あらすじ
友人グロリアの自殺をきっかけにして、作家ホースラヴァー・ファットの日常は狂い始める。麻薬におぼれ、孤独に落ち込むファットは、ピンク色の光線を脳内に照射され、ある重要な情報を知った。それを神の啓示と捉えた彼は、日誌に記録し友人らと神学談義に耽るようになる。さらに自らの妄想と一致する謎めいた映画『ヴァリス』に出会ったファットは……。ディック自身の神秘体験をもとに書かれた最大の問題作。/掲出の書影は底本のものです
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Posted by ブクログ
めちゃくちゃ難解なカルト小説だった。チャットのグループの読書会で皆で考察し合えたのが楽しかった。自分の考察を書いておきます(正しいか間違えてるかは置いといて)。登場人物皆狂ってますが色んな解釈ができて楽しめる作品です。読むのキツいですけど。
ヴァリスとは生きた情報システムであり、時間の概念を持たず色んな時代、空間を行き来できるものだと思っています。時間だけでなく空間も存在しないとは、色んな場所を行き来できるということだと解釈しました。
個人的に思うことだけどファットによる世界の考察は割と始めに集約されていると思う。
この世界全体は非理性で構成されており、理性的なものはヴァリスだけ。多分我々人間が時間があって空間があるように感じられるのはこの世界が非理性で支配されているから。それから抜け出すためにはどうすればいいか?
全ての初期キリスト教徒が知っていたように、凡我一如。第三の目を開くことである。ヴァリスはその為に作られた生きた情報システム。そしてヴァリスのみが理性的であり、ヴァリスから色のついた光を放射されることによって世界の真理について気づくことができる(これは放射線でミニはピンクの光を受けすぎたことで癌疾患に罹ってしまった)。この非理性の迷路から抜け出すことができれば時間と空間を超越できるようになる。
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梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。
宇宙の全てを司るブラフマンは不滅のものであり、それとアートマンが同一であるのなら、当然にアートマンも不滅のものである。すなわち個人の肉体が死を迎えても、アートマンは永遠に存続するということであり[1]、またアートマンが死後に新しい肉体を得る輪廻の根拠でもある。
Wikipedia「梵我一如」
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