あらすじ
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
現役小学校教員の岡崎勝と、教育ジャーナリストであり政治にも関わる保坂展人が、「ネット」「学校」「バーチャル」「心の闇」「家庭環境…… 」さまざまな原因説をこえて、語りあう。森 達也 :映像ほどあっさりとフィクションになってしまうものはない。でも、いまのメディアの若い世代は「これは客観です」「これは公正です」って本気で思っているんですよ。 内田良子 :グループの中の多数派にいるときには、自分の居場所があって、とりあえず身を守ることができるのだけど……。 宮台真司: インターネットは、匿名であることによって無害なんですね。誰が罵倒されているか、しているか実際にわかってしまう場合に、問題が生じるんです。 石川憲彦: 鑑定者は、当初は言葉にならない行為を言語化する……ただし、それを忠実に再現できるのかというと、鑑定者と本人それぞれの意識の働き方によって変異することがあります。 浜田寿美男: 被害者意識がどんどん積み上がっていくとサインとして現れることもありますが、それが殺人にまで至るものなのかどうかは……。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ああなんか、すごく色々と大事だ。
わからないとわかった上でわかろうとするとか、環境や特性を無視するのではなく、環境や特性のせいにして切り離すのでもなく、その子を見る・全体を見る視点とか。
「居場所」という言葉の使い方の部分におおーと思った。
保坂展人 は「居場所」を「相互承認の共有空間」として使ってきたという。
その感覚の持ち主として、裁判所の使い方はパーソナルスペース、「テリトリー」を指すかのようだと批判する。
私の使い方も「テリトリー」だ。
私にとっての居場所が、他者が侵入してこないテリトリーだから。
でも前者の「居場所」であるべきだよな。
特に「子どもの居場所」といった使い方をするのなら。
子供が「相互承認の共有空間」を「居場所」だと感じられるような場所をつくってあげるのは大人の役目のはずなんだ。
Posted by ブクログ
懐かしい感じ。
なんとも小学生の環境が、いちばんよく描かれている。
まさかこどもが!とかいう論調はなんか現実に即していない。
わたしももう小学校から遠くなってしまったけれども、小学生女子の微妙な関係やらがよく書かれていた。
きゅんとせつない小学生時代をおもいだした。
微妙なカンケイをつくるような、繊細なコドモではなく、昔から図太いわたしではあるが。
そして加害・被害のどちらにも目を向けていて、当たり前にすごいとおもった。