あらすじ
5代さかのぼってようやく応神天皇につながるという遠い血縁、しかも地方出身の継体が、天皇の座に就いたのはなぜか? 緊迫する朝鮮半島との関係にどう対処したのか? 真の継体陵とされる今城塚古墳の石棺や韓国・栄山江流域の前方後円墳の発掘調査など、考古学上の成果を文献からの考察と突き合わせ、謎の大王の実像に迫る。古代史最大の「空白」がいま、明らかに――。古代史ファン待望の一冊!
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Posted by ブクログ
古墳時代の六世紀、遠い血縁、地方の出身と言う背景にもかかわらず、大王となった継体天皇。
なぜ継体天皇でなくてはならなかったのか。どのような勢力が継体天皇を支持したのか、と言う問題を通じて、朝鮮半島と日本列島にまたがって活動していた、当時の有力者達の姿を説明する一冊。
河内馬飼首が渡来系の豪族ではないかとか、江田船山古墳の有名な鉄剣には、筑紫君磐井を中心とする有明の豪族連合を牽制する狙いがあったのでは、などなど。言われてみれば…… と言う話が多く、興味深い内容でした。
Posted by ブクログ
その血統に???がつく第26代継体天皇。それまでの仁徳朝がいったん途絶えた後、はるか5代前まで遡って「ぢつは親戚だよ〜」とやってきたストレンジャー(もちろん大伴氏、物部氏のバックアップあってのことだけれど)にいったいどんな強みがあったのかを、朝鮮半島との関係を鑑みながら書かれた本。
学校の日本史の時間では、この時代には任那という日本のテリトリーが朝鮮半島にあり、継体天皇はそれを失ったことになっている。
けれどこの本では、そもそも継体天皇がベースとしていた(今の)琵琶湖北岸、東岸には鉄器等の外来文化が強く根づいており、彼の重要な経済的地盤となっていたこと、そしてさらに琵琶湖から桂川経由で(今の)高槻や枚方にも商圏を拡大したなかなかのやり手であった、ということになっている。
つまりですね、古墳時代の前期には奈良盆地から二上山を越えた難波津、すなわち近鉄エリアの範囲にしか過ぎなかったヤマト王権を、一気に京阪、阪急、琵琶湖線、湖北線まで拡大したのが彼だったわけです。凄いよね。
で、そして従来は「(せっかくの植民地)任那を失った」という捉え方ではなく、運営コストを考えた上でとっととそんなモンは百済に譲り、代わりに中国からのエンジニアや文人をコーディネートしてちょうだいな、と持ちかけた賢帝だったということになる。
さらに当時の百済の武寧王の棺桶は、日本特産の高野槙で作られているそうな。棺桶の材料を提供するくらいの親密な外交関係を築いていたわけですね。
中学や高校の日本史ではほんの1,2時間で語られてしまうような内容が、ぢつはとってもエポックメイキングな時期だった、ということでした。
Posted by ブクログ
継体天皇は朝鮮半島から渡来した王位簒奪者だったっ!
なんていうトンデモ本ではなく、『古事記』『日本書紀』を
読み解き、古墳や出土品から継体天皇のルーツを
探るというとっても真面目な本である。
皇統から限りなく遠い応神天皇5世孫である継体天皇が
何故、天皇として即位することになったのか。
朝鮮半島からの渡来人と、地元の豪族との住み分けが
なされていた土地での渡来文化の普及等、興味深い
話ばかり。
継体天皇のことがもっと分かれば、現在の皇室に繋がる
流れも判明するんじゃないか?あ…もしかして、何か
都合の悪いことがあるのかなぁ。
しかし、いかんせん読んでいる私に古代史の知識がないっ!
あ…古代史ってより日本史全般が苦手なのだわ。
古代史の研究者ってすごいよね。5世紀くらいってほとんど
資料が残っていないのに、発掘品などからいろんな推測を
打ち立てていくんだもの。
こういう作品を読んでいると、日本っていう国は古くから朝
鮮半島や中国大陸からの文化を吸収して発展して来たの
だってのが実感できるよね。
レイシストは歴史を勉強した方がいいよ。
Posted by ブクログ
古代史にはそれほど興味はなかったのですが、本書は面白かったのであっという間に読み切ってしましました。本書では継体天皇という謎の大王とその継体天皇の出自や支持勢力についての考察が書かれています。本書の著者、水谷さんは古代史が専門で過去に「謎の大王継体天皇 (文春新書)」、「謎の豪族 蘇我氏 (文春新書)」などの著書を世に送り出しています。まさにこの時代のスペシャリストといってよい方だと思います。それゆえに内容はかなりハイレベルで、想定される読者も日本の古代史についての基礎知識がある人だと思われます。しかし、僕のような門外漢でも興味を保ちつつ読み進めることができたのは、面白いトピックを織り交ぜつつ文章が書かれているからだと思います。本書を読んで、謎の大王継体の姿に迫ることができたと思います。
Posted by ブクログ
継体天皇の父祖の系譜を近江の古墳の考古学の成果を受けて比定し、応神天皇の子孫がいかに近江に根を張り、土着していったかを明らかにした。また継体天皇の大和入りに年月がかかった理由を東大和と西大和の豪族の対立があったからだと考え、具体的には反対勢力の葛城氏が没落し蘇我氏が取って代わった為、大伴、物部といった東大和の豪族に擁立された継体天皇が大和に宮を構えることができた。この考えは面白い。何故、蘇我氏が葛城氏に代わる形で歴史の表舞台に出てきたのかが納得いく。五経博士のくだりも面白かった。ただ対外的な部分や磐井との関係、秦氏との繋がりなどは引っかかるところもある。