あらすじ
二千五百年前、春秋末期の乱世に生きた孔子の人間像を描く歴史小説。『論語』に収められた孔子の詞はどのような背景を持って生れてきたのか。十四年にも亘る亡命・遊説の旅は、何を目的としていたのか。孔子と弟子たちが戦乱の中原を放浪する姿を、架空の弟子・えん薑が語る形で、独自の解釈を与えてゆく。現代にも通ずる「乱世を生きる知恵」を提示した最後の長編。野間文芸賞受賞作。
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Posted by ブクログ
孔子のありがたいお言葉の意味を知るための本。伝記ではない。弟子達の孔子研究の様子を描いた不思議な本。
孔子の伝記小説で、孔子の苦しむ姿が描かれているのかと思って読み始めたが、全然違った。
孔子の『論語』は孔子の死後すぐにできたわけではなく、死後300年後くらいに孔子門下生によってまとめられた。それってすごいことだよな。
その様子を描くっていうのは、読み終わってすごいことだと思いました。(小並感)
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p70 仁
人が二人出会ったら、その二人がどんな間柄だろうと関係なく、お互いが守らなければいけない規約のようなものが発生する。それが仁である。思いやりのようなもの。だから、人偏に二という漢字なのである。
p116 近者説、遠者来
ちかきものがよろこび、とおきものがきたる。
孔子が述べた政治の理想形。近くにいるものが喜びなつくような政治をすれば、その噂を聞きつけて、自然と人々は集まってくる。大きいことを考えるよりも、地道にコツコツと始めることで、人望というのは集まるという格言だ。
p167 逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎かず
孔子が豊富な水を湛えた大河を眺めて言った言葉。川の流れと人生を対照した、大局観を意味する格言。
一人一人の一生は何の意味があるのか、ちっぽけな人間の命が何になるのか、人はそれに迷い、戸惑う。
しかし、水の流れのように、どんな支流もやがて大きな流れに合流し、大海にたどり着く。人間の営みも結局一つの人類の歴史に収斂されていくのだから、何も迷うことなく、流れのままに生きていくことが大事なのであるということか。
澱まない人生を生きたいものだ。
p202 天命論
天命とは何か。天から命じられた使命なのか。そうではない。天は別に一人一人に命を下さない。
自分の信じることを成せばいい。自分の正義を仕事にすれば、天は見ていてくれる。そして、結果として天命を下してくれる。
天命を信じて人事を成す。ではなく、人事を尽くして天命を待つ。という考え方。
p221 天命を知る
孔子の言った自分自身の「天命を知る」は、複雑。
50歳くらいで、世の乱れを正すために、国王に政治教育をすべきだと、一念発起したのが天からの使命を受けたのだと解釈するのという考え。
また、結局その孔子の野望は失敗ばかりであって、どんな正義を持って活動していても、天は直接助けてくれるもんではないと悟ったという考え。
50くらいにならないと、本当の正義は見えてこず、天の使命を理解することができない。その使命を実行に移すにあたっても、天は何もしてくれない。それでも人はその正義を最後まで信じなくてはならない。これらすべてをひっくるめて、天命を知るということなのかな。
p273 顔回の死
顔回の死に際して、孔子は「天は予を喪ぼせり」と言った。自分の後継者を失った悲しみというよりも、これから世の乱れを正していく存在になる大事な人材を失った世界への憐みの感情だったのかもしれない。
顔回は孔子の弟子であり、その思想を受け継いだ孔子の分身でもある。それで我を滅ぼすという言葉になったのだろう。
p457 天は予を喪ぼせり
そういえばイエスも死に際して神への不信を叫んだ。「神よ、なぜ我を見捨てたもうた」
孔子もイエスも同じく、天に見放されている。この、神への不信というのは、人類の教師になる人の共通のキーワードになるんだろう。
p312 子不語、怪力乱神
孔子は、怪(怨霊や迷信など)に心奪われず、力(暴力)に頼らず、乱(背徳や不倫)を退け、神(精霊や死霊)を軽んじず、これらのことを無暗に語ることはなかった。
人としての道徳を説く格言。
p342 仁と信
仁は思いやり。人間が二人以上集まった時の規約
信は誠実さ。人が口にすることは、真実でなければならない。嘘偽りのない言葉を重ねることで、信用は生まれる。だから、人偏に言という漢字なのである。
p347 仁
「ただ仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む」
仁が備わっていないと、良い人と悪い人の区別ができない。だから、人の好き嫌いには仁が必要なのである。正しい好き嫌いができているか、それが仁の尺度である。
これ、いい言葉だな。世の中には、人の好き嫌いが激しい人がいる。しかし、それが仁に通じていない人もたくさんいる。好き嫌いが多い人ほど、仁を弁えていないとな。
p352 大小の仁
人の種類によって、なすべき仁は異なる。
一般の庶民は、他人を思いやる気持ちの小さな仁さえ備わっていれば良い。それだけでいい。
王侯貴族のような政治家は、大衆を導くものとして大きな仁を備えなければならない。
「子曰く、志士、仁人は、生を求めて、以て仁を害することなし。身を殺して、以て仁を成すことなり。」
人々を導くものは、自分の命をなげうってでも仁を貫かなくてはいけない。大きい仁とはそういうものである。
p397 子曰くの天命
孔子の言いたかった天命とは何か。天命とは超然とした正義である。
どんな乱世でも、人は正しく生きなければならない。それが天命である。しかし、正しく生きたからって、それが必ず報われるわけではない。逆に、報われるのも、正しく生きたことへの恩賞ではない。
天は人の世に手出しはしない。いや、できない。しかし、我々矮小な人間は天命に従がって正しく生きようとしなくてはならない。
何もしないのに、人を縛れる、そんな超然とできるからこそ、天の偉大さなのである。
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孔子という中国の精神的支柱についてすこしわかった。
孔子の偉大さは、死んで金を残さず、仕事を残さず、人を残したところに現れる。
流れるように生きたい。澱むことなく、天命に従がい超然と生きていきたい。そう思った。