あらすじ
絶望的な"閉ざされた"状況にあって、疎外された少年たちが築き上げる奇妙な連帯感。知的な抒情と劇的な展開に、監禁された状況下の人間存在という戦後的主題を鮮やかに定着させた長編。ノーベル賞を受賞した大江健三郎の処女長編。
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Posted by ブクログ
学生時代、友人が、卒論代わりに大江健三郎の書誌を作った。
身近に大江健三郎を読む友人などいなかったので「好きなの?」と聞いたら、「難しいけど、好きなんだよね。特に『芽むしり 仔撃ち』が」との返事に、「めむしりこうち」という音が意味するところが分からず、当惑した。
後に漢字表記を見て、間引きの話か、と思った。
感化院(昔の少年院)の少年たちが、集団疎開のために山奥の村に連れてこられる。
彼らはもちろん良い子ではないが、イメージするほど悪い子たちだとも思えない。
戦時中という時代を考えれば、子どもたちの心がすさんでいるのもしょうがないと思う。
谷を渡るトロッコに乗らなければ村に入ることはできない。
村の手前で、脱走兵を探す予科練の生徒たちと出会う。
閉塞感が増してくる。
農家の手伝いをしたら、生活の面倒を見てもらえる。
そう思ってやって来た子供たちの期待は、引率の先生がいなくなった途端に打ち砕かれる。
村の人たちは猟銃や竹槍や鍬などを持ち子どもたちを閉じ込め、常に白い眼を向けながらこき使い、必要最低限の食事を与えるのみ。
そんな中、村に疫病が発生する。
村人たちは、子どもたちを閉じ込めた家に錠をおろし、食事も何も与えないまま放置し、隣村へと避難する。
残された子どもたちはなんとか脱出し、村を出ようとするが、トロッコの前には壁が作られ見張りを置かれ、病とともに村に取り残される。
最初は疎開が「間引き」だと思った。
親はもちろん、空襲がなく食事もさほど不自由していないだろう田舎に送ることが、子どものためだと信じている(人が多いと信じたい)。
しかし、国や町の偉い人たちは、少ない食料を働き手にならない子どもに分けることを避けたとも考えられる。
感化院の子どもたちなどは、都会でも田舎でも、ただの無駄飯食いなのだ。
いなくなってくれればよい、と思っていなかったとは言えない。
疫病の発生を知って残される子どもたち。
その中で、なんとか生き延びた子どもたちを迎える運命の非情さ。
だって、子どもたちは、村に残っている食料をかき集めて食べないと、生きていかれないんだもの。
それを、後に帰ってきた村人たちが強奪だ、略奪だというのはおかしい。
大人としての義務も優しさも持たず、ただつらく当たる。
村も食うに困っていたならまだしも、ある程度食料はあったわけだし、村長の家など言わずもがななのに。
「おまえのような奴は、子供の時分に絞めころしたほうがいいんだ。できぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむしりとってしまう」
生き残るための間引きではなく、自分たちと違うものを排除する間引き。
視野狭窄で排他的な村人たちのおぞましさ。
生き延びるために村人たちにしたがう子どもたちと、ただ一人したがわず追放された語り手の少年。
しかし彼が生き延びられる可能性は低いように思った。
Posted by ブクログ
大江健三郎は以前読んだ短編集が途中でしんどくなってしまったのでこれもあまり気は進まなかった。読んでみると読みにくいところはあるものの面白くて一気に読んでしまった。
ページ数も少ないのに内容が濃くて何ヶ月にもわたる話かと思っていたら5日程度の話と明かされた驚いてしまった。
結末は当初いまひとつに感じたが習俗の壁に屈服せず突破したという解説を読んですごく腑に落ちた。
この解説がすごく秀逸でここまで読んで1つの物語とすら思う。読んでる間ずっとちらついていたそもそも感化院が3週間の行軍で疎開するって言うのが現実味があるのか断じてくれたのも良かった。
実際刑務所とかって空襲どうしていたんだろう?破獄は戦時中も含まれていたはずだけど覚えていない。敷地内に防空壕掘って避難した程度だったのかな?
Posted by ブクログ
少し読みにくい表現もあったが、登場人物の心理や人間の悪意、悲劇の描写など、圧倒的な密度に心を奪われっぱなしだった。ただ余りに救いが無く、読んで悲しい気持ちしか残らなかったので星4。