あらすじ
漢の最盛期、武帝の時代。が、北辺の地に匈奴の来襲があいつぎ、時代に影が兆しはじめた。李陵は、五千の少兵を率い、十万の匈奴と勇戦するが、捕虜となった。その評価をめぐり、華やかな宮廷に汚い欲望が渦巻く。司馬遷は一人李陵を弁護するが、思いもかけぬ刑罰をうける結果となった。讒言による悲運に苦しむ二人の運命に仮託して、人間関係のみにくさ美しさを綴る「李陵」他に、自らの自尊心のため人喰い虎に変身する李徴の苦悩を描く「山月記」など六編を収録。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
≪引用≫
地に落ちた矢が軽塵(けいじん)をも揚(あ)げなかったのは、両人の技がいずれも神(しん)に入っていたからであろう。
(なんじ)がもしこれ以上この道の蘊奥(うんのう)を極めたいと望むならば、ゆいて西の方(かた)大行(たいこう)の嶮(けん)に攀(よ)じ、霍山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘蠅(かんよう)老師とて古今(ここん)を曠(むな)しゅうする斯道(しどう)の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯(じぎ)に類する。の師と頼むべきは、今は甘蠅師の外にあるまいと。
「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐(じゅっかい)である。
≪レビュー≫
中島敦を読んだのは初めてである。
漢文学者の父を持つ敦は、15歳にして3人の母親を持ったという。33歳で亡くなっている。
「名人伝」は、趙の邯鄲の都に住む天下第一の弓の名人になろうと志を立てた紀昌という男の物語である。
紀昌はまず、百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人の飛衛に弟子入りする。飛衛の教えのままに弓の名手になった紀昌は、「天下第一の名人となるためには、どうあっても飛衛を除かねばならぬ」と飛衛に矢を向ける。この戦いは互角だったが、飛衛は身の危険を感じ、紀昌に新たな目標を与えた。それが甘蠅(かんよう)老師だった。
飛衛が「己の業が児戯に類する」というほどの甘蠅老師は、紀昌に「不射の射」を教える。
9年の歳月が流れ、山から降りた紀昌は、「以前の負けず嫌いな精悍な面魂はどこかに影をひそめ、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変って」いた。そして不思議なことに弓も矢も再び手にすることはなかったという。
やがて老いた紀昌は、「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる」と述懐する。
不思議なエピソードが唯一残っている。知人の許に招かれた紀昌が、弓と矢を見て「 それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのか」と聞いたというのだ。射の名人たる紀昌は、既に弓を忘れてしまっていたのである。
物語の概要は上記の通りである。
とても不思議な話だ。
業の深奥を極めたはずの射の名人が、最後には弓の名前も使い方も忘れてしまっていたというのである。
名人というよりは神の域に達してしまった者にしか見えない世界がある、とも取れる話である。
興味深いのは、「神に入る」や「蘊奥を究め」などの表現が、囲碁名人の允許状や将棋名人の推戴状に通じているところだろう。
もしくはこの作品から取ったのかもしれない。
囲碁や将棋の物語を書くには、この話は使えるかもしれない。