あらすじ
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
スズナ山には水がありませんでした。あるのは「涸れ沼」とよばれる水のない沼だけです。スズナ山の山神となったスズナ姫は、さっそくその沼に水をよびもどそうと考えます。風の神や天の童子、そしてスズナ山いちばんのものしり大フクロウの力をかりて、スズナ沼の底にすむ大ナマズの怒りが原因であることをつきとめます。スズナ姫の力で、何百年ものあいだの大ナマズの怒りがとけるでしょうか。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
大巌尊にはできない、偉大でもりっぱでもないから、なんだって自分の思いどおりにやれるんだ、という大フクロウの言葉が心に刺さりました。スズナ山に水が戻ってよかったです。
Posted by ブクログ
スズナひめのいいところは、失敗しても、みんなにひはんされても、くじけずにやり続けるところ。礼ぎ正しいところ。一人だけの意見も大事にするところ。かわいいし、かっこいい。
大フクロウは、スズナひめが、ぬまの水を取りもどそうとしたときに、山のみんなはむりだって言ったけど、味方をしてくれた。スズナひめのことが好きなんだろうし、物知りでよく考えることができるからだと思う。
大ナマズは、かわいそう。こまったときに助けを求められなかったし、おくさんは死んじゃったし、むきになるのもわかる。でも、事じょうを知って、ちゃんとできたのがえらい。ぼくだったら、おこり続けちゃうかもしれない。ぼくも、大ナマズにのってみたい。(小4)
Posted by ブクログ
スズナ姫のシリーズは、名古屋の子供向け書籍を毎月1冊づつ配本しているメルヘンハウスの配本で1冊購入しました。
子供が好きになる挿絵かどうかはわかりませんが、なんとなくお話に合っているように感じました。
300歳の誕生日と書かれていますが、挿絵は子供なので、スズナ姫が子供だということが分かります。
喜仙菘姫尊(きせんすずなひめのみこと)が、今日からの正式名称です。
大巌尊(おおいわのみこと)がお父さんです。
菘(スズナ)姫は人に教えてもらうときの話方を心得ています。
「わたしはこの山の山神でスズナ姫っていうの。まだたった三百歳なんですもの、わからないことばかり、、、山の動物たちまで、あたしのことを<チビすけ>だとか、<むすめっこ>なんていうのよ。」
「でもおなじチビでも、あなたちは大違い。いつも北の空高くにかがやいて、地上をみおろしていて、ほんとうにりっぱだわ。だから、あたしは、どうしても、その偉大な天の童子に、ひとつ、おしえてもらおうと思ったわけなの。、、、ああ、ほんとうに、このこたえがわかるといいんだけど。」
子供にものの聞き方を教えるには、この本を読ませるとよいことがわかりました。
Posted by ブクログ
富安陽子先生の数あるシリーズものの中の一つである、この「小さなスズナ姫」シリーズは小学校中学年~高学年向けの、神さまを主役としながらもシンプルで親しみやすい物語の楽しさがありながら、そこには子どもたちにとって、これからの人生を歩む上での温かな励みを得ることに留まらず、大人が読んでも大切なことに気付かせてくれる作品なのだと思い、単に楽しいだけで終わるわけではない点に、富安先生の子どもたちへの思いが込められているのだと思います。
前回、喜仙山脈をおさめる山神さま「喜仙大巌尊(きせんおおいわおのみこと)」から、三百歳(人間でいうところの六歳)の誕生日を機に、喜仙山脈の南の外れにある「スズナ山」をおさめること、いわゆる親からのひとり立ちの許可を頂いた、娘「スズナ姫」の新しい山神さまとしての第一日目を描いたシリーズ二作目は、スズナ山の「涸れ沼」と呼ばれる、水の無い沼に水を呼び戻すべく奮闘するのだが、これが中々上手くいかないことに加え、元々スズナ山の動物たちは、新しい山神さまが幼い娘っ子であることに不安を抱いていたのもあって、その風当りは強く、スズナ姫の山神としての道は前途多難とも思われました。
しかし、そうした状況下に於いて、前作でスズナ姫の行動に惚れ込んだ、スズナ山に住むキツネたちの大将「モッコウギツネ」は、『仕事のでき、ふできなんてものは、さいごまでみてみなきゃ、わかるもんじゃないのさ』と彼女をかばう姿に好感を持つ一方で、彼女自身の『いいのよ』、『みんな、ほんとうのことだもの』と現状を受け入れる素直さにも好感を持った、そうスズナ姫には『心の中にある、きえることのない、あかるい輝き』があり、それは『まけん気の火』という、ある意味山神さまにはそぐわないようなものと思われそうだけれども、それこそが『父は父、娘は娘』という個の大切さを高らかに唱えたスズナ姫のあっぱれな一面なのであり、それが『ぜんぜん、偉大でも、りっぱでもないから、なんだって、じぶんの思いどおりにやれるんだ』という文にも、確かな説得力を持たせてくれるのではないかと思った、そんな物事の視点を柔軟に変えてみることの大切さには、自分のあり方や立ち位置の自由さを感じることができました。
スズナ姫の昔からの友だちで、いたずらな風の神「志那都比古(しなとひこ)」が『古事記』や『日本書紀』にも登場することや、日本では昔々から『空に輝く星ぼしが竜宮の使いだといわれている』ことなどの、興味深い歴史的不思議浪漫の要素も富安先生ならではと思いながら、私が本書を読んで最も心に響いたのは単純なんだけれども、悲しむことをしてはいけないよねということなのだと思い、そこには『人間たちは山のルールをわすれてしまっている』というメッセージを含みながら、それでも決して消えて無くなることのないものは存在するのだということを教えてくれて、それは朴訥さと愛らしさの同居した飯野和好さんの裏表紙の絵にもよく表れていたのではないかと、私は思ったのです。