あらすじ
放蕩を重ねても、帳尻の合った遊び方をするのが大阪の“ぼんち”。古い暖簾を誇る足袋問屋の一人息子喜久治は「ぼんぼんになったらあかん、ぼんちになりや。男に騙されても女に騙されてはあかん」という死際の父の言葉を金科玉条として生きようと決意する。喜久治の人生修業を中心に、彼を巡る五人の女達、船場商家の厳しい家族制度、特殊な風習を執拗なまでの情熱をこめて描く長編。
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Posted by ブクログ
「ぼんち」(山崎豊子)を読んだ。
これは凄いな。
船場ってのはもう独自の世界だったんだろうな。
非大阪人には理解し得ない大阪人だけの独特の響きを持った場所なのか。
『封建的な一種の特権階級』(本文より)というわけだ。
もし私が同じ立場に生を受けたとして、いやぁとってもこんな甲斐性は無いだろうと思う。
気が小さいんで絶対に「ぼんち」には成れんわ。
《大阪船場、かつてそこには独自の生態を頑なに守り続けた驚愕の種族が存在していた》
なーんてね。
終わり方も見事でした。
あー面白かった!
Posted by ブクログ
面白かった~!
大正から昭和初期の大阪の老舗足袋屋の跡取り息子、喜久治が主人公である。フィクションではあるが、著者の山崎豊子氏は膨大なリサーチをしており、当時の大阪の商人の暮らしぶり、遊び方や価値観、しきたりなどが良く分かった。想像以上にスケールが大きかった。
喜久治が生まれた家は、女系3代の立派な商家で、世代ごとに娘が婿をもらいながらビジネスを育ててきた。女たちは実際には商売をしないが、裏で家を仕切っており、祖母と母が実質支配者である。大金持ちの家に生まれた息子は、10代の頃から派手に女遊びを始める。20代になると一度結婚をして息子を設けるが、嫁は出産後すぐに祖母と母に追い出される。息子は商売に精を出しつつ4人の妾を抱え、それぞれの華やかな生活をサポートし続ける。一方、昔ながらのしきたりに窮屈さも感じ始める。やがて戦争が始まり、家族は派手な暮らしを見直さざるを得なくなる。
当時の艶福家の遊び方はスゴイ。芸者遊びはどれほどお金がかかることか。妾達も、本妻になれないことは最初から承知の上で養ってもらっている。感心したのは、喜久治がちゃんと妾達の面倒を最後まで見続けるということと、彼がビジネスマンとして商品の企画から営業まで有能であるということだ。
大阪弁で繰り広げられる商い。女性の地位。なかなか面白い船場の世界をのぞかせてもらった。
Posted by ブクログ
結局人は時代の波の中で生きていくんだな~と改めて思いました。大阪の船場や芸者文化などに重ねて、明治大正昭和と激動の時代。喜久治と5人の女のつきあい方、祖母、母とのかかわり方、今の時代では考えにくいけれど、きっとそれぞれ強い信念のもと、相当な覚悟を決めていたに違いない。男の強さ、女の強さを感じました。もしかしたら、この強さは作者の強さかもしれません。自分がそこにいるかのように感じさせる表現など、山崎豊子の本をもっと読みたくなりました。
Posted by ブクログ
再読。
船場ものの中では一番読み応えありますね。
「ぼんぼんではあきまへん。遊びも商売も帳尻をぴしっと合わせるぼんちにならなあきまへん。」
とにかくおもしろい。
Posted by ブクログ
面白かった!!!
