作品一覧 2023/10/20更新 女たちの壬申の乱 試し読み フォロー 教養の人類史 ヒトは何を考えてきたか? 試し読み フォロー 継体天皇と朝鮮半島の謎 試し読み フォロー 古代史の定説を疑う 試し読み フォロー 謎の大王 継体天皇 試し読み フォロー 日本の古代豪族 100 試し読み フォロー 1~6件目 / 6件<<<1・・・・・・・・・>>> 水谷千秋の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 日本の古代豪族 100 水谷千秋 古代日本の分散した権力の一端を垣間見ることができた気がする。本書では記紀を中心の出典としつつ、豊富な情報量で各地の豪族の記述を書き上げている。そのため、 古代日本に興味のある方や飛鳥・奈良時代にかけての豪族模様を流れで理解したい方におすすめである。 特に多くの地方豪族が大和朝廷に対し、幾度も戦いを挑...続きを読むんでいることに驚いた。記述に残っている話は天皇支配体制確率後に編纂されていることもあり反乱とされているものが多い。しかし実際には反乱ではなく、より対等な立場同士での権力闘争であったということが示唆されている。 現代に伝わる書物が少ない分、古代史はロマンがあると個人的に思う。古墳時代に興味を持つとともに今後の研究に期待が高まった。 Posted by ブクログ 教養の人類史 ヒトは何を考えてきたか? 水谷千秋 タイトルから「教養」について語っている本かと思ったが、「人類史」の方を語っている分量の方が多かった。教養としての人類史というところ。歴史についてこのぐらいのことは知っておけよ、という意味での教養か。 特に新しい知見を得たりはしなかったし、厳密な意味で正しいかというと微妙な書き方の部分も多かったが、歴...続きを読む史を大掴みにするにはちょうど良く、大学の一般教養で教える内容としては十分なのではないかと思った。 Posted by ブクログ 教養の人類史 ヒトは何を考えてきたか? 水谷千秋 知の探求とは何か?それは何の役に立つのか? それを読者に考えてもらおうと、材料を提供してくれる書なのかと思いながら読み進めた。 知の欲求に囚われたような巨人がいる。 身近な人として、立花隆、司馬遼太郎、井筒俊彦、松本清張が紹介されているが、古くはBC500年、あるいはBC800年からBC200年頃...続きを読む、中国、インド、ペルシア、パレスチナ、ギリシアにおいて、時を同じくして偉大な思想家による現代にも通じる思想が生まれた。これを枢軸時代と名付けている。 人類の進化を動物と比較しながら、いかにヒトとは特別な存在なのかを表し、そのヒトは宗教・哲学・芸術、そして科学を生み出してきたと話しを進める。 しかしだ、文明の発展は地球を破壊し、勝ち組と言われている新自由主義は、人間性や公平性に挑戦していると展開し、暗い気持ちにさせられる。 ただ我々は、教養を身につけることで矛盾を解決できる、と述べていると理解した。 J.Sミルは、教養を学ぶことによって、「期待を決して裏切ることのない利害を超越した報酬」が得られる、と言う。その「報酬」の中身とは、我々が人生を生きていく中で、心惹かれ、もっと知りたいと思うことが、より深く、よりバラエティー豊かなものとなることだと言う。 そしてそれは、人生を十倍も価値あるものにし、しかも生涯を終えるまで持ち続けることのできる価値である。 単に個人的な関心事は年を経るに従ってその価値は減少していくが、この価値は減少することがないばかりか、増大してやまないもだ、とも言う。 今世紀の教養として 一人ひとりの人生にとって、家族や友人たちなど現実の存在が生きがいになってくれることは言うまでもない。そうした個人の一回かぎりの体験や思い出を普遍化し、時や空間を超えて離れた人々とも共通の思い出として表現化されたものが文学であり、歴史であり、芸術であり、宗教なのだろう。これを味わうことによって個人の体験やその思いが多くの人にも共有され、追体験される。これは人間にそれだけのイマジネーションがあるからだ。私たち一人ひとりの人生にとって、そうしたものはどうしても必要なものなのだ。 とある。共感できた。 Posted by ブクログ 継体天皇と朝鮮半島の謎 水谷千秋 その血統に???がつく第26代継体天皇。それまでの仁徳朝がいったん途絶えた後、はるか5代前まで遡って「ぢつは親戚だよ〜」とやってきたストレンジャー(もちろん大伴氏、物部氏のバックアップあってのことだけれど)にいったいどんな強みがあったのかを、朝鮮半島との関係を鑑みながら書かれた本。 学校の日本史の...続きを読む時間では、この時代には任那という日本のテリトリーが朝鮮半島にあり、継体天皇はそれを失ったことになっている。 けれどこの本では、そもそも継体天皇がベースとしていた(今の)琵琶湖北岸、東岸には鉄器等の外来文化が強く根づいており、彼の重要な経済的地盤となっていたこと、そしてさらに琵琶湖から桂川経由で(今の)高槻や枚方にも商圏を拡大したなかなかのやり手であった、ということになっている。 つまりですね、古墳時代の前期には奈良盆地から二上山を越えた難波津、すなわち近鉄エリアの範囲にしか過ぎなかったヤマト王権を、一気に京阪、阪急、琵琶湖線、湖北線まで拡大したのが彼だったわけです。凄いよね。 で、そして従来は「(せっかくの植民地)任那を失った」という捉え方ではなく、運営コストを考えた上でとっととそんなモンは百済に譲り、代わりに中国からのエンジニアや文人をコーディネートしてちょうだいな、と持ちかけた賢帝だったということになる。 さらに当時の百済の武寧王の棺桶は、日本特産の高野槙で作られているそうな。棺桶の材料を提供するくらいの親密な外交関係を築いていたわけですね。 中学や高校の日本史ではほんの1,2時間で語られてしまうような内容が、ぢつはとってもエポックメイキングな時期だった、ということでした。 Posted by ブクログ 教養の人類史 ヒトは何を考えてきたか? 水谷千秋 自分をメタに、つまり今在る周囲からではなく、世界から人間の1人として見つめると、自分の"病み"もどうでもよくなるし、客観的なものになり、なすべきことが見えてくる(気がします Posted by ブクログ 水谷千秋のレビューをもっと見る