抜ける途を外に求めずして、内に求める。つまり自分の心をそれに耐えうるように構えるのである。いや、そのとき慌てて構えずとも、外的な事故によって内なるものが動揺を受けないように、平生から構えができてしまっている。いつどこで窮死してもなお幸福でありうる心を、師はすでに作り上げておられる。(p176)
>
三蔵法師は問題を切り抜ける道を外でなく内に求めると言う。
自分の心の有り様で世界の捉え方は違う。
同じ物事を見るのも、考え方次第だ。
### まとめ
それぞれの短編は中国の古典を題材にしていて、芥川龍之介のような寓話的な雰囲気がある。
史実のような話の中に、人間の嫌なところが滲み出るように描かれていて、「ああ、こんな気持ちになることあるよなあ」と思う。
特に私は「山月記」が好きだ。
自分が何者かであると信じながらも挫折し、自己理解に苦しみながらも諦められずに、「せめて少しだけでも」と自分の生きた証を残そうとする。
世界の歴史と比べて、人生は短い。
その中でもがき苦しみ、何かを残そうとしてきた人たちがいたから、今の世界はある。
名前も残らないような大勢の人の仕事の上に世界は成り立っている。
自分もその世界の歯車の一つとして、何か形として残して死んでいきたいものだと考えているし、そのように行動するよう心掛けている。
だから「山月記」の李徴の痛みは刺さる。
中島敦自身、こうした苦心があったのかもしれない。
作家は孤独だろうから。
でも、こうして中島敦自身が亡くなった後もたくさんの人に作品が読まれていることを思うと、李徴は少し報われたのか?と考えたりもする。
「山月記」の李徴のように、「弟子」の孔子のように、私も後世の人に何を残していけるような人間でありたい。
Posted by ブクログ
≪引用≫
地に落ちた矢が軽塵(けいじん)をも揚(あ)げなかったのは、両人の技がいずれも神(しん)に入っていたからであろう。
(なんじ)がもしこれ以上この道の蘊奥(うんのう)を極めたいと望むならば、ゆいて西の方(かた)大行(たいこう)の嶮(けん)に攀(よ)じ、霍山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘蠅(かんよう)老師とて古今(ここん)を曠(むな)しゅうする斯道(しどう)の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯(じぎ)に類する。の師と頼むべきは、今は甘蠅師の外にあるまいと。
「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐(じゅっかい)である。
≪レビュー≫
中島敦を読んだのは初めてである。
漢文学者の父を持つ敦は、15歳にして3人の母親を持ったという。33歳で亡くなっている。
「名人伝」は、趙の邯鄲の都に住む天下第一の弓の名人になろうと志を立てた紀昌という男の物語である。
紀昌はまず、百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人の飛衛に弟子入りする。飛衛の教えのままに弓の名手になった紀昌は、「天下第一の名人となるためには、どうあっても飛衛を除かねばならぬ」と飛衛に矢を向ける。この戦いは互角だったが、飛衛は身の危険を感じ、紀昌に新たな目標を与えた。それが甘蠅(かんよう)老師だった。
飛衛が「己の業が児戯に類する」というほどの甘蠅老師は、紀昌に「不射の射」を教える。
9年の歳月が流れ、山から降りた紀昌は、「以前の負けず嫌いな精悍な面魂はどこかに影をひそめ、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変って」いた。そして不思議なことに弓も矢も再び手にすることはなかったという。
やがて老いた紀昌は、「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる」と述懐する。
不思議なエピソードが唯一残っている。知人の許に招かれた紀昌が、弓と矢を見て「 それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのか」と聞いたというのだ。射の名人たる紀昌は、既に弓を忘れてしまっていたのである。
物語の概要は上記の通りである。
とても不思議な話だ。
業の深奥を極めたはずの射の名人が、最後には弓の名前も使い方も忘れてしまっていたというのである。
名人というよりは神の域に達してしまった者にしか見えない世界がある、とも取れる話である。
興味深いのは、「神に入る」や「蘊奥を究め」などの表現が、囲碁名人の允許状や将棋名人の推戴状に通じているところだろう。
もしくはこの作品から取ったのかもしれない。
囲碁や将棋の物語を書くには、この話は使えるかもしれない。