粋で華やかで人間くさくて嫉妬ぶかくて、どきどきした。
芸妓のきのきいた振る舞いや戦前のしきたりが描かれてて読んでてたのしかった。
ラストも素敵。女は強いなあ
Posted by ブクログ
市川昆監督の映画ぼんちを観たあとに原作を読んでみた。映画のぼんちよりも、もっとお家はん、御りょうはんの家付き娘の恐ろしさが感じられてよかった。山崎さんは映画ぼんちをみて「主人公はあんな男性ではない」と言ったそうだけど、確かに原作のぼんちは気骨のあるボンボンだった。
大正から昭和初期にかけての大阪船場の大商家に伝わる、しきたりの数々も圧巻だった。そして、現在の浮気不倫と、当時の商家の旦那として妾をもつことの大きな違いは、女性とそういった関係になるということは、その女性の生涯の面倒を最後まで見るという腹をすえたうえでの関係だということ。それぞれに個性的な五人の女性との関係をまっとうしようとするぼんちは、本当に旦那甲斐性のある男だと思った。
Posted by ブクログ
もはやストーリーがどうこうより、当時の大阪船場の風俗の勉強にすごくなった。ほかにも船場の話はたくさんあるがこの話が一番濃厚。
山崎豊子長編作品はこれで全部制覇したのかな。お疲れ様でした。
Posted by ブクログ
船場のボンボンの話で妾がつぎつぎとでてくるけれど、ストーリーより大阪船場の商家や世俗がよくわかりとても興味深かった。
鰻谷や道頓堀の様子もわかり、今の大阪と色々思い比べて楽しむことができた。
Posted by ブクログ
今は存在しないであろう船場商屋の厳しいしきたりの中でのお話。
船場の世界観は現在では無くなってしまっているだろうが、女性のしたたかさや我が儘などは何時の時代でも変わらず。男性は男性で、こんな風に放蕩してみたいなぁーなんて気持ちを少なからず誰しもが持っているのではないだろうか。
だいぶ前に書かれた作品だが、読み応えがあった。
Posted by ブクログ
古い時代の道徳に乗っ取った小説。今の時代にこの小説を発表したら、各方面から叩かれるだろうなと感じた。
主人公は、若いのに金があって、しかも離婚して、独身と言う設定から、外に5人も女を作って、また、その女のほうも、彼を拒むことをしない。しかも最後には、生き残った4人の女同士が疎開先で仲良く過ごすと言う、非現実的なオチが付いている。
この小説では、その場面で終わっているが、主人公には離婚した本妻の息子1人の他に外の女に作らせた息子2人がいて、しかも外の女の息子の方が出来が良さそうなことがほのめかされている。もしこの小説の続編があるとすれば、その3人の息子たちの葛藤の話と言うことになるのだろうが、さすがの山崎豊子も、そこまで話を膨らませる事はせずに、この小説は終わっている。
Posted by ブクログ
大阪船場のぼんぼんの話。
山崎豊子の船場ものの中ではちょっと異色かな。商いの話よりも女遊び方が内容としては濃い。こういうしきたりって今でも残ってるのかな。女も女でちゃっかりしてる。
喜久治が新しい女に手を出すたびに、おいおい、もういい加減にしとけよと思ってたのが本音。
Posted by ブクログ
「ぼんぼんになったらあかん、ぼんちになりや」
放蕩を重ねても帳尻の合った遊び方をするのが「ぼんち」。古い暖簾を誇る足袋問屋の一人息子「喜久治」を巡る五人の女達、大阪「船場」の世間の常識からかけ離れた思考・風習を描く。
まあ、金持ちのただの女狂いの物語とも言える。
Posted by ブクログ
1959年に発表された作品なので、もう50年以上前のものになるから驚き。「暖簾」「花のれん」に継ぐ、大阪ものの第三作。前二作はまだ未読だが(たぶん…)、船場や花街のしきたりについて精緻に描かれている。
そもそも船場とは、今の大阪市中央区あたりにある、四方を川と堀で囲まれた四角い町で、江戸時代に大阪城の築城にあたって、大勢の家臣や武家が移り住むことになったことから、武器・武具をはじめ大量の生活必需品を集めるべく、商業者を半強制的に移住させたのが、商人街として栄えた船場の発端らしい。
物語は、そんな船場の老舗足袋問屋の一人息子として産まれ、暖簾をささえる喜久治を主人公とし、彼を取り巻く五人の女たち(ぽん太・幾代・お福・比沙子・小りん)と、女系主義の祖母と母(きの・勢以)の、船場ならではの厳しい風習と女の戦いがテーマ。
そもそも、大阪では良家の坊ちゃんを「ぼんぼん」というが、その中でも器がでかいぼんぼんを「ぼんち」という。豊子さんの言葉を借りれば、「根性がすわり、地に足がついたスケールの大きなぼんぼん、たとえ放蕩を重ねても、ぴしりと帳尻の合った遊び方をする」のが、ぼんち。
女系におされ、古いしきたりに束縛されながらも、女遊びに明け暮れるが、結局は戦禍を被って新たに人生を切り開く。
「女の道で苦労して、何かものを人に考えさせるような人間にならんとあかん」という言葉を金科玉条にして生きようと決意した喜久治だが、結局、何かものを人に考えさせる人間になったのだろうか?その結末が、きのの自死と女たちの自立ってこと?それがよくわからなかった。
とはいえ、やっぱり豊子作品すごい。圧倒的な知識と人間関係の機微を描ける人ってそうそういない。
あとがきの一言がとても印象的だった。
「一千枚近く書き終えてみて、今さらのように私が、故郷である大阪に深い愛着を持っていることを思い知りました。それは愛するというような生やさしいものでなく、もう一種の執念のようなものかも解りません」
Posted by ブクログ
最早この手の世界は現存しないんだろうなぁ。
それにしてもまさに山崎豊子の世界、とにかくねちっこい描写。
そしてキャラクターのデフォルメが非常に上手い。
自身がどう思っているのかは分からないが、この作家の作品の本質は上質のエンターテインメントであり、故に大衆的映画・テレビでの映像化が今なお行われているのだと思う。
Posted by ブクログ
山崎豊子らしい重厚さ。船場の一族の姿を描く。
女系家族おどろおどろしいと思いつつ、最終的に、女系が終わって、男系に変わってしまうところは流れ的にはしょうがないのだろうけど、少々残念。