あらすじ
幕府討滅計画=承久の乱で知られる後鳥羽上皇は、なぜ『新古今集』の撰集にあれほどの心血を注いだのか。幕府の「武」に対し、これを圧倒する文化統治として「和歌の力」を位置づけた上皇の足跡と史実を描く。
※本作品は紙版の書籍から口絵または挿絵の一部が未収録となっています。あらかじめご了承ください。
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Posted by ブクログ
『新古今和歌集』の奏覧がなされる1205年までの後鳥羽院の半生をたどった評伝です。
本書の刊行に先だって、著者のもとで学んだ田渕句美子が、おなじ角川選書から『新古今集―後鳥羽院と定家の時代』(2010年)を刊行しており、やはり『新古今和歌集』の成立に焦点をあてて、後鳥羽院と藤原定家の人物像をえがき出しています。それに対して、本書は後鳥羽院の「評伝」として書かれたということで、田渕の本とは異なる観点から後鳥羽院のすがたがえがかれていることを期待して手にとりました。
ただ一読した印象では、両者の立っている位置にそれほど大きなへだたりはなかったように感じました。著者は、文化と政治のかかわりに踏み込んだ丸谷才一の『後鳥羽院』(2013年、ちくま学芸文庫)に言及し、「承久の乱は、おそらく世界史におけるただ一つの文化的な反乱ではなかったろうか」ということばに対して、「鋭く本質をついている」と評しています。また本書の「おわりに」では、『新古今和歌集』編纂をはじめとする後鳥羽院のおこなった文化的事業の意義について、「後鳥羽が広く列島の文化的な統合を図ろうとする意図があった」と語っています。
本書では、このような観点から後鳥羽院の半生がたどられているのですが、著者は「ことに歴史家にとって苦手な和歌という壁がある」と語っています。しかし、多く引用される和歌の鑑賞に立ち入らずに後鳥羽院の文化的事業の意義を示すことは、著者をもってしても困難な課題だったのではないでしょうか。後鳥羽院の治世における政治と文化のかかわりの実態が、なかなか鮮明に見えてこないもどかしさを感じてしまいました。